雨に濡れながら君に会いに行く

森月 優雨

雨に濡れながら君に会いに行く

「なあ、幽霊に会ったって言ったら信じるか?」

 昼休み、学食で向かいに座っている友人は俺の言葉に箸を止めて目を丸くした。

「……なに? ドッキリか?」

「ちげーよ。……いや、やっぱなんでもないわ。忘れてくれ」

「それは難しいな。お前のそんな珍しい冗談、忘れられるワケないって」

 冗談、か。そりゃそうだろう。幽霊なんているわけない。人間の作りだした空想、妄想、幻だ。俺も心霊番組や霊媒師だなんだというのをバカしてきた口だ。……そう、つい昨日までは。

「因みにそのジョーク、詳しく聞いてもいいものなの?」

「……言ったって信じないだろ?」

「話のネタにはなる」

 なるほど。俺だってこいつが「化け物を見た!」なんて言い出したら、その信憑性はともかくとして、詳しく聞きたくはなる。話のネタとして。

 俺はバカにされるのを覚悟しながら、昨日の出来事を話すことにした。


 それは放課後に友人達と別れた後の事だった。

 自宅に帰る途中、街を縦断している川を渡る為、ある橋を渡る。その橋は両側の手すりが真っ赤な古い木造の橋で、良く言えば趣がある、悪く言えば不気味である。地元ではちょっと有名なスポットだ。手すりが赤色なのは血に染ったからだとか、夜中に通ると呪われるとか、そんなくだらない噂が昔からある。

 しとしととした冷たい雨が降るなか、傘をさしながら空いた手で凍える身体を擦り、その橋に足を踏み入れる。早く帰ってコタツに飛び込みたい。寝転びながらゲームでもしようか……。無意識に足が早まったが、橋のちょうど真ん中辺りで俺は思わず足を止めた。

「おい、あんた……」

 無意識に声をかけてしまう。

「……寒く、ないのか?」

 橋下を流れる川を見つめるその瞳は、まるで氷のようで。腰まで伸びた艶やかな黒い長髪は、まるで夜空のようで。病的なまでの白い肌は、まるで雪のようで。

 その少女は、まるで世界の終わりに立ち会った最後の人類のような、そんな寂しさを纏ってそこに立っていた。

「……私が、見えるの?」

 その少女はゆっくりと此方を向き、想像通りの冷たい声で呟いた。

 俺は瞬間、ゾクッと悪寒を感じた。人間では無い。人間では無いナニカ。俺はナニと話してるんだ? だってそうだろう。生気がないとかいう曖昧なイメージではなく、この少女は雨の降る十二月に、傘もささずに、防寒どころか夏の出で立ちのような真っ白なワンピースを纏っていて、全身を雨に濡らしながらも凍えている様子もない。そんなの人間なわけが無い。

 触れてはいけない。関わってはいけない。いや、見てはいけなかった。声をかけてはいけなかった。──だと言うのに。

「……見えるし、聞こえる。風邪ひくぞ。ほら」

 俺はその少女に傘を差し出していた。

「…………」

 その少女は無言で暫く俺の差し出した傘を見つめていたが、まるでからくり人形のようなぎこちなさでそれを受け取った。

「……じゃあ、俺は行くから」

 俺は気恥しさを隠すように踵を返し、その橋から立ち去った。

 あれは幽霊だ。本物だ。幽霊に会ったら怯えながら逃げるものだ。だが俺は、恐怖よりも勝る感情を抱えていた。だってあれはあまりにも──


「……つまんねえ」

 俺の話を聞き終えた友人は、言葉通りつまらなそうに吐き捨てた。

「幽霊だろ? お化けだろ? もっとこう、なんかあんじゃねーの? 襲われたとか、呪われたとかさ」

「悪かったなつまらなくて」

 まあ、俺自身つまらないと思う。くだらない、オチもない話だ。だが俺は、くだらねえと吐き捨てて忘れることが出来なかった。


 その日の放課後、俺はまたあの橋へ足を向けた。それは当然のことだ。そこは俺の通学路なのだから。何を期待するでもない。そう、またあの少女がいたらなんて考えたって──

「……」

 それは……当然のことのように思えた。そこに少女はいなかった。


 それから1週間ほど経ったが、毎日のように通うあの橋に少女は現れなかった。

 俺は普通の高校生として淡々と日々を過ごした。放課後は友人たちと遊び、家に帰ったらバラエティ番組を観るかゲームで遊ぶ。お気に入りの音楽を聴きながら眠りにつく。何も今までと変わらない、普通の生活。普通の俺。普通の……俺。

