第2話
※この章にはグロテスクな表現が含まれます。苦手な方は読むのをお控えください。
結実香と鳴々江はビルの立ち並ぶ街を走り、怜と両親の待つ家を目指す。
「ねえ鳴々江ちゃん、さっきからずっと走りっぱなしだから私ちょっと疲れちゃったよ~...ちょっとそこのカフェで休まない?ほらあのパフェ、めちゃめちゃ美味しそうだよ!」
「ダメだよ結実香ちゃん、今カフェに寄ったりなんかしたら夜になっちゃう。また今度にしよう」
「え~そんなぁ~」
不満そうな声をあげる結実香に、鳴々江は苦笑いする。
「でも、そうだね。私もちょっと疲れたから歩こうか」
「やった~!」
二人の少女らは走るのをやめ、歩くことにした。
その時。
スタッ!
上空から、二人の目の前に何かが落ちてきた。
「うわっ!?」
突然の出来事に驚く二人。
よく見るとそれは人の形をしている。
「『
上空から降り立った白い衣装に身を包んだ一人の少女が喋った。着地した姿勢からゆっくり立ち上がったことでその顔が見える。それは二人のよく見知った顔だった。
「あれ...!?美央さん!?」
「...お前らか!なんでこの時間までうろついてる!?さっさと帰れ!」
上空から落ちてきた、上下ともに白で襟の縁だけ紫色の服の少女―――
「あわわ、美央さん、その、これには深いわけが...」
結実香は慌てて弁明しようとする。
「うるさい。『感染対象年齢の少女は感染防止のため日が暮れるまでに家に帰る』、今までさんざん言い聞かされてきただろ!」
美央は結実香の背後に素早く回り込むと、両こぶしを彼女の側頭部にあててグリグリと回転させる。
「いだだだだだ!?ご、ごめんなさいいぃぃーーっ!?」
「あ、あはは...」
その様子を苦笑いで見守る鳴々江。
「...私にはやらないんですか?」
「ああ。だってお前は結実香の起こした面倒事に巻き込まれただけだろ?」
「ええ!?美央さん、なんで分かるの!?」
美央にグリグリされながら結実香は驚き、理由を尋ねる。
「そりゃお前ら三人のことはずっと見てきたからな。大方、こいつが寝坊でもして居残りでトイレ掃除でもさせられることになったんだろ?それで怜のやつは呆れて帰ってお前は一緒に手伝ってた、ってところか?」
「すごい...!ほとんど合ってます!正確には怜ちゃんも手伝ってたんですけど、帰るとき途中で別れたんです」
まるで一部始終を見ていたかのように予想を的中させた美央に、鳴々江も驚きを隠せなかった。
「ふうん。まあどうでもいい。とにかく...」
そのとき、美央と同じ白い制服を着た少女が二人、裏路地から現れた。
「美央さん、大丈夫ですか...って、あれ、その子たち普通の女の子ですか?」
「ああ、すまない。私の誤解だった。無線を入れるのを忘れていたな。大丈夫だ。持ち場に戻ってくれ」
どうやら彼女らは美央の同僚らしい。
「分かりました。お気をつけて」
彼女たちは音も立てず静かにその場から離れた。
「さて、私も任務に戻らないとな。お前たちも早く帰れ。お義父さんとお義母さんも心配してるだろ」
そう言って美央は結実香を解放する。
「あ、ちょっと待って美央さん!」
「なんだ」
「実は今月ちょーっとばかしお小遣いを使いすぎちゃって...その、美央さんの力で増やしてもらえないかなー、なんて...」
すると、美央の眉がみるみるうちに吊り上がっていく。
「はあぁ!?こんの、バカ結実香!前に言っただろ!私の『
「うひいぃ!わ、分かったよぉ...!」
こっぴどく叱られ、思わず耳をふさいで縮こまる結実香。
