王太子妃の器

猫じゃらし

王太子妃の器


 現在、王宮には十名の令嬢が集められていた。

 第一王子アルフレドの妃候補として、選抜に残ったのが十名である。

 中でも突出して目立つのが四名。


 カリスタの公爵家は、商戦において右に出る者はいない。

 ジャスミンの侯爵家は、広大な領地を平安に治める手腕を持つ。

 アニーの伯爵家は、爵位を授けられてからの勢いが今一番注目されている。

 そしてカナリアは公爵家であり、宰相の娘だ。


 教養も家柄も問題なく、妃としての資質を十分に兼ね備えた四名である。

 王宮には十名を残したが、ほぼこの四名の競い合いになることは間違いない。


 だが、妃候補達はやる気がなかった。

 残された十名、その十名の護衛騎士、侍女、王宮で働く使用人、さらには国民も、なんなら第一王子であるアルフレド本人ですら、その事実を隠そうとしなかった。


 残された十名のうちのただ一人。

 宰相の娘であるカナリアはアルフレドから寵愛を受けており、妃選出はただの演出だ、と。


 王太子妃の座を狙う狡猾な売り込みを凌ぐため、わざと妃候補として相応しい令嬢達と競わせて実力を確固とするための茶番。

 いわばこの妃選出は、出来レースだった。




 ❇︎




 妃候補とは一人に月二回、時間を設ける決まりだ。

 いくら出来レースと言われようと、カナリアを最初から選ぶのではないという体裁をつくるためだ。

 もちろん妃の座を狙う令嬢は牽制するが、他に利になる情報が得られるかもしれない。

 政治的な話なら友好的な態度も取れようと、俺は王宮に残った令嬢達の名前を眺めた。


「……キリル」


 妃選出の前まで、常に側に仕えていた騎士の名をつぶやく。

 幼い頃から共に育った仲だ。王宮において唯一無二の親友であり、よき理解者。だからこそカナリアの側につけた。


 カナリアは常に一歩引きあまり意見をしない。淑女らしく控えめであると俺は思っているが、無能な奴らはそれを傲慢に見下す。

 私生児なのだから口をつぐむのが当たり前だと言うのだ。


 カナリアは私生児だった。

 生まれ育ちは庶民のもので、宰相に引き取られるまでは一般的な教養さえあやしかった。

 しかし、引き取られてからは真綿のように知識を吸収して才を伸ばした。

 貴族マナーも根っからの貴族より細かく完璧に仕上げ、講師を唸らせるほどだったと聞く。


 だが、私生児。

 それを弱みと取り、引きずり下ろそうとする狡猾な低俗はまだ多くいる。だからこそ妃選出は必要な演出だったのだ。


「カナリアを守れ、キリル」


 吹けば飛んでしまいそうな、儚い彼女だ。

 茶番に巻き込まれやる気のない令嬢達だが、何もないとは言い切れない。向けられる悪意から、貶める陰口から。

 立場上、直接守れない俺に代わって。


「カナリアは優しすぎるゆえに、弱く脆いのだ……」


 誰よりも信頼のおける騎士に、任せるしかなかった。




 しかし、そんな心配とは裏腹に妃選出はおかしな方向へと動き出した。




 妃候補につけた騎士には、毎日の報告を義務付けていた。その日の様子、行動。

 淑女に対し失礼にならない程度に、王宮でどんな生活をしているのかを確認したかった。

 それはカナリアも同様で、キリルから特段目立つ報告はそれまで受けていなかった。


 だが、ある日。

 妃候補数名でのお茶会にて。

 眉を寄せるほどに違和感ある報告は、そのお茶会に伴われた騎士達から上がった。


「カナリアが言い返した、だと?」


 数名の騎士、そしてキリルが頷く。

 お茶会はカリスタ公爵令嬢の主催であり、招待されていたのは有力候補から外れた二名。マリナ侯爵令嬢と、ユーリン侯爵令嬢だ。

 カリスタとは友人関係というより、取り巻きに近い感じだという。


 騎士は仕える令嬢を一番に護るが、俺に上げる報告では贔屓差別は一切しない決まりになっている。


「どういう状況だった。キリル」

「申し上げます」


 キリルは淡々と状況を説明し始めた。

 カリスタ主催のもと、カナリアを招待しにきたのはマリナとユーリンだった。カナリアは快諾し、キリルを連れてお茶会へ。

 交流を深める、もしくは腹の探り合いかと思われるお茶会は、いざ席に着くと身も蓋もないものだった。


