第2話 患者を選ぶ薬師
「ねぇストラテラ。今更なんだけどさ」
城塞都市の入り口を守る衛兵に話しかけようとストラテラが歩き出した瞬間だった。
なぜか後ろ袖をルーランがくいっと掴んできて、危うく
話の振り出し方からして嫌な予感がするが、無視するわけにもいかない。
ストラテラは足を止め、不機嫌を隠さずムスッとした表情で振り向いた。
「どうかしましたか。ルーラン様」
「……この国ちょっと苦手なんだよね。やっぱり引き返さない?」
「なんですか。本当に今更すぎませんか」
ルーランは1000年生きているエルフ。齢16歳のストラテラと比べれば圧倒的な大人だ。
だが、なんというべきか……彼女は幼稚なのだ。
例えば今。見るからに拗ねた顔をしている。
これは過去になにか「やらかした」時のバツの悪い顔だ。
「何があったのですか」
「……」
「正直に話してください。ほら」
「……」
「言わないなら引きずって中に連れて行きますよ」
「わかったよ。言うよ」
遂にストラテラが腕を組んで仁王立ちになり、聞き分けの悪い子供に諭すように凄んでみせると、ルーランはようやく観念して渋々と口を開いた。
「ちょっと前にこの国に立ち寄ったことがあるんだよ。その時も流行り病の診療してたんだけど、なぜか王女様の怒りを買って即刻追放されたんだよね……」
「なんですかそれ。本当に何があったんですか」
「ワタシの方が聞きたいくらいだよ」
ルーランはかつての勇者パーティーに加わった腕利きの薬師。
それほどの高名な人物が国外追放になったという話にストラテラは耳を疑った。
ストラテラはどうしたものかと頭を悩ませ、ふと、ある重要な前提事項に思い至った。
「ルーラン様。そのお話は、いつ頃のことだったか覚えていますか?」
「正確には覚えてないけど、勇者と旅をしていた頃だから100年くらい前だね」
やっぱりか。とストラテラは内心で呟いた。
エルフの時間感覚は人間のそれとはまるで異なっている。
人間ならば一生に値する一世紀という長い時間すら、彼女にとっては「ちょっと」の間でしかないのだ。
「分かりました。では問題ありません。入りましょう」
「なんでそうなるの。だからワタシはこの国から追い出されたんだって」
「安心してください。その国はもうここにはありませんから」
「……どういうこと?」
小首を傾げるルーランに、ストラテラは「いいですか」と人差し指を立てて説明を続ける。
「ルーラン様が訪れた王国は既に市民革命によって滅亡しています。王政が廃されて共和制が起こったんです」
「ふーん。やっぱりあの国は結局滅んじゃったんだ」
「そしてその共和制も既に倒れました。今あるのは元の王家の血筋を引いているものの全く別の王国です」
「たった100年なのに人間の歴史って目まぐるしすぎない?」
最近の時事にはついていけないと嘆くルーランを引きずって、ストラテラたちは《フルムーン王国》の首都に入場した。
*
薬師が他国で診療行為を行うには基本的に国王の認可が必要となる。
そのため、まずは王城へ向かった二人だったが、
『勇者一行の薬師ルーランだと? 即刻この国を立ち去れ!!』
という一言で、国王との謁見は瞬く間に終了した。
逃げ出すように城を後にした頃には日が暮れており、町外れの宿で一晩を過ごすことにした。
そして今、寝台に腰を下ろして二人同時にため息を吐いている。
「ルーラン様。本当に、昔なにをやらかしたんですか……」
「本当になんなんだろうねえ」
ただの旅人か商人かと思われていたところまでは歓迎されていた。
だが、なぜか薬師という身分を明かした途端に国王を始め、参列していた皆の態度が豹変したのだ。
掌返しが鮮やかすぎて未だに夢か幻かと思ってしまうくらいだった。
「少し粗相をした程度の反応ではありませんでしたよ。『患者を選ぶ薬師だ』とか『命の重さが分からない女だ』とか散々な言われようだったじゃないですか」
「本当に辛辣だよね。まあでも、ワタシは別にもう気にしてないからいいよ」
「気にするとか気にしないとかの問題ではありません。これからどうするつもりですか?」
表情の薄いストラテラの目がすぅっと細くなる。
これは怒ってるやつだ、と内心で呟きながらルーランは視線をそろりと反らす。
「どうするって何を」
「この国の疫病のことです。早く手を打たないと本当に手遅れになってしまいます」
「けれど私たちはもう厄介者だよ。今の状況で打てる手も限られている。追い出される前にとりあえず国を出た方がいいんじゃないかな」