「まったく、ほんとにどうしようもない奴だな、お前は...」
美央はポケットから飴を一つ取り出し、結実香に見せる。
「え...?くれるの!?」
「まあ待て」
美央は指を閉じて飴玉を握りしめる。そしてもう一度手を開くと、なんと飴玉は二つになっていた。
「わああ!『症能』だぁ...!」
目を輝かせる結実香を見て、美央も満足そうに口元を緩める。そしてさらにもう一度彼女が飴を握り、開くと、飴は四つになっていた。
「三つ持ってけ。お前らと怜の三人で一つずつだ」
「やったぁ!美央さんありがとう!」
結実香は飴を手に取って制服のポケットに入れ、子供のようにジャンプしてはしゃいだ。
「じゃあ怜ちゃんには私から渡しておきますね。ありがとうございます、美央さん」
鳴々江も美央から飴を二つ受け取る。
「ああ。これからも結実香の世話を頼んだぞ」
美央は鳴々江の頭を優しく撫でる。
「あー!鳴々江ちゃんずるーい!美央さん、私も撫でてよー!」
「はいはい...もう寝坊するんじゃねーぞ」
美央はもう片方の手で結実香の頭を撫でた。結実香のアホ毛が犬のしっぽのように嬉しそうに揺れる。
「さて、良い子はおうちに帰る時間だ。気をつけろよ」
美央は結実香と鳴々江に背を向け、二、三歩歩いてから地面を強く蹴った。彼女の体は空中に舞い上がり、そのまま重力を無視して上昇を続け、彼女はそのまま向かいのビルの屋上に着地し見えなくなった。
「はーい!」
結実香は彼女の去っていったビルに向かってそう叫んだ。
「じゃ、帰ろっか」
結実香は鳴々江の方を向く。
「...」
しかし、返事はない。
「鳴々江ちゃん...?」
「...」
鳴々江はその場に呆然と立ち尽くしている。一体どうしてしまったのだろうか。
次の瞬間。
「うっ...あぁ...ああああああぁぁ.......」
突然、鳴々江はしゃがみこみ、頭を押さえ苦しみ始めたではないか。
「え...!?鳴々江ちゃん、大丈夫!?」
慌てて結実香は鳴々江に合わせてしゃがむ。
「あっ......ああああああぁぁぁぁっっ!!!」
絶叫する鳴々江。彼女の体に何か尋常ではないことが起きていることが分かる。
「どうしたの鳴々江ちゃん!?頭痛いの!?しっかりして!」
どうしたら良いか分からず、結実香はただ鳴々江に寄り添うしかない。
すると、鳴々江は振り絞るように言葉を紡いだ。
「ゆみ...か...ちゃん......に......げ、て......はや...く.......おね.......がい.....」
「え...?」
急に『逃げて』と言われ困惑する結実香。
直後、鳴々江は大きな悲鳴を上げた。
「鳴々江ちゃん!?」
結実香は鳴々江の体を優しくゆする。
「..............」
が、返事はない。
「鳴々江ちゃん!?どうしたの!?鳴々江ちゃん!...ねえ!返事してよ!鳴々江ちゃん!」
鳴々江はしゃがんで俯き、黙ったままだ。
「...そうだ、救急車!救急車呼ばなきゃ...!」
一度深呼吸してパニックになりそうな思考を落ち着かせ、鞄からスマートフォンを取り出し震える手で『119』の番号を押そうとする。
その時。
鳴々江が結実香の足首を掴んだ。
「えっ...」
次の瞬間。掴まれた足首を中心に、結実香の全身に激痛が走る。
「あああああああああぁぁっっ!?」
(い、痛い...っ!?なにこれ、電気...!?)
こんな経験をするのは初めてだったが結実香はなんとなく分かった。自分は今、感電している。
(あ......やば.........意識が.......)
