ちょっとした、下らない、それの話
アッシュとの話を終えたラエラとヨルンが、馬車に乗って森の入り口の家に向かう途中のこと。
「ヨルンさま。どうかご機嫌を直して下さいな」
ラエラは苦笑しながら、微妙にへの字に曲がったヨルンの口元を人差し指でそっとつついた。
「・・・別に機嫌が悪い訳ではありません」
そう返したヨルンは、実はやっぱり少し不機嫌である。だが、本人はそれを認めない。いや、認めたくない。
最終的にラエラが下した裁定が、かなり甘かった事が理由ではない。
もちろん8年前のヨルンは、兄アッシュに対して、もっと苛烈な罰を森の家の別案として想定していたのは事実だ。
だが、1番の被害者であるラエラが緩い処遇でいいと言うのなら、ヨルンはそれに否やはない。
特に、今回の事は、前ロンド伯爵夫妻―――つまり、アッシュとヨルンの両親の気持ちを慮った結果であるから尚更に。
今のヨルンの不機嫌の理由は、アッシュにとっても、喉シロップの小瓶が、ラエラにまつわる思い出として鮮明に記憶に残るであろう事実に対してだ。
少し寂しい、少し悔しい、少し残念、そんな感じ。
そう、ヨルンも分かっている。これはちょっとした嫉妬、下らないヤキモチだ。
なんと子どもっぽい、とヨルンは思う。思うから、ラエラに上手く返事ができない。がっかりされたくないのだ。5歳も年下の夫は、やはり思考が幼いのね、なんて。
「ヨルンさま」
どうしたら上手く取り繕えるかとヨルンが悩んでいると、名前を呼ばれるのとほぼ同時に、ちゅっと頬に柔らかい感触が当たった。
「・・・っ」
驚いて、感触のあった頬に、ヨルンは手を当てた。
そんな夫を、ラエラは頬を赤らめながら見上げて口を開いた。
「本当にごめんなさい。あれはわたくしとヨルンさまの思い出の品でもあるのに。でも、なんとかしてアッシュのよくない考えを全部吹き飛ばしてしまいたかったの。それなら、あの小瓶しかないと思ったのです。あの時、怒りと悲しみと混乱でぐちゃぐちゃになっていたわたくしの頭の中を一瞬で真っ白に塗り替えてくれた、あの小瓶しかないと思ったの」
ラエラは再び腰を浮かして、ヨルンの頬に口づけた。ちゅっと軽いリップ音が、2人きりの馬車内に響く。
「・・・もっと、して下さい。ラエラさま、もっとたくさん」
掠れた小さな声で、ヨルンがねだる。でも、先ほどまでへの字に曲がっていた口元は僅かに緩み、頬どころか耳や首まで真っ赤になっていた。
それはそうだ。ラエラとヨルンの夫婦仲はすこぶるよいし、普段からイチャイチャしているが、基本いつも行動を起こすのはヨルンだ。こんな風に、ラエラから口づけられたのは初めての経験で。
ヨルンの求めに応じて、ラエラは更に夫の頬に数度唇を落とせば、いつの間にかヨルンの感情はすっかりと浮上していた。
「・・・ラエラさま」
ヨルンがぽんぽんと自分の膝を叩く。
察したラエラが、夫の膝の上にそっと体を乗せ、首の後ろに手を回し、今度は何を言うともなく自然と唇を合わせた。
馬車が森の入り口の家に到着するまで、2人はそうやってずっと触れ合っていた。
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