エルフの薬師の世迷言
ロザリオ
第1話 勇者一行の薬師
人里から程なく離れたある森の奥地にて。
真夏の日差しすら遮る林冠を突き破るような甲高い男の悲鳴が辺り一面の草木を揺さぶった。
「痛えええええぇぇぇぇッッ!!」
青臭い叫び声の主は10代の青年。
名が売れるほどではないが彼は一人前の戦士である。
その証拠に、あどけなさが残る顔の印象とは反して、腕は太く逞しく鍛え上げられている。
まさに日頃の過酷な鍛錬の賜物だ。
しかし今、そんな彼の自慢の二の腕は、まるで片腕のミイラになったかのように包帯でぐるぐる巻きにされていた。
猛り燃えるような赤い瞳にも女々しく涙が浮かんでおり、そこに戦士としての威厳は欠片も無い。
「……これで治療は終わりなのか?」
「はい。必要な処置は全て終えました」
包帯の下でまだジリジリと疼く傷口を揉んでいる青年に、清流の水音のような透き通った声を持つ少女が愛想なく答える。
紫がかった艶やかな黒髪が印象的な彼女は、名前を《ストラテラ》と言う。
背丈は青年よりもやや低いくらいで、どちらかというと大人びた体つきをしているが、その丸っこい容貌にはまだ幼さが見え隠れしている。
歳は青年とほど近い若干16歳といったところだが、森の中で毒蛇に噛まれ正死の淵を彷徨っていた青年に今しがた解毒を施した通り、この歳にして一人前の薬師である。
「なあ、これで本当に治ったのか?」
「どういう意味でしょうか」
「それは、だからさあ……」
この短時間の対面で青年は既に察していた。
ストラテラという少女は、感情をあまり表に出さないタイプの人間だ。
それも理知的というわけではなく、感情の起伏が声や顔に現れない面倒臭いタイプの女子だ。
「私の治療にどこか不服な点があるのですか」
そんな彼女が不貞腐れている。絶対に。
口をへの字に引き結び、頬を膨らませて明後日の方向を向いているのだ。
「むすー」というオノマトペがこれほど似合う顔を作れる人間は今までに見たことがない。
青年は思わず言葉を詰まらせていた。
何が不服かと言えば、つまるところ、彼女の薬師としての腕が不安という点に尽きる。
薬師ギルド発行の証明書で等級を見せてもらえば分かりやすいが、既に処置を終えている手前、今さら身分を尋ねるのは野暮というものだ。
迷いに迷った結果、彼は当たり障りのない言葉で誤魔化すしかないと判断を下した。
「まだ痛みが残ってるから、どうにかならないかなぁって」
「そうですか。では痛み止めもお渡ししておきます」
「あ、はい。ありがとうございます……」
「あとこれは忠告ですが、また同じ蛇に噛まれたら即死します。気をつけてください」
「物騒すぎるッ⁉」
痛み止め薬を手渡しがてらサラリと付け足された死の宣告に青年は肩をガタガタ震わせる。
曰く、この毒は症状が進行すれば鼻血が止まらなくなり最終的には脳が溶け出すと言うのだ。そんな死に方をするなら敵に一刀両断された方がよほど楽な死に方ができる。
だが、ストラテラは青年の叫びを気にも留めずに黙々と道具の片付けを始めている。
本人は無自覚だろうがこの素っ気なさが患者の不安をいたずらに煽るのだ。
まして「病も気から」をモットーに生きてきた青年にとっては最恐の毒だった。
そんな二人を小柄なドワーフの老戦士が木陰から見守っていた。
青ざめて今にも死にそうな顔を浮かべている青年を見かねて、近寄ってくるなりその背中に平手で喝をいれる。
「戦士のくせになんだ。情けない」
「師匠! だってしょーがないだろ⁉ 治療が遅れてたら鼻から脳みそが溶け出すとかいうヤバい毒なんだから‼」
「気にすることは無い。一人前の戦士なら毒にも耐えられる」
「なんだよその脳筋理論……。師匠だって身体の硬さで毒は防げないだろ!」
「俺はドラゴン用の毒槍を何本か喰らったことがあるが、別に何ともなかった」
「なんだそれ。マジかよ」
仮にその話が真実だったとしても、それはかなり特殊なケースに違いない。
……というより人間離れした逸話に事欠かないこのドワーフに限った話だろう。
ドワーフの老戦士は青年に背を向けると、ストラテラの前で頭を下げた。
