第10話 堕天使とともに

 ショッピングモールの大火災。その中で唯一1人、瀕死の状態を負った少女がいた。


 柏木雪菜という少女だ。奇跡的に助かった彼女は今ではすっかり元気に過ごしている。奇跡を起こした人が誰なのか忘れてしまっているが……。


 そのヒトの名は剣崎仕佐。彼と契約を結んでから、いろいろなことを教えてくれた。柏木様と剣崎様は幼馴染だそうだ。駅ビルで遊んでいたところに、会沢という人と出会ってそれからは3人で過ごすことが多くなった。


 火災のときは会沢様へのプレゼントのために買い物をしていたらしい。なんとも不幸な目に…………。誰ですか、その不幸を届けたやつ。というか、私だった。


 今でも思い出すと、チクリと胸が痛む。


 等価交換で彼女を生かす代わりに、剣崎様に関する記憶を消した。今では、柏木様と会沢様の間でははじめから二人で仲良くしていたってことになっている。


 だが、剣崎様は気にしていないようだ。2人で楽しそうにしているのを見て、ときどき嬉しそうに笑うことがある。普通なら、羨ましがるだろう。間に入って邪魔だって、必死になって自分の存在を思い出させることだってできた。


 でも、彼はそうしない。現状に満足したような、諦めにもみえる彼の笑顔を見るたびに、なぜだか私が悲しくなる。なぜだろう。そうさせたのは私だというのに。


 彼女と魂の一部が繋がっている私は、離れていても彼女の運気というものを感じることができる。

 ここ最近の彼女はあまり、気の流れが良くない。


 天使でも悪魔でもない中途半端な存在になってしまった私が、柏木様の魂に干渉しているせいだ。


 このままでは大きな厄災に巻き込まれるだろう。そうなる前に手を打たなくては。


 だが、なぜだろう。方法はあるのにそれができない。私の中にある焦燥感。彼の顔が見られなくなると思うと、どうしてもこの手を拒んでしまう。


――――――――

――――――

――――

――



「最悪です。本日の柏木様の運気が………」

「どこだ。案内してくれ」


 私が言い切る前に飛び出す彼。二度目はないぞと彼の背中が物語っている。



「どうして、どうしてだ! なんで、またこうなる!」


 それなのに、また同じことを繰り返す。刃物で刺されて横たわる柏木様と、その傍でうずくまってしまう剣崎様。その様子をただ後ろで見ていることしかできない。なんて声を掛ければいい?


「まさか…………お前が!?」


 会沢様の言葉に、剣崎様は目を背けてしまう。俺がやったようなものだ、と。


 違う。私なんです。その事態を引き起こしたのは。術はあるのに、方法はあるのに、身勝手な感情で先延ばしにしていた私。どんなに必死に叫んでも、会沢様にその言葉は届かない。


 感情なんてものがなければ、迷わなければ誰も不幸にならずに済んだ。後悔なんてしなかった。



「もし、やり直せるならば、どうする?」

「もっときちんと、この気持ちを伝えたい」

「わかった。俺のことを忘れても、その約束だけは忘れないでくれ」

 そう言い残し、その場を去っていく。



 人気のないところで、彼は私にこう言った。



「俺の魂を今すぐにやる。記憶も全て。それでなんとかならないか」

「―――――!!」


 耳を疑った。私の不始末を彼が全て負うと言っている。自分を捨ててでも、彼女を救うと。愚かなことだ。犠牲の果てに何も生まれない。残された者の悲しみを少しは考えて欲しい。


「正気ですか!? そんなことになんの意味があるんですか! ないですよ! だってあなたのこと、誰も覚えていないんですから!!」


 思わず声を荒げてしまう。彼はそうすると決めた。私がなにを言ったところで、その決意は揺るがないというのに。


「意味はないよ。でも無価値ではないさ。そうしてまでも、柏木を救いたいんだから。この気持ちに、意味はあると思う」


 平然とそう言ってのける。笑ってみせる。その笑顔がとても魅力的で、今までで一番のものだった。そうか、この男のこういうところに惹かれたのだ。日々密かに募るこの想い。もう伝えることはないけれど、今まで迷っていた自分にやっと決じめをつけられる。


「いえ、それよりもいい方法があります。誰も悲しまない方法が」


 全ての元凶は私だ。神から天使として造られた私は、人間のように身体という器を持たない霊体のようなもの。天使の役目を捨て、不確かな存在になったこの世の異物は、やがて消滅してしまう。


