第7話 蓋をした想い

目を覚ますと、見慣れない天井が目に入ってきた。


自分の家、じゃない。


だんだんと意識が夢の世界から現実世界へと戻ってくる。


今までのことを思い出し、はっ、と静かに息を飲む。

ベッドから起き上がると、下半身に行為後特有の痛みを伴う気怠さを感じた。


その痛みと気怠さが、昨日のことを事実だと物語っている。


私は、昨日、涼先輩と身体を重ねた――――――。


そのことを思い返していると、胸がじくじくと痛んだ。


隣を見ると、すでに涼先輩の姿はない。


…………きっと、もう、帰っちゃったんだ。


私が意識を手放す前に、涼先輩が口にしたのは咲希先輩の名前だった。


涼先輩の中には、まだ咲希先輩がいる。


昨日の熱を帯びたあの瞳は、私に咲希先輩を重ねて抱いていたからなんだ。


じくじくと痛む胸が、私は傷ついているのだということを教えてきて、自分の口から、フッと小さく笑う声が漏れた。


馬鹿だな、私。


「利用しませんか」と涼先輩に言ったのは私だ。

私に傷付く権利は私にはない。

だって、私は涼先輩の恋人でも、マネージャーでも、なんでもないんだから。


シーツをぎゅっと握りしめる。


あれでよかったのか、なんて分からない。

私の判断は間違っていたのかもしれない。

―――だって、私は結局、涼先輩に哀しい顔をさせてしまうだけだった。

咲希先輩を思い出させてしまうだけだった。


目の奥の方が熱くなり、だんだん視界がにじんでいく。


私は、涼先輩の力になりたいとか、あの頃みたいに幸せそうに笑ってほしいとか、そんなことを思いながら、本当は、ただ、涼先輩に――――――。




「ピーチ、起きた?」


ガチャリと浴室のドアが開き、涼先輩が身支度を整えた状態でやって来た。


私は慌てて、目から零れ落ちそうだったものを拭う。


「りっ、涼先輩。帰ってなかったんですか?」

シーツを自分の方へと引き寄せ、身体を隠しながら言う。


「…………シャワー浴びてた」


「そ、そうなんですね!」


うまく、涼先輩の顔が見れず、目を逸らしてしまう。


「先に帰ったのかと思ってましたよ!あ、私、ゆっくり準備してから帰るので、お先に帰っていただいてて大丈夫ですよ」


「ピーチ、あのさ」


涼先輩の真剣な声のトーンが、その先の言葉の重みを物語っているようで、胸が締め付けられる。


「昨日のことなら気にしないでくださいね。

利用しませんかって言ったのは私の方からなので、涼先輩は罪悪感とか、申し訳なさとか感じないでください。というか、毒強めの涼先輩から謝罪の言葉なんて聞いた日には、怖くて寝れな……」


「桃乃!」


涼先輩の張り上げた声に、身体がびくんと跳ねる。


やだ、聞きたくない。

怖い。なんて言われるのかが怖い。


どんな言葉も、絶対に前向きな言葉ではないような気がして、耳を塞ぎたくなる。


「桃乃、頼む。聞いてくれ」


涼先輩は、ゆっくりと落ち着いた声色で言った。


聞きたくない。

聞きたくないのに、涼先輩は、いつもこういうときだけ、きちんと私の名前を呼ぶ。


「…………昨日は、悪かった。乱暴にお前を抱いてしまったこと、本当にご」


「謝らないで!!!!」


自分でも驚くほど大きな声が出てしまった。


だって、聞きたくなかった。

涼先輩の口から謝罪の言葉だけはどうしても聞きたくなかった。


「お願い、謝らないで、ください」


必死に涙を堪える。


謝られたら、私のやったことは、やっぱり「ワルイコト」だったんだって答え合わせされたみたいで、胸が張り裂けてしまいそうになる。


それに涼先輩の中に罪悪感を残すのは嫌だった。


「…………分かった。じゃあ、謝らない」


「そうして、ください」


ふたりの間にどことなく、気まずい空気が流れる。

その空気を壊すような明るい声で、涼先輩が「ピーチ」と呼んだ。


「ピーチ、ありがとな」


涼先輩は、いつもの涼“先輩”の顔に戻って言った。


「忘れ物しないように帰れよ。お前、おっちょこちょいだからな。…………じゃあ、ピーチ、元気でな」


そう言って背を向けた涼先輩の後ろ姿に、高校卒業時の涼先輩の後ろ姿が重なった。


「り、涼先輩!待ってください!!」


その後姿を見ると、次は二度と会えないような気がして、咄嗟に呼び止めてしまった。


このまま、会えなくなるなんて嫌だ。


涼先輩の助けになりたいとか、あの頃みたいに幸せそうに笑ってほしいなんていうのは、気持ちの上澄みの部分で、――――――本当は、ただ、涼先輩に、


私のほうを見てほしいだけだったんだ。


振り向いた涼先輩の瞳には、わずかに悲しさと後悔が滲んでいるような気がした。


その瞳を見て、胸がちくりと痛む。


私が涼先輩を好きだと言ってしまったら涼先輩を苦しませる。

それに……きっと涼先輩は二度と会ってくれない。


それなら好きになってくれなくてもいい。


好きになってくれなくてもいいから、もう少しだけ、涼先輩のそばにいたい。


自分の気持ちを伝えて、涼先輩を傷付けて、そばにいられなくなるくらいなら、私は、好きになってもらえなくてもいい。


ただ、涼先輩のそばにいたい。



私は、また自分の恋心に蓋をした。

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