第27話 詠い、歌う 2
ホワイトデーが近づき、日色はいろいろ考えていた。正直、お菓子を作ることは簡単だ。料理になれている身としては、お菓子作りは分量さえしっかり守ればいいだけなので全く苦にならない。そのため、手作りのお返しをと考えてみたものの、悠里が作ったバレンタインのチョコ系お菓子を超えるものを作ってはならないと自らを制した。その結果、フルーツ羊羹を作ることにした。見栄え重視でなおかつさして難しくない。かかるのは時間だけだ。
ホワイトデー前日の夜、日色はフルーツ羊羹作成にとりかかる。転居日が近づいていたが、まだ少々時間があるのでキッチンはまだ手つかずだ。調理に支障はない。空の牛乳パックの一面だけを切り取り、側面を底に見立て、クッキングシートをきれいに敷き詰め、型の準備完了。鍋に水、寒天を入れて沸騰させてから市販の餡子を入れる。型の中にいちごを並べ、鍋が煮詰まったら型に流し込み、温度が下がったら冷蔵庫へ。冷えたらできあがり。
ポンと型から出してまな板の上に置いて確認したら、羊羹にクッキングシートのしわがついていた。包丁で揃えようかと考えたが、これも手作り感があっていいかと放置することにした。切り分けて、100均で買った重箱タイプの使い捨て容器に詰め、楊枝を添えて完成。更に和風柄の不織布の巾着に入れておく。
お返しのお菓子はこれで良し。
あとは恥ずかしいが、やっとできた歌を披露しようと思う。歌詞は大分前に完成していたが、メロディを合わせるのに苦労した。
最初のフレーズを作ってから半年も経ってしまった。しかし最後までやり遂げられたことを喜ぼうと思うし、この経験は次に生かせるはずだと日色は確信していた。
翌朝、日色はいつもより早く登校して、教室で悠里を待つ。
誰もいない教室で、スマホの青空文庫アプリで詩を読む。
ポオル・クロオデル Paul Claudel
カンタタ 上田敏訳
悦。今、春と夏とのさかひ、このひと時……
幸。
福。眠れ、
悦。夜よる無き夜よるに……
幸。影みせぬ百鳥もゝとりの
悦。……若葉は
幸。
(後略・青空文庫より)
実にいい。何がいいのか分からないが、染み入る。おそらく繰り返しの気持ちよさと気持ちのいいワードのセレクトによるものだろう。春と夏の境にまた読み直そうと日色は思う。調べてみると作者は戦前の駐日大使で、日本文化の影響もあるのかもしれないと思って調べてみたが、予想外にも来日前の作品だった。その後の作品は明らかに日本文化の影響が濃く、現代に失われた日本の姿を見ることができそうで、日色は詩集を手に取ってみたくなった。
教室に生徒がやってきて、そのうち、悠里も現れた。
「おはよう」
「うん。今日は天気もいいし、お昼は屋上で食べない?」
「わかった。今日は何を読んでいたの?」
「ポール・クローデル」
「面白い?」
「すごく。図書館にいって本を借りようと思う」
「そうなんだ」
微笑む悠里は嬉しそうだ。自分の影響で詩を読み始めたのだからなのかもしれない。
「ところで、今日は何の日か知ってる?」
「彼女の手作りを上回らないようなものを作ってきました」
「遠回しにディスってるな」
「気遣いといって欲しいな」
日色は悪気もなく笑うが、悠里は拗ねて見せていた。
午前中の授業が終わり、昼休みになる。昼休みは連れだって屋上に上がるが、その前に同好会の物置からギターも持ってくる。屋上の隅の方に座り、お弁当を2人で食べる。春風は少し冷たいが、陽は温かい。
空は青く晴れ渡り、薄い雲がゆっくりと流れている気持ちのいい昼下がりだ。
そして2人ともお弁当を食べ終わると、日色は不織布の巾着袋から重箱タイプの使い捨てパックを取り出し、悠里に手渡す。
「開けて」
「開ける」
悠里が重箱を開けるとイチゴの断面も鮮やかなフルーツ羊羹が現れる。幸い寄ったり崩れたりしていなくてホッとする。気をつけて持ってきた甲斐があった。
「うわあ。羊羹だ。イチゴが入ってる。手作りだな」
悠里は悔しそうな顔をする。
「羊羹は大して難しくないよ」
「包装にも凝られてしまった」
「100均だってば」
「いただきます」
悠里は蓋に添えておいた楊枝をとり、一口で半分、口の中に入れる。
