最終話

 マスターが食べたいと言っていたデザートの一つだ。

 チョコレートパフェ。

 新鮮なバナナ、バニラアイス、生クリームとチョコレートクリーム、チョコレートソース、コーンフレークなどあらゆる甘い要素をグラスにぶち込んだ夢のような菓子。

 マスター曰く「チェリーがないのは邪道だ」とか。


「チョコレートパフェが気になるのかい?」

「はい。……これを、二つ。頼めませんか?」

「オッケーすぐに用意するよ」


 一つは食べたいと話していたマスターの分。「いつか一緒に食べよう」と依頼をここで済ませてしまおう。


 出てきたチョコレートパフェは、見本の写真とよく似ている。再現率75パーセントだろうか。

 スプーンが細長い。最後まで食べるために、この形状なのだろう。

 思えば、マスターと暮らした家にはそんな物はなかった。


 私の肉体は人間に寄せて作られている。太陽エネルギーさえ補充できれば肉体ボディーの損傷も回復するし、食事を口にすればその分のエネルギーが体内で循環するようになっていた。

 だから、マスターが生きている間に、同じテーブルで食事することはできたのだ。


 でも――できなかった。

 私は最期の最期まで、マスターの望みを叶えてあげられなかったのだ。

 もし叶えてしまったら、マスターは満足して死を受け入れてしまう気がして――。

 後悔していた。だからもう一度だけマスターと一緒に甘いものを食べたい。


 そう思って眠りについた。その思いが私をここに導いた──ということだろうか。

 まだよくわからないが、アイスクリームが溶ける前に、スプーンで掬って口に運んだ。


「んっ!」


 口にしたアイスクリームは――忘れられない味になった。生クリームは甘さ控えめでフルーツと一緒に食べるとなお美味しい。

 単体でも美味しいのに、合わせて食べることで味に深みが生まれる。口に運ぶのが止められない。あっという間に完食してしまった。

 食べた後も、感動から抜けきれなかった。


「マスター、これが『美味しい』と言うことなのでしょうか。……一口食べたらマスターとのことを思い出して、悲しさと、苦しさで、データ処理が、完結しません……。私は壊れてしまったのでしょうか」


 私の前にもう一つパフェがあるだけで、席には誰も居ない。

 それでも復活した私の記憶は、マスターが言いそうな言葉を脳内で再現する。


『壊れてなんかいないさ。おめでとう、ブランカ。君は心を得ていることに漸く気付いたんだ。君が目覚めてから気付くのに、これだけの年月がかかったのは情報処理だけではなく、気持ちの整理が必要だったからね。君は誰かを思いやることができる。じゃなきゃ、僕の延命のために滅んだ世界、断絶したネットワークを駆使して、病院を探して看病することはなかったし、なんやかんやで甘いものを用意してくれた。僕はそれが嬉しくて堪らなかったんだ』


 ああ、懐かしいマスターの声。

 マスターはもうずっと前に動かなくて、この世界に存在していないのに、それでも私の頭の中にはマスターの声が聞こえてくる。


 

 ――と。


『ブランカ、どうか。僕がいなくなった世界を愛してくれ。きっと人類はどこかに生き残りがいるはずなんだ』


 ああ。だから私は戦闘プログラムではなく、救援プログラムと家事スキルがあるのですね。

 人類を見つけ、手助けをする――。

 私はお代となる宝石類をテーブルの上に置くと、席を立った。


「あれ? もう行くのかい?」


 声をかけてきたのは、エプロン姿のシュガーだ。慌ててこちらに駆けてくる。


「はい。

「そう。それならよかった。あ! オーナーに会わせてないけれど……」

「次の会ったら紹介してください」

「うん! わかったよ」


 ホッとしている彼は、最初から最後までよくわからない人だった。

 生きているのか、死んでいるのか曖昧な存在。

 けれどどこかマスターに雰囲気が似ている。

 不思議な人。


「オーナーからの伝言。“じゃあブランカ、ここまでの道のりを楽しんで”」

「!?」


 ふと同時進行で様々な演算を行っていたが、その一つの結果が表示された。


 シュガーは日本語では砂糖と言う。

 博士は日本人で、同じ発音でも、全く異なる意味を持つという漢字と言うものがあると話してくれた記憶データが過る。


(砂糖。さとう。佐藤……。佐藤──マスターと同じ苗字?)


 振り返った時に、シュガーは手を振っていた。

 もし先ほどの話であらゆる事象が可能になったのだとしたら、過去に戻ってマスターを別空間に避難させることは、可能だったのではないか──?

 あるいは彼の血族が存命だったのか。

 私の演算能力でも答えを導き出す前に、扉は閉まってしまった。



 ***



 あそこが何処だったのか、分析しても面白いかもしれないが、マスターから課せられた任務を優先する。


 廃墟と崩れたビルの残骸。

 緋色の東京タワーと呼ばれていた建造物が、ぐにゃりと捻れて墓標のように倒れていた。

 人の気配も、姿もない。


 風が私の髪を撫でる。

 悲観はない。

 僅かな希望的観測に基づき、任務をこなすだけ。


(まずは他の演算結果を待って……)

「ほぎゃああ」


 小さな産声が「ここだ」と言わんばかりに自己主張する。

 声の音からして赤子だった。まるでここに私が来ることを予知していたかのように、その赤子は真っ白な白衣をぐるぐるに巻かれて、壊れかけのベンチに置かれていた。


 声、骨格、DNAを確認しても、マスターではない。

 別人。


 するとこれまたタイミングよく、ずっと演算していた結果が出た。

 マスター蘇らせることは、私のコアの全エネルギーを使っても不可能だということ。過去に遡り改変したとしても、それはA世界の未来がA+へと枝分かれしただけで、Aの未来は変わらない。

 A+の私は幸福かもしれないが、それは今の私の未来とは異なる。平行世界の別の私の結末だ。


 結果。

 

 それは可能だった。そして演算結果が終わって私が理解する前に、赤子は転生という形で生み出されたのだ。

 マスターの魂ではあるが、私の知るマスターではない。

 それでも、あの時果たせなかった約束を叶えられるのなら、良いのかもしれない。


 それはX世界の私の選択で、私の望みだ。

 マスターの願いを叶えずに、転生したマスターとのやり直しを望む。マスターの生活環境は生前と変わらないまでに戻す。しかし世界を滅ぶ前の再構築は行わなかった。


 人が増えすぎれば争いが起こる。

 人類の数はほどよく、環境によい箱庭世界を、私は描く。 

 小さな命を抱き上げると、想像よりも柔らかくてふにゃふにゃで、温かかった。生きている。私の小指をギュッと握る手は、とても小さくて弱々しい。


「マスター」

「ふぎゃあ」

「マスター、今世では甘い物が好きになりすぎないように私、頑張りますね」


 ふと、先ほどに不思議な空間を思い出す。

 人間には休息が必要だ。リラックスできる場所は人間の精神上とても大事だとあった。


(マスターを育てるためにも、あのような施設が必要になるかもしれませんね)


 その時にはスイーツは絶対に用意しておこう――そう私はAIの記憶チップにデータを上書き保存する。


 32,101,244秒――。

 マスターとの時間が再びカウントを開始した。


 

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マスター、これが『美味しい』なのですね あさぎ かな@電子書籍二作目 @honran05

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