第3話 薬師の世迷言
診療所の中に入ってきた衛兵たちは待合室に詰め掛けていた患者たちを外に追い出し、遂に最奥の診察室へとやってきた。
この状況でもルーランは目の前の患者の診察を続けている。
「お前が旅の薬師だな。今すぐその手を止めろ。無断の診療は明確な違法行為だ」
「ちょっと待って最後にこの人だけ……」
聴診器を外したルーランは患者の腕に赤色のテープを巻きつけると、出口には返さず屋内の階段の方へと促した。
「君は外に行っちゃ駄目だよ。この建物の3階に部屋があるからそこで待っていて」
「おい何を勝手なことをしている! この薬師を捕らえろ‼」
見守っているストラテラの目の前で、ルーランは呆気なく取り押さえられ地面へと伏せさせらえた。だが、抵抗こそしないものの強い眼差しからは不服従の意思がヒシヒシと伝わってくる。
衛兵への暴行に対する罪は重い。それを知っているストラテラはその場で立ち尽くす他ない。
上の階の存在を知って様子を見に行っていた衛兵たちが戻ってくるなり隊長に報告を上げる。
「上にはまだ多数の人間がおりました。数はざっと20人」
「しかも全員が黄色か赤の腕章を付けさせられておりました」
「そういえば外に追い出した人間たちは緑の腕章だったな……」
「ふむ。どうやら報告は本当だったらしいな」
衛兵隊長は床にうつ伏せになっているルーランの前に立ち、見下ろしながら目を眇めてみせる。
「薬も渡されずに帰らされた者がいると聞いていたが、確かにお前は患者を選り好みしているようだな。上にいるのはお気に入りの患者か?」
恐らく昨日の男が腹いせに告げ口でもしたのだろう。
たしかにこの数日間、ルーランは患者に対する薬の処方をほとんどせず、患者の「区別」を優先している節があった。
ストラテラでさえその真意はわかっていない。
けれどよもやルーランが好き嫌いで患者を選ぶとは思えない。
ルーランは耐え忍ぶように閉口していた。もしくは既に諦めているのかもしれない。
そんな時、閉め切られていた診察室の扉がゆっくりと押し開かれた。
「白熱されているところ失礼いたします」
単身で入ってきた男は、美女か美男子か。
どちらとも取れるほどの美貌を備えた長身の青年だった。
洗練された所作もさることながら、身にまとっている衣服から彼が高級官僚であることが見て取れる。
「ユーロジン様! こんなところにどのようなご用件で」
「実はそこの薬師を見たいと仰る方がいまして、お連れした次第です」
「一体どなたが?」
「お呼びいたします」
ユーロジンが恭しく頭を下げると古家の床には似合わない上品な足音が聞こえてくる。
音が大きくなるに連れて、我が物顔で振る舞っていた衛兵たちの背筋が伸びていく。
「どうぞお入りください、リオナ姫殿下」
「失礼いたしますわ」
軽やかな声と共に登場したのは、ストラテラよりもまだ小さい可憐な水色のドレスで着飾った少女だった。
「リオナ姫殿下⁉ どうしてこちらに‼」
突然の王族の来訪に、衛兵隊長が慌てふためく。
リオナ姫は衛兵たちの間を堂々と通り抜けると、組み伏せられていたルーランを立ち上がらせる。
しげしげとその容姿を観察すると小さく顎を引いた。
「やっぱり。あなた、薬師のルーランですわね。わたくしはフルムーン王国王女リオナ・ルーナ・フルムーンですわ」
「……リオナ姫、昔どこかで会いましたか?」
「こんな時にボケないでくださいルーラン様」
リオナ姫は見るからにまだ10代になって間もない人間の女の子だ。
このクソボケエルフは何を言ってるんだ、とストラテラの冷たい視線が射抜く。
だが、ストラテラの予想に反して、リオナ姫はなぜだか忙しなく目を右へ左へと泳がせていた。
「そ、そ、そうですわ! ルーランさんとは初めてお会いしたに決まってますわ!」
「そうですか。聞いたことがある名前だし、なぜか見覚えがあるんだけど……」
「きっと他人の空似に決まってますわ!」
「そうですよルーラン様」
「そういうものかな」
「それより、こちらの女性は何と仰るの?」
「お初にお目にかかりますリオナ殿下。ストラテラと申します」
「はじめましてリオナさん」
屈託のない笑顔を向ける一国の王女を前にストラテラは敬意をもって深々と頭を下げる。
リオナ姫の登場で場の空気は一気に弛緩した。
だがひとり、衛兵隊長だけは戦々恐々とした様子でルーランを指さした。
「リオナ様。恐れながら、このルーランという薬師は我が国の史実によれば、かつて勇者と共に国家転覆の容疑で追放された者でございます!!」
「ルーラン様まさか……」
「いやいやいや。ワタシたちがそんなことするわけないじゃん」
「ルーラン様。正直に当時のことを話してみてください。思い出せる範囲で構いませんので」
「ねえワタシのことまだ疑ってるよね?」
ルーランは目を半開きにして愚痴を尖らせると、頭の奥の記憶をひねり出すように眉間にシワを寄せてポツポツと話し始めた。
「あの時は疫病の鎮静化のためにここに来たんだよ。あの時はもっと酷かったなあ」
「それがどうして国家転覆という話に……?」
ストラテラがおずおずと質問すると衛兵隊長はギロリと睨みつけるような視線を向けてくる。
「正に今回と同じだ! エルフは得意の魔法で病気を特定できるという。にも関わらず、薬師ルーランは貴族であろうと治療をせず、むしろ平民の指示を得るために優先的に薬を配っていたのです! 故に、時の王家はこの薬師を反乱因子と見なし国外追放となさったのです!」
衛兵隊長の演説めいた語りが一息つくと、連なる兵士たちが示し合わせていたかのように一斉に首を縦に振る。
