第3話

へんなにおいがする。

「うーん...?」

目をさますと、くらやみの中に赤くかがやく目が二つあった。わたしと目が合うと、二つの光はまどから出ていった。

なんだかいやな感じがしてわたしはでんきをつけた。

おとうさんとおかあさんのおふとんが赤くなっていて、すごくよごれている。へんなかたまりがたくさんおちていて、サイダーみたいにぱちぱちはじけている。

「おとうさん...?おかあさん...?」

うちの中をさがし回ったけど、おとうさんとおかあさんはいなかった。あさになっていえをとびだして色んなところをさがした。でもいなかった。気がつくと山の中でまいごになっていて、いっきにさびしさがおそってきてわたしはなきだしてしまった。

それでも山みちを歩いて、じんじゃにたどりついた。あるきつかれたので、わたしは近くにあった、町じゅうが見えるがけの木のさくにもたれてすわりこんだ。それからまたないた。

「ねえ、こんなところでなにしてるの?」

とつぜん声をかけられた。かおを上げるとわたしと同い年くらいの二人の女の子がいた。一人はあおいかみで、もう一人はみどりのかみ。わたしはこたえようとしたけど、きゅうにつかれがおそってきて、そのままたおれてねてしまった。

「え!?だ、だいじょうぶ!?」

二人の女の子のしんぱいするこえがきこえたようなきがする。


それが私と鳴々江ちゃん、怜ちゃんとの最初の出会い。

こうして私は新しいお父さんとお母さんのもと、新しい家で暮らすことになった。





――――――――――





「...はっ!」

結実香は目を覚ました。目に飛び込んできたのは見覚えのない天井。そして彼女が眠っていたのもまた知らないベッドだった。

「ここは...?」

目をこすりながら結実香は辺りを見回す。そこはオフィスの会議室のような部屋だった。ホワイトボードと観葉植物、長机と椅子が数個―――そのうちの一つに、知らない女の子が一人ちょこんと座っていた。結実香の寝ているベッドだけがこの部屋で明らかに異質な存在感を放っていた。

蛍光灯が二人を照らしているが窓の外は暗い。今は夜なのだろう。

夜...?夜には自宅にいなければいけない。なんでこんなところに...

「あああああああああ!?」

結実香は思い出した。ずっと自分のそばにいた鳴々江が実は媒介者だったこと。彼女が目の前で人を襲い、血を吸い、殺したこと。そして自分は右腕を斬られ...

「...え?」

結実香は視線を落として目を見開いた。

斬られたはずの右腕が、ある。

(じゃあ、あれは夢...?)

いや違う。

(どういうこと...?これじゃまるで、腕が生えてきたみたい...)

「び、びっくりしたー!急に大きな声出さないでよー!」

そのとき、椅子に座って小瓶を眺めていた少女が目を丸くしてこちらを向く。

「でも目、覚めたんだね!よかったー!」

少女は結実香の隣に駆け寄ってきた。中学二年生くらいだろうか。白いワンピースを纏い銀髪をピンクのリボンでツインテールに結った彼女は、くりくりっとした紫の瞳で結実香を見る。

「『ミネルヴァ』へようこそ!」

「『みねるば』...?」

聞き覚えのない単語に結実香は困惑する。

「それがここの名前なの?」

「うん!そうだよ!」

少女は元気よく答える。笑顔が可愛らしいな、と結実香は思った。

「わたし、花咲 結実香。あなたは?」

「メアリ?メアリはね、メアリって言うの!」

少女の名前はメアリというらしい。顔つきは日本人のように見えるが、ハーフなのだろうか。

(いや、そんなことより今は家に帰らなきゃ...!)

結実香はスマートフォンを取り出し地図アプリを開く。

(あ、意外とうちから近い...)

