二時間と高級メロンソーダ

雨虹みかん

二時間と高級メロンソーダ

 満員電車が苦しい。

 学校の最寄り駅に近づくにつれて人が増えていく。

 私はこんなに毎日苦しい思いをしているのに、どうして倒れないのかな。

 いっそ倒れてしまえたら楽なのに。

 学校の最寄り駅に着くと同じ制服を着た高校生たちが降りていった。いつもはその流れに合わせて降りるのだけれど、今日はなぜだかぼーっとしてしまい、車内に立ち尽くしていた。私の後ろにいた人が降ります、とぐいぐいと押してくる。よろめきそうになりながら空いているスペースに移動した。降りるか降りないか迷ってるうちに、電車のドアが閉まった。

 ぷしゅー、と音が鳴り、電車が発車する。

 私は初めて学校をサボった。


 電車の窓に知らない景色が映し出される。

 私はどこに行くつもりなんだろう。

 分からない。もういいや、眠ってしまおう。そして起きた駅で降りて散歩でもしよう。

 私は運良く空いた席に座ると目を瞑り、電車に揺られた。


 夢を見た。

 真依と奏美と私の三人でプリクラを撮る夢。

 印刷されたプリクラに私の姿がなかった。

 私も同じポーズをしてカメラに写ったし、落書きの画面では私もいたのに。

 印刷されたプリクラに写っていたのは、真依と奏美だけだった。


 アナウンスの声ではっと目を覚まし、電車を降りた。

 この駅か。

 一時間くらい眠ったと思っていたが、最寄り駅から三駅分しか移動していなかった。改札を抜け、階段を上がると、目の前に繁華街が広がった。まだ朝の八時だから、十時開店のファッションビルはまだ開店していない。朝の街はがらんとしている。繁華街にいるのに何もやることがないなんて不思議な気分だ。行き先もなくぶらぶら歩いていると、脳裏にある場所が思い浮かんだ。朝でも開いてるといったらあの場所だ。私はやってみたいと思っていたことがあった。それは、一人でカラオケに行くこと。


 エレベーターに乗って、カラオケボックスのある階まで上がった。最近流行っている曲がBGMとして流れていて私もついつい口ずさんでしまう。

 どうぞー、とフロントの店員さんが私を呼んだ。

「お客様、学生さんでしょうか。学生証の提示をお願いします」

 制服見たら分かるでしょう、と思いながらカバンから学生証を取り出し店員さんに見せる。

「はいっ。ご確認できました。お返しいたします」

 こんな朝に制服姿で来てるのに不思議に思わないのだろうか。しかし今は何も触れてこない店員さんが優しく思えた。とりあえず、ファッションビルが開店するまで暇を潰そう。

「時間はどうなさいますか?」 

「二時間でお願いします」

「お飲み物はどれにいたしますか?」

「メロンソーダで」

 高いなぁ、と思いながら私はメロンソーダを頼んだ。自動販売機では200円あればお釣りが来るのに、カラオケでは400円もする。高級メロンソーダだ。伝票を受け取り、そこに書かれた部屋に向かう。部屋に入り、エアコンを付ける。ハンガーにコートを掛けたり、タブレット式のリモコンをテーブルに移動させたりしているうちに、コンコンコン、ドアをノックする音が聞こえ、店員さんが部屋に入ってきた。

「メロンソーダでございます」

 私はぺこりと礼をして、店員さんが部屋から出ていくと、早速メロンソーダを一口飲んだ。

 人工的な味と炭酸で舌がびりびりする。

 メロンソーダなのにどこにもメロンを感じない。色はメロンだ、と思ったが、よく考えるとメロンの色はこんな水彩絵の具を水に溶かしたような緑色ではない。

 私みたいだ、と思った。

 三人グループなのに、私はどこにもいない。形だけ三人グループで、蓋を開ければ二人組。メロンソーダでーす、という顔をしながら、飲んでみたらメロンはどこにもいないように。

 コップをテーブルに置き、タブレットを手に取った。

 私はカラオケが苦手だ。いや、カラオケの「雰囲気」が苦手だ。場が盛り上がる曲を選んで、ノリノリでタンバリンを叩くあの空間。表面だけのあの空間。真依と奏美とカラオケに来た時もそうだった。流行りの曲を選んで歌うだけ。私は流行りの曲に疎いからその雰囲気に溶け込めなかったし、マイクは二つしかないから、私はタンバリン役をした。紗良も歌おうよ、と声をかけられても私は首を振った。愛想笑いをしながらタンバリンを叩いていると、あれ、私ここにいなくてもいいんじゃないか、と思えてきた。一度それに気付いてしまったらもうそうとしか思えなくなり、タンバリンの音がうるさく感じた。