 マリナとユーリンはカリスタを持ち上げ褒め称え、王太子妃にふさわしいのはカリスタ様だ、と言った。

 それだけならカナリアは気にしていないようだったが、反応がないせいで二人はカナリアを貶め始めた。

 私生児が。教養もなかったくせに。卑しい生活で卑しさを学び、殿下に取り入った。宰相はなぜお前を引き取ったの? 家名に傷をつけるだけなのに。


「カナリア様は殿下、そして宰相様のことを庇って発言されました。ですが、たしなめただけです」

「そうか」


 いや、それだけでも驚くべきことだ。カナリアは善悪の判断はしっかりしているが、他人の意見に異を唱えることは苦手としていたから。

 俺は驚きつつも、庇ってくれたことを嬉しく思った。


 そして、話を次に移す。


「では、今回の件はカリスタ嬢が仕組んだということか」


 取り巻きだというマリナとユーリンを使い、自らの手は汚さずにカナリアを貶める。

 商売上手な公爵家の娘としては賢くないやり方だ。


 すると、カリスタの騎士が口を開いた。


「進言します」

「許す」

「カリスタ様は、巻き込まれた形だと思われます」

「理由を述べよ」

「申し上げます」


 今回のお茶会の主催はカリスタだが、発案は取り巻き二人からだったと騎士は言う。

 カナリアの参加をカリスタが知ったのはお茶会が始まってからで、本来であれば取り巻きとの三人で楽しむつもりだったと。


 マリナ、ユーリンの騎士に相違はないかと確認すると、どちらも間違いはないと言った。


「では、なぜカリスタ嬢は二人を止めなかったのか」

「それについてはお茶会後、カリスタ様に確認致しました」

「なんと言っていた」

「口を挟んでも挟まなくても、私が悪者になるのは免れない。ならば、カナリア様がどう出るのか見たかった、と仰っていました」

「……なるほど」


 悪者になるのは免れない、か。

 取り巻きらしいマリナとユーリン。今回のことで落ちたのはカリスタとなるが、果たして立場を陥れようと画策したのはどちらだったのだろう。

 カナリアだったのか、カリスタだったのか。――あるいは、どちらもか。


「わかった。今回のことはこれまでとしよう。皆、護衛に戻れ」


 ひとまずは様子見だ。

 予期していた通りのことだ。

 

 令嬢同士の陰険な貶め合いからカナリアを守るのは、今はキリルの任だ。

 俺は無理矢理そう自分を宥め、一人になった執務室で大きく息を吐いた。




 ❇︎




 カナリアと他の妃候補とのいさかいは、その後も絶えることなく続いた。

 報告が上がる度に俺は密かに嘆息し、カナリアに同情した。だいたいの原因は妃候補からカナリアへ向けたものだったからだ。


 だが時折、カナリアから仕掛けていることもあった。

 キリルは「注意を促しただけです」と言うが、それにしてもカナリアから他の令嬢に物申すなどありえるだろうかと、俺は首を傾げた。

 幸いにもキリルがすぐにその場を諌めるので大事にはならずにいる。


 大事にはならずにいるが、また違う話題が持ち上がるのも免れないことだった。


 その話題を耳にしたのは、アニー伯爵令嬢とのお茶の席だ。

 勢いがあるとはいえ、爵位を与えられてからまだ日の浅いアニー。マナーこそ問題ないが、残された面々で一番の若手ゆえか、その口は少々身軽であった。


「キリルとカナリア嬢が?」

「はい」


 にっこり向けられる笑顔は無邪気で、まるで恐れを知らない。他の妃候補がこの場にいたら凍りついていただろう。

 それほどに、この令嬢は友人と恋バナでもする調子でその話題を持ち出したのだ。


「他の皆さんも仰っていますよ。妃候補と護衛騎士にしては距離が近いと」


 俺は引きつりそうな顔を、お茶を飲むことで誤魔化した。

 アニーの騎士は俺の殺気を感じ取ったのか顔が青ざめた。


「……カナリア嬢とキリルは、どう距離が近いのだ」

「えぇと、問題ごとがあると必ず騎士様が庇っていらっしゃいます」

「護衛騎士なら当たり前では?」

「そうなんですけど、雰囲気が……。あぁそうです、カナリア様は騎士様のお名前を呼び捨てにされていました」


 ぴたりと、止まる。

 キリルを呼び捨て? 敬称には特にこだわる、あのカナリアが?


