義朝って、あの源頼朝ですか?
有名人登場ですね!
作者からの返信
義朝は父で、頼朝はその三男です
ですから八郎為朝は頼朝の叔父にあたります。
でも義朝と為朝は16歳(!)も歳が離れてるから、叔父と甥とはいえ歳は近いですね。
為朝は1139年生まれ、頼朝は確か1147年生まれだったかな。
だから、この時点では「もうすぐ生まれる」ところです。
そして義朝の妻のひとり、つまり頼朝の母が、本作のこのエピソードでも少し触れている熱田大宮司の娘です (^_^)
義朝かっこいい〜!!と源氏ミーハーとして痺れました。
作者からの返信
清盛さんだけじゃなくて、義朝もお好きなんですね。
心が広い! かくいう私もそうですけど (笑)
義朝は武勇を謳われただけではなく、当時の武士としては相当に理知的な、時勢の読める優れた人物ですよね。
それが保元の乱の勝利あたりから変になっちゃう。
あれはやっぱり父親や弟たちを自ら処刑する羽目に陥ったこと、それが原因で周りから白い目で見られたこと、それから乱後に与えられた官位が思ったよりも低かったこととかが原因なんでしょうね。
藤原信西や後白河天皇の権謀術数の犠牲になった人だなあ。
なんて同情しながら、この先を描いていくことになりそうです。
源氏ミーハーの方々のためには、八郎為朝が史実や「弓張月」以上の大活躍をしますので、そこに乞う御期待です 😄
文弱の若君と見なす この点で信長はどうだったのかなとフト思いました。お傅役の考え方の差。比べてはいけないんですけど。また一人の力で生き抜くことを貫く性か。小気味良し。 ここに、為義と義朝の心持の差があっていい感じ。
作者からの返信
まあ八郎はこの時点ではまだ幼いですからね。
信長の事績が明らかになるのは主に10代の若者になってからですから、比較はできないかと。
それに信長の場合は傅役がどうこうというよりは、自分の判断で敢えて奇矯な行動をして、それを懸念した傅役が諌止したと言われていますから、八郎と重季の関係とは随分違います。
義朝に関してですが、やはり為義に疎まれて、長男なのに京に置かないで関東に下されてますから(関東における源氏の勢力を伸ばすため、為義がわざと…… という説もあります)、そんな自分の立場と八郎を重ね合わせて共感を抱いた訳です。
でも、この義朝が後々には八郎の強力な敵となってしまうんですが、そこには玉藻の妖しい力と策謀が…… なんて、またまたネタバレでした (^^;)
八郎が良い理解者と出会えて良かったです(*´꒳`*)
作者からの返信
義朝とは境遇も似てるし、お互いに分かり合えると思いますよね。
ところが史実ではこの二人がお互いに最強の敵として保元の乱で戦うんですから、人と人の関係というものは不思議です。
本作ではさて、どうなるでしょう? (^^♪
編集済
読み合いしますか?
私は速読を幼い頃から叩き込まれております。
長めの会話文、2000字を超える長文は少し読むのが遅いですが、基本的に読むペースはハイペースです。感想でなく、申し訳御座いません。
如何でしょうか?
作者からの返信
してもいいですが、私は多分そんなに速くないですよ。
英語は専門なので、留学中に速読の訓練を受けて、1分間に1000語ぐらい読めますけど、日本語はどうかなあ。
計ったことはないけれど、普通の人より速いとは思います。
でも2倍、3倍いくかなあ。
まあとにかく、読み合いはOKです。
御作に努めて伺い、読むように致します。
ただし、スピードは保証の限りではないですけど (^^;)
"義朝からすれば、この期に及んで摂関家にすり寄る為義のやり方は、ただの旧弊に思えてならぬ"
はえ〜そうなんか。……今日もまたひとつ賢くなってしまった……
作者からの返信
そうなんです。
白河法皇の時代からこの頃にかけての数十年は、摂関政治が衰えて院政の最盛期なんですね。
でも河内源氏は数代前から摂関家との関係が深くって、それで勢力を伸ばしてきたので、この頃は不遇の時期でした。
逆に言うと、院が摂関家との関係の強い源氏を嫌って、平家を重用したという事情もあるようです。
後は本文中に書いた通りですが、天皇は直接に政治に関わることを控えなくてはいけないっていう不文律があったので、早々に退位して上皇という自由な立場で事実上の政権を藤原氏から取り返したんです。
ところがそれが後の源平の争いにつながって、世の中は乱れ、朝廷は政権を武士に奪われてしまいます。
これが「平家物語」に描かれた時代。
で、これは後の時代の事になりますが、後醍醐天皇が政治の実権を握ろうとして鎌倉幕府を倒したものの、その後の天皇親政が公家偏重だったこともあり上手くいかず、足利氏に背かれて何十年も南北朝の争乱が続きます。
これが「太平記」の時代。
こう考えていくと、古い時代から日本は「象徴天皇制」な訳で、天皇が政治の表面に出てくると何かと問題が起こって大きな戦乱の時代に突入するみたいですね。
明治から昭和にかけても、ある意味そうだし。
面白いって言うと語弊がありますが、興味深い事実です。
長文失礼しました (^^;)
拝読しています。
忌み子、鬼っ子が師を得て存分にポテンシャルを伸ばす、ある意味で時代劇の王道nあ序盤が爽やかですね!
