岩にも譲れないものがある
「それで、果奈はどうしたいって?」
「岬さんに山村のことを警告したい。……なんだか嫌な感じがするから」
「山村が岬に何かすると決まったわけじゃないし、伝えたところでどうせ無視されるわよ。だったら何もしなくてよくない?」
麻衣子の言うことはもっともだ。岬愛美はそういう人間で、果奈にとって同じ会社で働く後輩でしかない。それ以上関わり合いになりたいと思う人物でもない。だというのに麻衣子の主張を飲めないのは、岬には岬の、麻衣子には麻衣子のこだわりがあるように、果奈にも自身の主義主張があるからだ。
取り戻したスマホで岬に電話をかける。
呼び出しのコールを聞き、一分を過ぎたところで一呼吸を置いて終了ボタンを押した。
メッセージは未確認。
電話にも出ない。
だったらもう直接会いに行くしかあるまい。
「ちょっと、果奈!」
更衣室の荷物を取りに行こうとした果奈を呼び止めて、振り向いたその顔に硬い岩のような決意を見て取った麻衣子は、大きく肩を落として呆れたため息を吐くと、自分のスマホを操作し始めた。
「向こうの幹事に連絡を取るわ」
「え?」
「つまり、危険がないってわかればいいんでしょ」
果奈をちらりとも見ずに言うと、スマホを耳に当てながらワークブースの方へ移動する。
「それに上手く行けば山村を説得してくれるかも、…………あっ、もしもし? ご無沙汰です、中西です」
どうやら運良く相手が捕まったらしい。ワークブースの扉を閉めながらそのときの幹事を思い出そうと試みるも、残念ながらだいたいどの辺りに座っていたかといことくらいしか思い浮かばなかった。
「お忙しいのにすみません、ちょっと聞きたいことがあって。山村さんのことなんですけど……ええ、そうです、あのときのメンバーの……、えっ! 退職した?」
麻衣子と果奈は視線で言葉を交わす。
(知ってた?)
(知らない)
メッセージにはそんなことは一言も書いていなかったし、それらしい匂わせもなかったはずだ。
「何かあったんですか? ええ、もちろん内緒にします。わかってます……はい、はい……うん……」
その様子を横目に見ながら、果奈はスマホを確認した。岬から返信はない。メッセージには気付いているがわざと見ていないのかもしれない。そうして麻衣子を見ると、優しくも真剣な相槌からは想像もできない険しい顔をしていた。
「あの、実はここに果奈……あのときご一緒した子がいるんですけど、スピーカーにして二人でそのお話を聞かせていただいてもいいですか?」
向こうの許可が得られたらしく、麻衣子は「スピーカー、オンにしますね」と一声かけて、操作したスマホをテーブルに置いた。
「お疲れ様です、岩田です。先日はありがとうございました」
果奈がそれに向かって話しかけると『お疲れ様です』となんとなく聞いた覚えのある声が返ってきた。
『こちらこそ、この前は来てくれてありがとう。山村のことが聞きたいってことだけど……もしかしてあいつ、果奈ちゃんに何かやらかした?』
まるで何かやらかす心当たりがあるような言い方だ。
答えようとした果奈を手振りで制して麻衣子が言った。
「繰り返しで申し訳ないんですけど、山村さんが退職した話、果奈にも聞かせてあげてください」
『そうそう。あいつ、辞めたんだ。あの飲み会の後ちょっと色々あって』
幹事氏はそう言って、彼の見聞きした山村のことを話し始めた。
『もともとちょっと空回り気味のやつで、そのせいかあの頃会社の人間関係が上手くいってない時期だったんだよね。飲み過ぎて人に絡んだり、次の日起きられなくて遅刻したり、そのせいでまた上司に怒られたり、いらいらして周りに当たって余計に敬遠されたりの悪循環。でも、あるとき様子がころっと変わってさ』
それを歓迎できないかのように幹事氏は薄気味悪そうに言う。
『険悪だった先輩と急激に仲良くなって、仕事が上手くいって、上司から褒められて、周りから優しくて気遣いができる人だって言われるようになって……好転ってこういうのを言うんだろうなって感じ。だからある日聞いたんだ。いったい何があったんだ、彼女でもできたのかって。そうしたらあいつ、なんて言ったと思う?』
呆れたような声が言った。
『占いだ、って言うんだ。よく当たる占い師にアドバイスしてもらってるって』
「占い?」
こんなところでその言葉を聞くとは思わなかった。
果奈が驚く理由が別のものにあると知るはずもない幹事氏は『何言ってるんだって思うよな?』と苦笑している。
