46九話『奏樂堂、それは美少年に相応しき舞台』

 懸念した空模様は雲も疎らで無難な様相だった。陽射しも強く、やや蒸し暑い程である。しかしながら、休館日に上野に参上した閑人の胸の裡は、快晴とは言えなかった。上野駅に近い待ち合わせ場所、西郷南州像の前に控えていたのは、永池櫻子ながいけ・さくらこだ。


はよう来過ぎてしもうたでごわす」


 最早、どこの御国の訛りを真似ているのかも判らない。最近は珍妙な訛りが癖になったのか、一時いっときの流行なのか、生粋の東京弁は陰を潜め、忠嗣はここ暫く耳にしていなかった。愈々、正体不明で胡散臭い。


 身形も日頃の和装ではなく、丈の短い歩荷ぼっかを履き、革の紐履にのシャツ。紅葉狩りよりも山深く、峡谷幽谷に分け入らんとする周到な格好である。


「寫眞を撮る時は、屈んだり大股おっ広げたりするさかい、ズボンがええんや」

  

 背にするバッグも登山者か荷上げ人夫が担ぐような代物。中から突き出している鉄棒は三脚で、寫眞機のほか用具各種を収納していること明らかだった。


「音樂会には有名な歌手が来る訳でもなし。撮影する程の演目でもないよ」


「建物の中を撮るねん。こんな機会、滅多にあらへんでごわす」


 東京奏樂堂にて催される演奏会。巡視長から招待券を譲り受けた忠嗣は、宿直室に居座り、書肆グラン=ギニョヲルに電話を掛け続けた。これまでは取り立てて用件もなく、初めての試みだった。


 しかし、何度、試しても不在のようで、漸く繋がったのは時刻が十七時を回った頃。霞ケ関を追われて以来、久方振りの残業である。


 電話口に出た美少年は、二つ返事で誘いを了承してくれたものの、招待券に余分があるのなら寫眞家を伴いたいと申した。


 閑人は二人きりの密会を想定し、第三者の割り込む余地は端からなかったが、断る理由も見当たらず、酷く残念な気持ちに包まれつつも、受け入れた。


「まあ、寫眞家なら撮影に夢中で余所見もしないか」


「何のことやろか」


 思わず声に出していた。御河童頭の寫眞家が多忙につき辞退することを願ったが、その本音は決して口外できない。それにもして、忠嗣は電話口に最初に出た女性が気に懸かった。声のしゃがれ具合から、高齢の女だった。かれの母親ではない。実母は何年か前に不幸に見舞われたと聞く。


「取り次いだのは年増だったけれど、誰なのか。何か知ってるかな」


「年増とか、ようけ言わんほうがええで。高齢の女性ってことなら、叔母様にゃろ。前に一度、見世に顔を出したかな。大叔母と呼ばれてはります」


 家族構成に留まらず、家庭の内情に踏み込む話だ。立ち入るのも野暮だが、忠嗣は渠の身上に繋がることとあって、気にせずにはいられなかった。櫻子は更に詳しく知っているかのような口振り。襟を正し、忠嗣が改まって口を開こうとした矢先、大叔母の甥っ子が颯爽と登場した。


「あ、遅刻してしまったかな。済みません」


 申し合わせたかの如く、與重郎も洋装だった。白茶色に臙脂の格子が刻まれたズボンは生地も良く、折り目正しく、清楚な印象を醸し出す。襯衣シャツは陽光に煌めくしろぎぬで、その上に黒羅紗袖なしのチョッキを羽織る。


 洋行帰りの貴公子とも評すべき気品に溢れ、線の細い體躯たいくが一層際立って、これもまたキネマ座の大看板で見掛けそうな男前だった。否、革命的美少年で、歌劇団が誇る男装の麗人よりも美しく、匂い立つ。招待者は暫し陶然とみつめ、惚れ直し、生唾を幾度も呑み込んだ。


「実に色っぽい。洋装も見立てが素晴らしい」


 再び、本音の感想が口を衝いて出た。手が勝手に動き、渠の絵画的な細い二の腕を触り掛けたが、すんでのところで理性が働いた。真昼間の上野恩賜公園。南州像の周辺には、待ち合わせなのか、暇そうな連中がひしめく。


 迸る欲情は制御可能でも、脈打つ血の流れ、生理現象は止められぬ。衆目に晒される只中、不覚にも勃起した。忠嗣は激しく狼狽しつつも親切な紳士を装い、櫻子から背嚢はいのうを奪い取って腹の辺りで抱えた。


 咄嗟の行動に洋装の御河童頭は怪訝な顔をするが、構わず、先頭に立って道案内する。歩き慣れた上野の杜、北へ北へと続く遊歩道。招待客二人に下腹部を見られぬよう、悟られぬよう先導する。


