第26話 詠い、歌う 1
歌集を作ろうと決める前には、冬休みには日色といろいろなことをしたいと考えていた悠里だったが、結局、彼とは安房神社に二年参りをして安房神社裏の天神山で初日の出を拝むという程度しかできなかった。これも玲花と図書委員長センパイのイベントにお付き合いする形だった。
そのイベント中でも悠里は1首詠んだ。
こいごころ とりとめもなく さわぎたつ 隣のあなた 新年の朝
あとはミコトの散歩にかこつけて、北条海岸で日色と1時間ほど会うくらいだった。
それでは何をしていたのかといえば、自分で決めたとおりだいたい短歌を作っていた。短歌を何首も作ると、まずは文語体の知識がとにかく欠けていることを痛感した。また、古語の活用が重要であることも身に染みた。古語に関しては勉強にもなるので一石二鳥と言えた。
1日1首と決め、題材を毎日変えて、短歌の形を作り、言葉を入れ替えて、ときには辞書を引いたり、類語辞典を使ったりして推敲し、創作ノートに書き込む。
形にして、初めて前に進む気がする。
日色と会う時間が、ある意味、フラットでニュートラルな時間だった。南国館山といっても冬は冬である。外に長い時間いられるほど暖かくはない。保温ボトルに温かい飲み物を入れて少しずつ飲んで、身体を温めながらゆっくり話をする。
日色もギターを持ってきてはいるが、寒い日は手がかじかんであまり使える機会はなかった。しかしそれでも少しずつメロディーが固まってきたようで、フレーズができつつあることが悠里にもわかった。どんな歌詞かは教えて貰えなかったが、これまで以上に完成が楽しみになってきた。
冬休みの間はそんな感じで、お付き合い的には特に進展はなかった。
悠里も普通に少女マンガを読むのだが、マンガではある程度までストーリーが進展すると普通にキスするものだ。しかしそれはストーリー的には一つのピリオドだったり、始まりだったりする。自分たちの恋愛がそんなメリハリがついたものになるとは限らないし、むしろなんとなく成り行きでキスしてしまう気もするのだが、2人的にはまだほっぺへのキス程度で十分、刺激になった。ならばそれほど急ぐことはないだろう。急がなければ倦怠期にもなりにくいだろうから、などと悠里は考える。
冬休みが終わると日色は瑛眞と毛利センパイと3人で組むようになった。編成はボーカル、キーボード、ギターなので、割とありがちなバンドになった。瑛眞は歌うときもアニメ声を止めて、地声に近い歌声に変えたので雰囲気は大分変わった。
毛利センパイは以前から作曲を手がけて、自分で演奏をしていたので、日色としては大変参考になるようだった。毛利センパイと日色があまりにも仲がいいので、悠里としては危ない方向で妬いてしまうくらいだった。
瑛眞はどうなのかと心配にもなったが、毛利センパイのことも日色もことも仲間として認めている様子が窺えたのでまずは一安心というところだった。
3人の練習場所は浜元の家の倉庫を使っている。浜元の家は海産物を扱う業者で、使っていない古い倉庫があるのだ。冷暖房はないが電気はある。灯油ファンヒーターを持ち込んで、週に2度練習していた。もちろん日色の存在を両親が知るところになったのだが、地味な高校生でしかない日色は音楽をやっていると言っても偏見の目で見られることはなかった。むしろ親の前に彼氏を連れてきた悠里を評価しているようだった。
また、すぐに席替えというイベントがあったが、今度は窓際でなくなってしまったものの、またトレードで隣の席になれた。前後ではなく隣というのは新鮮で、また、嬉しくもあった。
そして日色は悠里より一足先に16才になった。誕生日は放課後、小さなケーキを2つ買って祝った。玲花からは『ぐりとぐらのカステラ』のプレゼントがあった。彼女の誕生日を聞いていなかったことを詫び、来年こそは玲花の誕生日を祝うと悠里は固く誓った。また、変なお誘いが玲花の友人からあったのだが、それはまた別のお話だ。
2月にはバレンタインのイベントがあり、悠里は手作りチョコに挑戦した。手順通りにすれば湯煎はさほど難しくないことが分かったのでホットケーキミックスでチョコを使ったバリエーションを作った。玲花に教えて貰ってたこ焼き器でベビーカステラを作り、チョコがけにしたり、小さなホットケーキを作ってサンドしたりと考えるだけでも楽しかった。ラッピングに凝ったので、包装代の方にお金がかかってしまったが、日色には喜んで貰えたし、楽しいイベントだった。
穂波は初めてのバレンタインデーに緊張したのか彼女は手作りは諦めて、ほどほどお値段が張るチョコを通販で購入していた。黒峰も3年越しのバレンタインチョコに感慨が深いだろう。