『山村も、自分の状況をどうにかしなくちゃって思ってたんだろうな。色々その方法を調べて、たどり着いたのが占いだったらしい。こんなの当たるはずないって思いながら占いの通りにしてみたら、これが予想外に長年の悩み事が解決してくれたんだと。そうして困りごとや悩み事がある度に占って、その結果に従ってたみたいだ』
「ずっと同じ占い師に占ってもらっていたんですか?」
『それが違うんだよ。最初はネットで見られるものを見て、当たらなくなったら無料じゃ当たるわけないって言って有料にして、それでも外れたらよく当たる占い師を探して会いに行って、ってことをやってたんだ』
それを聞いた麻衣子が救いようがないとばかりに首を振っている。
『でもあいつがそれで落ち着くならまあいいかって俺たちは静観してたんだけど、そのうちそうも言ってられなくなって……少しもしないうちに周りのやつに占いをもとにしたアドバイスをしたり、他人の持ち物にその色は縁起がよくないって言ったりして、せっかく改善した人間関係をさらにこじらせるようになったんだ。さすがに見過ごせなくて占いは程々にしろって注意したんだけど、羨ましいんだろ、って鼻で笑われてさ、そんなこと言われたらもう付き合えねえわってその場で縁切り』
『いま思うとやりすぎだったかもしれないけど』と苦く言う幹事氏はきっといい人なのだろう。だがその優しさは占いにのめり込む山村には届かなかったようだった。
『そうして少しもしないうちに山村は会社を辞めていった。理由は、自分の運勢のなんとかにこの会社は合わないから、だってさ』
『山村の退職の経緯はだいたいこんな感じ』と幹事氏は一度話を締めくくった。
(予想外にとんでもなかった……)
果奈がまったく相手にしていなかった裏でそんなことになっていたとは思いもしなかった。
では、あのメッセージの数々もそうした占いの基づいたものだったのだろうか。気になるその疑問は麻衣子が投げかけてくれた。
「山村さんはもしかして恋愛関係も占ってもらっていたんでしょうか?」
『うん、そうだと思う。果奈ちゃんと相性がいいって言ってた気がするから。でもしばらくして、どうとかっていう占いだと愛美ちゃんの方が相性がいいし自分の運気が上がる、みたいなことを言ってたかな』
果奈ではなく岬に狙いを変えたのはそういうことだったらしい。
手応えなどなかったろうにまったく引き下がらなかった理由は、盲信する占い師の言葉であったことと、『どうも借金もあったらしくて……』という幹事氏の言葉から推測するに、大金を注ぎ込んだものを何の成果もなく見限ることができなかったからなのだろう。
「いま山村さんとは連絡を取っていないんですか?」
『うん、さすがにあんな状態のやつに関わるのはこっちが危ない気がして。力になれなくて悪いけど』
「いいえ、話してくださってありがとうございました。……果奈、他に聞きたいことはある?」
「特には……」と言いかけて、いや、と首を振る。
「さっき危ない気がすると仰いましたが、もし、自分の思う通りにならない、占いにそぐわない結果になった場合、山村さんは誰かに危害を加えると思いますか?」
電話の向こうで幹事氏が一瞬口を噤んだ。
沈黙に代わって、ざりざりという周囲のざわめきが聞こえてきた後、『俺の主観になるけど』と告げる彼の声は諦観と決意に満ちていた。
『そうなってもおかしくないと思う。占いを頼ったきっかけがきっかけだし、最後の様子を思い出すと、仕事を辞めたこともその他上手くいかないことも全部自分じゃないものの責任だってキレて何かやらかしても不思議じゃない』
「わかりました。ありがとうございます」
そう言って果奈は、もういい、と麻衣子に首を振った。それを見た麻衣子がスピーカーをオフにしたスマホを耳に当て「お話ありがとうございました。それでは……」と話の締めに入る。
(危険がないどころか……)
わかったのは、いまの山村とは関わらない方がいいこと。
知ってしまったからには仕方がない。そう思った果奈を止めたのはやはり通話を終えた麻衣子だった。
「今日は家に帰りなさいよ。明日私が一緒に説明してあげるから」
「岬さんは今日明日休みで出勤しない。そして今日は夕方の飲み会まで出歩いてるはず」
「は? 謹慎処分を受けた日に飲み会? そんな馬鹿の世話をする必要はないわよ。もし何かあったってあいつの自業自得じゃない」
