第54話 香りは嘘をつきません

 そのとき黙っていたアスルトが爪先でディルを小突いた。

「おいディル。お前、本当に無神経だぞ……リズを泣かせるな」

「ん? いや、俺だって泣かせたくはないけど。いってて、よっと」

 言いながらディルはそっと私を離し、ゆっくり立ち上がる。

「……えぇ?」

 私は驚愕してディルを見上げた。

「ディル……貴方、大丈夫なの? だって胸に短剣を…………」

「ん? ああ、思い切り突かれたからな。骨くらいは折れているかもしれない」

 突かれた? 刺されたんじゃなくて?

 そこまで答えたディルを見て、私は咄嗟にアスルトを振り返った。

 彼は口元を隠しつつ私から目を逸らす。

「――まさか! アスルトッ、ディルの服!」

「す、すまないな、リズ。防刃仕様だ、ふ、ふは、あっはは」

 う、嘘……!

 私はぶわぁーっと頬に血が上るのを感じた。

 髪の毛が逆立っているんじゃないかと思うほど、全身から嫌な汗が噴き出す。

「リィゼリア? どうした?」

「ディルは黙って頂戴! いますぐッ!」

「えっ? はっ?」

 私は差し出されたディルの手をピシャリと打って自分で立ち上がる。

 恥ずかしくて逃げ出したい。

 すると助け船のつもりか、アスルトが頬をひくひくさせながら言った。

「あー、さてブルード。お前は反逆罪で投獄されるだろう。なにか言いたいことはあるか?」

王女・・殿下はどうなる」

第二王妃・・・・様はどうもしない。彼女の罪は俺たちの記憶にのみ遺る。そうだな、曝けるとすればそれは『聴香師』くらいだろう。だからおとなしく捕まれ」

 そのとき、意気消沈しているかに思えたブルードの思念が激しく燃えあがった。


 馨しきは〈拒否〉と〈希望〉。強い〈忠誠〉と誰かへの〈敬愛〉。そして〈覚悟〉。最後には赤い薔薇の香り。

 彼はおとなしく捕まる気などない。

 それどころか希望を見出し、忠誠を捧げる覚悟をしている……?