「カナリア様はアルフレド殿下とも仲睦まじいとお話を聞いております。もしかして、殿下も愛称で呼ばれているのですか?」

「いや……」


 カナリアは絶対にそんなことをしない。

 俺がいくら愛称を許しても、呼んでくれと頼んでも、一度もそこを崩したことはなかった。


 アニーは輝く少女の瞳で俺を見つめた。


「まぁ、そうでしたか。愛称を許されているなら勝ち目はないと思っていたんですが、私にもまだ希望はあるということでしょうか」

「……公正に見極めている」

「よかった。カナリア様と護衛騎士様のことは、どうか判断の一部に」

「留意しておく」


 あまりにも無邪気な少女すぎる。

 カナリアを蹴落とすにも、ここまで直球だと間抜けすぎていっそ憐れだ。

 俺は王太子らしく笑みを向けてみせると、アニーの頰はみるみると赤く染まった。


「では、俺はこれで失礼する。有意義な時間だった」


 席を立つと、俺は青ざめたままの騎士を一瞥して執務室へ戻った。



 その後に行われた護衛騎士による報告では特に目立つものはなかった。

 この日カナリアにやっかむ者はおらず、おかげでカナリアも静かに過ごせたようだった。

 キリルをちらりと見て、いつも通りの表情に少し胸がざわつく。次いでアニーの騎士を見ると目をそらされた。


 なるほどな、と思った。

 アニーの「他の皆さんも仰っていますよ」は、キリルを仲間に思う騎士同士で暗黙の了解になっているようだ。どうりで俺に報告が上がってくるはずがない。


 俺は敢えて聞いてみた。


「他に報告はないか?」


 騎士達は静まり返る。

 アニーの騎士は次第に青くなっていくが、結局進言はなかった。キリルも表情を崩さない。


 「……わかった。もういい、下がれ」


 別に、問い詰めるつもりはない。

 アニーの騎士は逃げるように執務室を出ていった。続いて他の騎士達も護衛に戻っていく。


 最後に執務室を出ようとしたキリルは、足を止めて振り返った。騎士達の姿が遠ざかるのを確認して、言葉を選ぶように口を開いた。


「――殿下。明日はカナリア様ですね」

「あぁ、そうだ」


 月に二回、妃候補との時間。

 キリルが言うように、明日はカナリアとの時間を約束している。


「贔屓されませんように」

「わかってる」


 ため息混じりな俺の返答に、キリルは頷いて執務室を出ていった。


「明日か……」


 閉められた扉を見ながら、独り言つ。

 なぜこのタイミングなんだろうな、と。


 俺がカナリアを寵愛しているのは誰もが知る事実。嘘偽りなく、まっすぐに想いを向けてきた。だが、直接口に出して伝えることはなかった。

 カナリアには伝わっているはずだし、俺の気持ちを受け止めてくれているように見えていたから。


「見えては、いた……」


 今になって、己の立場の重さがのしかかる。


 王位を継ぐ王子に気に入られたら。王太子妃の座にふさわしい家柄で、ましてや父親が宰相ともなれば。

 カナリアは俺を無碍にすることはできなかっただろう。好意を向けてくる俺に、知らずのうちに外堀は埋められていき。

 どう足掻いても、俺を断ることはできなかっただろう。


「はぁ……」


 俺は君に、どう思われているんだ。

 ただ王子として、自身は公爵家の娘だと割り切っているのだろうか。それとも、少しは俺に気を許してくれているのだろうか。


 まさか今回の妃選出で、度々カナリアらしくない言動をしているのは、妃候補から外れるための演技だったりするのだろうか……?


