苦衷記

蒼井 狐

苦衷記

 ……ビッビビッ————ビーッ……。

 アレェ……なにをしていたんだっけ……。思い出せない。いや、思い出す記憶もないような…………。

 ……ビッ————ビッ————ビビッ……。

 小さな置き時計の秒針がチッチッチッと規則的なリズムを刻むのと反して、ほの暗い一室の中心にぶら下がっている電球は不規則に点滅している。

 ……ビビビッ————ビーッビーッ————ビッ……。

 微かな光が放つ不安定な明暗の切り替わりは心までも不安定にさせる。部屋の隅は幽幽としていて気鬱な印象。どこまでも広がる闇のような一隅をじいっと見つめていると、吸い込まれるような感覚と共に何か目が合ったような不気味さを帯びた恐怖感に襲われ、視線を逸らした。ピンと伸ばした血色の悪い足。その先には小さな木製の丸机がある。木特有の暖かみは様相を変え、悲しい顔して項垂れている。卓上には一本の粗悪なペンと役目を終えた蝋燭に、日記帳が一冊。眼球をぐるりと回し、部屋を見渡してみるとぎっしりと知識ほんが詰まった棚が三つ、原稿用紙の右上隅を紐で括ったものがこれまたぎっしりと詰まった棚が一つ。計四つの棚が二列、二段で置いてある。目を細めて本のタイトルを確かめようとしたが、光が十分に行き届いておらず見えることはなかった。

 少し暗さに目が慣れた頃、意識は視界から徐々に体へと移っていく。左手の親指と中指をゆっくりと何度か擦り合わせた。ドロッとしている。知覚が集中すると左手首に痛みを感じ、確認するため手を動かしたとき、空気の揺れがツンと鼻を刺す。指先から目を通すと、赤黒いものがべっとりと付着していた。視線を少し下げると痛みの原因が分かった。血が固まり始めているため死の心配はなさそうだ。時刻は午前三時十九分。一体なぜこんな状況なのか……。

 十中八九自殺未遂であることは右手に持っているカッターと今の時間で察しがつく。記憶を探ろうとするが思い出せるのは数十秒間薄暗い部屋を眺めたことくらいか。

 …………いや、なぜこんなことをしたのかが分かりそうな手がかりはある。丸机に置いてあった日記帳だ。過去の自分の考えが残されているかもしれない。右の手のひらを床に付き、グッと体重を乗せて立ち上がる。

 ……ギィ——ギィ……。

 随分と軽い自分の体ですら古い木の床は泣き叫ぶ。丸机に置いてある日記を手に取り、一ページ目を見た。


 ——日記一ページ目——

 十月七日

 今日から日記をつけることにした。理由は、精神状態の経過観察のためだ。

 一つの研究に着手し始めて一ヶ月程経った今の私は気がおかしくなりそうで仕方がない。というのも、隔離病棟で研究者は私一人。他にまともな人間といえば食事の配膳を行う看護婦が数名程度と病棟医、今日から精神サポートでやってきた精神科医。あとはみんな気狂いと言われて放り込まれた精神疾患者。奇矯な研究者だと言われ、看護婦や病棟医との会話は無い。例の精神科医ともまだ軽い挨拶しか交わしておらず、私の話し相手は症状が陰性時の患者のみ。だが、一面コンクリートで覆われた日の入らない部屋に閉じ込められている患者がまともなわけもなく、落ち着いて話せる状況になったかと思うと発狂し出すような混沌とした環境だ。


 ページを一枚ひらりと捲った。


 ——日記二ページ目——

 十月十日

 日記つけ始めの初日から三日。精神状態の経過観察をすることになった理由を書いていない事に気がついた。私自身情けない話ではあるが、このような隔離病棟での研究は初めてで精神をやられてしまった。精神疾患者との付き合い方を間違えば、ミイラ取りがミイラになるようなもので、医者や研究者自身も精神を病んでしまうケースが見られる。それがまさに今の私という事だ。