あまりの痛みに結実香は地面に倒れ、やがて気を失ってしまった。
「............」
代わりに、鳴々江は結実香の足首から手を放し何事もなかったかのように立ち上がる。彼女は気絶した結実香の体を持ち上げ脇に抱えると、どこかへ向かってゆっくりと歩き始めた。
―――――――――――
「彼女らの名は、『キャリアーガールズ』」
結実香は小春日先生が黒板に書いた文字を見て顔をこわばらせた。
なぜならそれは彼女の両親の命を奪い、人生をめちゃくちゃにした存在だったから。
「この世界には二種類のキャリアーガールズがいます。一方は『
小春日先生はさらに黒板に単語を書き足していく。
「現在人類を滅亡の危機に追いやっているのがこの『媒介者』です。彼女たちは人の血を吸って生き、罪なき人々を殺めています。—――おそらく皆さんの中にも、身近な人を失った人がいるでしょう」
結実香の表情がさらに暗くなる。
「一方『白衛隊』は私たちの敵ではなく、味方です。彼女らは『媒介者』から人々を守るために戦う、正義のキャリアーガールズ。私たちがこうしている今も、彼女らは日本中で戦っているでしょう。彼女らも人の血を吸わなければ生きられませんが、それは国民からの献血でまかなわれています」
そこまで話して、小春日先生はいったん生徒たちの方をちらっと見る。
「キャリアーガールズの外見はほとんど、皆さんのような普通の女の子と同じです。しかし違う点が三点」
小春日先生は再び黒板に向かう。
「彼女らには『黒目が赤く発光している』『爪の色は赤で非常に鋭く、自在に伸縮させることができる』『犬歯が肥大化し牙のように鋭くなっており、これも赤く、ストロー状になっておりここから血を吸うことができる』という特徴があります。これらの眼、爪、牙にはそれぞれ『
小春日先生はさらに黒板に文字を書き連ねていく。
「一部の人間を除き、『媒介者』の『尖吸歯』によって血を吸われると人は死に至ります。皆さんもニュースで知っている通り最近は毎日、一日の犠牲者が三桁を下りません。二十五年前、最初に『媒介者』が現れてから現在に至るまでの犠牲者は優に四千万人を超え、日本の人口は三分の二になりました」
教室の空気は一気に重くなる。
「...先生には皆さんの命を守る責任がありますが、先生が守れるのは皆さんが学校にいるときだけ。そして皆さんが狙われやすいのは通学中、とりわけ帰宅時です。先生は皆さんのうちの誰一人として命を落として欲しくありません。...いいえ、先生だけではありません。これは政府全体、国全体の総意です。そこで」
小春日先生はチョークを置き、教卓の上に置いてあった大きな袋を開いた。
「今から皆さんに拳銃を配布します」
その言葉に、教室にどよめきが起こる。
「これは決してオモチャの銃ではありません。本物です。使うのは自分の命が危なくなった時だけ。くれぐれも使い方を間違えないように。いいですね?」
――――――――――
(う......ん........?)
結実香は目を覚ます。どうやら中学の頃の最初の授業の夢を見ていたようだ。
誰かに抱えられている。抱えているのは...鳴々江?自分は何をしていたんだっけ。
(......!そうだ、思い出した...!)
曖昧な思考が不意に冴え、今までの記憶を取り戻す結実香。
「...っ!?体が、動かない...」
手足がしびれていて、動かそうとしても言うことを聞いてくれない。
「鳴々江ちゃん!ど、どこへ向かってるの...?」
「..........」
鳴々江の返事はない。彼女は結実香を抱えただ黙々と歩いている。
どこへ運ばれているんだろうと不安になる結実香だったが、やがて納得できる答えにたどり着いた。
「あ、もしかしてうちへ向かってるの?ありがとう~!なんかね、よく分かんないけど私いま体がしびれちゃって動けなくて。このままうちへ運んでくれると助かるよ~」
「.........」
なぜ彼女が喋らないのかはさておき、結実香は安心して鳴々江に体を預ける。
が。
鳴々江は不意に道を曲がり、裏路地に入った。
「...え?鳴々江ちゃん、うちはこっちじゃないよ......?」
鳴々江は結実香の言葉を聞かず、裏路地を進んでいく。
「ちょっと鳴々江ちゃ......きゃっ!?」