「それは……。この街を見捨てるつもりですか」
「逆に聞くけど、ストラテラはどうしたいの?」
こてんと首を傾げてルーランはこちらを試すように静かに問うてくる。
ストラテラは少しのあいだ逡巡していたが、やがてはっきりと口にした。
「私は薬師としてこの状況を見過ごすことはできません。私一人でも残って患者を治療します」
「そっか」
ストラテラは一度決めたことは決して曲げたりしない。
実年齢で言えばルーランとは何世代もの年の差があるが、だからといって彼女は無用な謙遜なんてしないのだ。
ルーランは床に落としていた視線をゆっくりと上げ、微笑を
「昔のワタシとそっくりだ。仕方ない。じゃあ今やれることだけやってみようか」
*
二人が路地裏の空き家を間借りして臨時診療所を始めてから3日が過ぎた。
「旅の薬師が無償で患者を診ている」という噂は既に広まっており、今では平民や貧民を中心とした患者で診療所は溢れかえっている。
「俺の息子を診てくれ!」
「私の娘が先よ!!」
「お父ちゃんを助けて!!」
「順番に一人ずつ診ていきますからお待ち下さい」
待合室代わりにしている宿屋の玄関広間からはとめどなく患者たちが押し寄せてくる。
それを押し止めるストラテラの顔にはいつしか疲労の色が浮かんでいた。
「ルーラン様。次の患者を呼んでもよろしいですか」
「連れてきて」
奥の部屋で患者を診ているルーランが平気な声音で即答するが、彼女はこの3日間ほとんど寝ていない。
元宿屋の設備では病床も足りておらず、持参した衛生用品は早くも底をつきかけている。
精神的にも物理的にも限界が迫っていることは目に見えていた。
次の患者を呼ぼうとストラテラが部屋を出ると、入れ違いに恰幅の良い男が診察室へと押し入ってきた。
「薬師はここにいるか! 私の息子を今すぐに診てもらおう!」
横柄な態度の男の傍らには男に似て明らかに質の高い衣服に着飾られた男児がいる。
この親子は平民や貧民ではなく、それなりに高位な身分なのだろう。
「緊急を要する患者以外は順番を守ってもらっています。玄関広間の待合室でお待ち下さい」
「なんだ小娘。誰に向かって言っているか分かっているのか」
「関係ありません。待合室でお待ち下さい」
「もういい、どけ小娘」
このまま問答をしていても埒が明かないと思ったのか、男は立ち塞がるストラテラを押し退けて進み、いよいよ診察中のルーランのそばまで詰め寄った。
「旅の薬師、分別があるなら誰を優先すべきか分かるだろう!」
「ちょっと待って」
ほとんど恫喝とも取れる声を浴びせられながらも、ルーランは涼しい顔をして目の前の患者に向かっている。
最後に黄色いテープを患者の腕に付けて待合室へ帰らせると、それからようやく男の方へと向き直った。
「患者はその男の子だね」
「そうだ私の息子はもう一週間も咳が止まらない。早く息子を治してくれ!」
「……いや、この子は大丈夫だ」
「なんだと?」
聴診器を外したルーランは淡々と診断を下すと、男の子の腕に緑色のテープを巻きつける。
「大人しくしていれば直に治るよ。家に帰って安静にするといい」
「このまま帰すつもりか! 薬も出さずに! それとも私の息子よりここの貧民共を優先するつもりなのか!?」
「いま先に診たじゃん。というか、ここにずっと居る方が危ないんだよ」
「ふざけるな! こんな仕打ちをしてタダで済むと思うなよヤブ医者め!!」
男は激昂すると子供を連れて踵を返し、荒々しく扉を蹴飛ばして出ていった。
ルーランが相変わらず澄ました顔で小首を傾げていると、部屋の隅から見ていたストラテラがそろそろと戻ってくる。
「今の対応は……」
「他の患者の迷惑だから特別に先に診たあげたのにな。何が気に入らなかったんだろうね」
「貴族が通う診療所では子供にお土産を与えるそうです。そのことかもしれません」
「まぁ旅の薬師にそんなの求められても仕方がないよね。放っておこう、次の患者連れてきて」
「はい、ルーラン様」
早くも気持ちを切り替えて次の患者に取り掛かる。
結局、例の親子がふたたび現れることはなくまるで減らない患者の対応に忙殺されてその日は過ぎて言った。
――その明くる日。
「今すぐ医療行為を中止してこの診療所を閉鎖せよ!!」
「……やっぱりこうなったか」
臨時診療所は日の出と共にやってきた衛兵に取り囲まれていた。
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