第5話

(次は何の本を読もうかしら)


昨日読み終わったイーサン・ブロックの本も素晴らしく、その余韻に浸れば幸福感に口元が緩む。広大な王立図書館では読書に最適な中庭やゆとりのある読書スペースが各所に設けられており、ジーナは人目を気にすることもなく閉館時間までゆっくりと読書を楽しんでいた。


隣国の伝統工芸についての書かれた本を読んでいると、ふと思いついたことがありノートに書きだしていく。隣国の技術革新は目覚ましく、ジーナも前世の記憶に家電製品などの知識があればひと財産築くことが出来ただろう。

大きなものは無理でも小さなものならと応用できそうな物とその仕組みなどを連ねていくうちに、あっという間に時間になった。


卒業後はどこかに就職しないといけないが、まだどんな仕事に就くかは決めていない。何かの役に立てばいいなという軽い気持ちだったが、実用化されたらどうなるだろうと考えるとわくわくした気持ちになるのだ。

唯一惜しむべくはジーナが不器用だということだが、アイデア次第では自分にも作れるものがあるかもしれないと前向きな気持ちでジーナは家路へと着いた。



翌朝、いつものように教室に入れば、どこか遠巻きに自分を見つめるクラスメイトの姿があった。よそよそしく不穏な雰囲気にジーナは机を確認したが、特に異変はない。


(身の回りの物は無事だし、他の貴族の方たちと特に問題も起こしていないわ……)


教科書を水浸しにされて以降、目立った嫌がらせや陰口は沈静化していたため正直なところ油断していたが、思い当たることがない。


「ジーナ嬢、話がある。付いて来てもらおう」


居丈高な口調が気になったが、相手はヴィルヘルムの従者で、確か生徒会の一員でもあるエリゼオ・ヴァーレン伯爵令息だ。あまり良い話ではなさそうだが、ジーナに拒否権はない。


生徒会室に連れて行かれるとそこにはヴィルヘルムとブリュンヒルト、そして名前を知らない令嬢が待っていた。手に巻いた白い包帯がやけに目に付いたが、エリゼオの声にジーナは顔を上げた。


「昨日の放課後、どこにいた」

「温室横の物置の掃除をして、王立図書館に立ち寄ったあと帰宅いたしました」


詰問口調に辟易しながらも、平坦な口調で答えればエリゼオは眉を顰めた。


「何故物置の掃除などをする必要がある?正直に答えないと立場を悪くするだけだぞ」

「理由は私にも分かりかねますわ。当番制だと伺いましたので、掃除したまでですから」


答えながらもジーナはじわじわと嫌な予感を覚えていた。同じクラスの男爵令嬢から急に当番だと告げられて、単純に面倒だからと掃除を押し付けられただけだと考えていたが、恐らくもっと厄介なものに巻き込まれているに違いない。


「昨日クラウディア・アドルナート伯爵令嬢が薬品を浴びて怪我を負った。使われた薬品は君が掃除したと主張する物置にあった物と一致している。さらに君には令嬢に恨みがあるそうじゃないか」


軽蔑したように言い放つエリゼオから視線を外し、ブリュンヒルトの横にいる令嬢に目を凝らす。包帯を巻いていることから、恐らく彼女がクラウディア・アドルナート伯爵令嬢に違いないが、恨みも何も見覚えがない。


「……こちらのご令嬢と面識はございませんが」

「まあ白々しいこと。クラウディアがわざわざ貴族の在り方を説いてあげたのに、怖い顔で睨んでいたじゃない」


ブリュンヒルトの言い方から、どうやら絡まれた時に共にいた令嬢の中にクラウディアもいたらしい。


「あの時ご助言頂いたご令嬢の中にアドルナート伯爵令嬢もいらっしゃったのですね。人数が多かったため認識しておらず、失礼いたしました」


いちいち恨んでなどいないが、その時の状況をさりげなく伝えるとともにジーナは頭の中で無実を訴えるためにはどうしたら良いか考えていた。


「薬品を浴びて怪我をしたということですが、どのような状況だったのでしょうか?薬品が入っていたのは瓶ですか?それとも何か革袋などに入れられていたのでしょうか?怪我をされたのは左手だけですか?ああ、それから制服は昨日と同じ物をお召しですか?あと気になるのは――」


「ちょっと待て、質問が多すぎるだろう!というか何故お前がそんなに根ほり葉ほり聞く必要があるのだ!」


矢継ぎ早に訊ねるジーナに、呆然としていたエリゼオが我に返って遮った。


「何故と言われましても、私の無実を証明するために必要なことですので」

「……お前が犯人ではないのか?」


「エリゼオ様、騙されないでくださいませ。こんな野蛮な真似を良識ある貴族子女がするはずがありませんわ」


仮にジーナが仕返しをするとしても、こんなあからさまな真似はしない。もちろんそんなことを口に出せば難癖を付けられるので、事実と推測を口にした。


「私はこの学園に友達がおりません。貴族の繋がりもなく、学年の違うアドルナート伯爵令嬢の予定を把握するのは難しいでしょう。身分違いの私がアドルナート伯爵令嬢に近づけば目立ちますし、偶然出会って犯行に及んだとすれば私はいつも薬品を持ち歩いていることになり、そうなれば私がわざわざ薬品を取りに温室横の物置に出入りする必要もありません」


ジーナがこのように理路整然と反論してくるなど予想外だったのだろう。ブリュンヒルトとエリゼオはぽかんとした表情で固まっている。クラウディアは不安そうに眉を下げていて、そんな中ヴィルヘルムは感情が窺えない表情を保っていることが気になった。


「……クラウディア、貴女何か見たのではないの?!」


苛立ったようにブリュンヒルトがきつい口調で声を上げれば、クラウディアは身体を竦めて申し訳なさそうに言った。


「……突然だったので、制服の一部しか見えず女性だったことしか分からなくて……。咄嗟に顔を庇った左手が熱くなって、痛みと恐怖でうずくまってしまいましたの」


その時の状況を思い出したのか、ぽとりと一粒の涙が零れた。


「クラウディア嬢――!俺が傍にいますから、心配しないでください。か弱い女性をお守りするのが騎士としての役目ですから」


エリゼオが跪いて熱のこもった視線でクラウディアに伝えている。恋愛感情を抱いているというよりも、職務に忠実な自分に酔いしれているような気がした。


「その娘が無実だと言う証拠もありませんわ。犯人かもしれない者を野放しにしておくのですか?」


ジーナを犯人に仕立てようと躍起になっているブリュンヒルトこそ怪しいのだが、平民一人を排除するのにそこまで危険を冒す必要があるのだろうか。


(それに、この方意外と単純な気がするわ……)


「それはこの学園内のご令嬢全員に当てはまることですわ。先ほど申し上げたとおりアドルナート伯爵令嬢の制服に残留した薬品と現場の状況を調べれば、犯人の背丈や利き腕ぐらいは分かるでしょう。あとは犯人にも薬品が付着した可能性がありますから、生徒全員の制服を調べれば手掛かりに繋がるかもしれません」


「あの、そんなに大事になるのなら……もう、大丈夫ですわ。両親に心配を掛けたくありませんの」


不安そうな表情でヴィルヘルムに嘆願したのはクラウディアだ。それはジーナの推測を一つ補強する要素の一つになったが、口にするのは賢明ではない。


「ならばこの件は一旦こちらで預かろう。ジーナ嬢、教室に戻って構わない」


平坦なヴィルヘルムの口調に、ジーナは一礼して生徒会室を後にしたのだった。

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