突然、鳴々江は結実香を乱雑に道に放り投げた。結実香は地面に叩きつけられる。
「鳴々江ちゃん...?」
結実香は鳴々江を見上げる。夕日が逆光になっていて彼女の表情はよく見えない。
「...にげ.......て......」
「え...?」
「早く......逃げて......私が、私じゃなくなる前にッ......」
鳴々江の意味不明な言葉に混乱する結実香。
「ど、どういう...?」
さっき地面に叩きつけられたおかげだろうか、体の痺れはいくらかマシになっている。走ろうと思えば走れそうだ。
「早く...!」
余裕のない声で鳴々江が叫ぶ。一体どうしたのだろうか。
「逃げるって...鳴々江ちゃんから?どうして...?わけが分からないよ...!ちゃんと説明して...!」
体を起こしながら結実香は抗議する。
「...ねぇ、結実香ちゃん」
その時、結実香が目の当たりにしたのは信じられない光景。
「ずっと前から思ってたんだけどぉ......」
「っ......!?」
数秒目を閉じた後やがて開かれた鳴々江の瞳は、爛々と赤く輝いている。薄ら笑みを浮かべる口には、鋭く赤い牙。そして彼女は軽く両手の指を曲げたかと思うと、その十指の先から一瞬にして長い爪が生えた。
間違いない。これらの特徴は―――
「結実香ちゃんってぇ......」
―――キャリアーガールズのそれだ。
「美味しそうだよねええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!??」
さんざん話には聞いていたが、こうしてはっきり現物を見たのは結実香も初めてだった。
「そんな......鳴々江ちゃん......どうして......!」
ここは人目に付きにくい路地裏。先程の鳴々江の声はそれなりに大きかったが、誰かが助けに来てくれる保証はない。
(まずい...襲撃は大体夜の路地裏とかで起こりやすいって...白衛隊も
鳴々江はゆっくりと結実香の方へ歩み寄ってくる。
「えへ......えへへへへへへへへへへ......♡」
鳴々江の口の端からは涎が滴り落ちている。それはもう結実香の知っている彼女ではなかった。
逃げなければ。そう思っても体が動かなかった。痺れのせいではない。驚き、混乱、恐怖、怒り、絶望...様々な感情が頭の中でぐちゃぐちゃになって、結実香はただ茫然と地面に座り込むしかなかった。
「...あは♡」
やがて鳴々江は結実香のそばまで来てしゃがみこみ、彼女の腕を掴んだ。鳴々江は口を開ける。犬歯の位置に生えている真っ赤な尖った牙が結実香の瞳にはっきりと映る。
「......ぁ......やめ......」
その時。
「うわああああああああああああああ!『媒介者』だあああぁぁ!?は、早く『ERC』に通報しなきゃ...!」
鳴々江の背後から声がした。鳴々江の肩越しに、若いスーツの男性—――二十代くらいだろうか―――が、裏路地の入口で驚愕した表情で固まっているのが結実香には見えた。
男はスマートフォンを取り出し番号を押し始める。
「...チッ」
鳴々江は男の方を振り返ると、右手で彼を指差した。そして次の瞬間、彼女の指先から電流が迸り、光の速さで路地の空中を伝わって男に命中した。
「ぎゃああああああああああっっ!?」
男は感電し、気を失ってその場に倒れてしまった。
「うふふ~♪それは困りますよ、お兄さん♪」
鳴々江は男の元まで歩いていくと、彼のスマートフォンを踏み潰した。
「...お仕置き、です♪」
男の腕を持ち上げた鳴々江はスーツの袖をめくり、露わになった肌に二本の牙を突き立てた。
「......ッ」
それを見て結実香は息を吞む。
「っぷはぁ、うーん、あんまり美味しくないなぁ......これは、お口直しが必要かも...♪」
鳴々江は再び結実香の方に向き直り、口の端についていた血を舌でペロリと舐め取る。ぞわり、と背筋に冷たいものが走るのを結実香は感じた。
「結実香ちゃん、さっきの見てた?ふふ、あの電撃が私の『症能』なの~♪結実香ちゃんには手加減して二十ボルトくらいにしてあげたけど、さっきのはその倍くらいかな~♪」
片手で男の襟首を持って引きずりながら、鳴々江は一歩、また一歩と結実香に近づいていく。
「......待って!」
