第10話 始動

 不知火との勝負があった日より一週間が経ったある日。


「先輩」


 昼休みの喧騒を切り裂いたのは、教室に響いたその声だった。

 さほど大きく発されたわけではないその声は、ざわついていたクラスに静寂をもたらした。


「……きょーくん。あの子、きょーくんのこと見てるんだけど」


「そうだな」


「いやいや……なんで……?」


 教室の前方の出入り口に立った不知火は周りの視線を意にも介さず、ずかずかと教室に足を踏み入れた。

 その足先が向かう先には、冷や汗をかいた俺がいる事だろう。


「先輩」


「……よぉ、その後どうよ……?」


「別に何もありません。私がスマートフォンを持っているのを不思議そうに見てくる生徒はいましたけどね」


「ま、その……ほどほどにな」


「……ええ、まぁ。私からなにかをすることはありませんので、ご安心を」


「へー……」


 不知火のことだからまた波風でも立てるのではと思っていた俺からすると、そっち方面での素直さは少し意外に感じた。

 いやまぁそれはいいんだけど……少々いろんなところから視線が集まり過ぎてるな……。


「で、あの……なんか用?」


「……放課後、屋上で」


 ほんの小さく囁かれた言葉は、俺と近くの梓にしか聞こえなかったはずだ。

 梓は俺を凝視しているが、説明も面倒だし無視しておく。

 「それでは」と踵を返す不知火は視線を集めながら教室を後にした。


「きょ……きょーくん……やるねっ」


「絶対誤解してる」


「いやでも、いつの間にあんなかわいい子とお近づきにっ?」


 俺は梓の質問とクラス中からの視線を意識から排除しながら、いつもの空想に身を沈めた。





 放課後。いつもの時間に屋上に出た俺は、文芸部のプレハブの扉の前でしゃがみこんでいた。

 ここに辿り着いてからかれこれ10分ほどはこうしているが、未だに中に入る気が起きない。

 そんな時、このプレハブに向かってきたのは佐久間先生だった。


「おや、響也? そんなとこでなにしてるんだい?」


 声を出さずにプレハブをちょいちょいと指で示すと、先生は不思議そうに首を傾げながらいつも通りの勢いでその扉を開け放った。


「やぁやぁ聡里! 今日も元気に本を――」


 ぴしゃんっ! 

 先生は言葉の途中でプレハブの扉を閉じた。

 ギギギ……と油を注していないブリキのような動きで俺を見る。


「え、なにしたの?」


「俺は何もしてないです……知らないです」


「空気、おっっも」


 やはり先生もそう感じたのか。

 中にいるのは音無——だけではない。

 こっそりと扉の隙間から中を覗くと、ソファーに座った音無の正面に無言の不知火が座っている。

 机の上には紙コップが二つ。恐らく中身は紅茶だと思うのだが、湯気が消えているところを見ると結構長い間見つめ合っているのではないだろうか。


「先生……」


 助けを求めて彼女を見れば、先生は顎をくいっと動かす。

 入れ……ってことだな、これ。

 でかいため息を飲み込みながら扉を開け、俺は部室に足を踏み入れた。


「お、お疲れ……」


「っ、ん」


「先輩、お疲れ様です」


 長らく口を開いていなかった二人は俺を認めるといつも通りに挨拶を返してくれた。

 だがその目は、俺を見ていない。正面の相手から逸らしたら負けとでも言わんばかりにお互いを見合っている。

 とりあえず座ろうかと思ったのだが、いつも俺が座っているパイプ椅子に不知火が座っているため一瞬迷う。

 すると、不知火がそれに気づいたのか、腰を上げようと身体を動かした。


「せん――」


「ここ」


 不知火が言い切る一瞬先。音無がソファーの自分の隣を叩いた。

 不知火の目が軽く見開かれるのを尻目に、音無はもう一度強く言う。


「ここ」


「し、失礼します」


 何故か敬語になりながら、俺はなるべくソファーが揺れないようにゆっくりと腰を下ろした。


「……えっと」


 ずいっ。身体が密着するほど近づいて来た音無に目を向けるが、彼女は口元をゆるく微笑みに変えながら不知火を見ている。


「……だめ、だよ?」


「言っている意味が分かりませんが?」


「……あかし」


「私の先輩が何か?」


「……へー」


「要領を得ませんね」


 なんか……めっちゃ仲悪ぃ……。

 再び先生に助けを求めると、頼りない先生は苦笑いのまま咳ばらいを一つ。


「け、今朝、飾の入部届を受理したっ! これで正式に彼女は我ら文芸部の仲間になって、廃部の危機も去った訳だ! いやみんな、これからよろしく頼むよぉ……」


「ん」


「よろしくお願いします、音無さん、先輩」


 異様な空気に尻すぼみに声が小さくなっていく情けない先生に、二人はバチバチに睨み合いながらそう返した。


「では、文芸部始動だね」


 重っ苦しくなった空気から逃げる俺は、やはり空想に身を沈めるのだった。




―――――――――――――



 書きたいことかけたので一旦区切りというか終わらせます。

 また書きたいことが出来たら再開するかもしれません。

 ここまでお読みいただきありがとうございました。

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無口な音無さんとなぜかよく目が合う話 Sty @sty72

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