疑似餌

九傷

疑似餌

 


 日本全国の行方不明者数は、年間でなんと8万人を超えているのだという。

 しかも、これは実際に警察に届けられている人数であるため、届けられていない人数も含めればもっと多いのは間違いないハズだ。


 これだけ聞くと、そんな行方不明者多くて大丈夫なのか? と思ってしまうが、実は大抵の場合は一週間以内に発見されるらしい。

 さらに言えば、ほとんどの場合が認知症などの病気や、金銭や異性関係のトラブルにより「自ら失踪している」というケースなのだそうだ。

 だから事件性があるようなことは滅多にない……、と言ってもいいのかもしれない。


 しかし、そんな滅多にないハズの事件性を感じる行方不明者が、近所で複数件発生しているという噂が流れている。









(……あの子、また一人で遊んでる)



 ここ最近、帰り道の途中にある空き地に、一人で遊んでいる子どもを見かけるようになった。

 恐らく、大きく見積もっても小学校1~2年くらいの年頃だと思うが、周囲に親がいる気配はない。

 個人的には一人遊びさせる年齢ではないと思っているが、その辺は各家庭の考え方や地域によっても変わることなので、自分の主観で批判的に見るのはあまり良くないだろう。


 とはいえ、やはり小さい子が一人で遊んでいるのを見ていると、どうしても心配になってしまう。

 子どもの行動は予想できないことが多いので、車に轢かれるなどの事故にあう危険性もあるし、イタズラなどをして他所に迷惑をかける可能性だってあるからだ。

 ……場合によっては、事件に巻き込まれる可能性だってあるだろう。



 日本の行方不明者のほとんどは大人だが、その内1000人以上は9歳以下の子どもなのだという。

 子どもの場合、行方不明の理由は迷子や家出が多いようだが、体格の関係で拉致被害にあう可能性も高いようだ。


 だからこそ、最近いつも一人で遊んでいるあの子のことが、気になって仕方がなかった。



(……あんな噂が流れているのに、あの子の親は一体どんな人なんだろう)



 昨今は、毎年必ずのように子どものことを車内や自宅に放置して遊びに行き、結果死なせてしまうという痛ましい事件が発生している。

 特に若者に多いが、遊びたい盛りの年齢で無責任に子どもを作り、自分の遊びを優先するという親が増えているのだ。

 また、たとえ死に至ることがなくとも、放任主義を履き違えた事実上の放置により愛を注がれず育った子は、トー横キッズなどのように家に帰らず特定の場所にたむろし、人知れず事件に巻き込まれたりする。


 タチが悪いのは、彼ら彼女らの中には自分の子どもが帰ってこないというのに、「行方不明者届」を警察に提出しないケースがあることだ。

 これは以前なら「捜索願」と呼ばれていた届け出で、世代によってはこちらの方が認知度が高いだろう。

 内容は基本的には変わらない――つまり、これが提出されないと捜索も行われず、行方不明者としても扱われないということである。

 当然だが「捜索願」が出されなければ事件としても扱われないため誰にも捜されることなく、人知れずこの世の闇へと葬り去られてしまうワケだ。


 私の見解では完全な育児放棄ネグレクトであり、親以前に人として最悪な行為ではあるのだが、刑事上罪に問われることはあまりなく、通告などの行政上の措置に留まることがほとんどだ。

 というのも、育児放棄は児童虐待として扱われ児童虐待防止法違反に引っかかるのだが、法による育児放棄の定義は、


『児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置』

『保護者以外の同居人による前二号又は次号に掲げる行為と同様の行為の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること』


 となっており、食事を与え自由行動させている分には育児放棄と判定されないのである。


 普通の人間であればこのくらいの頭は働くハズなので、ニュースなどで表に出ているのは本当に常識のない人間が起こしたケースだけであり、実際の被害者はもっと多いと思われる。


 こういった場合近所の住民が通報してくれればいいのだが、昨今はご近所同士の関係も希薄になり、他所の家庭事情には口を出さないような風潮になりつつあるため、地域によっては期待できない場合も少なくない。


 こうなってくると児童相談所等が頼りとなるのだが、子どもが学校にも行ってなかったりすると結局発覚がかなり遅れることになってしまう。

 不登校についても、学校教育法としては子ども自身が登校しようとしない場合は施行されないため、余程のことがなければ保護者が処罰されることはない。

 その点で、日本は遅れていると言わざるを得ないだろう。

 アメリカを始め、いくつかの外国ではそもそも不登校が違法扱いとなるからだ。


 例えばアメリカでは、子どもが義務教育である小学校・中学校・高等学校に行かないという状態は違法であり、親の責任が厳しく問われることとなる。

 子どもが学校に何日も行っていないという理由で、罰金を命じられることもあるのだ。


 もちろん不登校だからといっていきなり罰則が発生するワケではなく、子どもがある程度の日数を学校に行っていない場合は、まず学校側の介入が迅速に始まる。

 日本の場合は教師が本人を説得したり、親に働きかけたりという対処がほとんどだが、アメリカでは専門家が学校と家庭にかなりの部分まで介入してくるのだ。

 これが必ずしも日本にそのまま導入すべき制度とまでは思わないが、少なくともアメリカのように国自体の意識がしっかりしていれば、事実上の放置については防げるのでは……と思ってしまう。



 私は今、大学で教育について学んでいる身だ。

 だからこそ、あの子のような放置されている(ように見える)子を見ると胸の中がモヤモヤするのかもしれない。

 個人的には放置している時点で保護責任者遺棄罪が適用されてもいいと思うのだが、この法律違反は放置の結果何かが起きてからでなければ基本的に成立しない。

 ……何かが起きてからでは、遅いというのに。



(……もう、自分から声をかけてしまおうかな?)



 あの子を見るようになってから、もう二週間近く経っている。

 その間、親を見かけることは一切なく、近くの住人が声をかけている姿も見たことがない。

 ……まあ、その気持ちはよく理解できる。

 今時、迂闊に小さな子どもに近づいたり声をかけると、それだけで通報案件になってしまうからだ。

 それがなければ、私もとっくに声をかけていただろう。


 私の場合、性別的に通報される可能性は低いと思われるが、子どもの反応次第ではあり得ない話ではない。

 最低限の教育を受けている場合、知らない人に声をかけられたら警戒するよう注意されているかもしれないし、事情があって一人でいる場合逃げられたり泣かれたりする可能性もある。

 もしそれを誰かに目撃されれば、通報されたとしてもおかしくはないだろう。


 こういった意識は昔と違い良い面もあるが、逆に子どもの危機を救えない要因にもなる反面があるから難しい話だ。

 昨今はあちこちに監視カメラなどが存在するため事件が早期解決することも多いが、逆に監視の目を恐れて迂闊に善意の行動をとれないと思う人も多いだろう。

 監視社会になった現代の、痒い所に手が届かない例とも言える。


 ただ、この場所は住宅地から少し離れていることもあり、人の目も少なければ監視カメラが設置されている可能性も少ない場所だ。

 誘拐者目線になれば、絶好のスポットと言ってもいいかもしれない。

 もし誰かがあの子に目を付けていた場合、安全と判断し、そろそろ行動に出る可能性もある。



(……よし、やっぱり声をかけよう)



 私自身やましいことはないのだし、通報されたとしても潔白は証明できるハズだ。

 時間的ロスや、学校への連絡などもされるかもしれないが、その程度のことであの子の安全が保てるのであれば大した痛手でもない。

 むしろ、結果的に私の精神衛生上プラスになるだろう。



『んに”ゃぁ!』


「っ!?」



 声をかけようと決心した私が子どもに近づこうとすると、しゃがんで何か・・をしている子どもの前方から、生き物の鳴き声? が聞こえた。

 それも、まるで、断末魔のような――



「ひっ!?」



 想像した瞬間、思わず声が出てしまった。

 それに気づいたのか、子どもの動きが止まる。

 そしてその子は、ゆっくり、ゆっくりと、こちらに振り返った。



「……お姉さん、誰?」



 振り返ったその子は、想像していたよりもずっと可愛らしい声で私に声をかけてくる。



(え? もしかして女の子、なの……?)