この距離なら歩いてでも帰れそうだ。

「メアリちゃん、私、もう行くね。うちへ帰らないと」

「えー!?なんで!?今日からここがあなたのおうちなのに!」

メアリは結実香の腕を掴む。

「え...?」

彼女の言葉がよく分からず、困惑する結実香。

「だってあなたも...」

メアリは目を閉じ―――

「私たちと同じ、でしょ?」

そして開かれた彼女の眼は、赤く光っていた。キャリア―ガールズの『裂眼』だ。

「うわあああああああ!?」

結実香は反射的にメアリの手を振り払い、部屋から飛び出した。

どうやらここは使われなくなった会社のオフィスのようだ。結実香は廊下を走り出口を探す。廊下の角を曲がると、突き当たりに明かりのついている部屋がもう一つあった。

結実香は気になってその扉を開ける。そこはオフィスの面影もありながら、雰囲気としてはキッチン付きのリビングと言った方が適切な部屋だった。ソファやテーブル、冷蔵庫に洗濯機、エアコン、テレビが置かれ、ゲーム機も置いてある。ただ、部屋の隅にはなぜか天幕のついた大きなベッドがあった。

部屋にはソファーでファッション雑誌を読む紫のツインテールの女の子とそれより少し年下と思われる水色のショートヘアの女の子、パソコンに向かいせわしなくタイピングしている黒髪ロングで眼鏡の女の子がいた。

加えて、扉が開いた音を聴いたためか、天幕付きベッドから一人の女性が顔をのぞかせた。

「おー起きたのか。エレカの友人さん」

25歳前後の女性だ。掛け布団にくるまってゲーム機を片手に持っている。彼女の紺色の髪は寝癖でボサボサで、いかにも不摂生な印象だ。

「えっと...?そんなことより大変です!そこの部屋に媒介者がいるんです!皆さん早く逃げてください!」

結実香はこの部屋にいる全員に先程見た事実を伝える。

「ん...?その媒介者ってもしかして...」

女性は気だるげにベッドから降りる。掛け布団は体に纏ったままなので非常におかしな格好だ。彼女は結実香の元に歩いてきて、そして―――

「こんな顔してたか?」

赤い牙と目で笑顔を作ってみせた。

「っ...!?」

まさか彼女もキャリアーガールズだったとは。

この距離では逃げ切れない。結実香はとっさに制服のポケットから拳銃を引き抜く。

パン!

「....っ、はぁ、はぁ......」

生まれて初めて結実香は引き金を引いた。反動の衝撃が両手を襲い、手がしびれた。

弾丸は女性の左胸を貫いていた。それを見て一気に、結実香の心に圧倒的な罪悪感が湧き上がってくる。

だが。

「いってー!おいおい、随分血の気の多いヤツだな...!あたしじゃなかったら死んでたぞ、オイ...」

女性は平気な声で毒づきながら右手で弾痕をサッと撫でる。するとその瞬間、彼女の傷はきれいさっぱり治っていた。

「は...!?」

一体どういうことだろうか。結実香は驚愕のあまり固まるしかない。

女性はその隙を見逃さなかった。結実香の制服の襟首を掴み、宙に持ち上げる。

「ぐっ...!」

不摂生そうに見える彼女にこんな力があるとは、結実香も予想外だった。そういえばキャリアーガールズはウイルスが細胞を活性化させる作用の影響で、アスリート並みの身体能力を持っているんだったか。

「よくも恩を仇で返してくれたなぁ?...さあて、『理解らせ』の時間だぜ?」

女性は愉快そうにニヤリと笑う。

もはや絶体絶命かと思われたその時。

「マリねえ!結実香ちゃんを離して!」

部屋の隅からどこかで聞いたような声がした。

「ちっ、なんだよー、面白かったのに」

「うっ...!」

急に解放され、床に崩れ落ちる結実香。

(た、助かった...?)

先程の声のした方向を見て、結実香は目を丸くした。

「鳴々江ちゃん...!?」

結実香を助けたのは鳴々江だった。天幕付きベッドから顔を出し結実香を見つめるその表情は、何とも複雑だった。

しばしの沈黙。それを破ったのは意外にも、「マリ姉」と呼ばれた女性だった。

「...こっちに来て、何か言うことがあるんじゃないか?」

すると鳴々江は一瞬表情をこわばらせた後、結実香の元へ歩いてきた。

「結実香ちゃん。今まで黙っててごめんなさい。私ね、媒介者なの」

「...そう、だったんだ」

やはりあの記憶は夢ではなかったようだ。

「しかもね、私......結実香ちゃんに、裂死病をうつしちゃった。今の結実香ちゃんは、キャリアーガールズなんだよ」

それを聞いて、先程メアリに言われた「私たちと同じ」の意味がやっと分かった。

「キャリアーガールズは血中の抗体活動源物質—――『HAR』の濃度が低くなると、脳をウイルスに支配されたような状態になるのは知ってるよね?...今までバレないように、ちゃんとHARの管理をしてきたはずだったんだけど...たぶんもう私、寿命なのかも」