 ──あの日の事が忘れられない。


 そんなつまらなくも平凡な日々を送っていたある日の放課後、俺は途方に暮れていた。今朝見た天気予報、大嘘つきじゃねえか。こんな土砂降りなんて聞いてない。軽快なダンスというより、ライブ会場のような騒がしいほどの大雨だ。

「お前傘ねーのか? なら俺のを貸してやる。──その代わり、今度のカラオケは奢りな」

 そう言って友人が渡してきたのは、この土砂降りに対抗するにはあまりにも頼りない小さな折りたたみ傘だった。

「借りしてくれるのはありがてーけどさ、これじゃ……」

 俺の文句から逃げるように、友人は足早に去っていった。

「……これじゃあカラオケ代は高すぎるだろ」

 ボヤきながら、その小さな傘を広げて学校を出て帰路へ向かう。それにしても今日は冷える。まるであの日のような──

「……まさか、な」


「マジかよ」

 その少女は同じ場所で、同じ格好であの日と同じ様に立っていた。雨に濡れながら、相変わらず冷めた瞳で橋上から川を見下ろして。

「……また来たの?」

「またって……いつも通ってる俺の通学路だ。そんなことよりそれ……」

 少女はあの日俺が渡した傘を手に持っていた。

「なんでささないんだ?」

「別に、濡れても平気だから」

「平気なわけないだろ。こんなに寒いのに」

「別に、寒くないから」

 何を言ってるんだ? そんなの人間とは……。

「そんなことよりあなた、どうして私が見えたの?」

「どうしてって……見えるんだから、当たり前だろ」

「他の人達は私に見向きもしないのに」

 無表情のまま、少女は呟く。そこに確かに存在しているのに、存在していることがおかしいような、そんな矛盾。人間のようで、人間では無いような、そんな違和感。

「……あんた、何者なんだ?」

「私? 私は……」

 少女は一瞬視線を地面に落としてから、淡々と口にした。

「私は幽霊。亡霊よ」

 なるほど、幽霊か。そうか、それなら納得が──

「そんなわけない、だろ。幽霊なんて、この世にはいない」

 絞り出すように答える。だってそれが普通だ。常識だ。生まれてから十七年、積み重ねてきた「当たり前」はそんな簡単に壊れない。壊れてはいけない。

「私は幽霊よ。こうして目の前にいるのに、信じられない?」

「……」

 俺は黙ってしまう。だってそうだろう? この凍てつくような雨空の下、顔色一つ変えずに雨に濡れ続ける少女。俺にしか見えないらしい、生気のない少女。幽霊であることを……否定できない。

「だからこれはいらない。返す」

 そう言って俺の傘を差し出してくる。俺は流れのままそれを受け取りそうになって、既のところで手を止めた。

 少女は不思議そうに首を傾げる。

「それは、返さなくていい」

 俺はまた喉の奥から絞り出すように言葉を返す。

「どうして?」

「幽霊だって、傘をさしてもいいじゃないか。いや、さすべきだ。じゃないと見てるこっちが寒くなる」

 俺の言葉に、その少女は初めて表情というものを顔に浮かべた。

「……ふふっ」

 目を丸くした驚き顔から一転、可笑しそうにあどけない笑顔を見せたかと思うと、少女は俺の傘を広げる。そうしてまるで舞い散る花弁のような軽やかに、まるで妖精のような美しい所作で、くるんと一回転してみせた。

「あなた、面白い人ね。名前は?」

 俺はその仕草に見惚れながら、なんとか自分の名前を口にした。

「そう、私は……いえ、幽霊が名乗るなんておかしな話よね。……それなら公平に。あなたの名前も忘れるわ」

「はは、聞いといてなんだそりゃ」

 おかしなやつだと思った。だが、仮面のような無表情以外の色を見せられたことで、不思議と親近感のようなものが心に芽生えた。それだからか、俺は少女に自然と疑問を投げかけていた。