 私は服装からてっきり男の子かと思っていたが、その顔は声と同様にとても可愛らしかった。

 このくらいの年齢だと性別の見分けがつかない子もいるので確信はないが、声や口調なども含めて考えると女の子である可能性が高い……と思う。


 これは口に出せば男女差別的に捉えられてしまうかもしれないけど、私は正直少しホッとしてしまった。

 さっき想像した最悪の可能性も、女の子であれば低いと思ったからだ。

 動揺から回復した私は、笑顔を作って少女の問いに答える。



「こんばんは、お嬢ちゃん。私は、近所に住んでいる学生の城所 木乃美きどころこのみっていいます。お嬢ちゃんは?」


「私は……、迷夢めいむ


「メイムちゃん……、可愛い名前だね」



 一体どんな字なのかはわからないが、現代の名前は変わった当て字を使うことも多いので想像できない。

 ただ、キラキラネームとまでは言わないが、少し変わった名前に思える。



「メイムちゃんは、ここで何をしてたの?」


「一人で遊んでた」



 少し近付いてメイムちゃんの前を確認したが、そこには何もなかった。

 想像した状況でないと確認でき安心した半面、じゃあ何をしていたのかという疑問が湧いてくる。



「遊んでって、どんな遊び?」


「お絵かき」



 言われてメイムちゃんの足元を見てみると、確かに何か不思議な絵や文字が描かれていた。

 正直何の絵かさっぱりわからず少し不気味な感じがしたが、子どもの描く絵に疑問を抱いても仕方がないだろう。



「お絵かきしてたんだ。でも、こんな所で一人でお絵かきしてると危ないよ? お絵かきならお家でしちゃダメなの?」


「……ママが、家にいると邪魔だから、外にいろって」


「……」



 やはり、この子の親は……

 私にも歳の離れた弟がいるので、子どもがいると家事が大変になる気持ちは少し理解できる。

 しかし、だからと言って責任を放棄して子どもの面倒を見ないという理由にはならない。

 ……いや、私はまだ「家事している」前提で理解を示そうとしている辺り甘いという可能性もある。

 実態は、もっと酷い状況ということもあり得るのだ。


 何はともあれ、さっきまで胸の中でモヤモヤしていた気持ちが確信に至ったことで、私の中には怒りの感情が芽生えていた。

 この子の親には、どうしても文句を言ってやりたい。



「ねぇ、やっぱりこんな時間に子どもが一人で遊んでいるのは危ないよ。お姉さんがママを説得するから、一緒に帰ろう?」


「……うん、わかった」



 そう返事をして、メイムちゃんは先行してトコトコと歩き出す。

 子どもは急に走り出したりするので、私は離されないようそのすぐ後ろに付いて歩いた。


 声かけをして一緒に行動するというのは完全に事案レベルだとは思うが、女の私が女児を誘拐するのはあまりないケースなので、恐らく通報されたとしてもすぐに誤解は解けるハズ。

 ……いや、できれば通報もされたくないけど。





















「ここが、メイムちゃんのお家?」


「うん」



 メイムちゃんのお家は、空き地から5分ほど歩いた先にあった。

 少し入り組んだ場所にあり、住んでいる人以外は通らないような道を通ったため、幸か不幸か人とすれ違うことはなかった。

 ご近所の人を見かけたら不信感を与えないよう積極的に挨拶をしようと思っていただけに、少し拍子抜けである。

 いや、拍子抜けというより、違和感を抱いたという方が正しいかもしれない。

 夏の夕暮れ時に、こんなに人とすれ違わないのも珍しいからだ。



「どうぞ」



 メイムちゃんがドアを開き、家の中に招き入れるよう手を引いてくる。

 しかし、文句を言いに来たとはいえ、流石に他人の家にいきなり踏み入る気にはならない。



「メイムちゃん、お姉さんはここで待ってるから、まずはママを呼んできてくれないかな?」


「ママは動けない」


「っ!?」



 それはもしかして、病気などでせっているということだろうか?

 そうであれば、全然話が変わってくる。

 確かによくよく考えてみれば、急にここ最近メイムちゃんを見かけるようになったこと自体不自然だった。

 最初から放置するような親であれば、もっと前から近所で有名になっていてもおかしくないからだ。

 ……私は、とんだ思い違いをしたのかもしれない。



「ママのところに案内して!」


「うん」



 本当に動けない状態なのであれば、事態は深刻だ。

 病院にも行けないようなレベルともなると、最悪の場合――、いや、状況を想定するよりまずは確認をすべきだろう。


 メイムちゃんはパッと靴を脱いで玄関を上がり、小走りで奥の扉へ入っていく。

 私はブーツだったのですぐには追えず、十数秒ほど遅れて部屋の中に入った。

 しかし――、



「……あれ? メイムちゃん?」



 部屋の中――リビングには、メイムちゃんの姿はなかった。

 ただ、僅かながら異臭が漂っている。

 嗅いだことがないのでこれが死臭かはわからないけど、先程一瞬頭を過った最悪のケースが現実のものになるかもしれない。

 私は、足元に人が倒れていないか注意しつつ、恐る恐るリビングの中を進む。





 バタン!





