アーティファクトラバーズ

鳥辺野九

コイスルジルコニア


 十月一日、新ヨコハマ市は仮想空間ユニメタにデータ配備された電子的不確定性を有する人工知能、すなわち『擬似人格』との婚姻について、パートナーシップ宣誓制度に基づいてこれを正式に受理する条例を制定した。

 そして同日午前零時過ぎ、五件の擬似人格との婚姻届けがオンライン申請されたが、そのいずれもが不受理処理に終わった。結婚相手の不記名、証人の電子署名なしなど、電子書類の不備が原因と推測される。

 十月三日現在、擬似人格のオンライン婚姻は未だ受理されていない。




『桜の花びら、等加速度運動で僕の胸に突き刺され。彼女の言葉を高速の桜色に刻んで、深く深く突き刺され。被弾した僕は、胸を突き破られないよう強く踏ん張るからさ』


 彼女がりんと唄えば、桜色がばんと爆ぜた。跳ねて、乱れて、落ちて、記憶野に突き刺さって。

 仮想空間ユニメタに流れる音楽は例えるならば暴風だ。それはひどく暴力的な仮想の風。音楽をデータとして、ただ記憶保存したいだけの僕の記憶野に爪痕を残そうと無遠慮に奥へ奥へとするり滑り込んでくる。


「可憐に咲く君を花のようだと讃えなくて、どうして野山の花々を愛でる事ができようか」


 鈴が転がるような澄んだ歌声。それに混じる鉄の芯が通ったような大声。二つの声は不思議に混じり合い、まるで調律された楽曲のよう。

 彼女の音楽に集中したかった僕は、ユニメタの環境フィルター機能をオンにした。情報フィールドの下部に現れた透過式ウインドウの環境音エフェクトの項目にチェックを入れる。これで周囲の無関係な音声や雑音などの物理ノイズを無効化できる。


『僕こそが重力を支配して花びらを自由落下させてやろう』


「君こそが私に安らぎを与えてくれるたった一輪の花だ」


 それでも彼女が奏でるメロディに、彼の歌声が溶けてくる。環境音フィルターを突破するなんて、とんでもなく純粋なノイズだ。

 ライブに熱狂する群衆に紛れて唄われた彼の詩は、彼女の自由落下するような歌声と重なり合って一つの音楽となっていた。やはりユニメタの音楽って奴は献身的な音の暴力だ。仮想としての耳を塞ごうともデータは記憶に染み込んでいく。まるで雨が砂に吸われるように。


「君が咲く花園へ、いつかたどり着けたならば、世界は鮮やかな色彩に溢れるだろう」


 音楽の波に合わせて飛び跳ねる群衆の最中で、彼は両手を広げて高らかに歌い上げた。まさにこの瞬間、彼は仮想空間ユニメタというきらめくステージの主役となった。


「君の歌を聴かせてほしい。私のためだけに歌ってほしい」


 小さな世界のVRライブ会場の中心で、一匹の仮想の獣が愛を叫んだ。

 VRライブ空間を埋め尽くしていたアバター達は、いったい何事だ、と彼の歌声に振り返った。ただ一人、このライブの本来の主役である紺瑠璃こんるりカチッを除いて、みんながみんな彼に注目した。それほど大きな声の告白だった。

 星降る成層圏に浮かぶ花園衛星のステージから、負けじと、カチッちゃんが愛嬌たっぷりの可愛らしい声を振りまく。折り重なってひしめき合うユニメタのアバター達は再びライブの主役であるVRアイドルに向き直った。


「そこの君ッ! アツい声援をありがとーッ! みんなも彼に負けないように一緒に歌おうよッ!」


 ステージ上で楽しそうに跳ねるカチッちゃんの掛け声に、VRライブ会場を埋め尽くすアバター達は大歓声で応えた。もちろん僕も、みんながそうするから、僕もそうしようか。両手を突き上げていつもより大きな声を張り上げてみる。これが、気恥ずかしいって気持ちだろうか。砂に吸われた雨が漏れ出ているようだ。

 歌声、告白、応援、共感、歓声。さまざまな声が渦巻くライブ会場に奇妙な一体感が生まれた。

 たとえそれが人の手によって造られたヴァーチャルであっても、みんなのアイドルである紺瑠璃カチッに猛烈な愛の告白をやってのけた彼に、彼女を盗られてしまうのではないかと悲劇めいた予感が胸をよぎったのか。みんな、我こそはと言わんばかりに彼女の歌声に続いて歌った。

 そんな音楽の暴風の中、僕はこっそりと環境フィルターを調整した。彼らのピュアな歌声は僕の耳には少々うるさ過ぎる。環境音ボリュームを下げて、物理ノイズをキャンセル。カチッちゃんの歌声だけを抽出する。

 それと、お気に入りの一曲をチェックリストに加えるように、愛の告白を歌い上げた彼にもマーキングしておく。これで彼がユニメタのどこにいようと行動をトレースできる。


「次の曲、行くよッ!」


 カチッちゃんの合図でライブ空間はアップデートされた。

 月夜の海を思わせる成層圏の群青色は明るい薄桃色へと移ろい、どこからともなく桜の花びらがはらはらと舞い落ちた。ステージは球体の衛星から穏やかに流れる川へと姿を変え、カチッちゃんが立つ鏡のような水面に一枚、また一枚と、無限に花びらが流れてくる。

 電子が鍵盤の上で飛び跳ねるようなイントロに合わせて、桜の花びらに埋め尽くされた川は舞台からゆるゆると溢れ出し、アバター達の間をきらきらと輝きながら舞い踊る。

 カチッちゃんのフォルムもアップデートされた。しっとりと霧雨に濡れたような青々しいロングストレートが、きゅるきゅると右回りの螺旋を描いてツインテールに変化する。色合いも真っ黒から桜の花びらがよく映える萌黄色に染まった。

 コスチュームもひらひらと太陽風にたなびくドレスから身体のラインが浮き出る短いチュニックへと早変わりする。


「『コイスルジルコニア』! みんな一緒にコイしようッ!」


 『コイスルジルコニア』とはカチッちゃんの代表曲の一つだ。人間とAIとの間に生まれたぎこちなくもとびきりの恋を綴ったラブソングである。

 人はバカみたいに恋をするが、人工知能は恋という淡い概念を理解できるのだろうか。人工知能と人間の間に恋は生まれるのか。僕は『コイスルジルコニア』を口ずさみながら、まだ恋も知らないヴァーチャルな少女のように歌うカチッちゃんから、やたら情熱的に愛の告白をした彼へと視線を移した。

 彼はカオスに沸き立つ喧騒の中で、穏やかに祈るような顔をしていた。

 どこから発生しているのやら、また一枚格段に大きな桜の花びらが僕たちに舞い落ちてきた。

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