ルーランがこの地を訪れていたのは100年前のことだ。
となれば、今の人間が当時の出来事を知る術は口伝か書物などの記録に頼る他ない。
現在の王国における100年前の認識は、一様に衛兵隊長が口にしたものと同じらしかった。
しかし、そんな中で異を唱える者がひとり。
リオナ姫が大きく口を開いた。
「ちょっとお待ちくださいまし。その認識は間違っていますわ! 当時の王家が勇者一行を追放しただなんて、そんな風に悪く書かれているのは心外ですわ!!」
「しかし、恐れながらリオナ様。我が一族に伝わる史書には時の王女殿下がそのように命を下されたと記述されておりまして……」
「それは私が――じゃなくて、当時の王女が、その、勇者様方の邪魔をしたくなかったんですわ!」
リオナ姫が力強く断言するが、彼女はあくまで現在を生きるうら若き王女である。
エルフでもドワーフでもないヒトが100年前の当事者であるはずがなく、当然、リオナ姫の突拍子もない発言に誰もが首を傾げていた。
しかし、ある兵士の小さな独り言が状況を一変させていった。
「でも待てよ。国の歴史書って後から書かれたものじゃないのか? だったらそこに個人の解釈が混じった可能性が……」
「たしかに。リオナ殿下は当時の王家の血を引く御方だ。その発言の重みを分かったうえでの先のお言葉だとすれば」
「リオナ姫の仰ったことこそ真実の王家の御心だったのではないか?」
「『勇者の邪魔をしないように』というのはつまり――」
「魔王討伐という勇者たちの使命を優先して、疫病の拡がるこの国からの出発を促されたということか‼」
「一国の治世よりも世界の平和を優先なさるとは。なんと誇り高き王族なんだ……」
ある者は感慨深そうにうなずき、ある者は感極まって涙し、女神だ、聖者だ、叡智、聡明、自愛、博愛などと口々にリオナ姫を賛辞した。
ちなみに言い出しっぺのリオナ姫がなぜか口をぽかんと開けているのだが、先人に思いを馳せている老人たちの目には全く入っていない。
しかし、一人だけ未だ不満げな顔をしている衛兵隊長が水を注した。
「だが現にこの薬師は患者に色を付けて選別をしていた! これはどういうことだ!」
「色付け、ですの……?」
リオナ姫は床に散らばっていた黒、赤、黄、緑のテープを拾い上げて、何かを思い出したように「あっ」と口を開けた。
「もしかしてこれ、トリ、トリなんとかって言う……」
「驚いた。トリアージのこと知ってるんですね」
「トリアージとは何だ! 説明しろ薬師!!」
恥を誤魔化すように怒鳴りつけてくる衛兵隊長の真正面に立ち、ルーランは引き締まった表情でゆっくりと答える。
「トリアージというのは医療救護の技術です。今回のように多くの傷病者が発生し、資源が限られている際には傷病の緊急度や重症度に応じて治療優先度を決める方法です」
「……元勇者一行の薬師ともあろう者が、患者全員を救うことはできないと言うのか?」
「そうです。今も100年前も人類の医療技術は万能じゃない。薬も時間も人員にも限りがある。だからワタシたち薬師が為すべきことは、救える命を出来るだけ多く救うことだ。そのためには、決して治療の優先順位を見誤ってはいけないんです」
淡々とした、けれども何百年という経験の伴った言葉の重みに、誰もが圧倒された。
このエルフの薬師は、今も100年前も、私怨や私情で患者を選んでいたわけではない。
ヒトより遥かに長い人生の中で積み上げた世界最高峰の医療技術をもって、誰に理解されずとも、救える患者と救えない患者の判断をただ独りで下し続けていたのだ。
誰もがそう理解に至った時、もはやこの場においてルーランに口答えをしようとする者はただの一人もいなかった。
場の風向きが変わったことを察したらしいリオナ姫が、その控えめな胸を自慢気に張って口を開く。
「今こそ私は貴方の恩義に報いる時ですわ。フルムーン王国からの正式な依頼として報酬もお出しします。ですから、どうかこの国の民をお救いくださいませ」
「もとよりそのつもりですよ。リオナ姫殿下」
「ありがとうございます。何か必要なものがあれば何でもおっしゃってくださいませ」
「……なんでもか」
ルーランの声音が心なし浮ついている。
これは容赦なく無理難題を注文をふっかけてくる時の予兆なのだが、それを知るのは弟子のストラテラのただ1人。
この長命なエルフは1000年生きた偉大な薬師であると同時に、そのほとんどの生涯を劇物収集に費やしてきた奇人なのだ。
案の定、ルーランはニンマリと口角を上げている。
「じゃあ早速、塩酸、クロロ硫酸と水酸化ナトリウムを用意してもらおうかな」
「ルーラン様。念の為の確認ですがそれは本当に治療のために必要なものですよね?」
「もちろんだよ」
しかしストラテラは聞き逃さなかった。
ルーランが余裕の表情で相槌を打ってから「これで後から好きなだけ毒を調合できるぞぉ」と浮ついた声で世迷言を呟いていたことに。
そして誰ひとりとして気づかなかった。
ただ一人、リオナ姫だけが何よりも己の保身に成功したと安堵していたことに。
それから半年の月日を経て、無事に王国の疫病は沈静化された。
100年越しに勇者一行の汚名を返上したルーランは後世の歴史にこう語られる。
――史上最も多くの病人を救った大薬師、《救世のルーラン》と。
エルフの薬師の世迷言 ロザリオ @Hidden06
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