第3話 小森はるかハートを奪われ尽くす

 小森さんが俺に絡んでくるようになって早くも数日が経った。昼は一緒に食べ(時々は別々に昼食を摂ることもあるがそのときは彼女からお弁当を貰っている)、放課後は帰っている――というよりかはそうせざるを得ない状況に毎日されていると言った方が正しいのかもしれない。とにかくそのようなことが俺の生活の「当たり前」になりつつあったとある日。さすがに毎日お弁当を作ってもらうのは申し訳ないと思い、そのことを伝えたのだが小森さんはきっぱりと拒否した。それならば私にハートを奪わせて、と。だから今日もまた昼休みになれば彼女からお弁当をいただくだろう。けれど拒否されたからと言って「仕方ない」と申し訳なさが消えたわけではない。だから俺なりにお礼をしようと思っておにぎりを握ってみた。いびつな形になったが料理で一番大事なことは見た目ではなく、味だ。

 というわけで昼休みになり、俺は図書室のあの秘密の席へ向かう。まだ小森さんの姿はなかった。暇つぶしにわが校の歴代の卒業アルバムを眺めること十分。まだ彼女は来ない。不思議に思った俺は一度教室に戻って小森さんを探したが、そこにはいなかった。どこへ行ったのだろう。そんなことを考えていると購買部から戻って来たであろう南沢が紙パックジュースを片手に話しかけてきた。

「よぉ、海浦。突っ立ってなにしてんだ? というか最近一緒に昼食べてくれないじゃん。寂しいぜ?」

「悪い悪い、ちょっと他のクラスの人と食べててさ」

「ふーん。まぁいいや。また俺とも食べてくれよ」

「分かったよ。ところで小森さんがどこに行ったか知らない?」

「姫がどこにいるか? 分からんなぁ」

「姫?」

「おう、一部の男子が小森さんのことをそう呼んでるぜ。誰が呼び始めたのか、どうして『姫』なのか誰も分かっていないけど」

「そ、そっか」

「っと、思い出したけど姫は隣のクラスの寺山と歩いてたぜ」

「寺山? 誰だ?」

「そっか、お前は中学が違うから知らないか。眼鏡かけた坊主頭のやつさ」

「もしかして背が高い?」

「おっ、知ってる?」

「見かけたことがある」

 そう、前に俺と小森さんが廊下で話していると睨んできた男だ。

「そいつ変な奴だから姫が無事か心配だぜ」

「変、って言うと?」

「常に独り言言ってるし、時々立ち止まってはすれ違った人を凝視したりするんだ。それに冬になるとどこで買ったのか分からないけど首元辺りまで覆うようなマスクをしてる。そんなあいつにヘルメット被せれば昭和の過激派活動家だぜ」

「それはちょっと不思議なやつだな。分かった、ありがとう。気をつけておくよ」

 そう言って俺は教室を後にした。

 先日睨まれたり南沢の話を聞いたりしていると嫌な予感がしてきた。

 俺はひとけが無さそうな場所をまわりつつ、すれ違う人たちに眼鏡をかけた坊主の男子を見かけなかったか聞く。そして何人目かに聞いたとき綺麗な人と体育館に向かって歩いていたという情報を得た。その綺麗な人はおそらくというか絶対小森さんだろう。

 俺はすぐさま体育館へ向かった。けれど体育館は授業中以外は基本的に開錠されていない。だから裏手に回ってみるとそこには向かい合って立っている小森さんと寺山がいた。俺は曲がり角に隠れて様子を伺う。

「いい加減にして。あなたといつまでも言い合っている暇は私にはないの」

「それは海浦と過ごすためなんですか?」

「さっきからそう言っているでしょ。何度も同じこと言わせないで」

「僕とは過ごしてくれないんですか?」

「やっと別の質問してくれたわね。ええ、そうよ。あなたとは過ごせない。だってあなたのこと知らないし、興味もないから」

「……」

「そういうことだから」

 小森さんは寺山に背を向けると歩き出そうとした。そんな彼女の手を寺山は掴んだ。

「ま、待ってください。僕とも過ごしてください。そうしないと小森さんたちがお昼を一緒に過ごしたり一緒に下校したりしていることを言いふらすよ」

「別にかまわないわ。それに男女が一緒に過ごしているだけでワーワー騒ぐのってなんだか……下品、低俗、小中学生。それにあなたと一度でも過ごしたらまた次、また次って永遠に勘違いして誘ってきそうだから怖いわ」