「能樂堂ならかすりも似合いましょうが、學校附属のホオルは洋風で、し物も舶来と聞いたので、偶にはこんな格好も良いかな、と思って」


 スボン姿で初めて與重郎の脚の長さを知った。背後に回って、渠のしり堪能たんのうしたいところだが、残念無念、道沿い左右の構造物について解説を加えつつ、只管ひたすら、水先案内人を務めるより他なかった。


「あちら學校の校舎とちゃいますのん」


 奏樂堂をひとつの建物と想像していた忠嗣も、戸惑った。数十米を超す横長の二階建て校舎。その中央に位置する洋館が演奏会の会場だった。両翼には教室が並んでいるのか、學徒の姿も見える。


 東京音樂學校の創立から約十年を経た明治二十三年に奏樂堂は落成した。その後、幾度か増改築が行われたものの、半世紀前の建物とは思えぬ瀟洒な造りで、西洋音樂の殿堂として、樂士の憧憬を集めたこともうなずける。


「思ったより大きくはないけれど、立派な建物で情緒もありますね」


 入り口の前で建物を仰ぎ、與重郎は感心した。本邦最高峰の座は、御濠端の帝國劇場に譲ったが、本邦初のオペラが上演されたのも奏樂堂である。歴史と伝統、そして明治人の想いが積もった格調高い演奏会場と言えよう。


 内装も贅を尽くしている。建物二階にあるホオルは、天井も高く、中央に吊り下がるシャンデリアも電球賑やかに華美を極める。一見すると帝國圖書館の閲覧室にも似ているが、角などに曲線が多用され、独特の優雅な雰囲気を醸し出す。音響に配慮した造形のようだ。


 特に木製の演奏会場は反響が芳しく、聴衆の耳にも優しいという。しかし密閉された空間に非ず、上手の大窓の向こうには樅木の葉が揺れ、下手からは碧りのカアテンの隙間から陽光が差し込む。


 御河童の寫眞家は「珍しい」と連呼して熱心に撮影するが、素人には良く分からぬ。


「あれ、最前列なんだ。少し恥ずかしいな」


 青いリボンを胸に飾った接待掛せったいがかりに招待券を提示すると、舞台に最も近い上等席に導かれた。どうやら松本館長に謹呈された特別な券のようで、一般の観客と区分されている。


 音樂學校の生徒よりも若い美少年に寫眞機を構える女。凸凹三人組ではあるが、偉い招待客と勘違いされた模様だ。飛んだ勘違いである。


「舞台の奥にあるのがパイプオルガンで、徳川侯爵から寄贈されたものらしいです」


 この音樂學校を目指すだけあって、與重郎は色々と詳しかった。舞台上の楽器のほか、窓に掛かる天鵞絨のカアテンなど調度品に関しても寸評を加える。金曜會よりも饒舌で、忠嗣はうんうんと大袈裟に首を振って心地好く拝聴した。


 程なくして開演の電鈴が鳴り響き、先ず三人の弦楽合奏がお披露目された。低音を司る大きな楽器はコントラバス、ヴァイオリンに似た形状のものがヴィオラ。美少年は演奏される楽曲にも言及したが、小声の私語も悪目立ちし、途中から沈黙せざるを得なかった。


 最初の曲目はヴィヴァルディの『四季』で、続いてドヴォルザアクの『セレナード』。樂士の独りが欧州は澳地利オーストリアで研鑽を積んだ高名な者らしいが素人には見分け、聴き分けが付かず、衣裳が凝っていることしか解らぬ。


 更に数曲、の独奏などを挟んで弦楽合奏は続いた。舞台上で異彩を放つパイプオルガンの出る幕はなく、歌い手が現れる演目もなかった。


 歌舞伎とは異なり、大向こうから屋号や代数を叫ぶ者など皆無。皆黙って聴き入り、拍手もまた淑やかだ。演奏会は愉快なお喋りの場とは反対で、沈黙は金なりといった雰囲気に包まれる。


 連れの二人も熱心に鑑賞しているようだったが、忠嗣は眠気に襲われ、抗う術がなかった。美少年の肩を枕にして夢路を辿る。渠の頭髪か頸筋からか、椰子油に似た甘い香りが漂って来たような……


 幕引きの盛大な拍手で叩き起こされたことは秘密である。喜劇や講談とは違い、音樂の素人が無味乾燥な、適当な感想を挟むことは憚られた。


 洗練された一流処いちりゅうどころの調べを味わう余裕もなかったが、それは至福のひと時に相違なかった。



<参考図書>

東京新聞出版局編『上野奏楽堂物語』(昭和六十二年刊)

夏目漱石『野分』(青空文庫)

 ※接待係の青いリボン、樅木、ピヤノがオマージュになり〼。


<附録>

近況ノオト〜【寫眞解説】旧東京音樂学校奏樂堂

https://kakuyomu.jp/users/MadameEdwarda/news/16818023212414754668

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