助けてくれる人
『あー、サイッアク! 側溝のせいでヒール折れた! もー誰かさんのせいでひっどい目に遭ったんですけどぉ!』
「こんなところで会うなんてすごい偶然だね! もしかして『懐かしいものに再会する』って果奈ちゃんのことだったのかな」
嬉しそうに言う山村は白い上着、セーター、パンツ、靴という全身白の服装と、色取り取りの数珠のようなブレスレットを左右の腕を埋めるようにつけていた。ブレスレットといっても麻衣子が着けているような特殊な石や宝石ではなく、幼児が好む玩具のビーズで作ったようなチープなものだ。さらに入浴を怠っているのか皮脂の嫌な匂いが漂ってくる。
「……離してください、山村さん」
『は? 山村がなんて? 聞こえないんですけどー!』
なるべく心を落ち着けて言ったはずが、自分で思うよりも小さな声で言っていた。スマホから聞こえてくる岬の不満の声の方が大きいくらいだった。
「いまからどこに行くの? もしかして待ち合わせ? 愛美ちゃんか麻衣子ちゃんかな、俺も混ぜてよ。みんなで食べるご飯って美味しいからね!」
「嫌です。お断りします」
そうして「手を離してください」とはっきりと告げる。
「あなたがどう思おうと勝手ですが、私はあなたに好意を持っていません。友人とも思っていません。親しげに振る舞われても困ります」
果奈と山村の険悪な様子に気付いた周囲の人々がちらと視線をやり、巻き込まれないようにしようとそれとなく距離を取り始めた。
視界の端で車道の車が停車し始めたのを見る。もうすぐ信号が変わる。
「でもここに来てくれたじゃん? それって無意識でも俺のことを考えてくれていたからだよ。心も簡単に嘘をつくって聞いたことない?」
先頭が動き始めた。
(いまだ!)
全力で腕を振り解き、駆け出した。
飛び出すように人の流れを抜けると車道側に出て向こうの道へ、そして岬がいると思われる方向とは逆に走る。山村が岬と遭遇すると絶対に面倒なことになると思ったからだ。
「痛っ」
しかし縁石に気付くのが遅れた。跳躍が間に合わず片足を引っ掛けて危うく転びそうになり、もう一方の足で踏みとどまったものの、通りかかった人としたたかにぶつかってしまった。
突然体当たりを食らった中年男性の怒りは当然「すみません」という謝罪程度で解消されるはずがなく、ひどく迷惑そうな顔で果奈を押し除け、舌打ちをして去っていった。
「っう!?」
「果奈ちゃん、大丈夫? いきなり走り出すからだよ。ほら、手を繋いでおこう」
人の好い顔した山村が果奈の手を無理やり握ってきた。その生温かいぬめっとした感触にぞっと怖気が走る。
「俺と果奈ちゃん、恋愛相性はいまいちだけど結婚相性はすごくいいんだって。全然会ってなかったのにこうして偶然会うことを考えると本当なんだなあ。あの占いはよく当たるってみんなに教えてあげなくちゃ」
(気持ち悪い)
すっかり冷えた手は震えて力が入らない。離してと繰り返す声も喉が潰れたような音量だ。
怖い。
話の通じない人間が、何も見ていない目が、触れられることそのものが怖くてたまらなかった。
その恐怖から逃れようと、気付いたときにはスマホを握り直した右手を振りかぶっていた。
「ぎゃっ!」
しかしそれよりも早く、果奈の横からにゅっと伸びた手が山村を突き飛ばしていた。
そして近くで聞こえた「……しまった」という苦々しい呟き。
「うっかり
そうして愕然として振り返る果奈に向けられる穏やかな笑み。
「大丈夫? 岩田さん」
こんなところにいるはずのないその人の名前を果奈は呆然と呼んだ。
「――鬼嶋さん」
何故。どうして。どういう状況なんだ。わけがわからないのと、緊張が一気に解けたことと、恐ろしいくらいの安心感のせいで、ぐらぐらと視界が揺れる。
「え、な……ど、どうしてここに?」
「会社を出るところで中西さんに出会して、話を聞いて追いかけてきたんだよ」
(麻衣子、あいつ……!)
連絡くらい寄越せと思ったが、それ以前にずっと通話中でメッセージの確認ができていなかったことを思い出す。画面を確認するととっくに通話は切れており、果奈の安否を確認しようとする麻衣子と居場所を尋ねる鬼嶋のメッセージが来ていた。
「申し訳ありません。ご連絡に気付いていませんでした」
「その話は後で。それで、彼は何者? ただならない様子だったから思わず突き飛ばしたけど……」
「はい。振り解けなくて困っていたので、大変助かりました」
「おっお前誰だ!? だ、誰か警察を呼んでくれ! 暴力を振るわれた!」
「どの口が言う……」
離せと言っているのに腕を掴み、逃げたところを追いかけて。それ以前にも問題のあるメッセージを送ってきているお前が言うな、という気持ちだ。
「果奈ちゃんに近付くな! 嫌がってるだろ!」
「……『果奈ちゃん』」
「女性は名前に『ちゃん』を付けて呼ぶタイプのようです」
言い訳みたいだなと思いつつ、三つの番号を押しながら「課長」と呼ぶ。
「助けてくださってありがとうございました。向こうもお望みのようなので、いまから警察に連絡します。後はこちらでなんとかしますので、課長はもう」
「帰るわけないでしょ、こんな状況で」
呆れたように言った鬼嶋が素早く動き、後退りしていた山村を捕まえる。
「逃げないでください。いまからお互いの言い分を警察に聞いてもらいましょう。本当に後ろめたいことがないなら大人しく待っていられますよね?」
「警察なんて当てになるか! あいつらは敵だ、みんな騙されてる!」
意味不明の喚き声をこれ以上鬼嶋に聞かせるのが忍びなく、果奈はため息を堪えながら、素早く三桁の通報番号を呼び出したのだった。
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あやしの君 かなしの恋 無愛想な私の、恋と勇気の彩り弁当 瀬川月菜 @moond
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