 そして、今日はとある興味深い出来事があった。幻覚症状のある患者の仕草、それを見ていた私は患者が幻覚で見えているそのものが目の前に本当に存在しているかのように感じたのだ。幻覚なのだから当たり前だろうと私自身思っていたのだが、世にはパントマイムという劇が存在する。その劇は身振り手振りでその場に何があるのかを表現するような黙劇である。患者が幻覚を見ている状態での劇はまるで現実だと思わせるほどに私の心を苦しくさせた。


 ——日記三ページ目——

 十月十二日

 精神疾患者との接触も終わり夜になった。患者から幻覚についての話を聞いていると、やはり幻覚が見えているだけあって現実に起きていない話だとは思えないほどに内容がリアルだった。私は、幻覚と現実の境界線がよく分からなくなってきてしまった。果たして幻覚というものは現実に存在しない患者の中の世界観や妄想という括りで収まっているものなのだろうか。考えれば考えるほど泥沼に足を取られるような感覚に陥る。一つ『幻覚と現実の境界』というような論文を書けそうなものだ。

 ハハハ……。これはかなり執筆が捗りそうである。患者との対話を続け、より鮮明なものにしていく必要がありそうだ。


 ——日記四ページ目——

 十一月二日

 日記としての役目を果たしているのか分からないほどに期間を空けてしまった。だが、人の集中力とはすごいもので、全てを忘れる勢いのままこの期間中に一つの論文を書き上げてしまった。患者の経過観察をしては研究室に戻り、仮説を科学的根拠と照らし合せる作業。それに加えてコペルニクス的転回を納得にまで持っていく構成。書き上げたものは自分で見返してもこれを二度書けるかと言われるともう無理だろうという出来栄えだ。だが、そんな中でもまた革新的なテーマを思いついた。日記には書かず、将来の自分がまた思い出した時にその実験をやってみようと思う。


 ……日記をパタリと閉じた。私は日記を読み、今に至る一つの考えが頭をよぎった。精神疾患者の研究をしている中で次第に精神を病んでしまい手首を切り、自殺に走ったのではないかと。そんな憶測はさて置き、当時の考えがふんだんに盛り込まれているであろう日記に書かれていた論文を読みたいと思い、原稿用紙がぎっしりと詰まった棚の一角を漁る。色々なタイトルの論文が出てきた。

『精神状態と夢の因果関係』、『ネガティヴ・ポジティヴ』、『人格の形成と過程』、『外因性・内因性・心因性』、『ショック』

 タイトルだけつけてあってまだ内容の書かれていないものもある。記憶を失う前の私がいかに奇異的であったか……自分ですら理解が追いつかない。さらに棚を漁っていると日記に書いてあった通りのタイトルではないが、それらしいものは見つかった。


『幻覚・妄想と一般における真実の認知、夢について』

 はじめに、特定の精神疾患には幻覚・妄想の「症状」が見受けられる。広く一般的に私たちが体験した事を真実とした場合に精神疾患者の持っている独立した世界観は私たちの常軌を逸したものであるため「症状」と呼ばれる。「症状」と呼ばれるのにはもう一つ理由があり、精神疾患者が見ている幻覚や妄想は間違っているという「前提」があることだ。これに類する話がある。 例えば、色覚に異常のある患者なんかは私たちが一般的に見ている色とは違う色が見えていたり、その色を認識できなかったりという「症状」がある。これには先ほどと同じように、色覚に異常のある患者が見ている世界の色が間違っているという「前提」が含まれている。

 そして、なぜ色覚に異常のある患者を例に挙げたのかというと、後述する夢の話との相関性があるからだ。人の眼の網膜で見た情報は視床を経由し視覚野に送られ、そこで初めて見ていると認識できるのである。

 しかしながら、私たちが見ているものは真実なのだろうか、精神疾患者が見ている幻覚と呼ばれるものは間違っているのだろうか。

 私たちにとって一番身近な幻覚・妄想に近いものとして、睡眠時の夢が挙げられる。夢は非現実的であったり、自分が普段の生活の中では思いつかないような独創的な世界観があったりする。夢とは睡眠時に見るものであり、現実ではないというのが一般的な考え方ではあると思うが、睡眠時とは言え現実の自分自身の脳が作り出している世界であることには変わりない。こう考えると夢は現実であるという認識になってもおかしくはない。もっというと、睡眠時ではない時に見る現実世界も目で見たものを脳が処理した結果に過ぎないのだから現実世界が夢であってもおかしくはない。睡眠をすることにより現実世界を生き、起床することで夢が始まるとも言える。

