第9話 名案
駄目だ。恥ずかしすぎる。
「待ってるから、シャワーを浴びて来い」と涼先輩から言われ、シャワーを浴びているものの、シャワーに打たれているという表現の方が正しいかもしれないと思うくらい自分のことに集中できない。
もう、私の頭の中は、先ほどの反省のオンパレードだ。
涼先輩に思いあがりとか言って好き勝手言ってしまったし、泣いちゃうし、しまいにはお腹鳴らしちゃうし。
どういう女よ。情緒不安定すぎるでしょ、私。
先ほどのことを思い返せば、思い返すほど、恥ずかしいという気持ちが自分の中で膨れあがっていく。
もっとこう、クールに言えたらよかった。
あれじゃあ、涼先輩だって呆れてしまうはずだ。
私のお腹から出た音を聞いて、弾けたように笑い始めた涼先輩の顔が離れない。
ああ、もう。
ドクドクと心臓が速くなる。
恥ずかしい、恥ずかしくて仕方ないけど、やっぱり駄目だ。
涼先輩のあの顔にときめいてしまった。
まだ一緒にいれることが嬉しいと思ってしまった。
涼先輩の中には咲希先輩がいるのに。私は、恋心に蓋をしたのに。
昨日、涼先輩に抱かれたときの熱が、まだ残っている。
自分の体にゆっくりと触れると、火照りを感じたあと、スッと冷めていくような錯覚に襲われた。
――――私が意識を手放す前に、涼先輩はたしかに咲希先輩の名前を口にした。
そのことを思い出すと、体がだんだん冷たくなっていくような気がした。
蓋をした想いと一緒に、なにか黒いものが一緒に出てきてしまいそうになる。
私は、蛇口を思いっきり捻って、頭から熱いシャワーを浴びた。
余計なことは考えたくない。
今はただ、涼先輩の側にいたい。
♢
身支度を終えて、涼先輩とふたりで外へと出た。
眩しすぎる朝の光に、くらりとした眩暈を覚える。
「で、はらぺこピーチさんは、何が食べたいんですかね」
「そのはらぺこピーチさんっていうのやめてくれませんかね、涼先輩」
「いい名前だと思うけどな」
「嫌です」
思ったよりも普通にやりとりができていて、ほっと胸をなでおろす。
「じゃあ、お前もその涼先輩っていうのやめろよ」
「毒舌先輩って言ったほうがいいってことですか?」
「そんなことは言ってない」
はあ、と涼先輩は短く息をはいてから言った。
「……お前はもう俺の後輩じゃないし、俺は野球部の主将でもないって言ったのはお前だろ、ピーチ」
「…………言いましたけど」
「じゃあ、その先輩呼びやめろよ」
「…………分かりました、じゃあ、涼…………さん」
少し緊張しながら“さん”を付けて呼んでみる。
なんだか、恥ずかしい。
「やっぱり涼先輩の方がしっくりくるな」
少し間をあけて、涼先輩はうん、と頷きながら言った。
緊張しながら呼んだ私はなんだったのか、とツッコミたくなる。
「じゃあ、今までどおり涼先輩で……」
「いや、いいよ。涼さんで」
ふっとやわらかく微笑まれ、不意打ちのその笑みに私の心臓はどくんっと大きく跳ねる。
距離が縮まったようで嬉しい気がするのは、きっと私だけなんだろうな、と少し拗ねたいような気持にもなってしまう。
「で、何食べる?俺は、正直あんまり腹へってないんだけど」
「そう言えば、涼先ぱ……さん、最近ちゃんと食べてますか?高校のときと比べると、少し瘦せたような気がするんですけど」
「お前は、少し…………」
「なんですか」
「なんでもありません」
涼さんをじとっとした目で見ると、涼さんはわざとらしく敬語で言った。
「もしかして、ちゃんと食べてないんじゃないですか?瘦せただけじゃなくて、肌も少し荒れてるし、顔も若干くすんでいるような…………」
「ディスってんのか」
「違いますよ!言ったでしょ!私、スポーツ施設の厨房で働いてるって」
「言ってたな」
「調理師として働いているんですけど、管理栄養士の資格も持っているので、知識はあるんですよ!」
プロのスポーツ選手と仕事するスポーツ栄養士という職業は狭き門だ。
だが、私の勤めているスポーツ施設は、一般の方向けに食事を提供している。
一般の方と言っても、中にはプロを目指している方も多数いる。
そんな方たちのために、身体づくりをサポートする食事を提供するのが私が携わっている仕事だ。
そこで、はっ!とある考えが自分の頭の中に思い浮かんだ。
「そうだ!ごはん!」
そうだ、私にできることはこれだ、とピンときた。
――――もともと、スポーツ栄養士目指したのも、涼先輩がきっかけだったし。
私は名案だ!と頭に浮かんだ考えを涼さんにそのまま伝える。
「私、ごはん作りに行きますよ!栄養食提供の出張サービス!」
「…………は?」
私がにこにこと提案するなか、涼さんは眉根を寄せていた。
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