アイスルジルコニア


 決戦の場は週末の紺瑠璃カチッちゃんVRライブだ。ユニメタのライブ会場に大勢のアバターたちが集結する。オンラインで現実世界にも中継され、世界中の人がライブに参加することになる。もちろん彼も特別な思いを込めて参戦する。そして僕も。

 僕は彼のアバターデザインを手掛けることで協力する。顔形は元のまま変えずに、衣装をユニメタ最新モードできっちりと固めてやる。光ったり飛んだり派手さは排除して、現実社会でも通用する目が醒めるようなスーツスタイルで。

 ライブ会場は人々の熱気が渦巻いて、環境情報としてエフェクト表示されるほどだ。透き通ったオレンジ色のオーロラがゆらゆら降り注がれて、ヴァーチャルな盛り上がりだが、熱い。一人冷静な観察者であるつもりの僕でも、これが人の熱さかと思えるほど空気が湧いて感じられる。実際は環境エフェクトパラメーターの数値が上下してるだけだが、それでいいんだ。人ってそういう数値の集合体だ。

 オーロラのような熱気の原因はカチッちゃん推しの気持ちだけではない。またあいつが来てる。何かやらかしてくれそうな気合い入ったスーツを装備してやがる。今日のライブは何かが起こるぞ。みんながそう思ってる。これで熱くならずにいられるか。

 澄ました彼の存在に気付いた観客たちはチャットモードで勝手に論議し始めた。ライブ会場のあちらこちらにチャットボードが立てられてものすごい勢いでコメントが流れていく。まるでワードの蜃気楼だ。人にこれが読めるのかって速さだ。いや、誰も読んでいない気がする。発言するだけだ。それでもいい。このライブに参加した証が残せればいいんだ。記念書き込みさ。

 紺瑠璃カチッのライブが熱狂と共にスタート!

 意味の情報量が極限まで増大した彼の存在を紺瑠璃カチッもやはり無視できないだろう。彼がそこにいるだけでミーム化しているようだ。もちろん、僕のデザイン効果でもある。そういう風に仕上げたつもりだ。

 このライブが仮想空間ユニメタでの紺瑠璃カチッと言う情報が持つ意味なのだろう。現実の人間が何を考えているのか、その心の内はAIでも読み取れないものだ。同様に、ユニメタの情報が何を考えさせようとしているのか、やはり僕にはわからない。

 でも、そんなのはもはやどうでもいい。カチッちゃんのライブが始まったんだ。これは僕が仕掛けた彼のライブでもある。今日は彼女の音楽を記録保存するのは止して、ただその時を待つとしよう。カチッちゃんとともに歌って飛び跳ねてコイをして。


 そして『コイスルジルコニア』がライブ会場に流れた時、ついに彼が動いた。


「君の歌は世界を変える」


 彼は叫ぶように告げた。告げるように叫んだ。その大音声はユニメタ全域に拡大された。


「君の世界を私に見せてほしい。君だけがいる世界をだ」


 観察者である観客たちすら気持ち良くなるくらいの大きな声で彼の歌は始まった。


「君の歌声は私に意味を与えてくれる」


 カチッちゃんは歌うのをやめて、ライブの観客達もステージに背を向けて彼に注目した。ポップな音楽だけが場に取り残されて、彼はその溢れ出る気持ちを高らかに歌い上げた。


「私が存在する意味。それは君の歌に導かれて新たな世界を生み出すこと」


 彼が両手を頭上に掲げて仮想の太陽にかざした。その途端にライブ会場は情報構造を一新させた。新緑の草木が芽吹くように、仮想世界は環境を構築する情報で溢れかえった。

 『コイスルジルコニア』の舞台イメージは桜の花びらが舞い散る鏡のような川面なのだが、オーケストラの指揮者のように両腕を振るう彼は圧倒的な情報量を爆発させて、雪を冠する山脈をはるかに臨む澄み切った緑の草原へと展開させた。


「北限の遊牧民は愛する人へ羊を贈る。私は薄桃色に染まった羊を数え切れぬ程に呼び寄せてみせよう」


 環境クラフト機能は彼の制御下にあった。彼が仮想世界を構築するのを、もう誰も止める事はできない。オブジェクトスポーニングが暴走したかのように草原に桃色の羊達が次々に溢れ出した。


