エピローグ
喉シロップの小瓶が効いたのか、それとも本当に心の整理がついたのか、以降アッシュはすっかり毒気が抜けて大人しくなった。
経緯はどうあれ、アッシュが惨めな生活を送っていたのは事実だから、とラエラは言った。それで罰は受けたと見なすと。
これまで通り、アッシュは森の家に住み続けるが、使用人に関しては最初の取り決め時の条件に戻す事になった。
最低限の使用人、洗濯、料理、掃除の3人を置ける事になる。
それら使用人の賃金は5年限定でヨルンが出すが、アッシュの生活資金は今後アッシュ自身が捻出する。
と言っても、今の所は食べる分と新しく着る服の分、あとは石鹸とかの消耗品くらいだ。
これからアッシュは、頑張って木を切り、木材にして売りに出し、必要なら植林し、拓けた土地に畑を作って、自分を養う為の金を捻出しなければならない。
最初に移動して来た時と違う点は、アッシュの下で働く人員がいないこと。
つまり今回は、アッシュが頑張るしかないのだ。もちろん、望めばこちらも人を雇う事はできる。賃金をアッシュが払うならばの話だが。
今はヨルンが給料を代わりに支払う使用人たちもそうだ。
5年後ももし雇い続けたいのならば、今度はアッシュの稼ぎで給与を払わなければならない。
兎にも角にも金を稼ぐ必要があると思い知り、アッシュは真面目に働き始めた。
それから約1年後、ヨルンからアッシュにある提案が出された。
林業と畑の手伝いをする者をお試しで雇わないかというものだ。
「僕の推薦なので、お試し期間の1年分の給料はこちらが出します。その後、もし兄上が続けて雇いたいと思ったら、お2人の間で契約を結んで下さい」
ヨルンが連れて来たのは、前トムナン男爵夫妻―――リンダの両親だった。
爵位を売って慰謝料を払った後、平民となって細々と暮らしていた元男爵は、最近働き先で詐欺行為に遭ったという。
覚えのない商品の破損の罪をなすりつけられ、賠償金代わりに、もらう筈だった給与を取り上げられ、解雇の上に放り出された。
幸いと言っていいのかどうか、リンダの下にいた子どもたちは既に自立していた。だが、リンダが産み落とし、彼らが養女として引き取った女児がいる。その子はまだ9歳で、まだまだ世話と金が必要だった。
家賃を払えず借家から追い出され、3人が途方に暮れていた時、ロンド伯爵家からの使いがやって来た。
ヨルンはアッシュの家から少し森の入り口よりに小さな家を建て、そこに元トムナン男爵家を住まわせた。
元男爵はアッシュの手伝いで木の伐採や製材作業を、元男爵夫人は女児と一緒に畑を耕して野菜を育てた。
アッシュとしては、元男爵夫妻と顔を合わせるのはかなり気不味く、更には、リンダが産んだ娘には複雑な感情を抱いていたものの、いざ毎日顔を合わせるようになると、意外と普通に対応出来た。
何より、元男爵夫妻はとても腰が低く、アッシュを苛立たせるような事はしないし、言わない。
平民に落ちてからの生活がよほど苦しかったのか、今回の雇用に深く感謝し、真面目に働いた。
美しい容姿をバイツァーから受け継いだ女児は、幸いな事に心根は生みの親に似る事はなく、元男爵夫妻をよく助け、真面目に働いた。
やがて成長した女児は、近くの村の大工の息子と恋をし、花嫁として嫁いで行くのだが、それはもっとずっと先の話だ。
さて、ヨルン持ちで人手が増えた結果、アッシュの懐事情に余裕が出来た。
最終的には、更に数名の林業従事者を雇い、植林と並行しながら安定した林業事業を行うようになる。その頃、正式に森一帯の土地がアッシュの名義に変えられた。
あともう一つ、アッシュの木材の納め先のひとりに、彼の父ギュンター・ロンドがいた事だけは付け加えておこう。
ラエラが着けていた髪飾りや首飾り、ブローチなどで、その繊細な彫りに密かに注目され始めていたギュンターは、ある時、友人の頼みで彫った大鷲像で一気に有名になった。
テンプル伯爵邸のエントランスに飾られたそれは、飛び立つ寸前の羽を広げた大鷲の彫刻像で、大人の男性が両腕を広げたと同じサイズの大作だった。
その勇壮さと威風に、テンプル伯爵邸を訪れた者たちの多くが魅了され、口伝えにギュンターの名が知られるようになり、同時に制作注文の連絡が多く入るようになった。
年齢を重ねてから始めた制作、そして隻眼のハンデもあり、ギュンターが亡くなるまでに世に出た作品はそう多くない。
だが彼の作った物で、特に置き物の人気は今も高く、亡くなった後は更にその価値が吊り上がったが、有名になるきっかけとなった大鷲の置き物はテンプル伯爵家秘蔵のまま、売りに出される事はなかった。
最後に、これらの物語の中心人物となったラエラだが、その後ヨルンとの子を更に4人産み、合わせて3男2女の母となった。
ヨルンもまた良き父、後には良き祖父となったが、常に最優先すべき存在が愛する妻ラエラである事は、生涯変わらなかったと言う。
【完】
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
君は強いひとだから 冬馬亮 @hrdmyk1971
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます