第6話 越えた一線
今の私にできること。
それは、あのときの咲希先輩の代わりになること。
何度も夢に見た涼先輩の最後の試合。
試合に負けて悔し泣きをする涼先輩とそんな涼先輩を抱きしめる咲希先輩の姿。
その夢を見るたびに、私の心はいつまでもじくじくと痛んだ。
あのときの私は、涼先輩が与えてくれた野球部のマネージャーという居場所で働くことが、一番、涼先輩への恩返しだと思っていた。
だけど、本当は、私も涼先輩の力になりたかった。
咲希先輩の存在を知ってしまったときから、涼先輩には私の力なんて必要ないんだと思い知らされていたけれど、それでも、どうしても力になりたかった。
今なら、力になれる。
一瞬だけでもいい。一瞬だけでも、力になれるのならば、私は涼先輩のためになんだってしたい。
「…………どうして、俺にそこまでしようとする」
涼先輩の低い声がした。
好きだから。
ずっと、ずっと、好きだったから。
今も、ずっと――――――。
そう口にしてしまったら、涼先輩は目の前からいなくなってしまうような、二度と会えないような、そんな気がした。
私は、ぐっと言葉を飲み込む。
「俺を励ましてくれようとしてんのなら、充分だ」
ぎゅうっと私は涼先輩の身体を抱きしめているのに、涼先輩はいっこうに、私の身体に手をまわしてはくれない。
それは、きっと、やんわりとした拒絶なのだろう。
「俺は別に咲希と別れたからって寂しくもないし、落ち込んでもいない。
軟球も硬球も分からないような後輩の、しかもおっちょこちょいなお前に心配してもらうほど、俺はまだ落ちぶれてない。
……こんなとこにまでお前を連れてきておいて言うのも変な話だけどな」
ぐいっ!
涼先輩がそこまで一息に言ったところで、私は、涼先輩のネクタイをつかみ、自分の顔まで引き寄せて、
口づけをした。
ゆっくりと唇を離す。
どちらのものか分からないビールの苦みがした。
涼先輩の目が驚いたように見開かれる。
「…………今だけは、涼先輩の後輩ではなく、馬鹿な1人の人間として見てください。
利用してくださいとお願いしたのは私からです。
涼先輩は、馬鹿な私の馬鹿なお願いを聞いてあげた、理由なんて、それだけでいいじゃないですか」
涙が溢れてしまわないよう、キッと瞳に力を入れながら言うと、涼先輩はなにか言いかけて、口を噤んだ。
涼先輩の目は、だんだんと哀しさを帯びていく。
違う、私は、涼先輩のそんな顔を見たいんじゃない。
ただ。
ただ、私は、涼先輩にあの頃みたいに幸せそうに笑っていてほしいだけ。
「私を、利用してください」
一瞬。
涼先輩の顔が悲しげに歪む。
「そんなに、悲しそうな顔しないでください」
そっと涼先輩の頬に触れるといきなり抱き寄せられた。
「ごめん」
そう言って、涼先輩は私の顔を両手でつかみ、上に向かせると、そっと口付けをした。
「ごめん、…………ピーチ、ごめん」
「謝らないでください」
私は涼先輩を抱きしめた。
涼先輩は苦しそうな顔をして、私の唇を再び塞いだ。
長い長い口づけに、私が息を吸おうと口を開けた瞬間に、涼先輩の舌が私の口内に入り込んできた。
「っ、はぁ」
涼先輩の舌が私の舌をからめとってくる。
その激しさに思わず息が漏れる。
そのままベッドに組み敷かれ、あっという間に肌が空気に晒された。
涼先輩も、ネクタイを緩め、シャツを脱ぎ捨てる。
スーツの下に隠されていた涼先輩の肉体が露わになる。
野球部のときとはまた違う、涼先輩の鍛え抜かれた大人の身体に、かあっと顔に熱が集中するのが分かった。
涼先輩の舌が、私の身体を這う。
白いシーツの上で、お酒と汗の匂いが交じり合う。
窓のない薄暗い密室に卑猥な音が響く。
だんだんと荒々しくなっていく行為は、なにか叫んでいるようで、胸が苦しくなった。
熱を帯びた涼先輩の瞳に、私が映っている。
ずっと、その視線を受けたいと思っていたのに、私の心が晴れることはない。
ぎゅっと目を瞑って、襲ってくる快楽の海に、私は身をあずけた。
「咲希……」
私が意識を手放す寸前、涼先輩がぽつりとこぼした。
薄れゆく意識の中、涼先輩の目には涙が浮かんでいるのが見えた気がした。
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