「なあ、あんた、もしかして雨の日にしか現れないのか?」

「あら、よく分かったわね。毎日私に会いにでも来てたの?」

「だから、ここは俺の通学路なんだって」

「そんなことも……言ってたわね。あなたの言うとおり、私は雨の日にしか出て来れないの」

「そうか。また雨が降ったらここに?」

「そうね。また雨が降ったらここに」


 そうして俺は雨が降る度、この自称幽霊な少女へと会いに来るようになった。


「なあ、最近いい事でもあったか?」

「あんだよ急に」

 いつものように友人と学食で昼食を共にしていると、世間話の途中でコロッと話題が変わった。

「別に、なんもねえよ」

「そっか。女でも出来たんじゃねえかと思ったよ」

「……どうしてそう思うんだ?」

「なんか浮かれてる気がするから。お前、顔に出ないタイプだけどよ、なーんか最近まとってる空気が違うっつーのかな。特に雨の日に」

 こいつ……俺が思ってる以上に人のことよく見てるんだな、なんて感心する。

「まあ、なんとなく思っただけだ。それよりもさあ、今度の日曜なんだけど──」

 特に追求してくるわけでもなく、またコロッと話題が切り替わる。

 適当に相槌を打ちながら、俺は考えてみる。

 俺は浮かれているのだろうか? しかも雨の日に? それは何故だ? 何故。……いや、考えるまでもないのではないか。きっとあの日から、いや、初めから俺は──


「こんにちは。また来てくれたのね」

「ああ、今日も冷えるな」

 あの日から、少女は傘をさすようになった。俺が渡した、洒落っ気のない真っ黒な傘を。

「なあ、幽霊ってのはいつも暇なのか?」

「あんまりな言い方ね。だけど、まあ、そうね。別にやりたいことも何もない。暇な日々よ。楽しくない、平凡な日々」

 少女は言葉とは裏腹に、少し楽しそうに、微笑みを隠しているように見えた。俺の願望かもしれないが。

「どうして雨の日にしか出て来れないんだ?」

「どうして……でしょうね。それは私にも分からないわ。目が覚めるといつも雨が降っている。それだけ」

 目が覚める、という言葉に引っかかりを感じるが、まあそういうことなのかと納得をする。

 この少女は嘘をつかない。何故かそんな確信がある。だからこそ、この少女が幽霊なんだと、そんな非現実的なことも納得せざるを得なかった。

「あなたもいつも暇なの? 毎日……いや、これは私の認識ね。雨の度にここに来るけど」

「まあ雨の日は遊びも限られるからな。それに雨の日っていうのはみんな出掛けるのに億劫になる」

「そういうものなの?」

「そういうものだ」

 浮世離れしてる……と感じることがある。この間なんかはカラオケもファミレスもゲーセンも行ったことがないと言うものだから驚いた。幽霊っていうのは初めから幽霊なわけじゃない。生前の記憶だってあるものだと思うが。年頃は俺よりちょい下ぐらいに見えるこの少女は、年相応の遊びを知らなかった。

「こんなことを聞くのも変な話だけどさ、漫画とか、ゲームは好きか?」

「ゲーム……はわからないけど、本は好きだわ。漫画よりも小説とか……絵本が好きだけど」

 顔を背けながら少女は答えた。絵本、か。最後に読んだのはいつだったかな……。ふむ、記憶にないぐらい幼い頃だ。

「漫画もゲームも面白いぞ。俺は遊びに行く予定がなければ家で漫画をだらだら読むか、ネトゲだ」

「ねとげ?」

「あー、オンラインゲームのことだ」

「おんらいんげーむがどうしてねとげに?」

「……細かいやつだな。インターネットゲーム。略してネトゲだ」

「いんたーねっとげーむとおんらいんげーむは同じってこと?」

「そういうことだ。今どきネトゲも知らないのか」

 口に出してからしまった、と後悔する。もしかしてこの少女は昔に生まれた幽霊なのではないか? だとしたら今どき、なんて知らなくて当然だ。不躾な言葉だったか、と勝手に悔いてしまう。