「それよりも嬢ちゃんには世話になった。恩に着る」
「いえ、私は指示通りに治療しただけです。お礼ならあちらの御方にお願いします」
ストラテラは控えめにかぶりを振ると、大樹の根本でゴソゴソと揺れている
もちろん、彼女が指したのは、森に住まう動物でも大地から生えている草木のことでもない。
「うーん、毒蛇はそっちの一匹だけだったみたいだ」
のんびりと独り言をぼやきながら姿を現したのは、上等な薬師の白衣に無造作にも雑草をペタペタ貼り付けた小柄な少女だった。
身重はストラテラよりも更に低く、どこものっぺりとした体つき。
生糸のように滑らかで長い銀髪は頭の上部で二つ括りにしており、鼻元のそばかすもどこか子供っぽい印象を与えている。
その一方で、その切れ長の瞳には若々しい外面とは釣り合わない大人びた知的さを秘めているように見える。
そして何よりも特徴的なのは時前の細長い耳。
これは彼女がヒトではなくエルフの一族である故の身体的特徴だ。
「ルーラン様、蛇がそんなに気になっていたのですか?」
「まあね。コイツはこの地方じゃあまり見かけない品種なんだよ。ここにいたのは最近の気候変動の影響だろうね」
エルフの少女――《ルーラン》は戻ってくるなりカゴの中で生け捕りにされている蛇の前にしゃがみこんだ。
毒を恐れる素振りも無くニンマリと口角を上げて指先でツンツンとちょっかいをかけ始める。
ルーランが夢中になると下手をすれば日が暮れるまでずっとこの調子が続くのだ。
ストラテラはわざとらしく喉を鳴らして口を開いた。
「ルーラン様。解毒の治療は一通り終えました」
「ん。そういえばそんな話だったね、お疲れさま。問題はなかったかな」
「はい。ただ……初めて見た毒の反応でしたので少し緊張しました」
元を言えば、途方に暮れる青年を見つけたのも解毒の処置を指示したのもルーランだ。
そしてその後すぐにストラテラを放ったらかしにして、ひとりで蛇探しに向かってしまったのだ。
「じゃあ一応。ワタシも処置跡を見ておこうか」
ルーランは立ち上がると、断りを入れて青年の腕に巻かれた包帯の一端をペロリとめくる。
「処置はちゃんとできてるね」
「ありがとうございます」
「ただ保湿が甘いかな。解毒薬を塗った皮膚は乾燥に弱くなるんだよ。だからいつもより念入りにね」
懐から小瓶を取り出し、指先でジェルをすくって包帯の隙間へと滑り込ませる。
そのヒンヤリとした感触に青年が上ずった声をあげた。
「ひゃん!?」
「男の子でしょ。じっとしてなさい」
「その台詞、年下に言われてもなんか落ち着かないよな……」
「それなら大丈夫。ワタシは君よりずっとお姉さんだからね」
「はぁ?」
青年が「何言ってんだコイツ」と怪訝な顔をする。
ルーランが得意げに胸を張るが、その慎ましやかでチンチクリンな見た目からはどこを取っても「お姉さん」らしさは微塵も感じられない
むしろ、見てくれだけで評価すればストラテラの方が背が高く、身体のラインもずっと大人びている。
ルーランの意図を掴みかねている青年に、ストラテラが横から口を挟んだ。
「ルーラン様はエルフですから。私達よりずっと長生きされています」
「エルフ……そういえば、なんかそんな話は聞いたことがあるな。本当に見た目じゃわ分からないもんなんだなぁ」
「エルフとヒトは寿命が全然違うからね。見た目で年齢を測るのはエルフ同士でも難しいくらいだよ」
「ふーん」
そもそもエルフはその人数が絶対的に少ない。
なので、彼のようにエルフと初めて出会った人間はだいたい同じような反応になる。
もっとも、ルーランの場合は折々で稚拙な行動を取るので、見た目以上に幼く見られがちという節もある。
青年がようやく得心すると、ドワーフの老戦士は何か思いだしたように顔を上げた。
「エルフの薬師。ひょっとして、この前の魔王討伐で名を上げた勇者一行の薬師か?」
「魔王討伐? 師匠、それっていつの話をしてるんだ?」
「この前と言ったらこの前だ。あれはたしか――」
「今から百年前のお話でございます」
「そうだ。百年前だ」
「もはや歴史で習うレベルの昔じゃねえか……」
ストラテラに補足されて当然のように頷くドワーフの師匠に青年が辟易する。
