保護活動

星雷はやと

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「こんばんは……えっと今日の夕飯は、唐揚げ弁当です」


独り暮らしのアパートに、僕の声だけが響く。僕はスマホをティッシュの箱に立てかけると、購入したお弁当をビニール袋から出した。


「いただきます」


 両手を合わせ、食事前の挨拶を口にする。ほんのり温かい容器を開け、割り箸を手にした。


「んむぅ……肉汁がぁ……美味しいです」


 大きく口を開け唐揚げに齧り付く。カリカリの衣に、中身は柔らかく甘い肉汁が口の中に広がる。程よく効いた大蒜と生姜が嗅覚と味覚を刺激する。白米を口いっぱいに頬張る。一日の疲れが吹き飛ぶ、至福の時である。


【美味しそうに食べるね】

【今日もお仕事お疲れ様です!】

【唐揚げ好きなのね】

【美味しそう!】


 食欲を満たしていると、スマホの画面にコメントが流れた。この食事風景はライブ配信している。僕は配信者だ。普段はサラリーマンをしているが、特に趣味と言えるものを持ち合わせていない。そのことを心配した同僚が、日常生活を配信してみたらどうかと配信アプリを勧められたのだ。

初めは乗り気がしなかった。撮影する内容自体がないからだ。しかし放置することも憚れた。僕のことを気遣いアプリを勧めてくれた同僚に申し訳ない気持ちになったからだ。少しずつ散歩道や、天気を撮影し配信をした。すると、視聴者の登録者が数十人程になった。

誰かに反応を貰えることは嬉しいことだ。それから僕はほんの少しの日常を配信するこが日課であり趣味になった。


【お弁当もいいけど、自炊した方が体にいいよ?】

【食費も抑えられるよ~】

【簡単なことから初めてみたら?】

【お仕事あるから、無理せずにね!】


続いて表示されたコメントには僕を心配する内容だった。確かに外食や買い食いは、自炊に比べてカロリーが高い傾向にある。幾ら二十代だからといっても、節制しないといけないのも事実だ。


「自炊か……ありがとうございます。考えてみますね」


 見守ってくれている視聴者さんたちにお礼を言い、一抹の不安を感じつつ配信を切った。







「おはようございます。今日は休日なので、目玉焼きを作りたいと思います」


爽やかな朝、僕はスマホに向かって卵を見せる。アパートの小さなキッチンにスマホを立てかけると、コンロにフライパンを置く。


【自炊生活スタートですか!?】

【偉いね】

【頑張って!】

【卵なら色々とアレンジ効くから大丈夫!】


 休日の朝だというのに、配信を始めると直ぐにコメントが送られてくる。見守られているのは嬉しいが、少し気恥ずかしさを感じるのも事実だ。


「では……卵を割ります……」


 お椀を用意したが、卵を片手に僕は固まる。卵をどう割ったら正解なのか分からない。目玉焼きならば、焼くだけと高を括っていたのがいけなかった。自炊生活にあたり僕の不安は、料理経験がないことに由来する。社会人になってからも暫く実感暮らしをしていた。独り暮らしを始めたのは半年前からで、その後は外食か買い食いが主だ。そんな独身男性が料理なんて出来る筈がない。

こんな僕が自炊生活を始めようと決意したのは、この間のコメントが理由だ。何故か不思議と、やろうと意欲が湧いたのだ。応援の力とは不思議なものである。


【まな板の角か、お椀の縁で軽くぶつければ大丈夫だよ】

【ヒビが入ったら、両手で左右に割って中身をお椀に出す】

【落ち着いて、殻に注意してね!】

【頑張れ~!!】


視聴者さんたちは、僕の不甲斐なさを笑うことなくアドバイスをしてくれる。優しい人達である。きっと日頃から料理をしている人達なのだろう。


「……っ、で、出来ました!」


アドバイス通りに卵を割る。するとお椀に黄色い黄身が落ちた。無事に綺麗に割ることが出来たようで、殻は見られない。お椀をスマホに近付けて、成功したことを報告する。


【よくできました!!】

【偉い!!】

【流石!!】

【おめでとう!!】


 成功を祝うコメントが流れ、心が温かくなるのを感じる。社会人になり、独り暮らしをし始めてから誰かに褒められる機会が無くなったからだ。頬に熱が集まるのを感じる。


「ありがとうございます、次は焼く作業ですね」


フライパンに油を敷き、卵を入れるとコンロのつまみを捻った。日常的に行っている人にとって今更と言われる行動かもしれないが、僕にとっては大きな一歩である。実家にいた頃は、当たり前に栄養バランスのとれた食事が出てきていた。今使っている調理道具も、独り暮らしをする俺へと贈られた品だ。実家の母の凄さと、偉大さに感謝する。今度、両親が好きなケーキを買って実家に顔を出そう。


「わっ……や、焼けました」


考え事をしていると、白身の周りが焦げ始めた。慌ててフライ返しで、目玉焼きをお皿に移そうとした。しかし手元が狂い、お皿にひっくり返ってしまい黄身が破れた。目玉焼き一つまともに焼けないとは情けない。油断大敵である。


【おお! 良い色!】

【美味しそう!】

【ナイストライ!】

【初めてにしては上出来だよ!】


不格好な目玉焼きに対して優しいコメントに励まされる。配信を始めなければ、あのままの食生活を行っていただろう。新しいことに挑戦することは大丈夫なことだ。優しい視聴者たちにも恵まれ、配信を始めて良かったと思った。