 俺は後悔から俯いて口を閉ざしていたが、少女は気にすることなく続けた。

「そう、世の中には面白いことがいっぱいあるのね。それは素敵なことだわ」

「素敵なこと、か。そうだな。面白いことはいっぱいある」

 人生経験の浅い平凡な高校生である俺だが、別にこの世界に対して卑屈になってるわけでもない。楽しいことは沢山ある。だから俺は、正直な想いが口から溢れ出る。

「なあ、あんた、今度──」

「あ、そろそろお別れね」

 俺の言葉をさえぎって、少女は空を見上げる。いつの間にか雨足は弱まっており、雲の切れ間から青空が見えた。

「またお話を聞かせて。それじゃあ、また」

 そう言って雨が止むのと共に、少女は初めから幻だったかのように姿を消した。


「それじゃあ、また」

 その言葉を胸にしまったまま、雨が降らない時間は淡々と、あっという間に過ぎ去っていった。

 何も変わらない、平凡な、平和な日々。非常識が入る余地のない、常識的な日々。

 俺はそんな日々に退屈していた。

 気づけば年を越えて一月も半ば、冷えたリビングでテレビの電源をつけると、天気予報のコーナーが流れていた。顔の整ったアナウンサーと謎のマスコットがこの街の天気予報を──

「あ」

 ドンッと音を立てて、手に持っていた通学バッグが地面に落ちる。

 明日は昼過ぎから夕方まで雨が降り続くらしい。それは俺にとって、何よりも大事なニュースだった。


「こんにちは」

「ああ、久しぶりだな」

 出会って早々、俺は無意識に口を動かしていた。

「久しぶり? ……そう、前に会った時からどれくらいたったの?」

「あー、悪い。そうだったな。一ヶ月ぐらいだな」

「それなら久しぶりね。私も悪かったわ、直ぐに気づけなくて」

「別に、謝ることじゃない」

 俺は走ってきた事を隠すために、必死に息を整えていた。俺らしくない、と自分に違和感。

「前にお別れするとき、あなた何か言いかけてたわね」

「……」

 俺は悩んでいた。それを口にして、断られたらどうしようか。それは可能なことなのか。そもそも相手は幽霊だというのに。俺はこの一ヶ月、ずっと悩んでいたんだ。

 相手は幽霊だというのに、その一歩が踏み出せない。

「どうしたの?」

 俺はどうしてしまったんだろう。幽霊を相手に。何を悩んでいるのだろう。亡霊を目の前にして。

「ねえ、ちょっと──」

「──なっ」

 伸ばされた真っ白な手を、俺は反射的に避けてしまった。

「……わ、悪い」

「いいえ、私の方こそごめんなさい」

 俯いて表情は見えなかったが、色味のない唇を噛み締めているのはわかった。

「……触れるのか、俺に」

 取り繕うように言葉を吐き出す。

「わからないわ。触れようとしたことがないもの」

 俯いたまま、少女は続ける。

「いいえ、そもそも私、幽霊だものね。幽霊は人に触れられない。それぐらい私だって知ってるわ」

 その言葉は震えていて、俺はそれ以上、そんな辛そうに言葉を吐き出す少女を見るのが嫌だった。だから俺は──

「試してみればいい。ほら」

 少女に手を差し出す。差し出した手は傘では守りきれなくて、雨に濡れてどんどんと冷えていく。容赦なく打ち付ける雨粒は、冷たいというよりも痛い、だ。だが、俺はその痛みから逃れる気はなかった。