 いや、と俺は首を振った。

 カナリアはそんな女性じゃない。それは、俺が誰よりも知っていることだ。キリルとのこともあくまで噂にすぎない。

 存外、無邪気な少女の言葉に心を乱されてしまっている。


 明日、カナリアに会えばわかることだ。


 待ち焦がれた日は楽しみなのに、胸が嫌にざわつく。

 明日が早くやってくればいいと思う反面で、明日がこなければいいという、複雑な気持ちを誤魔化して俺は仕事に没頭した。




 ❇︎




「アルフレド殿下、体調がよろしくないですか?」


 迎えた翌日はカナリアの希望で庭園を歩くことになった。庭師による剪定はどこまでも追求され、花は見事に咲き連なる。

 対比が美しい青空の下、誤魔化しきれない俺の目の下のクマにカナリアが心配げな面持ちをした。


「仕事が少し、忙しくて」


 カナリアに会えるのが楽しみで眠れなかった、と今までなら付け加えていただろうが、軽々しく口にできなくなっていた。

 「嬉しいです」と笑うであろうカナリアに、疑念を抱いてしまいそうだったから。


「お仕事が……。わたくしに時間を割いてくださり、ありがとうございます」

「そういう決まりだからな」

「あの、戻られてお休みになってはいかがです? このような時間がなくとも、殿下はわたくしのことをよくご存知でしょう」


 カナリアの提案に俺は止まる。

 言っていることは俺を気遣っている上で、カナリアのことはよく知っているし、何も間違っていない。


 ただ、素直に頷けなかった。


「大丈夫だ」

「そうですか……? では、そちらのベンチに座ってのんびりしましょう。美しいお花が見頃ですよ」


 カナリアは先にベンチに腰掛けると、俺を隣に座るよう促した。

 のんびりしましょう、を押し通そうとしているようだった。俺が「歩こう」と言うのを見越しての、カナリアなりの先制だ。


 俺はふっ、と笑みを溢す。

 意見をすることの少ない彼女は、こうして行動で俺を制するのだ。


「では、そうしよう」


 騎士達の報告で聞いてきたカナリアではなく、俺の知るカナリアが隣にいる。

 その心地よさに安堵し、そしてやはり愛らしく思う。


 彼女は、彼女のままだった。


 風に髪を揺らし、賑やかに咲き誇る花に目移りするカナリアの肩に、俺は頭をもたれた。


「で、殿下っ?」

「少しだけ」

「ですが人目が……」

「誰もいない。いてもキリルが追い払う」


 俺とカナリアの見えぬ所に控えているキリルが。

 名前を出すことでカナリアは反応するだろうか、とちっぽけな俺が試す。


 ふわりと香る優しさにカナリアを感じた。

 いつも側にいるはずだったこの香りが、今はどうしても遠く感じてしまう。

 触れるぬくもりが、戸惑いがちに動き出そうとする小さな手が。

 カナリアは、キリルをどう思っているんだろう。


 しかし、反応があったのは隣のカナリアではなく、背後から出てきたキリルだった。


「殿下」

「……なんだ」


 不愉快な登場に、俺はカナリアの肩から離れず返事をした。


「急ぎ確認していただきたい書類があるようです」

「今か?」

「そのようです」


 ちら、とキリルが後ろを振り返れば、そこには書記官が立っていた。


「……」


 ふつふつと湧き上がるイラつきを押さえ、俺は顔を上げた。

 隣で、カナリアが心配そうな面持ちをしている。


「すまない、行かなければならなくなった。後日、改めて時間をつくろう」

「いいえ、殿下。わたくしのことはどうぞお気遣いなく」

「……さすがに短い」

「今こうしていられたことは、わたくしにとってかけがえのない時間でしたよ」


 はにかんで言われると、俺はカナリアを押し切ることができない。

 これ以上「時間をつくる」と提案しても、それはただの俺の欲になってしまいそうだから。


 俺は渋々頷いた。


「では、失礼する。――カナリア。どうか、穏やかに過ごすように」


 立ち上がると、ごくわずかな力で袖を引かれた。

 驚いてカナリアを見れば、向けられた眼差しは真剣なものだった。


「アルフレド殿下。公正な判断を」


 まるで、釘を刺すように。

 そういえば昨日のキリルの言葉も、もしかしたら同じ意図なのかもしれない。


 控えていた書記官が俺を急き立て、歩きながら詳細を話し始めた。

 俺はそれに相槌をうち、だんだんと遠のいていく距離に後ろ髪を引かれて振り返る。


 カナリアとキリル。

 ベンチから立ち上がろとしたところでよろけ、キリルがそれを支える。

 見つめ合った二人は、それが当たり前の距離だというように微笑んだ。

 俺の鼓動は大きくなり、見ていられず目を背けた。


 急ぎだという厄介な書類が舞い込んだせいで、その時ばかりは頭が冷静になり救われた。


 キリルは俺の護衛騎士をしているが、家は代々王家に仕える由緒正しい侯爵家だ。

 カナリアの父である宰相とも良好な関係で、家柄同士の問題もない。

 キリル自身は幼い頃から俺と共にいたため、誰よりも信用できることがわかる。

 剣の腕はお墨付き、誠実で、カナリアと並んでも見劣りしない外見。


「……邪魔者は、俺か」


 自嘲気味にぼやいた。

 いくら俺が先にカナリアに惹かれていたとしても、カナリアが誰に恋するかは自由。

 それが妃選出が始まってからで、たまたま護衛騎士にキリルがついたからだとしても。

 キリルも、誰を見初めるかは自由なのだ。


 この気持ちだけは、誰にもどうすることはできない。


「公正な判断、か」


 カナリアのその言葉が、幾度も俺の頭の中に蘇った。



 翌日はカリスタとの日だった。

 先日の一件から、被害者だとしてもあまりいい印象はなかった。

 だが、招かれたお茶の席では思いのほか会話が弾んだ。一つ質問をすれば二つ、三つの回答があり、選択の余地が楽しかった。なるほど商売上手な公爵家の娘だと、俺は認識を改めた。