瑛眞は日色と悠里、そして毛利センパイにチョコクッキーを配ってくれた。練習の合間に遊びに来てくれた玲花が紅茶を入れてくれて、美味しくいただいたが、毛利センパイのチョコクッキーにだけハートの型枠を使ったものが入っていたが、悠里は気づかないふりをした。
2月の末には定期考査があり、例によって勉強会も行った。2年では毛利センパイが、1年では玲花が1位をキープし、いつもどおりの結果となった。悠里と日色はいつも通りの結果だったが、悪い訳ではないので勉強の日常的な継続を心がけることにした。
ただ黒峰は部活を辞めて時間が出来たからか、穂波よりもいい成績をとって、穂波は相当なショックを受けていた。日頃の勉強の大切さを感じさせる一幕であった。
そして定期考査が終わった直後、瑛眞からの連絡で悠里は動揺した。それは冬休みから書きためた短歌がちょうど50首になり、薄い歌集が作れるかなと思い、仮に手作りで印刷して作ってみた日のことだった。
PCでレイアウトを割り付け、フリーのデザイン枠を選び、はめ込んでみる。いろいろ試したが、仮だからいいやとコンビニのネットプリントを入れ、最後に表紙と裏表紙を作ろうとデザインしているときのことだった。
〔ヒイロくんのお父さん、東京に転勤って聞いた?〕
どうやら海上自衛隊の異動内示が出たらしい。瑛眞の父も自衛隊員で、ヒイロの父の同僚にあたる。内部情報は当然知っているだろう。
〔ぜんぜん聞いていないんだけど。情報ありがとう〕
そうメッセージを返しながらも、相当に動揺している自分を悠里は見つけていた。
友の声 別れの知らせ 慌てつつ 刹那の鼓動 猛き高鳴り
おお、すぐに1首できてる、などと自分に感心している場合ではなかった。
冷静に考えてみるとどうして日色から直接、自分に知らせがないのだろうと思う。単に父親から知らせて貰っていない可能性もあるが、東京への転勤は日色にとっても大事なことだ。そんなことはないだろう。ならば、言いづらいのか。ここは直接会って聞いてみる必要があるだろう。
〔落ち着いてね。今どき、100キロくらいは長距離恋愛っていわないから〕
〔そうだね~〕
瑛眞も転勤族だったわけで、容易に想像がつくのだろう。自分が引っ越していたのだから、もっと影響は大きかっただろう。
〔ユーリも進学は東京なら一緒になれるし、離れているのは2年だよ、2年〕
〔うん〕
文字にされると余計に動揺してしまう。ドラマティックな遠距離恋愛なんてどうでもいいから一刻も早く真相を確かめたくなり、悠里は日色にメッセージを入れる。
〔お父さん、東京に異動なんだって?〕
少ししてから日色から返事があった。
〔どうして知ってるの?〕
〔エマさん情報〕
〔そっか。エマさんも海自関係者だったね。今、引っ越し先を探しているところなんだ〕
〔引っ越しするんだ?〕
〔今の家は借家だから結構家賃が高い〕
〔そうなんだ〕
文面からは日色がどういう気持ちでいるのか分からない。悠里の受けた衝撃に比べれば、なんと言うことはなさそうな気がする。小さい頃から転勤についていったから、慣れているのかもしれないが、それでも今までの転勤とは違うと思いたかった。この館山には自分がいるのだから。
〔荷造りもしないといけないから、ちょっと大変かな〕
〔ちょっとじゃないよね、引っ越しは〕
〔まあ、面倒だけど慣れてるしね。余分な荷物は減らそうと思う〕
〔そっか。引っ越し先が決まったら教えてね〕
〔もちろん〕
日色の文章がなんでこんなに軽いのか分からない。悠里は聞くに聞けない。悲しい。
〔君の家の近くだと便利なんだけど、便利だからこそ家賃高そうだし〕
悠里は自分の盛大な勘違いに今更気がつく。
〔お父さんの知り合いが借家を持っているから聞いてあげようか〕
〔そんな広くなくていいんだ。母さんと2人で2年しかいないし〕
やはりそういうことか。日色は高校卒業までは館山に残るのだ。
悠里は安堵して、大きく深呼吸し、自分の頭を小突いた。
読み返してみて不自然ではないか確認する。大丈夫そうだ。気づかれていないだろう。
少なくとも高校卒業までは日色と一緒にいられるのだ。こんなに彼が自分の中で大きな存在になるなんて思ってもみなかった。一緒にいるのが嬉しいだけだったのに、一緒にいるのが当たり前になると、独りが寂しくなり、置いて行かれるかもと思うだけで、悲しくなる。それが恋なのだと思う。
〔平屋ならいっぱい物件があるよ〕
〔演奏に便利な町外れでもいいかと思うんだけどそうすると母さんの通勤が大変になる。家賃は余計な出費だからね〕
父親が単身赴任で東京の宿舎に入るとなると館山に残る家族の生活費がまたかかるわけで負担増だ。
