第15話
「この部屋は予約制なのですか?」
「悪いが高貴な方が利用中のため通すわけにはいかないんだ」
まだ幼さが滲む少女の問いかけに答える従者の声が聞こえたのは、ちょうど一区切りついた時だった。
「何時頃であれば利用できますか?調べ物のために必要な本があるのです」
なおも食い下がる少女にローレンツは少しだけ興味を覚えた。専門書しか収められていない閲覧室に、そのような年代の少女が必要な本があるとは思えない。だが先ほどの声は、偶然を装って会いにくる令嬢たちにはない真摯な響きがあった。
「フレッド、ここは公共施設だ。入ってもらって構わないよ」
近づいてくる衣擦れの音はローレンツの姿が見える一歩前の書架で止まる。何度か本を出し入れする音が聞こえると、衣擦れの音が遠ざかっていく。
入れ替わりにフレッドが現れて、頭を下げる。
「止められず申し訳ございません。ご支障はございませんか?」
「許可したのは私だから気にしなくていい。どんな子だった?」
ローレンツの問いかけにフレッドは僅かに眉を寄せた。怒っているわけではなく、困惑しているのだと分かる程度に付き合いは長い。
「学生でしたが、所持品から平民だと推察いたしました」
特待生であれば優秀なことに間違いはなく、専門書を求めるのも納得だ。再び書物に向かい合えばその少女のこともすぐに忘れたが、帰る際に学習スペースの端で猛然とノートに何かを書き留めている制服の少女を見て閲覧室に来た子だと直感した。
何を記しているのだろうかと気になったが、流石に声を掛けるのは不躾だろう。
それから何度となく図書館で少女の姿を見かけるようになったが、ある時を境にその姿が見えなくなった。
調べ物のために一時的に利用していただけなのだろう。少々気に掛かるが、調べるほどのことでもない。
そう考えていたローレンツが、妙な落とし物を拾ったのは初夏の頃だ。
(これは……鳥かな?)
左右対称の翼に立体的な作りにローレンツは思わず手にとって観察していた。後ろに控えているフレッドは不審物ではと警戒していたが、中には何も入っている様子もない。
ところが翼の端に小さく中を開くよう指示するメッセージを見つけたため、破かないように慎重に紙を解いていく。
そこに書かれていたのは電気を用いた道具について説明した文章で、ローレンツは気づけば何度も内容に目を通し、その製作方法について考えていた。
文章は途中で終わっていることから、これの続きがどこかにあるはずだ。その考えは間違っておらず、同じような紙で作られた花を発見し、中を開くと今度は別の道具について綴られているではないか。
文章が中途半端なところから始まっていたことから、自分がいくつかの紙を見逃している可能性に気づいた。たかが紙ではあるが、可愛らしい造作はそのまま捨ててしまうには惜しく感じるのではないだろうか。
受付に訊ねたところ、落とし物として保管されていた物を回収した。最初は確信がなかったものの、明らかに専門的な内容は研究者であるローレンツに向けられたものに違いない。
翌日渋るフレッドとともに早朝から待ち伏せすることにした。四角い立体の紙をそっと門の側に置く少女の姿を見てもローレンツが驚かなかったのは、心のどこかで期待していたからかもしれない。
「こんにちは、お嬢さん。直接受け取っても構わないかい?」
「王弟殿下にお声掛けいただき、光栄に存じますわ」
驚きの表情を浮かべたのは一瞬で、すぐにきりりとした真剣な表情に変わる。強い意志を称えた眼差しがとても印象的だった。
ジーナの説明は理路整然としていて、淡々と事実を告げているように感じた。図書館に急に姿を見せなくなった理由も分かり彼女の状況に同情したものの、それだけでは王弟として動く理由にはなり得ない。不幸な境遇の者などいくらでもいるし、その全てに手を差し伸べていてはきりがないのだ。
「証拠はあっても確実なものではなく、また身分差ゆえに私の証言は届かないでしょう」
残念ながらそれは事実だ。ましてや学生同士の諍いを大げさに騒ぎ立てたとして、名誉棄損を訴えられる可能性もある。
「ですがこのまま冤罪を晴らさなければ、平民には何をしても良いという認識が罷り通ってしまい倫理観の低下を招きますし、私の図書館への出入りも禁止されたままです」