「えっと……こんばんわ」


 スマホに向かって手を振る。そして何時も通り、キッチンにスマホを立てかけた。


【あれ? おでこ怪我している?】

【本当だ! 大丈夫!?】

【如何したの!?】

【何があった!?】


 挨拶を口にすると、額の怪我について言及される。僕は額のガーゼに手を当てながら事情を説明することにした。


「皆さんご心配をおかけして申し訳ありません。これは、仕事中にぶつけてしまったものです……。救護室の先生に診て頂いたので大丈夫ですよ」


怪我をしたのは今日の仕事中だった。倉庫を整理している時に転び、棚の角にぶつけ切ってしまった。完全なる自分の不注意である。額だから少し血が多く出てしまったが、縫わずに済んだ。不幸中の幸いである。


【本当!? びっくりしたぁ……】

【何ともない? 頭の怪我って後から症状出る場合もあるから……】

【痛い? 無理に配信しなくても良いよ?】

【大丈夫? 安静にしていた方がいいんじゃないかな?】


僕の報告を聞き、視聴者さんたちは気遣うコメントが流れる。


「皆さん、ご心配を頂きましてありがとうございます。本当に大丈夫ですよ。それに配信をしていた方が落ち着く気がするので……今日は林檎を剥きたいと思います」


心配をしてもらい申し訳なく思うが、最近では配信をすることは生活の一部となっている。行わない方が、おかしい感じがしてしまう。


【無理しなくていいからね?】

【包丁を使う時は気をつけてね!】

【見守ろう! でも無理は禁物だからね!】

【気をつけてね!】


注意するようにというコメントが流れ、スマホに向かって頷く。


「大丈夫です。林檎の皮むきは高校生の時にやったことがあります!」


これまで自炊はしたことが無かったが、林檎の皮むきは高校時代に家庭科の授業で練習をした。自信はある。視聴者さんたちを安心させるように笑った。


「こうして……こうで……いたっ!?」


順調に林檎の皮むきを進め、半分を過ぎた辺りで包丁を持っている右手が滑った。途端に林檎を支えていた左手の親指に鋭い痛みが走る。驚きのあまり、林檎と包丁を落とした。


「うぅ……」


痛みは一瞬で消え、傷口を観察すると皮膚に血がにじんでいる。親指を動かしてみるが、骨にも筋肉にも問題はない。薄皮が切れているだけだった。軽傷だったというのに、思ったよりも大袈裟な反応になってしまって恥ずかしい。また視聴者さんたちに心配を掛けてしまった可能性がある。謝らないといけないと、スマホの画面を見た。


【これだから人間は……】

【脆弱な生き物だ】

【守ってあげないと……】

【こんなことで怪我をするなんて……】


「……え?」


流れてきたコメントの内容が理解出来ず、乾いた声が出た。先程までは僕の身を案じる温かい言葉だったが、冷たく不穏な文字に戸惑う。皆さんが止めるのを聞かずに、怪我をした僕に呆れているのだろうか。


【大丈夫、大丈夫】

【何ノ心配モ要ラナイヨ】

【僕タチガ守ッテアゲルヨ】

【迎エニ行クヨ】


更に表示されたコメントに目を通した瞬間、家の呼び鈴が鳴った。


「え……っ!?」


ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!ピンポーン!


「な……なに?」


思わず玄関の方を見る。連続して鳴らされる呼び鈴に続けて、玄関ドアを激しく叩く音とドアノブを乱暴に捻る音が響く。荷物が届く予定も来訪者の予定もない。万が一、近隣住民だとしてもこの来訪の仕方はおかしい。異常である。背中に嫌な汗が流れた。


「……っ、誰か……」


来訪者が普通ではない。このままでは玄関ドアを壊されて、この部屋に侵入されてしまうのではないか。乱暴な侵入者に僕はひとたまりもないだろう。恐怖から助けを呼ぼうと、スマホを手に取った。


【ボクダヨ?】

【ワタシダヨ?】

【アケテ、アケテ?】

【ムカエニキタヨ?】


「ひっ……」


 スマホを掴むと今度は、照明が点滅し始めた。明るくなったり暗くなったりする所為で、目がチカチカし始める。言い知れぬ恐怖から、目を瞑り床に座り込む。


「はぁ……はぁ……。ど、何処かに行ったのかな……」


全力疾走をしたかのように、心臓が五月蠅く鼓動している。いつの間にか、呼び鈴の音もドアを叩く音もドアノブを捻る音も止んでいる。耳を澄ましてみても、物音一つしない。僕の五月蠅い鼓動だけが痛い程響いている。瞼の下から、照明が正常に点灯していることを感じゆっくりと瞼を上げた。


「……っ……」


 安心し顔を上げた先には、僕を見下ろすように黒い四つの物体が居た。不気味で歪なその姿に叫び声をあげたいが、喉が張り付いたように声が出てこない。目を逸らしたいのに、逸らすことが出来ない。得体の知れないものを前に体が震える。呼吸をしている筈なのに、息苦しくて仕方がない。


【ダイジョウブ、コレカラハ、マモッテアゲル】

【ボクタチトイレバ、アンシン】

【イッショニ、イコウ】

【タイセツニスルヨ】


「……!!」


黒い四つの物体が僕を覆い隠し、僕の手からスマホが手から滑り落ちる。


【配信が終了しました】


床にスマホが転がった。




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