 なぜここまで強く言えるのか。色覚の話の最後に人が網膜で見た情報は視床を経由し視覚野で処理され、初めて見ていると認識できると述べた。そして、上述した夢は脳のどこが使われているのか。それは視覚情報を処理する視覚野で相違ないのだ。

 これを夢ではなく幻覚症状を持つ精神疾患者として考えると、現実に存在する脳が作り出した幻覚は現実のものであり、幻覚が間違いだという前提は無くなるのではないか。誇大妄想なども現実に存在する脳が作り出した考えであるため現実と言えるのではないか。私たちが一般的に見ている世界が幻覚であって、幻覚症状を持つ精神疾患者が見ている世界が本当の世界なのかも知れない。今までの私たち一般的な人間が見ている世界は真実であるという「前提」の確証はどこにもないのだ。そしてそれに伴い、精神疾患者の幻覚・妄想このどちらとも間違いだという前提すらどこにもないのである。

 これはとある思考実験に近い。箱の中に閉じ込められた猫は我々が箱を開けて観測するまで死んでいるのか生きているのかを判断できないというものである。箱を開けて観測するまでの間、箱の中の猫は生きている確率と死んでいる確率の両方の性質を持ち合わせていることになる。

 私たちが見ているものは現実や真実である確率と幻覚や妄想かもしれないという二つの確率が同時に存在しているのである。逆も然りだ。

 この論文は不可知論的であるかもしれな————


 …………コン、コン……。

 ……扉を二度軽く叩かれたような……。現在時刻は午前三時三十分。なぜこんな時間に人が……。だが、確かに音は聞こえた気がする……。

 私は恐る恐る扉の前まで足を進めた。

 ……ギィ——ギィ……。

 やはり人影のようなものが。扉を少し開き、問いかけた。

「どちらサマでしょうか……」

 細く震えた声は扉を叩いた主に届いたのかわからない……。

 ……数秒経ったが返事はまだ無い。見間違い、聞き違いだったのか……。

「……紅井あかい先生、柏崎かしわざきです」

「……アカイ……センセイ……。人違いではありませんか……」

「エッ……まさか……えぇ、確かにこの部屋は紅井先生の部屋で間違いありません。声を聴けば貴方が紅井先生であるとわかりますので……ワタクシが先生のことを知る者として信用のために言いますと、左の腕に切り傷があるのではないでしょうか」

「ナゼ、それを……」

 私は扉を少し開けているが、それは声が通るほどの小さな隙間……こちらの姿は見えていないはず……。

「それはワタクシが先生の研究を手伝わせて頂いていた者ですので……えぇ……お話は変わりますが、日記帳はもう読まれましたか」

「……日記帳のことまで……二ページまでは目を通しましたが……」

「……左様ですか。恐らく……といいますか、確実に先生は御記憶を失くされております。いえ、その表現も正しいと言い切れるわけではないのですが……えぇ……大事なことをお話し損ねていました。ワタクシが参りました事の次第をお話ししますと、約九ヶ月前でしょうか。先生は精神病棟の精神疾患者、病棟の関係者協力の下で幻覚・妄想についての研究をタッタお一人で行われておりました。それゆえ、研究が滞りをみせまして病棟医とは別に精神科医のワタクシが馳せ参ずることと相成りました……そうしてワタクシが病棟に着いた頃、先生が研究なさっている部屋はカルテやら原稿用紙やら白紙なんかの色々な紙が散乱しておりました。ワタクシは一瞬でナゼそのような状況になっているのかを察しました。先生の精神が研究対象である精神疾患者に負けているのだろうと。精神疾患者の治療や研究なんかは強い精神力がなければ自身も一緒に精神を病んでしまう恐れがあるのでございます……そしてワタクシが先生の精神面をサポートさせて頂きながら研究が再開致しました……」