「イチゴと餡子が意外と合う。さっぱりしている。美味しいね」
「それはよかった」
悠里が残りの半分も口に入れ、飲み込み、また口を開いた。
「私も見せたいものがあるんだ」
「へえ。なに?」
悠里はトートバッグから小冊子を取り出した。表紙は千代紙で、白い和紙がのり付けされてタイトルが筆ペンで書かれている。
「完成したんだね」
「試作3号にして、ようやくお見せできる形になりました」
「
「ひのわしょうでもいいんだけど。一字貰いました」
日色はパラパラと日輪抄と命名された同人誌をめくってみる。
「そうかな、と思いました。嬉しいです。あ、鰯雲の短歌、一番最初に入っているんだね」
「一番最初に君と一緒に作った歌だから。始まりだから」
「始まり……いい言葉だね。じゃあ、僕も今日が始まりだ」
日色はギグバッグからギターを取り出し、チューニングが合っているか確かめ、Cから始める。
「放課後の教室 開け放たれた窓
勉強を教えてくれる君 髪の匂いに胸が高鳴る
秋風受けて 揺れる前髪 揺れる気持ち
他に周りに誰も いないのに 教科書片手に 君は呟く
「好きだよ」と
きけないよ なにが好きなの 誰が好きなの
きけないけれど 君の刹那を 独り占め」
そしてGを
「これがこの半年間の僕の気持ち」
日色は精いっぱい、その想いの集大成として歌ったつもりだった。しかし悠里は露骨にうーんと唸り、そして決意したように言った。
「メロディは、いい。合っていると思うし、初めてにしてはいい。コード進行はわかりやすくて70年代フォークだっていっても通用すると思う」
「ありがとう」
思ったより深いコメントが返ってきて日色はびっくりする。
「でも、間違ってるかな、歌詞」
「え、どういうこと」
考えもしなかったコメントがついて日色は動揺する。
「刹那じゃないから。確かに、あのときは刹那だったのかもしれないけど」
悠里はじっと日色の顔を見た。
「刹那じゃ、なかったら?」
日色は恐る恐る聞いた。
「じゃあ、永遠? かな?」
そう言った悠里は自分自身で照れて、俯いてしまった。
当たり前だが、悠里とはまだそこまでの関係と日色は胸を張って言えない。しかしだからこそ2番の歌詞を自分は作れなかったのかもしれないと気づく。
「永遠はきっと、まだ作っていない2番の歌詞に使う言葉だね。やっぱりあのときは刹那だったから」
「そういえば2番がないんだね」
悠里は今更気づいたような顔をする。
「続きを作るよ。それほど遠くない日に」
「それは楽しみだ」
2番の歌詞はきっと恋人同士になってからこれまでを振り返るものになるのだろう。
未来は確かなものではないし、この恋も長く続かないかもしれない。
それでも彼女は刹那の対義語として永遠を口にしてくれた。学校の大先輩が作った、防災無線や駅の発車メロディで使われる『Forever Love』が思い出された。
日色は彼女との将来を夢見る。もちろんそれはまだ夢だ。初めての恋愛でそのまま結婚まで行く例なんてそうはないだろう。いろいろなことで破綻してしまうことの方が多いに違いない。ここで永遠という言葉を歌詞に採用したら、今、このときを振り返ったときに後悔してしまうかもしれない。それでも日色は今は無理でも永遠と言葉にしたく思う。
「もう一度聞いてくれる?」
日色は左の指をギターの弦に添え、悠里は頷く。
「放課後の教室 開け放たれた窓
勉強を教えてくれる君 髪の匂いに胸が高鳴る
秋風受けて 揺れる前髪 揺れる気持ち
他に周りに誰も いないのに 教科書片手に 君は呟く」
そこで日色は演奏を止め、悠里を促した。
「次は、『好きだよ』なんだ」
悠里は頬を赤く染めた。
そして頷いて顔を上げ、日色を見つめ、呟いた。
「好きだよ」
日色は満足して頷き、その先の歌詞は口にせず、春風が優しく2人の髪を揺らす中、ギターでメロディだけを奏でたのだった。
主人公にはなれないけど、僕らは僕らのスピードで恋をする 八幡ヒビキ @vainakaripapa
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