「……」

 少女は黙って俺の手を見つめ続けている。

 俺も黙って手を差し出し続ける。冷えきった手は、段々と感覚を失っていく。

「……」

 少女は相変わらず黙ったまま、ゆっくりと震える手を伸ばしてくる。

 ──その白くて小さな手が、俺の手に触れる。

 その華奢な手は、俺に手の感覚を取り戻させた。

 冷たい……だが、確かに触れている。

 そこに彼女はいるのだと、その存在を証明する。

「──あ」

 俺は思わず、その手を引っ張り少女を抱き締めた。少女は手にしていた傘を手放し、それは風に飛んで視界から消えていく。

 冷たい、氷のような身体。

 温もりのない、人形のような身体。

 それでも確かに。確かに俺の身体に伝わってくる。

「──あんたは幽霊なんかじゃない。生きている」

 確かな鼓動が、そう俺に知らせてくる。

「……う……あ……」

 俺の胸の中で、少女は嗚咽を漏らしている。

 少女は俺の言葉を否定しない。震えるその身体を、より強く抱き締める。

「わた……しは……幽霊なんかじゃ……ない」

「ああ、そうだ」

「私は……生きて……いる」

「そうだ」

「……ねえ、もう一度聞くわ。あなたの名前は?」

「天水 慧(あまみ けい)だ。あんたは?」

「私は……雨宮……雨宮 結子(あまみや ゆうこ)。ねえ、ケイ。私を、見つけて……本当の、私を」

「本当の……私?」

 気付くとあんなに土砂降りだった雨は、弱く、細く、今にも止みそうになっていた。

「お願い……私、待ってるから」

「なっ、おい。どういうことだ?」

「私が待ってる場所は、さ──」

 その言葉は途切れて、消えてしまった。気づいたら雨は止んでいて、雨雲と共に雨宮 結子は姿を消した。


 それから一ヶ月、俺は結子に会えない時を過ごした。それは天気に関わらず、雨が降っても、雪が降っても、結子は姿を表さなかった。学校をサボって、雨の日に朝から夜まで待っていたこともある。雨が降ると俺はただただ待ちぼうけ。俺は途方に暮れていた。


「最近、お前おかしいぞ。どうした」

 友人から指摘されずとも分かっている。俺はおかしくなっていた。そんなのとっくのとうにだ。

 人はおかしくなるもんだ。そう、そんなことを俺は今まで知らなかった。

 小っ恥ずかしいことだが……人は恋をするとおかしくなるものなんだ。

「やっぱり女か? そうなんだろ」

「ああ、その通りだよ」

 俺の返事に、友人はポカーンと口を開けている。咀嚼中の汚ねえ物が見えるから口を閉じてくれ。ただでさえ最近侘しい食欲がさらに無くなるだろ。

「そ、そうか。相手はどんななんだ? 同級生? え、てかウチのクラス?」

「……どこの学校に通ってるのかも……歳もわからないんだ」

「は? なんだそれ。相手の名前は?」

「名前は……聞いてる」

「なるほど。上手くいってる……感じじゃないよな。何にお困りだ?」

 友人の言葉に、俺は俯いていた顔をハッとあげる。なんというか……らしくない。

「なんだその顔は。らしくないとか思ってんだろ。俺はお前の友達だぞ。例えお前にとって友達Aだとしても、恋愛相談ぐらいは乗ってやるさ」

 そうか。一人で抱え込むのも限界だと思っていた。だが、俺には相談できる友人がいる。そんな当たり前のこと、直ぐに気づけば良かったのに。

「……相手と急に会えなくなったんだ。俺がなにか間違えたのかもしれない。もっといいやり方があったのかもしれない」

「なるほど、自分の非で相手を傷つけたかもしれないと。それで会えなくなったのかと。そういうこと?」

「……まあ、そう思ってる」

「で、相手は?」

「いや、だから相手は会えなくて──」

「最後に会った時、別れ際になんて言ってたんだ?」

 最後。最後に結子は……。

「私を探してくれって。そう言ってた」

「じゃあ探せばいいじゃないか。また会いたいんだろ? 簡単なことだ。その相手に惚れちまってるなら、駆けずり回って探せばいい。その後のことは会ってから決めればいい。違うか?」