最後の言葉にはやけに力が入っていたが、そちらが本命ではないだろうか。
「無実を晴らすためにご助力いただけるのであれば、折り紙に書かれた道具について私の持っている知識を王弟殿下にお伝えいたします」
研究にしか興味がないと言われるローレンツだが、これでもまだ王位継承権を持つ王族である。政治も社交も不得手だという理由でローレンツを侮り、懐柔しようとする貴族も過去には存在したが、知識を餌にされたのは初めてだ。
「君の知識にそれだけの価値があるのかな?」
にこやかに告げれば、ジーナは不敵な笑みを浮かべた。
「既にお示しした内容にご満足いただけないのでしたら結構です。この国で自由に本を読む権利が得られないのであれば、隣国でこの知識を活かすしかありません」
立ち上がり一礼するジーナを見て、ローレンツは両手を上げた。
「君の勝ちだよ、ジーナ嬢。喜んで協力させてもらおう」
ほっとしたように表情を緩めたジーナは、先ほどまでの大人びた態度から一転して年相応の少女に見えた。
夏季休暇の間、ローレンツは王弟権限でジーナの出入禁止を解除させ、図書館の一角で情報交換の場を設けた。と言ってもお互いに自由に本を読むことが多く、時折理論の構築や実証方法などについて意見を交わす。刺激的な会話と居心地の良い空間をローレンツはすっかり気に入ってしまった。
ジーナの持つ知識や聡明さだけでなく、何気ない仕草や言動も微笑ましく思うようになり、二人でいる時間が終わってしまうのだと思えば焦燥感や喪失感に似た感情が湧く。
ジーナと一緒にいるためにはどうしたらよいか。
ジーナの計画に便乗するように、ローレンツは事を進めることにした。
兄である国王と面談し、平民の少女に協力する旨を明かせば、顔を顰められた。
「ヴィルヘルムも関わっているのだろう。流石に平民に頭を下げれば王族の威信や影響力の低下が危ぶまれるぞ」
「ずっと優等生だったからこそ、良くない方向に転がりかねません。今回のことは良いきっかけになるでしょう」
甥のことを思ってのことだと告げるものの、それだけでは容認できないのだろう。そのためローレンツはもう一つ情報を追加することにした。
「ジーナ嬢は冤罪が晴れなければ隣国行きも視野に入れているそうです。その場合は私も同行するつもりです」
さらりと告げられた発言に、国王は目を剥くことになる。政治には関わっていないものの、ローレンツの研究結果はバルバート王国に多大な貢献を与えていた。隣国よりも遅れてはいるものの、ローレンツのおかげで国全体の生活水準はここ数年上昇傾向にある。
ローレンツが王族でありながら一切の政治や社交を免除されているのはそのためだった。
かくしてローレンツは兄の協力を取り付け、ジーナのために最高の舞台を整えたのだ。
(在学中に研究室を作っておいて幸いだった)
学園が始まればジーナと会う機会が減ってしまうと考えていたが、ローレンツはヴィルヘルムの提案を逆手にとって、学園内に立ち入る許可を得た。
あの場で牽制としてパートナーという言葉を使ったが、部外者が立ち入れない学園でジーナを取り込もうとする輩が現れないとは限らない。
ローレンツが密かに警戒していたのは、ジーナに好意を寄せているラトルテ侯爵令息だったが、謝罪を受け入れる代わりに二度と関わらない旨を約束させたそうだ。
あの場では糾弾することもなく、庇うような言動を取っていたため意外だった。
「悪い方ではないですが、あの方に時間を割くよりもローレンツ様の研究のお手伝いや本を読むことを優先したいので」
本の続きが気になるのか、気もそぞろな様で答えたジーナの言葉にローレンツは目を瞠った。ジーナにとって最優先事項である読書と同列に研究の手伝いを挙げたことが衝撃的だったのだ。
嫌がられてはいないとは思っていたが、ジーナも無意識に一緒に過ごす時間を心地よく感じてくれていたらしい。本に夢中なジーナを見ながら、ローレンツは幸福感に顔を緩めた。
(それなら焦る必要はないかな)
二年という歳月を掛けて、ジーナの功績を周囲に認めさせながらローレンツは外堀を埋めていく。そうして卒業間際、ジーナは想定外だと呟きながらも真っ赤な顔でローレンツの想いを受け入れたのだった。
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