人間とドワーフの寿命は著しく異なるので、このようなすれ違いはこれに限らず起こるのだ。
「ちょっと待てくれ。だったらもしかして、あの薬師ルーランなのか?」
「『あの』って言われても知らないけど。確かに勇者と一緒に旅してたことはあるよ」
「うおお。本物だ。あの薬師ルーランなのか……これが」
「コレってなんだよコレって」
そこはかとなく失礼なことを考えている青年にルーランがジト目を向ける。
その視線に気づくと、青年は誤魔化すように衣服を整えて頭を下げた。
「とにかく助かったぜ。何か礼をしないといけないとは分かっているんだが……」
「それには及びません。別に大した治療でもなかったですし」
ストラテラが返礼を断ろうとすると、ルーランが諭すような声音で口を挟んだ。
「――駄目だよ、ストラテラ」
「ルーラン様? どうしてでしょうか」
「私たちは薬師だ。こういうのはちゃんと対価を受け取るべきだよ」
「ですが、今回は私たちから治療を申し出たんです。施しを押し付けて対価を要求するのはどうかと……」
「けれど本人に治療の許可は取ったんだよね」
ルーランが首を向けると青年は素直に頷いた。
むしろ、切羽詰まった状況で治療を催促したのは自分の方だった。
ストラテラの方が事前説明と合意を済ませないと処置はできないと拘っていたくらいだ。
「無償の施しはいつか傲慢を生むことになるかもしれないからね」
どこか遠い目をして言うルーランの教えにストラテラは素直に従うことにした。
なるほどそれは一理ある。
こういう時はきちんと報酬を受け取るべきだ。
「ということですので。何かください」
「今度は嫌に直球!? ……それはまあいいんだけどさ」
「どうかしたのですか」
「生憎手持ちがほとんどないんだ。金目になるものと言えばこの斧くらいだが、流石にこれはちょっとなあ」
「それは困りましたね」
腕組み悩んでいると、ルーランがトコトコやってきて肩をちょんちょんと突いてきた。
この仕草は小さな子供――ルーランが何か欲しいものをおねだりしてくる時のスキンシップだ。
「どうかしましたかルーラン様」
「お礼に貰うなら、ほら。あれとかどうかな」
「……さっきの毒蛇ですか?」
「俺たちはそれで別に構わないぜ。けれどどうして毒蛇なんか」
珍妙な物を見るような顔で青年が蛇のカゴを差し出す。
それを「やった」と受け取ると、ルーランは途端に瞳を輝かせ、だらしないくらいの笑みを浮かべて饒舌に語り始めた。
「この蛇の毒は凄いんだよ。神経細胞や筋線維の細胞内にナトリウムが流入できなくなることで神経伝達を抑制する神経毒の一種なんだけど、本来は北の大陸原産の品種でね。だからこの地の生態系の中で突然変異を起こしている可能性があって――」
「え!? なに!? 人格が豹変したんだけど!?」
「気にしないでください。ルーラン様は毒のことになるといつもこんな感じなので」
*
ルーランが思う存分に毒の事を語りつくした後、無事に毒蛇を治療の報酬として受け取ると、話題はルーラン一行の旅路についてとなった。
出発の支度を終えたドワーフの老夫が地図を広げて、森のほど近くにある街に指を置いた。
「ここから一番近いのはこの城塞都市だ。だが行くなら気を付けろ」
「どうしてですか?」
「噂によると流行り病が酷いらしい。百年前に流行った疫病ほどではないらしいが」
「貴重な情報をありがとうございます。すると急いで行った方が良さそうですね」
件の都市はもともと予定していた方角から外れてはいない。
なによりも病人がいると聞いて駆けつけないのは薬師の名が廃る。
「じゃあな、幸運を祈る」
「助かったよストラテラ、ありがとうな」
「そちらもお元気で。あと二度と蛇に噛まれないように」
「あ、はい。マジで気を付けます……」
青年が身震いするのを見て、ストラテラはよしと頷く。
「ルーラン様、いつまで蛇を愛でているんですか行きますよ」
「はーい」
間延びした返事を出発の合図に、二人の薬師は城塞都市に続く街道へと足を向けた。
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