第9話 神と悪魔
むかしむかし、はじめから神というものはすでに存在していた。生きとし生けるものすべてを愛する神は、ある日、自身の分身を作った。ヒトというものだ。
ヒトには特別に神が持っている感情というものを持たせ、『愛』を与えた。ヒトとヒトとが互いに愛をもって接したさきに、その証たる子供を授かる術も与えた。
ヒトの親たる神は全ての人に平等に愛をもって接した。だが、問題が起きた。人々に幸せを与えるが、別の誰かにどうしても皺寄せがいってしまう。
人類すべてにどんなに幸福を与えようとも、誰かが不幸になってしまう。どうしても誰かが犠牲になってしまう。
悩んだ。
悩んだ末に思いついた。全ての人を幸せにできないのなら、平等に不幸を与えよう。それを管理する役割を持つものを作ろう。
次に神は天使を作った。
誰かに幸せを運ぶ代わりに、別の誰かに不幸を運ぶ。そうやって順番に人に不幸と幸福を与え、全体的に平等になるようにしよう。天使に感情というものは与えなかった。平等さを失ってしまうからだ。
私もその天使のひとり。神の命に従い、今日も誰かに幸せを運び、ときには不幸を運ぶ。運気を運ぶとは生気を運ぶことに同じ。誰かに生を与えるということは、誰かに死を与えるということだ。
ヒトはその役目を、天使と死神と分けて考えているがその実、天使も死神も同義だ。
私は生を与える天使であり、死を与える死神でもあるということ。
今日も今日とて指示が下る。私はなんの感情も抱かず、与えられた幸せと不幸を運ぶ。
ただその先が、どちらも同じだった。
とある建物火災。それに巻き込まれ、1人の少女に死期が近づいている。
だから私はここにいる。彼女に死というものを与えるために。
その傍でひとりの男が嘆いている。ヒトならこう思うだろう、なぜわたしに幸せというものを与えた。そして、その後でこんな不幸を与えたのだ、と。
私は天使。そんな感情というものはない。だが、その男が彼女に抱く『愛』という感情を見ることはできる。言葉では表すことができないけれど、まっすぐな感情。
少しばかり彼が不憫だと思った。かすかに感じる胸にシコリのような感触。それがなんなのかはわからない。
「神でも仏でも、天使でもいい! こいつを救ってくれ!」
それはできない。天使も神も人を救えない。私たちは与えることしかできない。そう思えば思うほど、先程から感じる胸の内にあるものが大きくなる。なぜだろう。
彼に少し興味がわく。
「悪魔に、魂を売ってもいい!」
耳を疑った。自分を犠牲にしてまでも彼女を救えと言っている。人を愛する神ですら自身の存在をかけてまで、人を救わない。人というものが間違いをおかせば、罰を与えるというのにだ。
なぜそこまでするのだろう。先程から感じるこの、胸を締め付けられる感覚。それは本来私にはないもの。人が持っているもので、きっと彼から貰ったのだろう。
感情というものが私の中で芽生えはじめた。
彼がいま抱いている気持ちがわかる。胸を刺すような痛み。大切なものを失ってしまった喪失感。悲しみというやつだ。
彼を見ていると、私まで悲しくなる。なんとかならないだろうか。いや、できない。私は天使だ。皆に平等に幸福を運ぶ存在。彼だけを助けるわけにはいかない。
でも、だけど………。
それでも私は天使なのだ。目の前の少年は愛する人を失い悲しんでいる。苦しんでいる。そういう人たちのために天使がいるのではないのだろうか。人々には恋のキューピッドだなんて言われている。
そんな私が、目の前の2人を引き離していいのだろうか。
自分の魂を差し出すと彼は言った。自身を犠牲にしてでも彼女を救いたいと。ならば、私も自分を犠牲にしてでも彼を救いたい。それが、神から愛というものを受けて生まれ、人々の幸せのために存在する天使の役目なはずだから………。
彼に一歩一歩近づく。近づくたび、胸が苦しくなる。まるで心臓を鷲掴みにされているよう。呼吸をするのもやっとだ。
呼吸をとめられ、心臓を止められ、徐々に身体の温度が凍てついていく。やがて、天使の輪が自慢の髪も薄汚れた灰色へと変わり、肌も死を感じさせる色白へと変化する。
見なくてもわかる。きっと純白だった翼も黒く染まっていることだろう。天使としての禁忌を犯そうとしている私はいま、堕天に落ちた。
彼の前に姿を現わす。
「その願いを聞きましょう」
私の姿を見て一瞬ギョッとしたようだが、言葉を聞いて食い入るようにこっちを見る。なりふり構っていられない様子だ。
「できるのか? お前は?」
「できます。悪魔の私なら。もちろんそれに見合った対価をいただきます」
すこし意地悪な言い方をした。私は悪魔ではない。悪魔のように代償を貰うことはないし、そもそも彼女を救うことはできない。できるのは唯一、等価交換だけだ。彼がどういう人なのか、試したかった。代償がなんなのかを聞いて、果たして彼はなんと答えるだろう。
「わかった。やってくれ」
「―――――!」
驚いた。そうしてしまうほどに、今の彼に余裕はないのか。そこまで彼女を………。
胸の中にある、わずかに感じる温かさ。彼への想い。もう少しだけ彼のことが知りたい。
「わかりました。あなたの死後の魂と、人々の記憶で手を打ちましょう」
「それでいい。やってくれ」
たとえ彼女が助かったとして、彼のことを覚えていない。そんなことに意味はないと、彼は気づいているだろうか。
私がやったことは、人々から彼の記憶を消すことで彼の存在をなかったことに。代わりに少女は死ななかったことにする。
そうすることで、この建物火災の犠牲者は少年ということになる。ただ一つ心配なのは、天使が1人消えた事実に、この小さな矛盾に神が気づいているかどうかだ……。
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