 柏崎と名乗るその男はまさに私が先ほどまで読んでいた日記の内容と一致することを語っている。

「結果的にワタクシは十月から年を越しまして、二月までの五ヶ月間を共にさせて頂きました。その内に先生はやはり少しずつですが精神を蝕まれておりました。ところが、とある理由でその行き先を封じることはできませんでした……。直接のお話をしたところ先生は、今のこの状況のおかげで革新的な実験の準備が整いつつあるのだ……と言われまして、特に自身の精神状態改善に対して前向きでは無く、実験という名目で治療を拒まれました。そもそもワタクシを病棟まで呼びつけましたのが看護婦の方でして、先生は最初から自身の精神状態快復を望んではおられなかったのかもしれません。……むしろ精神疾患者の研究と大義名分をつけ隔離病棟に入り、その革新的な実験の為、自身の精神を危機的状況にまで追い込むという所までが先生の狂気的構想の内であったのかもしれません……。ホホホホホ……これはワタクシの推測でしかありませんがね……えぇ……話が少し脱線しましたが、その革新的な実験のことに関しまして紅井先生から今の時期に再度私の元に来てくれと申されましてお伺いさせていただいた次第であります」

 ……過去の自分の思考が理解できない。困惑しきった沈黙の末、私の内心を汲むように柏崎は口を開いた。

「……仕方のないことです。困惑の渦中におられると思いますが、ワタクシの語りであっても、先生のご記憶の回復……と言いますと正しさに欠けますが、どちらにせよ今置かれている状況が結果としてお分かりになることは明確でございますのでご安心をば……」

 午前三時三十六分、私は左手首の痛みを庇うように右手で扉を開き、柏崎を部屋に招き入れた。

「どうぞ……」

「……失礼。室内は真暗にされておりましたか……電気をつけてもよろしいですか……。イヤァ、部屋の様子は変わっておりませんな」

「以前にも入られたことがあるのですか……」

「えぇ……。まだ言っておりませんでしたね。この部屋は先生が研究を進められていた部屋でございまして、ワタクシも病棟に滞在中何度か……」

「と言いますと……」

「……ここは隔離病棟内の研究室でございます」

「エーッ……ここが隔離病棟内……気づきもしませんでした……」

「気付けないのは仕方のないことです。先生は現在進行形で行われている革新的な実験の末に、ご記憶が一時的にありませんので……。いえ、何度も言うようで差し出がましいかもしれませんが、記憶の喪失という表現はあまり正しいとは言えません……。ですが、先生の失われたものを取り戻す鍵はこの研究室の中にあるのです。そしてワタクシがなぜ全てをお話しできないのかと言いますと、先生は失われたものを自身で回収することにより初めて研究結果として一つのサンプルが取れるのだと見解を述べておられましたので、ワタクシが全てを話してしまうことは実験の失敗につながりかねないのです……。ですが、以前に紅井先生から伝えられたのは、私の革新的な実験に関する執筆中の論文のようなものを実験中の私に読ませてほしいと言われました。恐らく現在も棚の中にあるかと思われます。『人格の形成と過程』これが先生の言う革新的な実験の論文でございます。是非ご一読を……」


『人格の形成と過程』

 人格の形成は約三歳から十歳までの間に、基礎的なものは確立してしまう。そのうちに形成された人格は、大人になり環境や人間関係、追体験などにより少しの変化は現れるものの大きな変化はない。脳ミソの成長という点に置いては変化し続ける部分や、成長の比率が大きい部分などが見られる。それに反して人格という面に置いては根底から変わることが少ないのだ。古来から、「心」というものは胸に在るという説があった。だが今日に至り、心は脳に詰まっていることが判明した。にもかかわらず変化し続ける脳とは対照的に、人格や心のようなものは大きな変化を見せないでいる。一つ、精神疾患治療の悲惨な話がある。当時、精神疾患がどのような原因で発症しているのか分からず医者や研究者は途方に暮れていたが、どうやら心は胸ではなく脳にあり、精神疾患の原因も脳に在るのではないかと考えた。そこで、とある医師はこう考えたのだ。大脳の前頭葉の前部にある思考や感情、理性、性格といったものを司る前頭前野を切り離してしまえば、精神疾患の大部分が改善するのではないかと。この処置により精神疾患者の症状は和らいだ。だが、この手術は重篤な有害事象が伴うにも関わらず後に二十年以上も有効な治療法として行われ続けたのだ。術後間も無く死亡した例や脳に深刻な損傷を与えられただけに終わる、さらに術後の自殺や、人格・自律性を大きく損ねるなど不利益の絶えない治療法であった。脳の繋がりを断する大胆不敵の切截せっせつ術。精神治療の行き着く畢竟の術。私はこの狂気的な歴史の一幕に感応したのだ。それは何も私が狂気的な学者である訳ではない。