 感情を持ってしまった私は死ぬということに恐怖してしまった。その末に柏木様と魂の一部を共有したのだ。そのせいで、彼女の運気を殺してしまった。


 そう、あの時はじめから私がいなければ良かっただけなのだ。知っていながらそれができない弱い私。先延ばしにすればするほど、彼と触れ合うほど、未練の気持ちが募ってしまう。


 だが、もう大丈夫だ。やっと迷いが消えた。


「柏木様に私の生気を与えます。それで不運を相殺しましょう。今ならまだ間に合うはずです」

「そうか。ならばやってくれ。その前に―――」


 一旦言葉をきり、私をみつめる。いつも私に見せてくれる、優しい顔。向ける眼差しはどこまでも真っ直ぐで、真摯に私に向き合い、こう言い放つ。


「そうした場合、お前はどうなる?」

「―――――!」


 その言葉に、私は目を見開いた。思わず目を逸らしてしまった。しまった後で気がついた。これでは肯定しているようなものだ。


 悟られまいと慌てて取り繕うが、もう遅い。


 彼はやっぱりな、とため息をつく。


「却下だ。そんなもの。柏木を救うことが、お前が消えていい理由にはならない」

「なにを言っているのですか! 私は悪魔ですよ!? 消えたってあなた達になんの問題もないでしょう!」


それに、彼女を危険な目に遭わせたのは私だ。私がここにいるからだ。


「知らん。そんなこと。悪魔だろうがなんだろうが、もうお前は俺の友達みたいなものなんだよ。友達が消えて、悲しい思いをするのはもうたくさんだ」


 その言葉で、張り詰めた思いが解けてしまう。その場で膝をつく。胸の底から込み上げてくるものを抑え込むため顔を手で覆う。


 彼はその頭を優しく撫でる。


「もうよくやったじゃないか。十分に苦しんだ。もう報われてもいいじゃないか」

「いえ、そんな………私は……」


 手では抑え込めず、指の間から涙が溢れてしまう。



「顔をあげてくれ」


 彼はそう言い、私自身の顔を覆う手を、その上から包むように優しく取り顔から離す。そしてそっと涙を拭ってくれる。


「ひでぇ顔だな……」

「あなたのせいです」


 照れ臭くて、気恥ずかしくて、ついふて腐れたような言い方をしてしまう。少し頬を膨らませて彼のことを睨みつける。


「皆が幸せになれる道を一緒に考えようぜ」

「はい。でも………その前にお話があります」


 迷ったが、私は全てを話すことにした。話し終えた後も、私が悪魔でないことを知った彼は、それでも驚いたそぶりを見せない。


「やっぱりか……」

「気づいてたのですか?」

「なんとなく、な。悪魔にしては条件が優しすぎだ。普通なら死後なんて待たないで、すぐに魂を要求するだろう。実は魂なんてどうでも良かった、お前は器が欲しかったんだろう?」

「意外と鋭いですね…………それで提案なんですけど」

「受けよう」

「即答すぎませんかね!?」


 もうすこし契約の内容をよく聞いてほしい。この人、将来絶対に悪い人に騙されるよ。そこに惚れたんですけども……。


「俺と魂の全部を共有するんだろ?」

「その通りです。けども…………ですけども!」


 ずいと彼に顔を近づける。


「一部じゃなくて全部ですよ!? あなたの生気を全部私が吸うんです。柏木様の比じゃない。なんならこの世の不幸を全て受けることになるんですよ!?」

「いいじゃないか、それ。ヒーローみたいで。俺が不幸になることで、皆が幸せならそれでいいだろ」

「はあ…………。そこまでいくと、もう病気ですよ。死ぬかもしれないのに……」

「死なないだろ。お前がいるんだから」


 なにそんな呑気なことを言っているのだろう。先が思いやられる。


「それでは、それでいいですね? あなたは人間でもない天使でもない中途半端な存在になります。この世の異物です」

「わかってる」

「また記憶を消しますけど、いいですか?」

「うむ」

「またみんな、あなたのことを忘れてしまいますけど、それでも?」


 私に微笑む。もう答えは決まっていると。


「皆ではないさ。お前だけは覚えてる」


 ズキュン。たしかに胸を矢で撃ち抜かれた。天使が舞い降りた。ちがった、天使は私だった。


「皆が皆、幸福に過ごせる道を一緒に探していこうぜ」

「はい!」


 歩を進める彼に、後ろからついていく。その道はどこに向かっているのかわからないけれど、彼と2人なら何も不安はないだろう。

 

 ただ2人きり、誰も私たちを知らない世界で人知れず不幸と向き合っていく。



Fin

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