 妃選出から外れたとしても、今後の伝手に是非とも友人に欲しい人材だった。


 いまだ妃候補を蹴落とそうとするマリナ、ユーリンは色目や会話の中での詮索が下品だったために牽制したが、同じく俺に好意を向けるアニーにはなんとか先を見出せた。

 無邪気な少女、という印象は変わりないが、純粋無垢で真っ直ぐな気持ちは向けられていくうちに次第に嬉しいものとなった。

 言葉のやりとりは素直すぎて不安もあるが、成長と共に落ち着くだろう。

 アニーもまた、勢いのある伯爵家として今後に期待できそうだった。


 そして、これまで騎士による報告で目立つことなく協調して過ごしていた、ジャスミン侯爵令嬢。

 時間を共にしてわかるのは、穏やかな性格と聞き上手さだった。ついこちらから話しかけてしまいたくなる魅力があった。

 平安な領地で育ったからこその温厚さなのか、生まれ持っての天性なのか。

 広大な領地を治める手腕は、もしかしたら侯爵の父より上になるかもしれない。

 俺はひとつ、質問をしてみた。


「領地を治めるにあたり、侯爵殿から学んだことは?」


 ジャスミンはおっとりと口元を緩めると、雰囲気通りにゆったりと答えた。


「あまりに当たり前なことです。他者の意見をよく聞き、よく考えることです」


 その返答に、俺は満足して頷いた。



 当初、妃選出に予定していた期間は二ヶ月だった。カナリア以外の妃候補との時間を設けるためだ。

 いくら出来レースと言われようと、世間にさを表すためには必要な最低限の期間だった。


 だが、意識して彼女達と向き合ってみれば、それはあまりにも短すぎる期間だった。

 今後の王家にとって利になる者。本人に先は見出せないが、家柄が有益な者。そして、性別は違えど友人として波長の合う者。

 向き合う気のなかった当初より考えれば、俺の進歩は驚くほどだった。


 そして月日は流れ、いよいよ半年を迎えようという時。

 突出する四名の妃候補に続き、あまり目立つことのなかった他の妃候補もしっかりと見定め、俺はようやくその決定を下した。


 『公正な判断を』


 その言葉を胸に、俺は選び抜いた妃の部屋の前に立つ。


「間違ってはいないだろうか」


 他に想い人がいると知りながらのこの決断は、かなり心苦しいものだった。

 それでもやはり、どの妃候補よりも俺の隣にふさわしい。公正に彼女を見極めた結果だ。

 カナリアを贔屓することなく、俺が「王太子妃」を選んだ結果なのだ。


 数回のノックの後、部屋の扉が開かれる。

 ソファに座る彼女の前にひざまずき、俺はその小さな手を取った。


「辛い思いをさせるかもしれないが――」


 もう一度、一から君に想いを伝えよう。

 隣に置くと決めたからには、必ず幸せにしてみせると誓って。


 向けられたいつも通りの笑顔に、嘘偽りのないことを俺は願った。




 ❇︎




 親友であるアルフレドの寵愛を受け、宰相の娘でもあるカナリアとは直接言葉を交わしたことはないものの、顔見知りの仲だった。

 控えめで、清廉。その印象を持つのは私だけでなく、恐らく彼女を知る者すべてがそう思っていた。


 だが、殿下よりカナリアの護衛を拝任し、初めて挨拶をした時にその印象は覆った。


「わたくし、売られたケンカは買おうと思います」

「……はい?」


 脈絡なく宣言され、私は素っ頓狂に聞き返した。


「もちろん、やり返すのは常識の範囲内で。あ、たまにこちらからも仕掛けます。マナー違反を見つけましたらね」

「はぁ……?」


 訳の分からない私に、カナリアは小首を傾げてくすりと笑んだ。

 その仕草はとても愛らしく、殿下がいなければ悪い虫がつき放題だっただろう。


「ですから、キリル様にはご迷惑をおかけすると思います。先に謝っておきます」

「意図がつかめないのですが……」

「わたくしは何もせずお利口に、ただ待つだけは嫌なのです」


 それを聞いて、ようやく糸口が見えた気がした。

 妃選出の催しは出来レース。暗黙の了解は、カナリアもしっかり理解していた。


「王太子妃の座は相応しい方でなければ。殿下には公正に選んでいただきたいのです」