ショックだ。彼女は今までずっと結実香を騙してきたことになる。いや、結実香だけではない。怜や、一緒に暮らす義父や義母、小春日先生、クラスの皆—――たくさんの人々を、彼女は騙していた。

「...なんで、ずっと騙してたの」

結実香は率直に鳴々江に疑問をぶつける。

「...結実香ちゃんと怜ちゃん、それに学校のみんなと、残された人生を楽しく生きようと思ったから」

絞り出すように、鳴々江は答える。

「」

「私たちは『ミネルヴァ』—――白衛隊の間では割と有名な『病巣クラスター』だよ。そこのマリ姉...もといマリアさんが、ここのリーダー」

「いぇいっ☆リーダーですっ☆」

マリアはウインクしながら両手でピースをする。掛け布団にくるまっているせいで何をしてもシュールだ。

病巣クラスターという単語は聞いたことがある。媒介者はあまり単独行動はせず基本的に何人かのグループを作る。その方が人を襲う際に取り逃がすこともないし、三人で小隊を組んで行動する白衛隊と万が一対峙することになった時、一人では太刀打ちできないからだ。このグループのことを病巣というようになったと、小春日先生が言っていた。

鳴々江は言葉を続ける。

「今まで陰でたくさんの人の血を吸って―――たくさんの人を殺してきた。最低だよね。結実香ちゃんはお父さんとお母さんを媒介者に殺されてるわけだし。なおさら許せないよね」

「......」

あまりに受け止めがたい現実に、結実香は言葉を紡ぐことが出来ない。

「だからね」

鳴々江はポケットから拳銃を取り出した。

「こんな私と友達に―――ううん、家族になってくれて、ありがとう」

そして彼女はその銃口を自分の側頭部に押し当てて―――

「それは違うだろ」

「っ!」

鳴々江が引き金を引こうとした瞬間、ファッション雑誌を読んでいた紫色の髪の少女がリボンを伸ばして銃に巻き付かせ、鳴々江の手から奪い取った。

「ダイヤさん...!」

「逃げるな。それは一番最低な奴がすることだ」

ダイヤと呼ばれた少女は鳴々江から奪った銃を床に捨て、リボンで髪を結い始める。

「おつかれー、ダイヤ。いつも鍛錬しててえらいねぇ」

「マリ姉がたるみ過ぎなだけでしょ」

「...じゃあ、どうしたらいいの...!?こんなの、償い切れるわけない...!それにどうせ私にはもう居場所がないの!だったらいっそ、ここで終わらせて...!」

鳴々江は結実香が見たこともない形相で叫んだ。

「ダメだ。エレカ、あんたがもしその子をキャリアーガールズにしたことに罪悪感を感じているなら...ちゃんとその子の面倒を見ろ。そしてキャリアーガールズとして幸せに残りの人生を生きられるよう尽くせ」

「っ...」

鳴々江は押し黙る。ダイヤの言葉を噛みしめているようだ。

しばらくして、鳴々江は口を開いた。

「結実香ちゃん。明日は白衛隊の基地見学に行く日だよね」

「う、うん...」

「そのときに一緒に美央さんに言おう。私が媒介者で、結実香ちゃんを嚙みましたって」

「......」

それを知って美央は何と言うだろう。結実香のように言葉を失うだろうか。それとも...

「まあ、あんたの人生だ。好きに生きればいい。その子を白衛隊に預けてこのままミネルヴァに残ってもいいし、自首したいならそうすればいい」

ダイヤはそう言い放つと、ソファーに座ってテーブルの上のファッション雑誌を手に取り読み始めた。

「はぁ、相変わらずダイヤはお堅いねぇ。ちなみにその子もうちに引き入れるって手もあるし、メアリはそう思ってるみたいだが...ま、白衛隊に憧れてるってんなら無理そうだな」

マリアはがしがしと頭を搔く。

「いずれにせよ『好きなように生きる』がミネルヴァのモットー。エレカ、あんたがどんな選択肢を取ろうと、あたしたちは尊重するぜ」

そう言いながらマリアはのろのろとベッドに戻る。

「...ありがとう、マリ姉」

鳴々江はそう呟くと、結実香の方へ向き直る。

「うちに帰ろう、結実香ちゃん。...私の正体だけど、明日の基地見学の終わりに、美央さんと三人きりになって明かすっていうのが、一番誰にも迷惑をかけずに済む方法だと思う。だからそれまでは内緒にしておいてほしいの。...今さら信じろなんて無理な話だってのは分かってる。それでもどうか...私の最後のわがままを聞いてほしい」

