アーティファクトラバーズ


 何事もシンプルがいい。そうに決まっている。

 奇をてらってキャラ属性をもりもり盛るよりも、自己主張のある一点をびしっと飾るだけでアバターは個性を発揮してくれる。仮想空間ユニメタにおいて大多数の中に埋もれずに立ち位置を確保するには、そのびしっとしたシンプルさが不可欠なのだ。

 彼のアバターには特に際立った個性は見られなかった。その姿はモブ、いや、デフォルトデザインのモブの方がむしろユニメタ感があるくらいだ。

 彼が想いを告げた相手はヴァーチャルアイドルランキングに名前が載るレベルのアイドル、紺瑠璃カチッである。相当作り込まれたデザインのアイドルだ。

 それなのに彼は初期設定のままの身長、デフォルトの体格で、フェイスパターンもどこにでもいる平均的な薄味の若い日本人顏。アバター衣装も課金せずとも手に入るデニムのジーンズに青と黒のネルシャツ。一般的な大学の最寄駅に大量発生していそうなアバターだった。

 ユニメタでアバターデザインを仕事としている僕にとって、彼の姿形は愛の告白をするにはあまりに無思慮で不粋過ぎると思えた。小鳥でさえ求愛のために自身を飾ると言うのに。

 対するは人気絶頂のヴァーチャルアイドルだ。小さいながらも新進気鋭のアイドル運営会社が手がける3Dモデルで、各楽曲ごとにそれぞれデザイナーがついて彼女を飾っている。奇抜だけれど下品でなく、季節感を感じさせながら人間の常識を飛び越えるデザインを纏っている。

 デフォルトのアバター単体で見ればあまりに不釣り合いが過ぎる。どうして彼は己をよく見せようと着飾ったりしなかったのか。このユニメタではやろうと願えば何だって可能だっていうのに。

 僕はこの疑問を直接彼に聞いてみた。


「もっと鮮烈な第一印象を与えようって考えなかったのか?」


 彼は不思議そうに答えた。


「ユニメタでは外見なんて記号だ。それと認識できればいい」


 ユニメタに衝撃を与えたあの愛の告白から七十二時間後、僕は彼に対面チャットを申し込んだ。彼は快く申し出を受けてくれて、こうしてユニメタのオープンカフェでヴァーチャルなコーヒーカップを眺めながら、リアルそうでリアルじゃない会話をしている。

 わざとらしく湯気を立ち昇らせるコーヒーカップを持ち上げて、彼はさらに続けた。


「この飲めもしないコーヒーだって単なる記号だ。私は今コーヒーを飲んでいますって周囲のプレイヤーへアピールするだけの情報だ」


 彼はぎこちなくカップを口元に運んでゆっくりと傾けてコーヒーを飲むふりをした。

 確かに。カップを口に運ぶだけでコーヒーすら飲めないはずの彼がコーヒーを飲んでいるという情報記号が成立する。相変わらず湯気が立つカップのコーヒーは少しも減らず、ソーサーの上にかちりと戻る。


「見た目がどうだなんて後付け情報は何ら付加価値を与えてはくれないだろ?」


「価値はなくても意味はある。ヴァーチャルにいる以上はリアルじゃない。それこそ後付け情報でも意味を持たせないとな」


「リアルとヴァーチャルの狭間に存在する私と君には無意な言葉だ。たとえヴァーチャルだろうと、実行為から生じた言葉はリアルだ。ヴァーチャルな私と君のリアルな会話と同様に」


「確かにそうだけど、シンプルに考えて、その格好、カチッちゃんに似合うか?」


 仮想のコーヒーカップを撫でながら僕は言ってやった。

 ユニメタに存在する物にはすべてに意味がある。ヴァーチャルなこのコーヒーもちゃんとリアルとリンクしている。どこかの誰かが僕の手にあるカップを見て、あったかいコーヒーを飲みたくなってヴァーチャルのショップへ注文すれば、その人は最寄りのリアルショップからリアルコーヒーを受け取れる。だから僕は飲めもしないコーヒーを飲むふりをして、コーヒーショップからの広告収入を期待しているのだ。


「もしも彼女が私の外見を気に入らないと言えば、彼女好みに編集するまでだよ。君が言う通り、私ならユニメタでは何でも出来るし」


 ライブでの愛の告白以来、彼はユニメタでもそこそこの有名人になっていた。そんな彼が有名ブランド物を着こなせば、それなりの宣伝効果があってアフィリエイト報酬も期待できるだろう。僕のユニメタでの使命は「もっと華やかなデザインを!」だ。彼にもユニメタデザインを楽しんでもらいたいものだ。報酬も広告収入もちゃんと戴くけど。


「それならば、何故そうしない?」


 今日の彼のアバター衣装もあの時と同じでまったく特徴のない平凡な物だった。ヴァーチャルだろうが、リアルだろうが、推しのアイドルに愛の告白をするには野暮った過ぎる。AIでもユニメタ流行のファッションだって感じ取れるだろうに。


「まだカチッちゃんから返事がないからだ」


 ライブ会場での彼の愛の告白は実らなかった。しかしカチッちゃんは彼を拒否した訳でもない。

 ライブ後に判明した事だが、カチッちゃんは独断で歌う曲目を変更していたらしい。告白直後、ライブ終盤で歌う予定だった『コイスルジルコニア』の曲順を繰り上げて披露した。

