第8話 思い上がり

私の呼び止める言葉に、涼先輩は無言で振り向く。


「あ、の…………」


もう少しだけ涼先輩の側にいたい――その想いで、咄嗟に呼び止めてしまったけれど、後に続く言葉が出てこない。


「なんだよ。帰り道分かんねぇとか言うなよ。……お前、本気でそういうこと言いそうだからな」


「さ、さすがに帰り道くらいは分かります!」


「じゃあ何だよ」


「えっ、と…………そうだ、ごはん!!」


「は?」


「ごはん、食べませんか」


涼先輩は、ふいと顔をそらしてから言った。


「…………いや、俺はいい。これでお前はなんか好きなもん食って帰れ」


そう言って涼先輩は、机の上にお金を置いた。


「ち、違います!別にお金が欲しかったわけじゃありません!」


涼先輩は黙っている。

もしかしたら、私が何が言いたいのか分かっているのかもしれない。


「…………涼先輩、また昨日みたいに一緒にごはん食べたりしませんか?」


返答を待ってみたけれど、涼先輩は黙ったままで私の方すら向いてはくれない。

やっぱり、涼先輩の中に罪悪感を生んでしまったんだ、と思うと胸が痛んだ。


「涼先輩」


声が震えないように、一文字ずつゆっくりと先輩の名前を口に出す。


「私、涼先輩に酷いことされた、なんて思ってません。だって、私が望んで、涼先輩にお願いしたことです。


言ったじゃないですか。利用してくださいって」


涼先輩がわずかに唇を噛んだのが分かった。


「…………私じゃ、咲希先輩の代わりにはなれないと思います」


自分で言って、認めてしまうと、余計にじくじくとした胸の痛みが増す。


「でも、涼先輩が、1人で抱えこんでいることを、聞くくらいは…………ぶっ」


真剣に言っていた私の言葉は、涼先輩から顔面に投げつけられた私の衣服によって遮られた。


「ちょっ!なにするんですか!!人が真剣に言ってるのにっ!」


「ピーチが俺の抱え込んでることを聞く?おっちょこちょいなお前がか?」


「い、今は!あの頃よりはおっちょこちょいなんかじゃありません!」


「…………とにかく、俺はお前に聞いてもらわなくても大丈夫だ」


突き放すように言った涼先輩の言葉が、胸に刺さって痛い。


「いいか、ピーチ。お前は俺のことよりも、自分のことを考えろ」


そう言って、涼先輩は再び私に背を向け、ドアノブに手をかけた。


「り、涼先輩の、思いあがり!」


ドアノブにかけていた涼先輩の手が、ぴくり、と止まった。


「本当は、寂しいくせに!傷ついてるくせに!!そうやって、自分の気持ち隠して、人の心配ばっかりして!私はもう涼先輩の後輩じゃないんです!涼先輩はもう野球部の主将でもなんでもないんです!」


もう無理だった。

我慢していた涙が、ぼろぼろと頬を伝って流れ落ちていく。


「涼先輩の馬鹿!!1人でなんでもかんでも背負いこまないでください!」


こんな風に言うつもりじゃなかったのに、と涙を拭いながら思っていると、涼先輩が、はぁ、と小さく息を吐いたのが聞こえた。


「…………ほんっとうに、随分と言ってくれるようになったな、ピーチは」


「…………涼先輩の毒舌を浴びて育ってきたので」


「なんだよそれ」


ほんの少しだけふたりの間に流れる空気が柔らかくなった気がする。


この空気に乗じて、真面目な言葉を…………紡ごうとしたそのとき、ぐう、という音がした。


「…………すいません」


空気を読まずに私のお腹が音を立てたことに、涼先輩は弾けたように笑い出した。


そして涼先輩は気が済むまで笑ったあと、ぽつりと言った。


「行くか、飯。話、聞いてくれるんだろ」


「は、はい!」


唇を持ち上げて微笑んだ涼先輩の顔に、ちょっとだけ高校のときの涼先輩が重なった。

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