「こ、小森さん、お前……!」

 寺山は小森さんの肩を掴むと強引に壁に押し寄せた。そのときに彼女の肩からトートバッグが滑り落ち、中のお弁当箱二つが放り出された。

「ちょっと! 離しなさい!」

「どうしてあんな酷いこと言うんですか! ねぇ!」

「こんなことするような人なんて大嫌いだから!」

「く、くそっ!」

 寺山は唇を尖らせると小森さんの顔に寄せて――。

「おいっ! なにをしているんだ!」

 気づいたら俺は飛び出して叫んでいた。

「海浦君!?」

 小森さんは寺山が驚いている隙に彼の拘束から抜け出すと俺の後ろに隠れた。

「助けに来てくれたのね。別に私一人で解決できたけど助かるわ。ありがとう」

「はいはい、どういたしまして」

 俺は小森さんにその場から動かないよう言ってから寺山に歩み寄った。

「お前、小森さんに何をしようとしていた」

「キスだよ。僕が小森さんの唇を奪えば小森さんには僕の唇を奪う権利が発生するからな。ってなに笑っているんだ」

「いや、どこかで聞いたことがあるようなセリフだなと思って。とにかくやめろ。小森さん嫌がっているだろ」

「う、うるさい!」

 そう言うと寺山は俺の頬を殴った。

「海浦君!」

「来るな!」

 俺は彼女を制すると寺山を見つめる。見つめたままなにもしない。

 そんな俺に寺山は二発目、三発目とパンチを繰り出す。

 俺は腕で顔を守るが、そうすると彼は今度はわき腹や腹部を狙う。

 そして十発前後放った彼は手を止めて息を整え始めた。

「海浦! ビビってんのか!?」

「……」

「声も出ないか!?」

「……」

「お、おい! なに睨んでいるんだ……や、やめろ!」

「……」

 それでも俺は睨むことをやめなかった。

 すると寺山は後ずさる。

「お前は俺を十発くらい殴った。だから俺にはお前を十発殴っていい報復権が発生している」

「そ、そんな屁理屈通じないぞ! 報復権を行使するには手続きをして承認されないといけないんだぞ!」

「そうだな……そうだったな。じゃあ選べ。後で合法的に十発殴られるか、今非合法で一発殴られるか」

「そそそ、それじゃあ一発の方で……」

 俺は寺山の要望どおり一発放った。アッパーを、顎に向かって。

「おい! 寺山! 二度と小森さんに絡むんじゃねぇぞ! 分かったか!?」

「わ、分かりました!」

 寺山は悲鳴をあげながら逃げ去った。

「謝罪の言葉も無しか」

「海浦君……」

「小森さん、大丈夫? どこか怪我ない?」

「ええ、大丈夫。何ともないわ。それより……」

 小森さんの視線を追う。

 そこにはひっくり返っている弁当箱。中身はすべてではないが地面にこぼれていた。

「せっかく作ったのに……」

「味には変わりないよ」

 俺は弁当箱を拾い、段差に腰かけた。そして食べる。……いつもみたいに美味しかった。そのことを伝えると彼女はほっと胸をなでおろした。

「それはよかったわ。というか海浦君。心配して探しに来てくれたなんて、それは私のことが好きになったから?」

「そ、そうじゃないって。俺は小森さんに胃袋を掴まれたから掴み返そうと思って」

「ふふっ、それは例えでしょ」

「それはそうなんだけど――っと、忘れるところだった」

 俺は様子をうかがっていたあの曲がり角に戻ると置いていた巾着袋を拾って戻った。

「ほら、やるよ」

「これは?」

「おにぎり、を作ってみた」

「おにぎりって個人的に『作ってみた』って言うほどのものじゃないと思うけど」

「確かに握るだけなんだけど俺にとっては難しかったんだ! いらないなら俺が食べるけど」

「ふふっ、ごめんなさい。ありがたくいただくわ」

 小森さんはアルミホイルに包まれたそれを受け取ると開けて、一口食べた。

「ど、どう?」

「海浦君」

「なんでしょう……」

「お米の味しかしないわ」

「……あっ、味付け何もしてない」

「まだまだね」

 そう言いつつも彼女は食べ続けてくれたのだが、途中で手を止めてうつむいた。髪で顔は見えない。

「小森さん? どうしたの?」

「な、なんでもないわ……」

 言葉の間に鼻をすする音が混じる。よく見れば彼女の肩がかすかに震えていた。

「このおにぎりはしょっぱいわ……」

「……そっか」

 それから俺たちはずっと黙っていた。

 けれどその沈黙はどうしてか不快ではなかった。

 そして昼休みの終わりを告げる十分前を告げる鐘が鳴る頃にはもう小森さんは食べ終わっていた。

「ごちそうさま。無味だったのが残念だったけど私のために作ってくれただけでうれしいわ」

「さっきしょっぱいって……」

「言ってないわ。ねぇ?」

「ハイ、ソウデスネ。――って、そろそろ教室戻らないと」

 そう言って立ち上がると小森さんは俯きながら俺の袖をつまんだ。

「ねぇ、海浦君。私のこと迷惑?」

「急にどうしたの」

「あの人が言ってたでしょ。あの人が唇を奪えば私にも奪う権利が発生する的なこと。それって私があなたに言ったことと似てて、私はあの人に言われたとき嫌な気分になった。だから海浦君も嫌に思っていないのかなと思って……」

「ああ、そういうこと……。びっくりはしたけど迷惑とは思ってないよ。そ、それはあれだ、めっちゃ美味しいお弁当を作ってもらっているからであって、それ以外のことはなにも、ない」

「そう……迷惑に思っていないならよかった……」

「ほら、本当に戻らないと午後の授業に間に合わないよ」

「待って! 最後にもう一つだけ質問。海浦君ってキスしたことある?」

「ないよ。ほら急がないと――」

 そのとき両肩を掴まれたかと思うと屈めさせられて、小森さんは唇を重ねてきた。

「なっ、ななな……なにを……」

「癪だけどあの人の言葉を借りると――私は海浦君の唇を奪ったからあなたも私の唇を奪ってもかまわないってこと」

「いや、その、ええっと……」

「なにオロオロしてるの。早く戻らないと午後の授業に間に合わないわよ」

 そう言って小森さんは走り出した。

 俺も彼女を追いかけるように走る。

 小森さんにハートを奪われてたまるかと決意しながら。

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【読切短編】報復権から始まるラブコメ 三七倉 春介 @kura_373

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