教誨師との出会い

 某拘置所で過ごす日々は、もう1年ほどになっただろうか。

 決まった時間に起床、決まった時間に就寝。部屋には時計がないので、今何時かはわからない。死刑確定囚は、他の囚人と違って働くという事はない。ストレスを与えないようにと自由な時間が配慮されているが、人との会話は極端に少ない。部屋は狭く密閉感がある。そして24時間、常に監視されている。これでは、かえってストレスになるのではとさえ思うだろう。

 男にとっては、人間に関しては不信に思っていたのでこの状況は苦にはなっていない。しかしながら、好きな音楽を聴けないのだけは辛かった。死刑確定囚には、週に数回、指定されたテレビ番組(検閲済み)を視聴することが可能だが、男にとって好きなアーチストは、売れる事よりも自分が追及している音を演奏する事を重視する頑固で骨のある人達だった。もちろん、ここで見る機会は無かった。


 本来なら自由時間は、裁判関係の再審請求や恩赦出願を書いたりするのだが、男は生活物資を購入するため、袋貼りや造花作りといった請願作業を主にしていた。それでも日に日にストレスは溜まっていくのだった。



 そんな中、世話人から教誨師きょうかいしとの対話を勧められた。

 教誨師とは、受刑者に対し徳生を育てたり精神的救済を助けるための宗教家である。希望する者には個人的な面談もすることが可能である。

 (人間なんて信じられないのに。何で一人でいたいのに話をしないといけないんだよ)

 最初、男は気乗りはしなかったが、世話人の顔を立て一度ぐらいならと面談しようと思い立った。


 初めて会う教誨師は、とても穏やかな顔をしていた。厳しい修行を乗り越えたような威厳も感じられた。


「貴方は人よりも多くの苦しみを背負っています。すべてを捨てる事は出来ないでしょうが、少しばかりなら私も一緒に背負ってあげます。何が嫌で何が苦しいのか、私に聞かせてもらえませんか?」


「初めて会った人に何で自分の事を晒さないといけないんだよ」


男は最初、教誨師の存在を受け入れようとしなかった。どうせ1回会って終わりだからどうでもいいだろう。そう思っていた。


「そうですね。貴方が信用してくれるまで待ちますよ。苦しみを背負った人間は、放っておけない性分ですので」

 教誨師は自分の事を話し、宗教的な話は誰でも理解出来るような話をしてこの時の面談は終わった。


「何で信用しないっていう相手に一生懸命になるんだよ。そんなに金が欲しいのか?」

「いえ、教誨師というのはボランティアでやっているんです。困っている人は助けたいっていうのが宗教家のさがですかね」


 男は頭を強く殴られたような衝撃を覚えた。一部の新興宗教の強引な勧誘を見た事もあり、宗教家っていうのは皆インチキだと思い込んでいた男にとって、初めて見る本当の宗教家ではないかと。

 もしかしたら、この人なら信用出来るのでは?と思い、次回以降の面談の手続きをしてもらった。


 そして週1回の割合で教誨師との面談が続けられた。

 最初は自分の事を話すのを嫌がっていた男だったが、次第に自分の胸の内を曝け出すようになっていった。おそらく、教誨師の人柄が飾らないものだった事もあるだろう。

 男はいつしか、教誨師が話す宗教的な話にも興味を持つようになっていった。主に仏教の説話だったが、時にはキリスト教からの話もする事もあった。


 『我、一粒の麦たらん』といった聖書からの話には、男も興味を持った。

 一粒の麦は、そのままだと一粒のままだけど、大地に撒けば、一粒の麦は死んでも、そこから芽が出れば大きな収穫へと繋がっていく。そのような話だった。

(自分は死刑で死んでも、何か残るものはあるだろうか?)


「仏教以外にも勉強しなくちゃならないから、大変だな」

「ああ、この話は昔、自分が好きだった漫画のラストシーンで語られていたんですよ。あの漫画は好きだったから、ずっと心に残っているのでしょうね」

「何だよ、それ……」

 男が笑ったのはいつ以来だろうか?


 その話以降、男は自分にとって芽になるような事は出来ないかと教誨師に相談してみた。教誨師は、まず絵を描く事を勧めてみた。実際、死刑囚の中には獄中で絵を描いていた者もいたとの事だった。

 しかしながら、男には絵心が全くといっていい程なかった。教誨師は『素直な気持ちを描けばいいんだよ』とアドバイスをしてみたが、やはり男には絵画は向いていなかった。

 本当なら、好きなアーチストのように曲を作りたいという気持ちもあったが、男自身にノウハウもあるわけではなく、流石の教誨師も、音楽の専門的な知識は持ち合わせていなかった。


 そのようなわけで、男は文章を書いてみる事にしたのだった。

 最初は自分が思っている事を箇条書きに書いてみたりした。そして詩のようなもの、物語のようなものを書いていった。面談の度に教誨師に読んでもらったりした。

そして教誨師がこうした方が良いとのアドバイスをしていく。そのようなやり取りを続けていくうちに、男の心は落ち着きを取り戻していくのだった。落ち着きを取り戻す度に、男が書き記したものは増えていった。



 しかしながら、男が人間の心を取り戻ろうとしている日々は長くは続かなかった。終宴ジ・エンドの時がすぐ側まで来ていたのであった。

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