勇気を振り絞り、突然叫ぶ結実香。その手には―――拳銃が握られていた。
「......それ以上近づいたら、撃つから」
威勢よく言ったつもりだったが、手も声も震えていた。
「.........」
しばしの沈黙。
「ねえ鳴々江ちゃん...全部嘘なんだよね?演技なんだよね?...その男の人も仕掛け人で、テレビか何かのドッキリなんだよね?」
「.........」
「お願い...そうだと言って......いつもの優しい鳴々江ちゃんに戻って...お願いだから......」
結実香の瞳から涙がこぼれようとしたその時、鳴々江はようやく口を開いた。
「...いいよ、撃って」
「...!」
「20秒。それ以上はたぶん、もたない」
「え...」
「19...18...17...」
カウントダウンを始める鳴々江。一方その隣では異変が起こり始めていた。
「あ......ああぁぁ......体が......熱い......!」
「...ッ!?」
男の体が膨張している。腕も足も頭も、直径が二倍くらいになっている。スーツは今にも破れそうだ。
「12...11...10...」
男のスーツが破れ、それでもなお膨張を続けている。もはや彼は人の形をしておらず、「風船」という形容の方がしっくりくる。
「あが......あが.......た、たすけ......」
「6...5...4........早く!」
鳴々江の赤い眼から涙が零れ落ちる。
結実香は悟った。彼女は残ったわずかな自我で暴走する自分を止めて欲しいと、これ以上犠牲を出したくないと、親友であり家族である自分に求めているのだ。
今ここで、自分が出来ることは一つ。
「うっ.........うああああああああああぁぁぁぁ!!!!」
結実香は鳴々江に突き付けた銃の引き金に指を掛け、そして―――
「.........ッ」
引こうとした時、結実香の脳裏に鳴々江、そして怜と一緒に過ごした日々の思い出が次々と蘇ってきた。
「あ.........」
これが走馬灯というやつなのだろう。
「.........できるわけ、ないよ」
結実香はだらん、と銃を降ろした。
「......0♪」
「......あが」
パァン!!ベシャッ!!
膨張に耐えきれなくなった男の体が弾け飛んだ。血、肉、体液など、かつて男を構成していたものが辺り一面に飛び散り、彼のすぐ隣にいた鳴々江はそれを全身に浴びる。
「ゔっ......」
結実香とて所詮普通の女子高生だ。そんなグロテスクな光景に耐性があるわけがなかった。吐きそうになるのを必死に堪える。
「うふふ...♡」
一方鳴々江は自身についた汚物を払おうともせず、ゆっくりと結実香に近づいてくる。
「待って、止まって...!」
結実香は左手で口を押さえつつ、右手で再び鳴々江に拳銃を突きつける。
「ん~?......どうせ撃てないくせに...えいっ♪」
鳴々江は腕を軽く振った。
ぼとり。かん、かたん―――
「熱っ........え.......あ、あああああああああああああああああぁぁぁっっ!!??」
結実香は絶叫する。
無理もない。右腕を切り落とされたのだから。
あまりの痛みに立っていることもできず、結実香は膝から崩れ落ちる。
その様子を面白そうに眺めながら、鳴々江はぺろ、と爪に付いた結実香の血を舐める。
「んふ...予想通り...!結実香ちゃんの血、今まで飲んだ中で一番美味しいよぉ♡...って、あらあら!貴重な血がもったいない...!」
鳴々江は結実香の腕から血が噴き出しているのを見て、一気に距離を詰めると、悶絶する彼女の腕の断面を鷲掴みにする。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああ!!!!」
想像を絶する激痛が結実香を襲う。それは齢十七の少女に耐えられる範疇を優に越していた。
「うふふ♡それじゃあ、いただきまーす...♪」
背中に腕を回し、暴れる彼女の体を押さえてから、鳴々江は結実香の首筋に思いっきりかぶりつく。
「あっ......あ、ああぁ.......」
「うんうん!おいひいぃ!結実香ちゃんの血、おいひいよおおぉぉ!!」
愉快そうに結実香の血液を吸う鳴々江。結実香にはもはや、叫ぶ力も残っていなかった。
(どうして......どうして、こんな......)