〔練習はウチの倉庫ですればいいじゃん〕
〔だから近いところが便利だけど家賃が――以下略〕
ふふふ、と悠里は笑ってしまう。
遠距離恋愛かもと思い込んでしまった自分がおかしい。
結局、音声通話に切り替えてPCを使って物件探しを始めてしまった。高校の近くにもあるし、駅から離れれば意外と安く済みそうだった。
異動と聞いてショックがあったものの、終わってみれば笑い話だった。
そのあと、悠里はコンビニにいって予約したデータをプリントアウトし、初めての製本作業にとりかかった。プリントアウトしたのは歌集の中身だけだったので、表紙は手持ちの和紙と千代紙で手作りするつもりだった。
まずプリントは中折小冊子にしていたのできれいに角を揃えて2つ折りに。それだけでもうそれっぽくなる。そしてA3の中厚紙に千代紙をのり付けする。端だけ白い部分を残して筆ペンでタイトルを入れるつもりだった。中厚紙も2つ折りして、プリントした紙を中に挟み、座布団の上に置き、ホチキスを開いてホチキス針を追ったところに2回刺し、そして針を手で折って、紙を留める。
「できた」
りっぱな同人誌のできあがりだ。
ぱらぱらとめくってみると、字体が気になった。もっと気合いを入れて選ぶべきだったと悔やむが試作品としてはよく出来ている。全20ページ。50首。悠里にとっては堂々たる歌集である。まだまだ改良の余地はある。頑張ろうと思えた。
3月に入ると館山にはもう春の気配が感じられるようになってきた。城山公園の梅園を日色と2人で見に行った。引っ越し云々の話がなければもう少し早く見に行ったと思うのだが、それでも梅花はまだまだ見頃だった。ここで1首詠まねばと思いつつも梅の花は古今東西無数の歌がある。焦ってはならない。先人たちの歌を読んでからにしようと思う。
そして『はるなつあきふゆの詩』を地で行けるなあと思う。
思えば9月はまだ夏だった。夏の空と雲を教室の窓から眺め、そして日色と話すようになった。夕日に染まる鰯雲を眺めて1首読んだ。詩の勉強会を始めた。
秋にはもう、2人で東京に遊びに行った。そして仮のおつきあいを始めた。
冬にはもうステディリングをかわし、ハグをした。
春にはこうして一緒に梅の花を見ていた。
悠里は日色と城山公園の茶屋でお団子を食べながら、感慨に浸った。
「転居先、決まった?」
直近の気になることはやはりその話題である。
「うん。紹介して貰った大家さんに直接話をして、平屋にしたよ。狭くなるけどもともと荷物は少ないからね。2年間の予定だし」
日色はお茶をすすった。
「2年後は東京?」
「官舎住まいになるのかな。東京の大学に行くのならそれでちょうどいい」
「そうか……私はどうしようか迷ってる」
「千葉大なら通えないことないもんね」
悠里の成績だと地元の国公立が圏内になる。
「毎日高速バスだなあ。バス弱いんだよね」
「相談しようよ。いろいろ。話をしようよ。いっぱい」
日色の言葉が優しく温かい。悠里は頷いた。
「大学の後は東京で就職?」
「館山に戻りたいと思ってはいるけどどんな道があるのか考えないとね」
日色の表情は真剣そのものだ。
「音楽は?」
「趣味だよ。延長で動画配信くらいはしたいと思っているけど。理想は公務員になって生活をしつつ、館山の魅力を発信できるくらいの音楽力を身につけることかな」
「いいね。私も館山から離れたくない」
悠里は大きく頷いた。日色にとっても自分にとっても館山は大切な故郷だ。決して忘れたくないし、大切にしたい場所だ。
「まだ先のことだけどね。そもそもギターもものになるか分からないし。そもそも君は大学で何を勉強したいの?」
ドキリとした。まだそんなに考えていないが、悠里はそのなんとなくを言語化する。
「日本の古典かなあ。でも就職の役には立たなさそう」
「でもさ、日本人のアイデンティティーに関わるから勉強するのは大切だと思うな」
「そうだね」
日色が肯定してくれるのが嬉しい。
「今はまだ先なんか見えないけど1つ1つクリアーしていくしかないからね」
「まずは花見だね! みんなも誘おう」
「その先は進級だ。同じクラスになるといいね」
「2年生は文化祭も体育祭も一緒だね」
「そうだね。修学旅行も同じ班になれるといいね」
1年生の前期はただのクラスメイトだった。名前すら覚えているか怪しいくらいだった。なのに今、日色と一緒にいる。悠里はそれを奇跡だと思う。
悠里は微笑む。そして日色も照れたように笑う。
素敵だと思う。
この気持ちを忘れずにいたいと悠里は強く願った。
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