「ひぃっ!?」



 突然、背後から扉が閉まる大きな音が聞こえる。

 もしかしたらメイムちゃんが扉を閉めたのかと思い振り返ると――、



 そこには、






 髭面の大男が立っていた。



「キャアアアアアァァァァーーーーーッッッッ!!!!」



 私は、自分でもビックリするほどの叫び声上げて尻もちをついた。

 完全に腰が抜けてしまったが、それでもその場から逃げようとお尻を滑らせて後退あとずさる。



「だ、誰――っ!?」



 誰か助けてと叫ぼうとした瞬間、視界に入った光景に息を呑む。


 台所の前に、裸の女性が複数人寝かせられていたからだ。


 薄暗くて顔はわからないが、体格に大きく差があるので年齢はバラバラのようである。

 特に一番手前に横たえられている子は、まだ体も小さく幼い――――えっ?



「メ、メイム、ちゃん……?」



 最初は気づかなかったが、その少女は見覚えのある体格と髪型をしていた。

 まさかと思い目を凝らして顔を確認すると、それは紛れもなく、さっきまで一緒にいたメイムちゃんの顔であった。

 一体、どうして……?



「ぐふっ、ぐふっ、ぐふっ……」


「っ!」



 腹の底から響くような重い嗤い声が、メイムちゃんの姿を見て動揺していた意識を引き戻す。

 二チャリと汚らしく唇を舐め回す姿に、生理的嫌悪感と恐怖の入り混じった怖気おぞけが全身を駆け巡る。

 今度は意識的に叫び声を上げようとするが……、何故か声が出なかった。

 いや、声自体は出ているようだが、自分には骨伝導でわかるだけで、多分外に音が響いていない。

 これでは助けが呼べないし、もしかしたらさっきの叫び声も外に漏れていない可能性がある。



「っ! っっっ~~~~~!?」



 何が起きているのかわからず、絶望的な恐怖でパニック状態に陥りかけていた。


 そして、大男がゆっくりと近づいてくる。


 慌てて逃げようとするも足には力が入らず、壁際まで来てしまったため、これ以上後ろに下がることもできない。

 逃げ出すことができない以上何か身を守る手段を考えなければいけないのに、私の頭の中は何故か別の疑問で埋め尽くされていた。



 メイムちゃんも同じように襲われたのだろうか?

 ……いや、さっきまでメイムちゃんは服を着ていた。

 物音も立てずに、この僅かな時間の間で服を脱がして意識を奪えるのだろうか?


 その前に、メイムちゃんは私を騙してこの家に招き入れたのだろうか?

 ママは?

 ……そもそも、アレは本当にメイムちゃんだったのか?



 わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない

 、わからない、わからない、わからない、わからない、わからな――



「ぐふっ」



 大男に組み敷かれ、現実逃避するよう疑問に溺れていた意識が、粘り気の強い嗤い声で少しだけ覚醒する。

 そのお陰か、人間とは思えない重い声がハッキリと聞こえた。



「や”っばり”ごの”じがん”ば ごどぼがい”ぢばん”づれ”る”」



 聞こえたのだが、言葉の意味が理解できなかった。

 考えようとしても、大男から漂う異臭が気になって集中ができない。


 それどころか、だんだんと意識が遠のいて――
















――――――――――――――――――――――――――――――――――

「おや長村さん、今日も釣りですか?」


「ええ、最近ルアーフィッシュに凝ってまして」


「ルアーですか。最近流行ってますよね」


「ハハ、まあ最近と言っても20年以上前から流行っていた気もしますがね」


「ハハハ! 歳をとってくると、20年以上前のことでも最近に思えますからね! それにしてもルアーっていうのはこんな川でも釣れるもんなんですか?」


「釣れますよ。時間帯によってどの餌が効果的か変わるんで、結構面白いです」


「へ~、それじゃ今だとどんな感じのルアーがいいんです?」






「……そうですねぇ、今は夕方なので、コレなんかが一番連れますよ」





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