承前
「ねえ。わたしって、服を着ても着なくてもおなじかしら。ブラトップがそのへんに落ちてたらいいんだけど」女性人形がいったので、
「オレしかいないんだし、着なくてもいいんじゃないか」と、自分はどうしても黒い胸のベースボール・キャップの頭頂部についているような丸っこい乳首をつねってしまう。
「でも、待ってても仕方ないかなとおもって。夫婦はいつ帰ってくるかわからないよ」と女性人形がいったので、
「でかけようっていうの? 彼らがどこにいるか知ってるの?」と女性人形の裸をみながら自分はいった。
すべらかに400階からすべらかに降下するエレベーター。
女性人形と外に踏みだすと、街路には水溜りのようなものがいくつかできている。雨は夏の強い陽射しに蒸発していたが、溜まりは蜜のように金色に輝いて消えずにいる。見えざる手によって引き上げられ、連れ去られて天空に招かれた人間たちが融かされて、その肉体も魂も密のような粘度の液体となって地上に降ってきたものだった。すがた形をまるっきり別様に変えてもどってきたものが、散在するゴールドの水溜り(蜜だまり)となっているのだった。
空のむこうに何があるのか、まだわかっていない。
だから、蜜だまりが誰か自分の知り合いである可能性というのは完全には否定できないところがあった。
「だから」というのは唐突ないいかたになってしまったかもしれない。
とにかく誰を狙っているのかわからない、無作為としかいいようのない遣り方で、誰だろうがイキナリとつぜん上空に引っぱり上げられ、あげくの果て、蜜になってもどってくるのだ。
内省しても仕方のないことだが、つい一つの蜜だまりの傍らに足をとめ、改めてこの現象について不可思議の念にうたれた次第だ。
でもそうしていても、繰り返しになるが、仕方のないことなのだ。だから、というわけではないが、
「あのラグジュアリアスなペントハウスの夫婦は、どんな事情があってでかけたの?」と、自分は隣に立つ、真夏真昼の女性人形にたずねた。
「バッタ人間に関係したことなのよ」と、女性人形も蜜だまりに目を落としたまま独白するような調子でいった、「バッタをみててね、夫婦はバッタ色の人間ができたらおもしろいとおもったのよ。そして創っちゃったんだけど、逃げ出しちゃったのよ。いなくなっちゃったのピョンッってジャンプできるわけでもないんだけれど……」
去年の夏、とつぜん @blood_simple
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