あばよ……
いつもなら通り過ぎるはずなのに、自分の独房の前にて靴音が止まった。
(ついに来たか……)
恐らくこれから死刑が執行されるのだろう。男は、そう確信していた。
「〇〇君、これから所長の面談があります」
複数の刑務官に付き添われて男は独房から出された。
しかしながら、向かう先は所長室の方向ではなかった。向かった先には、表示のない鉄扉があった。中に連れられると、拘置所の偉い人と思われる人が集まっている。
『別れの間』と言われている場所である。
「○○君、法務大臣から刑の執行命令がきました」
前日に死刑執行を伝えたところ、そこで自殺するものもいたので、刑の執行は当日に伝えられる。そのため動揺する者、抵抗しようとする者が殆どだという。
所長は、男の名前と生年月日を確認する。
殆どの者は、これから迎える死の恐ろしさで頷く事しか出来ないが、男ははっきりと自分の口で喋った。
一応、供物も用意されていて食べる事も出来るのだが、食べる人は殆どいないという。
「遺書を書く事も出来ます。どうしますか?」
本来なら、男には身寄りもいないので書く必要もないのだが、最後に残っている思いを形に残したいと思っていた。
「少し長い文を書くかもしれませんがいいですか?」
恐らく書いた所で何にもならない事はわかっている。でも書かないと後悔することになるだろう。そして急な事なので、しっかりとした文にはならないだろう。
でも思っている事を残さず書き残したい。そう思った男は遺書のようなものを書き始めた。
『自分は事件を起こした事については反省はしない。ただ、無関係の人を巻き込んでしまった事に関する事については今更ながら悪かったと思っている。その罪に関しては罰を受けたい。許されるとは思っていないが。言い訳なんて要らねぇ。必要ねぇ。
自分は、嘘で固められたこの国に向かって、銃を取って叫びたかった。自分にとっては暗闇の人生、暗くて何も見えない。希望なんてものは、一かけらも存在しなかった。
意味のない妥協の日々を強いられた人生なんて糞喰らえだ。叫んでみたところで何にも変わらねぇ。何が正解で何が間違っているのか、誰も答えちゃくれねぇ。誰も何も聞いちゃくれねぇ。何をすれば変わる事が出来るのか。俺にはまるでわからねぇ。
イエスマンばかりが大手を振って歩いているこの世の中が嫌だ。金になるものばかりが優遇されて、儲かりそうもない事は全て無視されるこの国が嫌だ。弱者の話は聞いてもらえず、金持ちの話は優先される世界は嫌いだ。刃物をチラつかせて平和を訴えることに何の疑問を持たない人は嫌いだ。大昔の戦争に負けた事をいつまでも引きずっていて、いつまで経ってもアメリカのあやつり人形になっている、都合のいいように洗脳されていても麻痺していてわかってはいねぇ、永久に立ち上がろうともしない政治家たちは糞ったれだ。
しかしながら、悪たれ小僧である自分がここで好き勝手に書いても世の中には伝わらないのがもどかしい。どうせ誰にも相手にされないのはわかっている。間違いだらけの歌を歌ったところで、誰も聞いちゃくれないんだ。でもそんな事は承知で敢えて叫ぶ。
平和がどうのこうの言っている野郎ども、自分の足元を見てみろ。まともに生活も出来ない弱者が沢山存在している。生活保護を申し込んでもなしのつぶてで、外国人に生活保護が与えられる始末。国歌も国旗も掲げられると批判される。多数決という名のインチキな民主主義がはびこっているような国は一度滅んでしまえばいい。どうせ何も変わらないんだから。
願わくは、次に生まれ変わった時には、まともな国になっていてほしい。腐った卵は孵る事はないだろうけど。』
男は思いついた事をそのまま書き連ねていった。
もはや遺書ではなく、男の心の中に詰まっていたものを残さず吐き出したものに過ぎないかもしれない。
そして男は書きながら、何時しか大粒の涙を流していた。何故だか理解出来なかった。自分に涙なんかないと思っていたから。
恨み辛みを書き殴ろうとしていたのが、いつの間にかこの国の行末について書いていた。どう考えても、あのお節介な教誨師の影響だろう。もしあの教誨師のような人徳のある人が周りにいたなら、もしかしたらこんな狂気じみた事はしなかったかもしれない。でももう遅いのである。
遺書のようなものを書き終えても、暫くの間は涙が止まらなかった。
死ぬ事に関しては後悔はないが、自分の思いは何も残らず消えていく、それだけが許せなかった。そして自分の力ではどうしようも出来ない事も……。
どのくらいの時間泣いていただろう。ようやく落ち着いた男に無慈悲な言葉が投げかけられた。
「お別れの時間です」
男は目隠しをされて手錠を掛けられる。カーテンを開けると、すぐそこは『執行室』だ。そこで首に縄をかけられる。
男は意外な程に落ち着いていた。後悔がないとは言えないが、もう今更どうする事も出来ないのは悟っていた。
ふと頭の中に、敬愛していたアーチストの曲の1フレーズが浮かんできた。
『頭に来るも何もありゃしない。ただふきでるのは笑いだけ』
(最後の最後で浮かんだのがこれかよ。わからないものだな)
そして3人の刑務官により、3つある死刑執行ボタンが押された。
男は、この世を捨てて飛び出していった。検視官が男の死亡を確認した。心なしか、男の顔は笑っているように見えた。
男の命が一つなくなった所で、何も変わる事はない。『今日は別に変らない』のだ。そう『何も変わらない』のだ。もし何か変わっても『変わったふりをしている』のだ。悲しいけれど、これが現実なのだ……。
後年になって、男が徒然と書き留めていた文章が教誨師の編集によって出版された。『一粒の麦』が実るかどうかはわからない。一粒の種となって果たしてどれくらいの人が目を通すのだろうか?それはどうなるかわからないが、僅かでも意思が伝わるであろう。例え世界が変わらなくても……。
死刑囚が残した最後の叫び。『それでも私は』そして『万物流転』 榊琉那@屋根の上の猫部 @4574
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