 私は嫌な予感がして咄嗟にディルの背を押した。

 どう言っていいのかわからず、言葉は紡げない。


「ああ、任せろ!」


 けれど彼は滑るように駆け出し、ブルードへと真っ直ぐに肉薄する。

 ブルードは弾かれたような勢いで袖からなにか引き出し、右手で左腕に振り下ろそうとした。


 だけど。


「――ハッ!」

 気合一閃。

 ぐるりと体を回し繰り出されたディルの蹴りがブルードの右腕を弾き上げ、着地と同時に踏み切った彼の拳が鳩尾に突き込まれる。

「ごはっ」

 上体を折ったブルードの手から毒の入った道具を取り上げ、ディルが短く息を吐いた。

「は……。あんたの革命は失敗だ、おやすみ」


 さらに肘を叩き込まれたブルードは為す術なく石床にドッと倒れ臥し、完全に意識を失っていた。


******


 それから五日。

 ブルードによる爆破未遂事件はごく一部の者にしか知らされず、私は逃げた数人のポーリアスの人間を捜す依頼に奔走。

 ちなみに逃げたのはディルが私を助けにきた際に相手もせず無視した者たちであり、さすがに申し訳なかったので報酬は断るしかなかった。

 その失せ者捜しと平行して第一王妃様のご逝去が発表され、王都は哀しみに満ちている。

 心を痛めた第二王妃様は第一王妃様の葬儀にて、大好きな赤薔薇の紅茶と白薔薇の紅茶を添えたそうだ。


 下水道の大規模調査を実施する時期についても見直しが行われたのは言うまでもない。


「あの隅に座っているひと。彼がそう・・よ」

 そんななか、むっとした熱気と酒気で包まれた小さな酒場。

 私が言うと、ローブのフードを目深に被ったアスルトがするすると進む。

 彼は男の隣に座ると、その肩をポンと叩いた。


******


「リズが聴いた思念から推測して逃げたのは四人。いまの奴で最後だ。騎士に預けてきたから帰るとしよう」

「ええ。まさか自国に逃げず王都に留まっているとは思わなかったわ。たしかに彼らは皆、強い忠誠や恩義を感じていたみたいだけれど」

「俺が昏倒させた男の情報もブルードの情報も出回らなかったはずだからな。迂闊に動けなかったんだろう」

 そういえばアスルトも強かったわね、とぼんやり考えて、私は自身の店に向けて歩き出す。

 彼はフードを引き降ろし私の隣に並んだ。

「クーフェン殿下はどうしているの?」

「侍女長を連れてブルードの部屋からシャグ茸の毒を発見、押収したあと、自分の派閥の貴族たちを説き伏せたらしい。関所の警備は変えないことに決まった。それとブルードの件を第二王妃様に説明させるのを任せた。どう話したかは確認していないが、いまは第二王妃様と薔薇を育て始めたみたいだな」

「いろいろ行動を起こしたのね。それに、薔薇を? 傀儡くぐつみたいになっていたのを思えば素敵な変化だわ」

「そうか? 俺は少し複雑だな。なにせ贈る相手が望み薄だ。諸手を挙げて賛成もできない。そうだろう?」

「あら、お相手も決めているの? 望み薄でもいいじゃない。思念は変わるものよ」

 笑うとアスルトから〈呆れ〉が聴こえてくる。

「リズ。本気で言っているのか?」

「ええ。思念が変わらないひとなんて……そうね、もっと聴いてみないとわからないけれど」

「いや、ディルのことを言いたいわけじゃないんだが」

「え?」


 返したとき、〈焦燥〉と〈不服〉、白薔薇と僅かな鉄の香りが聴こえた。


「いた! おいふたりとも! なんで俺を置いていくんだよッ!」

 走ってくるのはディルだ。

 噂をすれば、なんとやらね。

 私は深呼吸をして、必死で胸の鼓動を鎮めた。

 助けられたあの日から、どうにも彼を見ると心臓がきゅぅっと痛む。

「だって貴方、まだ療養が必要でしょう? ちゃんとバークレイ医師の診察は受けてきたの?」

 できるだけ冷静を装って言うと、ディルは顔を顰める。

 そう。結局ディルは肋骨を折っていて、いまもさらしを巻いて固定していた。

 走ったりするのもかなりの負荷が掛かっているはずだ。

「勿論ちゃんと診てもらったし、これくらい問題ないさ。それよりアスルトとリィゼリアだけなんて、反撃でもされたらどうするんだよ!」

「そこは俺がなんとかすると信用してもらいたいな」

「んっ、いや、お前が戦えるのはわかってるけど――俺が納得できない」

 ディルは唇を尖らせ、次いで私に視線を移した。

「リィゼリアも。どこかに行くなら言ってくれ。心配するだろ」

「え? えぇと。あの、ディル。失せ者捜しはさっき終わったの。だからこれで依頼は完了よ」

 私が言うと、ディルは目をぱちぱちと瞬いてから驚いたように瞠った。

「終わった?」

「ええ。だから、その。今後のことを相談したいわ。貴方たち、いつまで私の家にいるの?」


 そう。

 実は、アスルトの部屋の下に大穴が空いていて爆弾も設置されていたことから、彼らは何故か私の家に転がり込んでいた。

 補修のあいだ世話になるーとか言って、私の家に一緒に帰ると言い出したのである。

 もともと師匠と暮らしていたので部屋はあるのだけれど、一国の王子と近衛騎士が一介の国民の家にいるのは絶対におかしい。


 それに、その。

 毎日ディルと顔を合わせる私の身にもなってもらいたい。


「補修の目途はまだなにも決まっていない。なにせ母上が亡くなって喪に服す期間だしな。ブルードとポーリアスの民の尋問もしないとならない。やることだらけで手が回らないのが現状だ。その点、ディルとリズがいれば安心安全だ」

 アスルトはそう言うとディルを見た。

「それにお前もリズのところがいいだろう?」

「ああ、正直助かる。母さんもあれから情緒不安定なままで、バークレイ医師が家で傍に着いてくれているんだ。俺の部屋もリィゼリアの部屋もアスルトの私室のすぐ横だし、ほかに帰るところがなくて。さすがに宿はひとの出入りが多すぎて安全面に不安がある」