 前頭前野、感情を司る部位を切り離す切截術がなぜ非道と言われ中止されたのか。その一つとして、本人の人格や自覚というものがありながらにして感情を引き出せないでいることが考えられる。にも関わらず、前頭前野の切截術が有害事象であると分かりながら二十年以上もの間行われ続けたのは、重度の精神疾患者を子に持った親が彼ら彼女らを煩わしさという無責任のエゴから、その子の感情を一切無くすことにより扱い易くしたい、自ら産んだ邪魔者を無くしたいという思い、そして医者の利益目的や学者の研究目的という利害の一致、需要と供給の一致による人地獄によるものだろう。

 広く一般的に人道に反し、非道に属すと言われたこの切截術は私からすれば真逆の非道に反し、人道に属す術に映ったのだ。それはなにも天邪鬼が私に憑いている訳ではなく、確固たる治療の向上と根拠に基づいた医療精神から成る賛成なのだ。

 例えば鬱血した腕の血が逆流することを防ぐために鬱血した腕を切り落とし、正しい治療を施すことはなんら人道に反したものでもなく、正しいかつ最適の治療法と言えよう。さらに、脳にできた悪性の腫瘍を取り除くこと、これも人道に反せず人命救済のためには必要と言える処置である。だが、このどちらも前頭前野切截術と変わらないリスクや後遺症の危険は十分に存在するのだ。腕を切り落とす手術でいえば、言わずもがな腕は片方無くなるのである。脳の悪性腫瘍を取り除く手術でいえば、腫瘍を無理に全摘出しようとすれば後遺症の危険があり、逆に残し過ぎてしまうと腫瘍の悪化も考えられる。

 前頭前野切截術はただその術が確立されないまま処置の方法として使われたが為に非道とみなされたが、治療という観点に置いて悪い術ではなく、むしろ新しい考え方として画期的であったのだ。皆が一般に受ける手術や、病気をした時に飲む薬なんかは人、そして人以外の関係ない動物の命の上に成り立っている。皆が語る美談ほどに現実の闇は照らされるものではない。だが私はその闇の中へ足を踏み入れることとなる。

 私のこの実験に置いては前頭前野切截術と違い、脳への直接的、物理的なダメージを回避しつつ精神疾患の治療をなすことが可能である。ただ、一時の死を覚悟しなければならない。

 そして、一つ首肯していただかねばならない事実と共に実験の順序を説明する。世に言う人格とは自身の育つ環境により大部分が決まり、それが大きく揺るがされることは少ない。これは、はじめにお伝えした事実だが、不思議の事象によりその人格がまるっと変わり果てる奇異なことの報告がされている。まず、私の実験では死ぬ淵を彷徨うことや大きな恐怖体験をすることが治療の大きな壁となる。今回の実験では出血多量により実験の開始とする。その後に目を覚すことが条件であり、記憶を失ったかのような感覚に陥ることで第一段階の達成となる。第二段階として、記憶を失った状態から、自我のみを取り戻すこと。勘の良い方ならばお分かりであろうが、この実験は恐怖や危機感を種に、自身の中に新しい人格を芽生えさせることにより旧人格の精神疾患を抑え込む治療法である————


「ヤレヤレ……ワタクシが彼の誇大妄想のオアソビに付き合ってなんの成果が得られるのでしょうか……。はここまでの手の込んだ誇大妄想は初めてだ……とおっしゃられていましたが、やはりワタクシには普通の疾患者にしか見えませんネ……。まぁ、精神疾患研究の非検体としてはいい研究材料……なのか知らん……」

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