玉藻さんの初等教育(?)も陰謀の内とすれば、それを阻む最初の一手を打ち込んだのが重季になるのでしょうか。
歴史の空気を感じる情景描写、清盛や義朝ら脇を固めるスーパースターのキャラ造形なども、お見事です✨
作者からの返信
ありがとうございます。
その辺はまだ序盤の序盤ともいうべき部分で、次回である大きな出来事が起こります。
八郎は比叡山に送られる事になって、そこで様々な幸運な出会いが…… 歴史上の著名な人物続々登場です。
そして京に戻るや物語は一気に流れ出し、事件に次ぐ事件、戦いの連続です(ネタバレ?)
ごゆっくりお楽しみください (^_^)
為義は子供を愛せない人だったんでしょうか
八郎だけでなく義朝のことまで
そして玉藻の恐ろしさ((((;゚Д゚))))何事が?!
作者からの返信
義朝は幼いうちから関東に下され、長男ではあるものの、源氏の後継ぎとしては扱われず、二男・義賢が嫡男とされています。
何ででしょうね?
別に母の家系が悪い訳でもないのに。
二男の母の方が家系が上だったのかな。
特にこの頃は関東で勢力を伸ばして京に帰ってきてすぐで、今後は院に接近するか藤原忠実・頼長に接近するかで為義と意見が分かれ、対立していたようです。
結局は義朝の方が正しくて、暫くすると官位の上でも為義を追い越しちゃうんですけどね。
玉藻の恐ろしさは…… まだちょっと先のことですが、お楽しみに (^_^)
編集済
企画に参加してくださり誠に有難うございます。
ここから先も拝読致しますが、ここまでの感想を記させていただきます。
まず、自分で書いてて思うのは、読まれる小説ってどこかがガチなんだろうなってこと。僕の小説もどこかをガチった自負があると、比較的読まれる実感があります。九尾の狐が封印されているという殺生石の前できつねうどんを作ってみた]とか。あれは京都と陰陽術にガチった話です。
で、この小説は…為朝が九尾の子であるという異聞を平安時代末期の時代背景や登場人物の描写をガチることで説得力を持たせていると思いました。この真っ当なガチらせ方で読者がついているのは素直にすごいと思いました。力作であり、書くの大変だと思いますが、これからも応援し続けますので頑張ってください
作者からの返信
ありがとうございます。
おっしゃる通り、ガチで大変です。
でも楽しんで書いてます 😄
二人の稽古が見たかったです。
どうして止めたのでしょうか? 親父殿。
義朝さんは頼朝さんのお父様(鎌倉殿〜の時代が好きで、一時期、調べていました)なので、これからの展開が楽しみです!
作者からの返信
う~ん、拙作では為義は義朝と激しい口論をしたばかりですから。
これ以上、自分の屋敷にいることも許せなかったのではないかと。
そしてまた、自分の思うに従わぬ義朝と為義を疎んでいたので、二人が接するのも好ましくなかったという流れで描いてみました。
「鎌倉殿~」がお好きだったんですね。
実は私、つれあいが歴史ものに興味が無いから(!)観てないんですよぉ~⤵
その反動でこういうマイナーな歴史・伝奇の物語を書き始めたところがあるかも。
気持ちのいい兄上でとてもヨシでした
作者からの返信
為朝中心の物語では、父親の為義は凡庸だけれども温厚な善人、兄の義朝は酷薄な人物に描かれることが多いようです。
でも、史実を調べれば調べるほど、それはちょっと違うんじゃないかと。
それで私なりの解釈を施してみました。
でも、これはあくまでも現時点での義朝さんなので、この後どう変わっていくのか……
白河法皇、鳥羽院、崇徳院、後白河天皇……この時代はあまりに混沌すぎて、いつも時系列がこんがらがってしまいます。
ちなみに玉藻は、美福門院的なポジションなのでしょうか。
作者からの返信
極めてざっくりとまとめると、白河法皇は実質的に院政を始めた方で、鳥羽院はその孫になります。そして白河法皇の死後、治天の君としてその院政を引き継いだ方です。
崇徳院は鳥羽院の息子ですが、その出生に関して鳥羽院に疑われ、異母弟である幼い近衛天皇に譲位を余儀無くされた方。
その辺の事情は本作ではもう少し先、「崇徳院」のエピソードで述べる通りです。
ところがこの近衛天皇が若くして亡くなり、鳥羽院は崇徳院の息子である重仁親王ではなく、崇徳院の同母弟である雅仁を帝位に就けるんですね。これが後白河天皇です。
それが原因で保元の乱が起るんですが、それについてはこれから執筆予定の第三部で描くことになると思います。
玉藻は美福門院的なポジションというか、伝承、物語などにある「玉藻前」のモデルが美福門院なんです。
近衛天皇の母親であり、そのことから保元の乱、平治の乱の一因を作り世を乱した悪女として考えられたんでしょう。
で、この美福門院がちょうど為朝の母親ぐらいの年齢なんです(ちなみに近衛天皇と為朝は同年です)
それで、じゃあ「玉藻前=九尾の狐」を人間離れした逸話の多い為朝の母親にしたら…… と思いついたのが、この物語を書き始めたきっかけです😊