 ディルの言葉に嘘はなく、他意もないのは思念でわかる。

 ある意味、健全なのだけれど。

「お前、そういうところは真面目だな。いや、鈍感というべきか」

「は? なんだよ、ひとがいつも不真面目みたいな言い方して」

「はあ……。とりあえず状況はわかったわ。それじゃあ店に戻って食事でもして、もう少し詳しく話をしましょうか」

 言うと、アスルトがぽんと手を打った。

「なら俺は城で少し報告がある。ディル、お前は先にリズと戻れ。俺は問題ない。報告が終わったら帰るからな!」

「え? ちょっと待ってアスルト!」

 言うが早いがアスルトは私にバチンと片目を瞑ってみせ、ローブの裾を翻して駆け去っていく。

 一国の王子がそんなに身軽に行動しないでほしいわ。

 それになに、いまのは。眼福だけれど、私にどうしろというの。

 残された私は手を伸ばしかけ、あきらめてチラとディルを見た。

「あの、ディル? 追い掛けなくていいの?」

「うん? ……ああうん、まあ、大丈夫だろ。俺もひとつ、あんたに話しておきたかったことがあるんだ」


 どきり、と。


 心臓が弾み、私は瞳を伏せて歩き出した。

「そ、そう。じゃあ歩きながら話しましょう」

「ああ。そうしようか」

 ディルは優しく微笑むと私の隣にやってきた。

 腕が触れそうな距離感に、顔が熱くなる。


 ディルの思念はいつもどおり馨しく、私に対する〈愛情〉はずっと聴こえていた。

 だというのに、どういうわけか彼の態度もいつもどおりなのである。


 私だけこんなに意識しているということだ。

 黙っていると、ディルが小さく吐息をこぼした。


「実は……今日、母さんと少し話したんだ」

「え?」

「侍女長が母さんにブルードの毒殺を命じたのかと思っていたんだ。でも、違った。侍女長は自分がブルードを毒殺するつもりで、母さんに次の侍女長を託そうとしていたそうだ」

「あ……それでアーリアさんに会いにいって紅茶を見せたのね。だから思念に残っていた」

「うん。そこで母さんが提案したらしい。『自分は秘密を持っている。とても侍女長になる資格はない。だから王族に仕える家系として自分がブルードに毒を盛る。代わりに、アスルトを護ってほしい』みたいな感じでさ」

「王族に仕える家系――そう。アーリアさんなりに王族のためにやろうとしたってことなのね」

「俺とアスルトが取り換え子だと思っていた母さんはその秘密をブルードに暴露することで取り入ると侍女長に話したそうだ。たしかにそれなら信頼まではいかなくても、ある程度の信用は得られただろうからな」

 アスルトを護ることは、ディルを護ることには繋がらないかもしれない。

 けれど王族への忠義をみせたのなら、それはディルへの忠義でもあったのではないだろうか。

 彼女はディルが王子殿下だと思っていたのだから。

「――早く、ゆっくり話せるようになるといいわね」

「ははっ、ありがとう。全部あんたがアスルトを捜してくれたお陰だ」

 そうこうしているうちに店に着き、鍵を開けて中に入る。

 ディルは私のあとから入ると扉を閉め――。


「リィゼリア」


 優しく囁くような声で私を呼んだ。

「……ッ」

 その瞬間の思念ときたら、四肢が弛緩しそうなほど甘い〈愛情〉。

 私はそっと振り返り、彼の双眸がじっと私を見ているのに気付いて視線を逸らす。

「な、なに、かしら」

「抱き締めてもいいか?」

「え、ええッ⁉」

「いや、むしろ抱き締めてもらいたいところなんだけど。あんた言ったろ、俺が望むならそうするって」

「それは、そう、言ったけれど。せ、説明したでしょう? あのときは貴方が死んじゃうと思って」

「ははっ、あんた真っ赤だ。……でもごめん、今日はこうするっていま決めた」

 ディルはそのまま私に腕を伸ばすと、ぎゅっと胸に掻き抱く。

 彼のぬくもりが背中まで回り、陽だまりのような香りがする。

「あ、の。ディル……?」

 どうしたらいいのか。

 心臓が爆発しそう。

「あんたには俺の思念が聴こえているんだろ? わかってはいたんだけど、口にできなかった」

「……」

「あんたが俺を信じてくれて、こうしていま一緒にいられて嬉しい。尖晶石スピナもずっと着けてくれてるよな。大切で愛おしいと思った。俺は――あんたのことが好きだ、リィゼリア。依頼が終わったとしても、もっと一緒にいたい」