「だからわざと立ち向かうのですか?」

「わたくしにとっては重要なことです」


 カナリアはそう言うと、紅茶のカップに手を伸ばした。


「自分の意見はきちんと申せませんと。どんな方が相手でも、何を言われようとも……慣れないことで、少し、怖いですが」


 カップを持つ手がわずかに震えていた。

 口元は微笑みを絶やさないが、紅茶を一口含むと、ごくりと大きな音を立てた。


「きっと、今のように震えます。考えただけでもこうなのですから」


 カナリアは私を見て眉尻を下げた。

 控えめで、清廉。その印象は見事に覆ったが、やはりか弱い方には変わりない。


「……その時は、私が上手く隠しましょう」

「え?」

「私は、あなたは王太子妃に相応しいと思っています。ですが、あなたらしく挑みたいのなら、お手伝い致します」

「キリル様……。ありがとうございます」


 ほぅ、とカナリアの表情が和らぐ。


「しかし、カナリア様が頑張るおかげで殿下がお心を変えられたらどうするのです?」


 カナリアに一途な殿下なので可能性は低いが、疑問には思うだろう。

 それが殿下の気持ちに、どう影響するか。


「それはいいんです。その方が、一から満遍なく周りが見えるでしょう?」

「それでは、わざと嫌われるようなものですが……」

「殿下はそのくらいでわたくしを嫌いません。ですが、少々押しが足りないのでもうひとつ案があります」


 あぁ、なんだか嫌な予感がする。

 カナリアの優しげな瞳が、私の瞳を捕まえる。


「キリル様、わたくしと仲良くしてくださいませんか?」

「あなたは、私の首がとぶのを見たいんですか?」


 返すと、カナリアは一瞬目を丸くした後に声を出して笑った。


「殿下はそんな方ではありません」


 もちろん私もわかってはいるが、長年の親友をそうして騙すことには罪悪感や恐怖を覚える。私が誰よりも忠誠を誓った主人なのだから。


「私のできることは、護衛騎士の域を出ません」


 いくら殿下の寵愛を受けているカナリアが相手でも、譲れないことはある。


「では、ひとつだけ許してください」

「なんでしょうか」

「お名前を呼び捨てにさせてください」

「……それだけですか?」

「はい。ありがとうございます」


 有無を言わさず、カナリアは決めてしまった。

 名前の呼び捨てくらいなら問題はないだろう。深く考えず、私も頷いた。

 それが後に、殿下の心を大きく揺さぶるとも知らずに。


「……あなたは意外と強かですね」

「そう見せませんとね」

「それも策略のうちですか?」

「策略だなんて大層なものでは。ただ、殿下とわたくしのために動くだけです」


 出来レースと言われているからこそだろう。

 殿下の評価を下げず、守られるだけじゃなく自らも見下されないように。


 意見するのが苦手だというご令嬢は、王太子妃の座をしっかりと見つめて私にその考えを伝えている。


「私との仲を勘違いして、身を引く可能性もありますよ?」

「殿下はお優しいですからね。私はあの方の決定に従うまでです」

「勘違いしたまま、心苦しく思いながらもあなたを選ぶかもしれません」

「そうなればまた、一から口説いていただくつもりです」


 華やかに笑顔を咲かせるカナリアは、言葉とは裏腹な自信に満ちていた。

 殿下から受けた寵愛に甘えるだけでなく、ちゃんと殿下に向き合い信じてきた証だろう。


「その自信を、いつまでも胸に」

「もちろんです。これも、王太子妃には必要でしょう?」


 控えめで、清廉。

 覆った印象は、か弱く強かで、聡明。


 殿下が守ろうとしている彼女は、誰よりも殿下のことを考え強く立っている。


「最後までお供します」


 試されている親友に少しだけ同情して。

 支えるべき主人が結ばれることを願い、私はカナリアにかしずいた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

王太子妃の器 猫じゃらし @nekokusa222

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