 だけど今日は違う。一人だから、好きな歌を選べるし、歌うことに専念できる。

 好きなバンドの一番お気に入りの曲を予約すると、モニターに曲名が映し出された。ミュージックビデオの上に歌詞が並んだ。

 あー、あー、とマイクの音量を確認し、イントロが終わると息を吸った。

 響く。

 自分の声が確かに耳に届く。

 マイクを通した歌声が、ここにいるよと存在を示してくる。

 なーんだ、一人でも楽しいじゃん。

 真依と奏美が正式に二人組になって、私が一人になればいいだけじゃないか。

 それが一番良い。

 

 夢中になって何曲も歌ったので喉がカラカラになった。私は歌うのを中断し、メロンソーダを飲んだ。氷が溶けて味が薄まっていた。

 時間を確認すると、退室時間まで残り五分だった。こんなに時間が過ぎていたのか。あっという間だった。そろそろ帰る準備をしよう。私はコップに残ったメロンソーダを飲み干した。

 帰る準備をしていると、突然頭の中にある疑問が浮かんだ。

 真依と奏美は一人でカラオケに来たら何を歌うのだろう。

 何にも思い付かなかった。

 私ははっとした。

 あの二人のこと、何も知らないのかもしれない。

 料金を支払い、店を出ると、今からファッションビルに行こうという気にはなれなかった。

 今から行けば体育の授業に間に合う。私は駅に向かった。


 学校に着いたのはちょうど現代文の授業が終わった時だった。ロッカーからジャージを取り出し、更衣室に向かう。私の前を女の子三人が歩く。更衣室の前は混雑していて、三人は自然と二対一に分かれていた。二対一の一になった子はなんとか隙間を見つけて二人の横に並ぼうとしている。

 みんな必死なんだ。

 ばかみたい。

 なんだかおかしくなってきた。


 更衣室に入ると、真依と奏美が更衣室の奥で、おーい、と手を振っていた。

 待ってたんだよー。紗良がいないと寂しー。今日の現代文何だった? 後でノート見せる! ありがとう!

 私たちはそんな会話をしながら三人で並んで廊下を歩き、体育館へ向かった。


 「あー、疲れた」

 真依が手をぱたぱたと動かしてうちわ代わりにしている。休憩しようか、と奏美が言い、私たちは壁際に移動した。

 向かいの壁際では同じクラスのりらとユカと美波の三人がバドミントンのラケットをくるくると回しながら話している。

 恋バナでもしているのか、ユカと美波がキャーキャー騒いでいる。りらは笑っていなかった。

 みんな同じなんだな。

 三人グループは難しい。

 この事実は変わらないんだな。


 私はカラオケで買った二時間を、メロンソーダのどこがメロンなのか分からないまま過ごした。四月から今までも私は二人のことを何も知らないまま過ごした。私たちは形だけの関係だ。私は二人のことを何も知らない。きっと二人も私のことを知らない。

 みんな表面だけなんだ。

 メロンソーダみたいな私たちは、クラスが離れたらきっともう話さなくなるんだろうなと思った。お揃いのキーホルダーも外すのだろう。

 せっかく出会ったのに?

 毎日一緒に過ごしているクラスメイトなのに?

 私はなんだか勿体なく思えてきた。

 あと一ヶ月でクラス替えだからいいや、じゃなくて、あと一ヶ月でクラス替えだから、二人のことを知ってみようか。二人に私のことを知ってもらおうか。

 私は、あのさ、と二人に話しかける。

「好きな歌の話しよう」

 口の中に残る、帰り際に飲み干した高級メロンソーダの甘みが私の背中を押してくれる。


 私あのバンドが好き。

 そうなんだ!

 本当は流行りの音楽詳しくないんだよね。

 実は、私もそうなんだ。

 えー! 意外。

 私今度アイドルのライブ行くよ。

 いいね!

 私たち、お互いの本当に好きなもの、全然知らなかったんだね。

 四月からずっと三人でいたのにね。

 そうだ、今度カラオケ行かない?

 今度はさ、盛り上がる曲とか気にしないで、それぞれの好きな曲を歌おうよ!

 え、それめっちゃよくない?

 楽しみー!


 みんな、メロンソーダの一部になったふりをしていたのかもしれない。

 本当はみんな一人だったんだ。

 三人グループで必死にもがいて形だけの毎日を過ごしていたのかもしれない。

 私は涙が出てきた。

「ちょっと紗良、なんで泣いてるのー?」

「ほらほら、ティッシュあるよ」

「ありがとう」

 私は口に残るメロンソーダの風味の中に、メロンの味を見出した気がした。

 今ならあの高級メロンソーダに言える。

 あなたは確かに、”メロン”ソーダだって。

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