 しなやかな筋肉のついた腕が優しく、けれど強く私を包んでいて。

 その胸から聴こえる鼓動は大きく早く、ディルの体温が熱いほどだった。

 馨しい溢れんばかりの〈愛情〉に混ざり、〈緊張〉が波のように押し寄せている。

「ディル、緊張しているの?」

 思わず言うと、ディルは小さく呻いた。

「そういうのは、恥ずかしいから口にしないでくれると助かる」

 耳元でごほんと咳払いする彼に、心がくすぐられるような気持ちになった。

 尖晶石スピナのネックレスを身に着けていることも気づいていたのね。

 私はそっとその背に腕を回し、頬を寄せる。

「――貴方の思念が揺らいで変わったら、私きっと泣いてしまうと思うわ」

「何度も言うけど、変わらないさ。聴いていてくれないか。泣かせたりしないから」

 ディルはきっぱり答え、思い切り私を抱き締めた。

 心地よい、幸せな気持ちが体の奥から溢れてくる。

「ふふっ。わかった。聴かせてもらうことにする――貴方のそばで」


******


「ええと、実は話したいことがあるの。下水道でディルを突いた男に言われたの。そいつが『ハルティオンの聴香師』か? って」

 アスルトが戻り、食事を終えて私が切り出すと、紅茶を飲んでいたディルがむせた。

「ごほっ! え? それってまさかポーリアスにも聴香師がいるってことか?」

「ええ。そうだと思う。私を拾ってくれた師匠は当然、聴香師よ。それもポーリアスの人間」

「そういえば師匠がいるようだったな。いまはどうしているんだ?」

 アスルトに聞かれ、私は逡巡して言葉を紡ぐ。

「簡単に言えば私を置いてポーリアスに帰ったわ。ハルティオンにいた理由も実は知らないままだった」

「ポーリアスで『聴香師』というのが有名だったのか、それとも今回の〈革命〉に関わっていたのか……それが気になっているんだな?」

 ディルの言葉に頷く。

「師匠かどうかは不明だけれど、同じ『聴香師』として気になっているわ。だからね、私をもう少しアスルトの侍女として雇ってくれないかしら。ブルードたちからも情報を集めたい。それを相談したかったの」

 アスルトは驚いたように顔を上げると、ディルと視線を交わしてぐっと手を握った。

「それを早く言ってくれリズ! 勿論、大歓迎だ! ひとつ条件を出すとすれば、侍女ではなく俺の助言役、参謀として雇いたい。そのほうが多くの権限を与えられるからな!」

「え? ええ、それは願ってもない話だけれど……そんなに喜ぶこと?」

「ああ。言っただろう? リズがいてくれるならディルも安心するだろうと」

「聞いていないし、ディルが安心する理由もわからないわ?」

 呆れて返すとアスルトは困惑したディルを見て首を傾げた。

「どうしたディル?」

「アスルトお前、そんなこと考えていたのか……俺、てっきりお前がリィゼリアを、その」

「あっはは! なんだお前、熱でもあるのか? 鈍感無神経なディルとは思えないぞ」

 そういえば私もそんなことを言ったわね。

 思い返したとき、ばつが悪そうなディルと目が合った。

 私が微笑むと、彼は眉尻を下げて少し照れたように笑う。


 大丈夫。ディルのことは信じてる。

 彼はいつでも真っ直ぐで変わらずいてくれる。香りは嘘をつかないもの。

 

「これで俺もすっきりした。依頼も全部終わったろう? 本当にありがとう、『聴香師』」

 アスルトの言葉に、私は大きく頷いて告げた。


「ええ。この依頼、残り香ひとつなく完了よ!」


Fin

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香りは嘘をつきません!-失せ者捜しの聴香師- @kanade1122

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