「……」

 そうか。俺はただただ途方に暮れて、待つだけだった。でもそうじゃないんだ。

 俺は結子に会いたい。また話しがしたい。また触れたい。結子に楽しいことを教えたい。笑ってる顔が見たい。それならば──

「そうだ。探してくれって言ってた。俺、何がなんでも探しだして、もう一度会うよ」

「ああ、そうすればいい。振られた時は慰めてやる。カラオケフリータイム奢りだ」


 俺は待つのをやめて会いに行くことにした。

 学校中の生徒に聞いて回った。教師にも聞いてみた。他校の生徒にも聞き込みをした。無我夢中で、あてのない捜索劇だが、確かに俺の胸には火がついていた。

 街に積もった雪が溶け始め、季節が冬から春に移り変わろうかという頃、俺は結子のことを知っているという人物に出会った。

「あの子はね、昔から身体が弱くて……。重い病気なの。小学校も三年生に上がった頃から来なくなって。もう高校生になる歳なのに。今では寝たきり、意識も戻らないみたい」

 胸が苦しく、身体が重たくなるのを感じた。だが、立ち止まる理由にはならない。

 入院先は五月病院といって、最寄りの駅から電車で三十分、五月駅からバスで十分のところにあった。

 俺は改札を駆け抜けて電車に飛び乗る。三十分、なんて長い時間なのだろうか。俺は逸る気持ちを押さえつけながら、その永遠のように感じる時を過ごす。

 目的地に着くと、転がるように電車から飛び出して、バス停へと走る。次のバスまで……十五分と表記がある。

 もはや逸る気持ちを抑えきれず、バスを待つことなく目的地まで走り出す。

 いつの間にか、重量感のある分厚い曇天から雨が降り始めた。俺の身体に穴を開けるような、鋭利な雨が刺さる。

 冷たい。痛い。苦しい。足を止めたい。そんな弱い自分を置き去りにするかのように走り抜ける。

 俺は息を切らしながら、真っ白で大きな、まるで城塞のような目的地に辿り着いた。


 受付で部屋番号を聞き、真っ白で迷路のように入り組んだ通路を走り抜ける。真っ白な階段を2段飛ばしで駆け抜ける。そうして俺は、結子の眠る部屋へと辿り着いた。


「……」

 ここまで来たっていうのに、扉を開ける手が思うように動かない。俺は震える手を押さえつけ、深呼吸をしてから扉をスライドさせた。


 そこには、少女が眠っていた。


 俺は眠り姫に歩み寄り、その静かな寝顔を見つめる。

 俺が知っている、俺が出会った、俺が心惹かれた少女、雨宮 結子だった。

 真っ白なシーツに置かれた真っ白な手を握る。冷たい。だが、確かに生きている人間の手だ。幽霊なんかじゃ、決してない。

「なあ、俺はあんたが幽霊だって言ったとき、半信半疑だった。幽霊なんているはずないっていう常識と、本当に生きてる人間じゃないんじゃないかって非常識がせめぎ合ってた」

 俺は反応の無い顔を見つめながら続ける。

「でもさ、あんたと話してるうちにどうでも良くなっていったんだ。幽霊でも、そうでなくても。俺はただ楽しかった。あんたは色々と知らないことが多かったけど、俺の話を聞いてうずうずとにやけていたのが面白かった。あんた、隠してるつもりだったんだろうが、俺は気づいてたよ」

 自然と、握る手の力が強くなる。

「俺が言いかけたこと、気にしてたよな。あれはさ、いつもこんなとこで話すんじゃなくて、もっと色んなところを見に行かないかって誘おうと思ってたんだ。あんたと色んなところに行って、あんたがもっと楽しそうにしているところが見たかった」

 握った手に雫が落ちる。……そうか、雨が降ってたしな。雫を手で拭う。また落ちてくる。拭う。落ちてくる。拭う。

「……」

 どうやら雨はやまないらしい。俺は祈るようにその小さな手を両手で握る。

「もう一度でいいんだ……俺の想いを伝えたい……だから頼むよ、ユウコ」

 俺は心の底から、奇跡を、魔法のような奇跡を祈った。

 

「……ケイ?」


 か細い、掠れた声が部屋に響いた。

「……ユウコ?」

 眠り姫は目を覚まし、横目でこちらを見ている。

「ケイ……見つけてくれたんだね。ありがとう」

「当たり前だ」

「ケイ、泣いてるの?」

「当たり前だ」

「ふふ、そう。ありがとう」

 結子はゆっくりと身体を起こした。俺は思わず、前の時と同じようにその身体を抱き締める。

「ケイ、ちょっと苦しいよ」

「……悪い」

 あの時とは違う。雨がやんだら消えたりなんかしない、本物の結子だ。

「ねえ、ケイ。私、あなたが──」

「俺は結子が好きだ」

 言葉を遮って俺は想いを伝える。

「だからそばにいたい。いつまでもだ。結子の笑ってる顔が見たい」

「……顔を見せて」

 抱きとめていた身体を離し、向かい合う。

「ケイ。私ね、幸せよ」

 目尻に涙を浮かべながら、結子は優しく微笑んだ。

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