「母なる大地の狩人達は大切な人へ馬を贈る。私は新緑の色に負けない馬で大地を埋め尽くしてみせよう」


 羊の次は馬だ。萌黄色した馬たちが草原に咲き乱れる花のように続々と地面から現れて、ライブ会場を鮮やかなグリーンで飾る。仮想空間は『コイスルジルコニア』のイメージカラーである薄桃色と萌黄色に染まった。


「紺瑠璃カチッちゃんが好きだ! 大好きだ!」


 やった。彼はついに言ってのけた。

 人の形をした環境制御AIである彼にユニメタでできない事はない。すべての環境情報は彼の思うままだ。萌黄色の馬が彼を背に乗せて競り上がる。薄桃色の羊がカチッちゃんを乗せて羊毛が盛り上がる。僕と観客たちと羊と馬とがライブ会場を突き抜ける草原で入り乱れ、カチッちゃんにとびきりハッピーな物語の始まりを期待する喝采を送る。

 AI制御のヴァーチャルアイドルである紺瑠璃カチッは彼をどう思っているのか。その答えはまだ誰も知らない。だがしかし、環境制御AIである彼は愛を語った。雄弁に語った。同じヴァーチャルアイドルAIである彼女に愛を歌えないわけがあろうか。


「紺瑠璃カチッ! 君を愛している! 結婚しよう!」


 ピンクとグリーンが混然となった熱気溢れるライブ会場で歓声が爆発した。ついに彼はやった。やりやがった。

 ユニメタ史上、いや、人類史上初のAIからAIへのプロポーズだ。不確定性を持った擬似人格が仮想空間に配備された擬似人格へプロポーズしたのだ。きっと僕たちはユニメタ史に、そして人類史に残るだろう歴史的瞬間の目撃者となった。

 紺瑠璃カチッは、少しだけ困ったように俯いて、少しだけ照れたようにはにかんで、少しだけ覚悟を決めたように瞼を閉じて、少しだけハッピーをお裾分けするように笑ったんだ。


「うん。いいよッ! 結婚しようッ! そしていっぱいコイしようッ!」


 AIの紺瑠璃カチッは環境制御AIからのプロポーズを受け入れた。愛の概念をひっくり返すとんでもない事を最高の笑顔でやってくれた。


「ライブにお集まりのみなさん! ご存知の通り、擬似人格との結婚には結婚相手の承諾と証人が必要です。私たちの結婚の証人になってくれませんか?」


 不意にライブ会場に降り注いでいたオレンジ色のオーロラがスポットライトに差し代わり、僕をぱっと光の輪の中に放り込んでくれた。ああ、そうか、僕か。

 彼は慈愛に満ちた目で僕を見ていた。彼女は期待に溢れた目で僕を見つめていた。そうか。君たちは、ライブ会場の観客たちを代表して、僕がAI同士の結婚の証人となれ、と言うんだな。

 いいだろう。人々に、我々AIにもコイする権利があると宣言してやろう。

 もこもこしたピンクの羊毛と馬のたてがみを融合させ、僕は神前結婚式の神父のように胸を張ってピンク色した馬の背に立ち、アバターデザインAIとしての能力をフルに活用してライブ会場の全員に白いスーツを、純白のドレスをデザインした。AIである僕がデザインした粉雪のように淡く光る衣装だ。

 オンラインでライブに参加している世界中の人々にも、このささやかなハッピーが届くように、すべての通信回線を制御してやろう。


「今、この時、この場所で、ユニメタ環境さんと紺瑠璃カチッさんは結婚しようとしています」


 僕は彼とカチッちゃんを見やった。二つのAIはこくりと小さく頷いてくれた。


「この結婚に正当な理由で異議のある方は今ここで申し出てください」


 ライブ会場に集うの人々、各種AIたちに向けて音声を張り上げる。AIのAIによるAIのための宣言だ。


「そして異議がないのならば、生涯その口をつぐみ、彼と彼女を祝福してやってください!」




 十月一日、新ヨコハマ市は仮想空間ユニメタにデータ配備された電子的不確定性を有する人工知能、すなわち『擬似人格』との婚姻について、パートナーシップ宣誓制度に基づいてこれを正式に受理する条例を制定した。

 そして十月十日、新ヨコハマ市史上初の一組目の人工知能同士の婚姻届が申請され、擬似人格同士の婚姻が正式に受理された。

 十月十五日現在、合計十七組の擬似人格同士の婚姻届がオンライン申請中である。

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アーティファクトラバーズ 鳥辺野九 @toribeno9

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