結実香は考える。

(鳴々江ちゃんが私を襲った時、確かに鳴々江ちゃんは私に何度も逃げるよう言ってた。鳴々江ちゃんも、身の周りの人を襲うつもりはないのかも)

「...分かった」

鳴々江は安心したように笑う。

「ありがとう」

「ミミが見てるとはいえ、白衛隊や同業者には気を付けるんだぞー」

マリアの忠告にうなずいて二人はオフィスを去った。


それから結実香と鳴々江は夜の街を駆け、特に誰かに出会うこともなく家に辿り着いた。夜に出歩くという経験をしたことがない結実香にとって、生まれて初めて見た夜の街は少し幻想的だった。

家に帰ると怜が待ち構えていて、二人をこっぴどく叱った後、泣きながら抱きしめてくれた。義父と義母もかなり心配していたようで、鳴々江が用意した「チンピラに絡まれた」という言い訳はなかなか信じてもらえなかったが、結実香の袖が斬られていることから最終的になんとか押し通すことが出来た。

その後は五人で食卓を囲み、順番にお風呂に入って眠りについた。

鳴々江はこの最後の平穏な夜を噛みしめ、布団の中で静かに泣いた。





――――――――――





翌朝。いつも通り三人は一緒に登校する。

「...」

「...」

「...?」

結実香と鳴々江の様子がおかしいことに、怜はすぐに気付いた。

「朝食の時から思っていたのですが、今日は二人とも元気がありませんね?特に結実香は、『白衛隊の基地が見られる~』なんて言ってうるさくなるだろうと予想していたんですが」

「え?あ、あはは~、もちろん楽しみだよ!」

結実香はなんとか笑顔を作ってみせる。正直鳴々江とはあまり話したくないし、かと言って怜とだけ話しても彼女に怪しまれてしまう。したがって結実香は黙るしかなかった。

無言の通学を続け、やがて三人は校門に設置された「裂死病抗原検査ゲート」の前に辿り着いた。

一、二分ほどスキャンに時間がかかるが、毎日の登校時に生徒が裂死病感染していないかを検査するための合理的なシステムで、陽性が確認された場合職員室と白衛隊に通報が入るようになっているらしい。

しかし問題があった。今、鳴々江と結実香はキャリアーガールズである。これでは通報が入り大事おおごとになってしまう。

「ねえ鳴々江ちゃん、これ、どうすれば...」

そのことに気付いた結実香は、鳴々江に小声で話しかける。

「大丈夫、たぶんミミさんがハッキングしてなんとかしてくれてるはず...」

「ミミさん?」

「うん、昨日パソコンの前に座ってた人」

そういえば確かに、せわしなくタイピングしている黒髪で眼鏡の少女がいたような。(まさかうちの高校の検査ゲートをハッキングしてたなんて...)

鳴々江の予想通り二人の検査結果は陰性となり、あっさり学校内に入ることが出来た。

「でも、今まで鳴々江ちゃんはどうやってこのゲートを突破してたの?」

「それは私の症能が『電気を操る』能力だから。いつも自分の生体電気を調節して上手く誤魔化してたの」

「...」

キャリアーガールズの症能とは恐ろしいものだと結実香は改めて実感する。

「ちょっと、二人で何をコソコソ話しているんですか?」

怜にジト目で睨まれ、結実香と鳴々江は思わずたじろぐ。

「あ、えーっと、この検査って毎日面倒くさいよねって話してたの」

鳴々江はそう言って結実香に目配せする。

「そ、そうそう!昨日もこれ面倒だなぁって思ってたし」

とりあえず結実香は話を合わせることにした。それを聞いて怜はため息をつく。

「面倒なのは分かりますが、検査は自分のためにも、友人や先生に自分の潔白を証明するためにも大事ですから。我慢するしかないでしょう」

「そ、そう...だね」

鳴々江はぎこちなく頷いた。

そして三人は上履きに履き替え、教室に向かった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

キャリアーガールズ @whitekansei0918

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る