第2話
最初の貴族から釉薬付きの皿の依頼を受けてから一年、途切れることなく依頼が続いたためジーナ達の生活は上向き、年に一度本を買ってもらえるようになった。
王立図書館に通える年齢になるまであと三年、納品のために出向いた先で身元保証人になってくれそうな貴族も何人か目星を付けている。
その日を心待ちにして今日も仕事の手伝いに励んでいたジーナは、得意先の執事に呼び止められた。
主人から話があると言われて、何か粗相でもしただろうかと不安に思うジーナだったが、お茶とお菓子でもてなされたことから悪い話ではないかもしれないと警戒を緩めた。
「やあ、君がジーナか。聡明なお嬢さんだと聞いているよ。こういう物に興味はあるかな?」
まさか当主が現れるとは思わず驚くジーナだったが、スカルバ男爵が差し出した一冊の本に目が釘付けになる。
『陶磁器の歴史と変遷』
正直なところ陶磁器や歴史に特別興味があると言うわけではなく、そこに書かれてあるだろう知識と読み応えのありそうな厚みに読書欲が一気に高まるのが分かる。
無意識に手を出しかけて、高価な専門書であることを思い出せたのは不幸中の幸いだった。
「もしかしてこの文字が読めるだけでなく、意味も分かるのか?それなら一週間貸してあげよう。代わりに返しに来た時にこの本の内容について少し話をしたいのだけど、いいかな?」
「――承知いたしました。ありがとうございます!」
こんな高級品を預かって良いのか、何か裏があるのでないか。そんな考えがよぎらないでもなかったが、下手な質問をして借りられなくなったらきっと一生後悔する。そんな気持ちで即答したジーナだったが、一生とは言えないまでも後悔したのも確かだった。
「君、うちの養女にならないか?」
本を返却し約束通り本の内容について熱く語っていると、不意にスカルバ男爵からそんな提案をされた。提案というより、貴族から平民のそれは命令に近い。
「……理由をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」
表情を曇らせるジーナとは反対に、男爵は機嫌が良さそうに理由を教えてくれた。
「ジーナは難しい専門書を読みこなすし、理論的な思考を持っていて、さらには言葉遣いもしっかりしているからね。そういう聡明な子供に教育を施すことで、君にとっては不自由のない暮らしと身分を、私にとっては優秀な人材を確保できるというお互いに利のある話だと思っているよ」
男爵の話は嘘ではないが、養女にする一番の理由について触れてはいない。
(まだ幼いうちに淑女教育を施せば、平民であっても高位貴族との政略結婚も可能ということね)
ただの人材確保であれば、使用人として雇用すればよく、わざわざ養女に迎える必要はない。
生粋の貴族の血にこだわる者もいるそうだが、貴族同士の婚姻はさまざまな柵もあり容易でない場合も多く、金銭や能力を優先して考える者も多いそうだ。
正直なところ本を読める環境は嬉しいが、図書館があればそちらで事足りる。それよりも貴族の不自由さや因習、面倒な人間関係による不利益のほうが大きいだろう。
「……お父さんとお母さんと離れたくないんです」
前世で見た犬と少女の感動物語を思いだせば、じわりと涙がにじんでくる。落ち着いた所作や聡明さを見込んでいるのであれば、子供らしい一面を見せれば失望してくれるかもしれない。それだけでは不十分だろうが、今は考える時間を稼ぐことが先決だ。
「養女になれば貴族学園に通えるから、図書室を利用できるよ?学園内には研究室もあるし、学びの幅も広がるだろう」
図書室の言葉に思わず意識がそちらに向かい、涙がすっと引いた。
しまったと思うも、男爵は何事もなかったかのようにジーナの返事を待っていることから、嘘泣きだとバレていたのだろう。貴族学園は盲点だったが、それならばとジーナは反論することにした。
「貴族にならなくても特待生制度がありますよね?あれなら平民のままでも通えるはずです」
「うん、だけどそれには貴族の後見人が必要だ。一定の礼儀作法を身に付けていなければトラブルの元になるからね」
男爵の口調は穏やかなものだが、ジーナが興味を持ったと感じたのか面白がるような表情を浮かべている。直接的ではないものの貴族の権力を仄めかして、どう出るか見定めようとしている気がした。
「スカルバ領産の茶葉は、天候不良によりあまり品質が良くなかったそうですね」
すっと男爵の眼差しが冷ややかになったのが分かったが、ジーナとしてはここで引くわけにはいかない。
「もし、その分の損失を埋めることが出来れば、養女ではなく後見人としてご検討いただけますか?」
「話を聞かせてもらおうか」
上手く事が運ぶ確率は半々だが、ジーナは前世の知識を総動員して男爵を納得させるべく説明を始めた。
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