建物の隙間から覗く完全に黒に染まった空を見上げながら、彼女の意識は薄れていった。
――――――――――
「皆さん、拳銃は行き渡りましたか?...では、話を続けます」
小春日先生は教室を見渡した後、再び教壇に上った。
「...キャリアーガールズとは、あるウイルスに感染した少女のことを言います。研究者たちにより『RUPID-20』と名付けられたこのウイルスが体内に入ると、体細胞に侵入して増殖しつつその宿主の体細胞を急速に肥大化させる作用があります。そうして感染者は風船のように体が内側から膨張しやがて...細胞が膨張に耐えきれず破裂して、死に至ります。感染から死亡までの平均時間はたったの二分。感染後の治療法や予防薬などは未だ作られていません。この病は『
板書を書き進めながら、小春日先生は続ける。
「人類の天敵かと思われたこのウイルスですが、実はある条件を満たす人は発症を一定期間抑制する抗体を持つことが分かりました。それこそが―――皆さんのような、十代の女性なのです。しかし言い換えれば、みなさんは感染しても一定期間死に至ることがないゆえに、このウイルスを他者に媒介してしまう可能性があるということです。キャリアーガールズの『尖吸歯』は、血を吸うと同時にウイルスを相手に注入するような仕組みになっていますから」
小春日先生は一度教室を見回し、生徒一人一人の表情を確認する。
「先生、質問です。なぜ十代の女性なのですか?二十歳になるとダメなのでしょうか?」
手を上げたのは怜。
「良い質問ですね、西空さん。裂死病の抗体となっているのは、実は女性ホルモンの一種が変化してできるものなんです。この女性ホルモン『RH』が分泌されるのがだいたい十二歳から二十歳の間だけなので、この年代の女性だけが感染しても生き残れるというわけです。もちろんホルモンの分泌期間は個人差があるので、さっき言ったのは大体のボーダーですけどね」
「なるほど...」
納得した様子の怜を見て、一拍空けてから小春日先生は続ける。
「ただ、この説明を聞いてこの疑問が浮かんだ人も少なくないんじゃないでしょうか。—――『もし感染してキャリアーガールズになってしまったとして、二十歳になったらどうなるのか?』と」
沈黙が訪れる。皆、小春日先生の上げた疑問の答えを考えているのだろう。
「...答えが分かっていても、正しいと思いたくないかもしれませんね。...そうです。ホルモンが分泌しなくなる二十歳で死にます。『白衛隊』を含め、キャリアーガールズにはたった数年の余命しか残されていない。裂死病は結局、感染すれば遅かれ早かれ死に至る、不治の病なのです。だから皆さんも絶対にこの病にかかってはいけません」
再び訪れる沈黙。中学校に入学したばかりでこんな話をされ、生徒たちは辛いだろうと小春日先生は思う。それでもこの話は一時限分を使ってでも、このタイミングで生徒たちに知っておいてもらわなければならないのだ。
「ところで、『RH』がウイルスの抗体として働くにはある物質を消費する必要があります。この化学物質は『HAR』と呼ばれ、十代の少女だけでなく老若男女全ての人の血中に含まれています。そしてこれこそが、キャリアーガールズが血を吸わなければ生きられない理由です。キャリアーガールズは血中の『HAR』の濃度が低くなると意識が朦朧とし、脳をウイルスに支配されたような状態になるといいます。そしてその結果、赤の他人と家族や友人の区別もつかなくなり、誰であろうと見境なく血を吸おうとするとか」
そこまで言って一呼吸つき、小春日先生は時計を見る。もうすぐ授業の終わる時間だ。
「とにかく、皆さんに伝えたいことは一つだけ。『媒介者』に注意して、裂死病に感染しないようにすることです。裂死病ウイルスは空気に触れると死滅するため、感染経路は『媒介者』に噛まれることしかありません。もし彼女らに出会ってしまったら、まずはその場から逃げてください。キャリアーガールズはウイルスの細胞活性化作用の影響でアスリート並みの運動能力や五感を持っていますし、一部のキャリアーガールズは『
そして小春日先生はチョークを置く。
「想定したくはないですが、もし万が一、感染してキャリアーガールズになってしまったら速やかに家族か先生に相談してください。絶対に隠すなんてことはしないように。まあ隠そうとしても校門の検査ゲートでバレるとは思いますが」
小春日先生が言い終わると同時に、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
初回がこんな授業だったせいでお堅い印象を抱かれてしまった小春日先生だったが、その後はずっとゆるーい授業が続いたため、今では生徒たちから「ハルちゃん」と呼ばれ親しまれる人気教師になっている。それでもこの初回授業の内容を忘れてしまった生徒は、おそらく一人もいないだろう。
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