 『コイスルジルコニア』は人間の少女とお使いロボットに搭載されたAIとの恋物語を謳ったラブソングだ。

 『コイスルジルコニア』こそが彼女の返答そのものなのでは、と僕は言いかけて、よした。彼は今、告白の返事を待つと言う思春期真っ盛りの少年の悩みを存分に味わっているのだ。せっかく芽生えた淡い感情に水を差すだなんて、それこそ野暮って奴だ。


「それはそうと、君はどうして私の問題をそんなに気にかけてくれるんだ?」


 彼は僕を真っ直ぐに見つめて問いかけてきた。

 さて、どう答えよう。その逆質問は予想していなかった。僕は返事に困ってしまった。

 僕は彼に何をしてあげられるのだろう。

 僕が彼に関わる理由を考えあぐねていると、彼は僕の返事を待たずに続けて言った。その顔は微笑んでいた。


「AIに恋愛が理解できるのか、面白がっているんだろう?」


 紺瑠璃カチッちゃんはAIによるヴァーチャルアイドルだ。彼女にはいわゆる「中の人」などいない。AIである彼女はこの恋愛を理解できるのだろうか。理解するのだろうか。AIは恋愛をするのだろうか。僕は正直に答えることにした。


「そうだな。この恋愛を面白がっているよ。あわよくば力になりたいとも思ってる」


「それはありがたい! 是非とも第三者の意見を聞きたいと考えていたんだ」


 彼は少し驚いたような表情を見せて、ぐいと身を乗り出して食い付いてきた。あまりのがぶり寄りっぷりにテーブルの上のオブジェクトが物理干渉を起こしてスライドしてしまった。リアルだったらコーヒーカップはテーブルから押し出されて無残にも割れていたかも知れない。


「意見ってほど立派なものじゃないけど」


 テーブルの上のコーヒーカップを元の位置へ移動させて僕は言った。


「君の恋愛ってのは一方通行なんだと思う。カチッちゃんの気持ちを考えていない」


「一方通行でも通行禁止でも、こちらの気持ちを伝えなければ何も始まらないだろう」


 彼は少し早口になった。痛いところを突かれたのか。そんな早口の反論は間違ってはいない。そして正しくもない。


「新ヨコハマ市の擬似人格との結婚に関する条例は知っている?」


「ええ、ニュースとしてチェックしている。人とAIが結婚できるのなら、条例を拡大解釈すればAIの結婚を認める条例と言える」


「そうだね。条例ができた結果、人はAIに結婚を申し込んだ。しかしAI側の意志確認不明や証人の有無で書類は受理されなかった。人間はまだAIと結婚できないんだよ」


「私と紺瑠璃カチッとの関係性とは若干違うようだが」


「だからこそ面白いんじゃないか。AIは恋をするのか。僕も大いに興味があるね」


 人はやたら恋をするものだ。残念ながら僕には未だその感情を理解できていないが、だからこそそんな条例が制定されたんだろう。しかし、まだ人とAIのカップルは誕生していない。人が勝手にAIのルールを決めて、人が勝手にAIを否定しているだけじゃないのか。

 目を閉じて、何やら深く考えている彼に僕は言った。


「ユニメタの情報にはすべて意味がある。だからこそ仮想空間に存在できるんだ。カチッちゃんにはアイドルという意味がある。じゃあ、君自身が存在する意味は?」


 彼の答えを待つ間、僕は仮想空間ユニメタに再現された街に目をやった。

 様々なアバターが自由に歩いている。僕のように少し奇抜さを含ませた衣装を着ているマンガから飛び出したような奴もいれば、どこにでもいる平凡な服装の人のようなキャラもいる。MMORPGの勇者のような装備のモブもいれば、二足歩行する小型犬の姿をしたアバターまでいる。ユニメタ情報統合AIまでもが人の形のNPCとして普通にカフェでお茶してたりする始末だ。誰でも、人もAIも自由にどこでも歩ける街。それがユニメタだ。

 青く透き通った一枚パネルで蓋をしたような架空の空を見上げれば、僕達の頭上を小型の宣伝飛行船がふわりふわりと漂っている。ちょうどこの週末に開催される紺瑠璃カチッちゃんのライブを空間投影コマーシャルしていた。

 僕と同じく彼もまた楽し気に踊り歌うカチッちゃんを見上げていた。その眼差しは夢見る少年のように一点の曇りもない純朴な色をしていた。そこだけはいいアバターデザインだ。


「カチッちゃんを好きになるのがこの世界の私の意味なんじゃないかな」


 彼は迷う素振りも見せずに言い切った。それが彼の答えか。


「人が人を好きになるのに意味はないかもしれないよ。僕たちには未知の領域だ」


「それでいいじゃないか。私は彼女に何かしてあげたいって強く思うんだ。この気持ちって何だろう?」


「たぶん、人はそれを恋と呼ぶんじゃないかな」


 僕は言った。噓偽りなく、真っ直ぐに思ったことを言葉にした。


「これが恋か。そうかもな」


「君はカチッちゃんのために何ができるんだ?」


「彼女のためなら、何だってできるさ」


 彼は祈るように頷いた。

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