第10話

 ――陽毬へ


 手紙なんて、ぜんぜん書いたことないからちょっと緊張しちゃうけど……まぁ相手は陽毬だしな。

 形式とかぐちゃぐちゃでも、許してよね。

 この手紙は、俺が死んで三年以上経ってから渡してとお母さんに頼んであります。理由は、まぁ……三年くらいは俺のこと覚えててほしいから?

 というのはまぁ半分冗談で、半分本気だったりする。

 まぁ、のんびり聞いてよ。


 俺は、幼い頃から心臓の病を患ってた。入退院なんて日常茶飯事で、手術も何度も繰り返したよ。

 絶望なんて知らない。だって、希望を抱いたことすらなかったから。

 不安定な生の中で、俺は必死に、一本の藁に縋り付くようにして生きてた。

 同世代のみんなは太陽の下で元気に駆け回っているのに、俺はいつだって薬液の匂いに満たされた白い箱の中に押し込まれていて、あまりにも清潔過ぎるシーツに包まれて眠る毎日。

 楽しいことなんて、なにもなかった。心が動くことなんて、まずなかった。

 親の涙を見るたび、俺は一体、なんのために生まれてきたんだろうって思ってた。

 十七歳の冬、とうとう余命宣告を受けた俺は、長く閉じ込められていた白い箱から初めて出ることを許された。

 生まれてからずっと俺をがんじがらめにしていた縄は、皮肉にも俺の死が決定事項になった途端に俺を自由にしたんだ。笑っちゃうよね。

 退院してからは、やけくそになって毎日遊んだ。

 髪を染めて、着てみたかった高校の制服に袖を通して、当たり前のようにみんなと同じ学校生活を謳歌した。

 そんなとき、陽毬――君に出会ったんだよ。

 初めて陽毬を見たとき、胸がすごくざわめいたんだ。

 たぶんこの感情は、みんなが当たり前にしてるもの。だけど、俺には絶対に許されないもの。

 初恋だった。

 友達もつくらず、バイトもせず、毎日飽きもせずにただひたすら勉強する陽毬を見て、最初は変わった女の子だなって思ってたんだ。

 だけど同時に、すごく気になった。

 君はまるで、入院中の俺のようだったから。

 陽毬もまた見えないなにかに縛られて、身動きが取れなくなっているんじゃないかなって、直感的に気付いた。

 陽毬に出会って、俺は確信したんだ。俺が生まれてきたのはきっと、この子を助けるためなんだって。

 それからは、たくさん話しかけた。ウザがられてることは分かっていたけど、話しかけた。だって、もっと君のことが知りたかったから。

 迷惑そうな顔も、困ったような顔も、戸惑う顔も、はにかんだ顔も……ぜんぶ可愛かった。

 陽毬の過去を聞いたときは、どうしようもなく胸が苦しくなった。

 あのときたぶん俺は、陽毬の気持ちに寄り添ったんじゃなくて、お姉さんの気持ちになってしまったんだと思う。

 こんなに可愛い妹を置いていかなければならなかったお姉さんは、どんなに無念だっただろう。自分の存在のせいで、最愛の妹がこんなに苦しんでいるなんて知ったら、どんなに胸を痛めるだろうって。

 ……だってさ。

 俺も、俺がいなくなったあと、お母さんとお父さんを落ち込ませちゃうんだろうなっていうことが、いちばん怖かったんだ。

 案の定陽毬はお姉さんの死に縛られていて、窒息しかけてた。

 陽毬。

 陽毬は、陽毬だよ。

 ほかのだれかになろうなんて思わなくていいんだ。生きてるだけでいいんだ。

 お姉さんはそんなこと、絶対望んでない。

 たとえ家族がばらばらになったって、家族が消えるわけじゃないんだよ。

 離れていたって、家族は家族。

 だからなにも怖くない。

 陽毬が叫べば、きっとお父さんもお母さんも一目散に飛んできてくれるから。

 俺だって、飛んでくから。

 だから君は、どうか君のままでいて。

 俺たちはどんなに頑張ったって、ほかのだれかになんてなれっこないんだ。

 残された人間は、どんなに辛くても、惨めでも、無様でも、自分を生きるしかないんだよ。

 俺は陽毬と出会ってから、陽毬の笑顔に何度も救われた。

 陽毬が学校に来なくなって、めちゃくちゃ寂しかった。

 残されるってこういうことなんだって、絶望ってこんなに苦しいんだって……初めて残される側の気持ちが分かったよ。

 俺にいろんな感情を教えてくれてありがとう。本当に、ありがとう。

 最後まで寄り添えないのに、好きになってごめん。悲しませてごめん。苦しませてごめん。

 優しい陽毬のことだから、きっと俺が死んだらまた落ち込むよね。

 落ち込んでくれるのは嬉しいけど、落ち込み過ぎはよくない。

 だって、人生は一度きりなんだよ。

 俺は俺の人生を精一杯生きたって、自信を持って言える。陽毬を愛せたし、家族にもちゃんとありがとうって言えた。

 後悔がないわけじゃない。でもたぶん、生きるってそういうことだと思うんだ。

 後悔があるからひとは成長できるんだ。優しくなれるんだ。

 俺は、陽毬と出会えたことで自分の人生に意味があったってことが分かったよ。陽毬のおかげで、こんなにも幸せな最期を迎えられた。なんにも文句なんてない。

 だからね、お願い。

 俺がいなくなっても、あんまり悲しまないで。少しだけ悲しんだら、ちゃんと前を向いて生きて。陽毬は陽毬の人生を生きて。

 顔を上げなきゃ、季節が過ぎるのなんてあっという間だよ。あっという間にしわしわのおばあちゃんになっちゃうんだから。

 大丈夫。

 なんにも怖くないよ。

 顔を上げたら絶対、君を見つめてくれるひとがいるはずだから。

 俺が保証するから。

 これからの陽毬の未来がどうか、明るいものでありますように。

 俺は一足先に神様になって、陽毬の幸せを祈っています。

 またいつか会えたらそのときは、お互い笑顔で語り合えますように。


 ――立花爽

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