真剣であること
十二月半ば、クリスマスが近付く頃から街は忘年会シーズンに入る。都会の居酒屋など飲食店が集まっている地区は、すでに仕事納めや学期終わりには少しばかり早い忘年会に集まった会社員や学生で賑わっていた。
ひとまず駅の近くでタクシーを降り、受信し続けていた麻衣子からのメッセージを改めて読み返す。
(やっぱり岬さんとは連絡がつかないか……)
麻衣子からの連絡も無視されたらしい。しかし玄関前で捕まえた二人のうちの一人に送らせた『いまどこにいるの?』というメッセージには反応して、居酒屋の最寄り駅よりも都心にあるファッションビルでお茶をしていると返してきたそうだ。そのスマホを借りて麻衣子が電話をかけたが、声を聞いた瞬間に岬は通話を切り、スマホの持ち主を罵倒するようなメッセージを連投して以降まったく反応しなくなったという。山村のことを知らせるメッセージも見た形跡もないそうだ。
麻衣子は『反応間違ったかも。ごめん』と言ってきたが、何事かと不審に思わない岬にも問題があると思うので仕方がない。
そう思ったとき、再び麻衣子のメッセージを受信する。
『そんなわけで、
勝手で悪いけど、あんたに連絡すれば今日の件の処分が軽くなるように働きかけてもらえるって岬に言っておいてから、よろしくね』
(よろしくね、じゃないんだわ)
スマホ越しに麻衣子を詰るが、しかしこれは巧い手だと思った。
岬にとって今日のことも結果的に暴力を振るったことも不本意だったはず。二日間の欠勤にも納得がいっていないだろう。この誘いに乗ってくる可能性は高い。
そうしているうちにスマホが震えた。
通知画面には岬愛美の名前。
(本当に来た)
いま移動中なので通話はできない、後でかけるから待ってくれ、というメッセージだった。
待ち合わせ時間に間に合っていないように思うが、あのときの飲み会のように遅刻していくつもりだったようだ。
移動中に麻衣子が送っていたメッセージを読んでおおよその話を把握してくれることを期待しながら、周りを見回し、待ち合わせと思しき人々の姿がある辺りに移動する。
青銅のオブジェが並んだ花壇の石積みの一つに軽くもたれて、岬からの連絡を待った。
立ち止まって一息ついたせいでどっと汗が吹き出す。身なりを気にせず動き回っていたから、髪は乱れ放題、薄化粧も崩れて見苦しいことになっているはずだ。左右に立っているのがしっかり姿を整えて人を待っている女性なので、少々悪目立ちしている気がする。
(寒……)
汗をかいた身体に冷えた風が吹き付けてきて、コートを巻きつけるようにしながら身を縮める。このままだと滅多に引かない風邪を引きそうだ。ファストフードかコーヒー店に寄って温かい飲み物を飲んで帰ろうと硬く心に決めた。
ようやくスマホが着信したのは、その汗もすっかり引いた頃だった。
『……もしもし、岬ですけどぉ』
好感を覚えているとは言い難い相手だが、不貞腐れた声がいつも通りでほっとした。
「お疲れ様です、岩田です。お忙しいところご連絡して申し訳ありません。いまお話しても大丈夫ですか」
『いいですけど、予定があるんで長くならないようにしてくださいよ』
問題を起こして家に帰された人間とは思えない態度だな、と思ったものの、ここで言っても仕方がないのことなのでとりあえず横に置いた。
「中西さんもメッセージを送ってきていると思いますが、山村さんの件です」
『あー、さっき見ましたけどぉ……それ、まなみに関係あります? もしかして自分じゃなくてまなみに乗り換えられたから僻んでるんですかぁ?』
「状況を把握したのならいますぐ帰宅してください」
電話の向こうの嘲笑を遮って強く言った。
「あなたがいま取るべき行動は外を出歩くことでも飲み会に参加することでもなく、まず家に帰ることです。そして無視し続けているであろう山村さんのメッセージに、迷惑だ、応じるつもりはないので二度と連絡するなと返信してください」
『はあ? 誰に命令してんの?』
「断固として拒絶したという意思表示を残さないともしものときにあなたにも非があったという話になります。身を守る行動を取って……いえ、自分を大事にしてください」
は、と笑う声がした。
『さっきから必死すぎ。なんなんですか? 気持ち悪いんですけど』
「自分でもそう思います」
寒空の下、疲れた格好で、凍える手でスマホを握りしめて、届かない言葉を唱えている。こうして寒さに震えているくらいなら、家で準備も片付けも面倒なフライを揚げていたい。
そうしないのは、果奈にも曲げたくないものがあるからだ。
「私のことが嫌いなのはわかっています。態度に出たとしても仕事をしてくれればそれで構いません。仕事でもそれ以外でも必要でなければ関わらないようにします」
白くなった息は街の光と夜の合間に消えていく。
正義感と言うには頑なで、信念と呼ぶには曲がりくねっていて、それらしい適当な名称が思い浮かばないけれど、敢えて言うのならばそれは――真剣であること、だろう。
自分や誰かの言動を軽んじず、不誠実にならずに、真面目に向き合うこと。
「だから、言わなければならないと思ったことはちゃんと言います。これはそういう連絡です。その後どうするかは、すべて、あなた自身の責任です」
以上です、と告げて、もたれていた花壇を離れて駅の方へと歩き出す。
果奈も麻衣子も十分すぎるほど警告した。義務は果たしたのだから、宣言した通り、それを聞き入れるのか鼻で笑って自分の好きにするかは岬の自由だ。
『………………』
「それでは、お疲れ様でした。失礼します」
通話を切ろうと耳元からスマホを離したときだった。
『……っ、え、あっ!?』
それまでとは様子の異なる声がした。
直後『ぎゃっ』と短い悲鳴と、がん、ざざざっと耳障りな音がする。スマホを落としたのだ。その後聞こえてくるのは岬の声ではなく、雑踏と乗用車の走行音、途切れた合間に断片的に届く通行人の話し声だ。
「……岬さん? 岬さん、聞こえますか?」
駅方向から来るはずだと信じて、駆け出した。
転んだのか人にぶつかったのか、頼むから笑って済む理由であってほしい。
全速力で走れるおしゃれとは無縁のローヒールの靴が心底ありがたい。休みになったらぴっかぴかに磨いてやろう。
横断歩道に差し掛かり、信号待ちをする人々やその向こう側に岬の姿を探す。スマホはまだ繋がっているが、岬の声は聞こえず、代わりにアドトラックと思われる大音量を発するものが通り過ぎるのがわかった。
しばらくして、途切れたその音が再び聞こえてくる。果奈の前方の車道、駅方向からこちらに向かって。
(近い)
周囲に岬がいないか、それらしい騒ぎになっていないかを確かめようと、人の間を縫って前に出ようとしたときだ。耳に押し当てていたスマホからざざっと雑音が聞こえると同時に、強い力で果奈の腕を引く者があった。
「こんなところで何してるの、果奈ちゃん?」
驚き、そちらを見て、さあっと血の気が引いた。
にっこりと、しかし覚えがあるものより何倍も粘着質な仮面めいた笑顔を浮かべた山村がそこにいた。
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