「木竹内戦」
木竹内戦(きたけ-ないせん)とは、20▇4年2月10日から20▇4年5月24日に勃発した内戦である。「木の子竹の子内戦」とも言う。
<概説>
木竹内戦で対立したのは、八重路製菓が製造しているお菓子「木の子」と「竹の子」の各支持者である。戦前からこの両派の対立は話題になっており、通称「木の子竹の子戦争」という愛称で呼ばれていた。
内戦の発端は、「木の子竹の子の好みの言い争いが原因で起きた」といわれた殺人事件である(通称:木の子竹の子殺人)。
しかしそれはあくまで噂であり、この殺人事件の直接の動機は別の話題での口論であったことが終戦後に行われた裁判で判明している。
この内戦は1300人以上の連合軍死者、5000人以上の民間人死者を出した。正確な死者数は分かっていない。
<主な出来事(時系列順)>
1月30日
殺人事件が発生。
「木の子竹の子の好みでの言い争いが原因で起きた」という噂がSNSやメディアで広まる。
2月5日
八重路製菓が殺人事件を受けて声明を発表。木の子・竹の子の当面の製造中止を発表した。
声明で八重路製菓は「幸せをつくるお菓子がこうした事件を生むのは本末転倒であり、重く受け止めております」などと述べた。
2月10日
八重路製菓の工場へ、事務用品が入っているように見せかけた爆弾が送られる。事務員一人が開けたところ爆発。全治3ヶ月の怪我。
国軍隊員の一人が木の子・竹の子製造中止への報復を目的に行ったものであり、懲戒免職処分となった。
2月10日〜
国軍内や国会内で木の子派・竹の子派の対立が始まる。
当時の国軍幹部は、「そもそも木の子竹の子両方あるからこんな事件が起きた。ああいうお菓子は一つで十分。」とも述べていた。
2月20日
これ以上の対立や報復行為を無くす目的で、国内を3月1日から「木の子連合」と「竹の子連合」の二つの領地に分ける特別措置「木の子竹の子連合特別措置」が国会で賛成多数により決定。
領土を二分割し、あらゆる機関・企業も二分割して両連合に設置することで、国を連合二つとして扱うという措置である。
特別措置には両連合に一切の武力行為及び報復行為を禁じることも含まれており、実質の和平合意を求めるものであった。
3月1日
木の子竹の子連合特別措置が適用開始。
3月1日ごろ
両連合に設置された八重路製菓の工場(それぞれ木の子連合工場、竹の子連合工場と呼ばれた)で、木の子と竹の子の製造が再開される。
3月2日
連合の境界線付近で両連合軍の武力衝突が発生。
これをきっかけに両連合の対立は激化することになった。
3月5日ごろ
両連合で木の子・竹の子の一般発売再開予定が取り下げとなる。
木の子・竹の子の配給制度が開始。
配給分以外の木の子・竹の子は各連合軍へと渡った。
3月20日ごろ
国内から投稿されたインターネット上の文章が検閲されている様子が確認されるようになる。
終戦後に各連合政府は、各政府主導で検閲を行っていたことを認めた。
4月15日
両連合が民間人居住地への空襲を開始。
5月22日
両連合軍が八重路製菓の各工場への特攻を行う。
これによって両連合にあった八重路製菓の各工場は全壊。木の子・竹の子を製造する設備や製造マニュアルも全焼した。
5月24日
両連合軍と両連合政府が合同で終戦を宣言。
これにより両連合の和平合意及び統合が決定する。(木竹連合平和宣言)
声明では「私たちは大切な国民、そして戦う理由を失った」と述べた。
<木竹内戦時に製造されたもの>
・木の子、竹の子(軍用)
各連合軍用に開発された木の子・竹の子。チョコレート部分に覚醒剤を溶かした液体が混ぜられていたことが終戦後発覚した。
各連合のメディアには、「ビタミン液を混ぜた栄養強化品」などと公表されていた。
<国内への影響>
内戦によって、戦前に存在していた木の子・竹の子を製造する設備と製造マニュアルがすべて失われた。
今の木の子・竹の子は、生き残った八重路製菓の社員が終戦後に製造した再現品である。
木の子、竹の子 飛魚水面 @tobiuo_minamo
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