心底そう思っているらしい麻衣子が吐き捨てる。
「山村が危ないとわかった、私たちは彼に二度と関わらない、岬にも警告する。それで今回の件はおしまい。……って果奈、聞きなさいよ」
「聞いてる。聞き入れる気がないだけ」
「どうしてそんなに必死になるわけ? 果奈が嫌いだからって嫌がらせするようなやつじゃない。助けたところで偽善ぶってるって鼻で笑われるだけよ」
「まあそうだろうね」
岬ならきっと嘲りを交えて「偽善ぶって楽しいですかぁ?」「恩着せがましいですねー?」などと笑うのだろう。ありありと想像できて笑ってしまう。
「でも好かれようとしてお節介を焼こうとしているわけじゃないし、恩を売りたい、見返りがほしいとも思ってない」
――何あれ。必死じゃん。
少女の頃に投げつけられた嘲笑。好かれたいばかりに誰にでもいい顔をしていた浅ましい自分に気付かされた言葉。
もう好かれようとしない。好かれたいと思わない。
私は、私がやりたいと思ったことをやる。誰になんと思われようとも。
「私が助けたいと思った、それだけの話だから」
そして果奈のその行動を受けて、何を思い、どんな反応を示すかはその人自身が決めることだ。呆れるのか、嘲るのか、反省するのか忘れるのか。感謝しろと果奈が強制することはできない。
「とにかく、麻衣子がいてくれて助かった。ありがとう」
そう告げて果奈はワークブースを飛び出した。
(岬さんに連絡がつけばよし。情報共有の上で帰宅させられたらなおよし)
果奈の接触を無視するなら別の人間に頼むほかない。幸いにもここは会社、果奈と違って岬と交流のある人間がいる。それらが帰宅する前に捕まえるのだ。
最初に向かったのは更衣室だった。その場にいた社員たちに「すみません、どなたか」と声を張り上げて尋ねる。
「岬愛美さんと親しい方、もしくはその居場所や連絡先をご存知ではありませんか」
すでに今朝の騒ぎは知れ渡っていたのだろう、またトラブルかと関わりたくなさそうな顔をして「すみません、わかりません」「ごめんなさい」とおしゃべりに興じていた社員たちが次々に出ていく。
そこへ「あの」と果奈に声をかけてくる若い社員がいた。
「よく多目的フロアに集まってる派手な人たちのことなら、そのうちの二人とさっきすれ違いました。広報部の人です。いまならまだ追いつくかも……」
「わかりました。ありがとうございます」
お礼を言って、コートと鞄を掴んで走り出した。
運良くやってきていたエレベーターに乗り込み、到着した一階の玄関ホールの中央に立ってぐるりと視線を巡らせた。さほど広くはないそこに見覚えのある顔はない。
間に合わなかったかと息を吐き、呼吸を整えながら誰もが必ず通る入り口近くに立ったときだった。
「危なかったわあ。新しいコートを下ろしたその日にココアで汚すところだった」
「落ちてよかったけど、気を付けなよ?」
社食で見た、岬のことを話していた二人がお手洗いの方から出てくる。
逃すわけにはいかないと決死の顔つきになっていたのだろう、向かってくる果奈に二人がぎょっと顔を強張らせる。
「お忙しいところすみません。総務部事務課の岩田と申します。岬愛美さんのご友人の方でしょうか」
「は? いきなり何……」
「早急に岬さんと連絡を取る必要があります。連絡を取っていただくか、いますぐ岩田に折り返すようお伝え願えませんか」
身構えた二人は果奈の言葉が聞こえていないかのように半笑いに引きつった顔を見合わせている。
「え、怖……」
「わけわかんないんですけどー……」
『無愛想クイーン』の真剣な顔は彼女たちにとって笑いを誘うものらしかった。答えを待つ果奈の顔を見ていたかと思うと、耐えきれなかったかのように次々に吹き出す。さすがに苛立ちを覚えて声を荒げかけたときだった。
「果奈!」
エレベーターを降りてきた麻衣子が靴を鳴らして駆けてくる。
その手がピアス、そしてネックレスをむしり取るのを見て、果奈は驚愕に目を見開いた。
「今度は何?」「あ、人事部の……」と声をひそめる彼女たちを一瞥した麻衣子は、何かに殴られたようにふらりと身体を揺らすと、痛みを堪える険しい顔で呻いた。
「……『午後五時半』『公務員の三対三』『居酒屋』……ああ、役所近くのフレンチ居酒屋ね。あそこ美味しいわよね」
一人は訝しげな顔をし、もう一人はぎくっとして恐ろしげに麻衣子を見る。なんで、と呟く顔には疑いと恐怖があった。
果奈の友人である中西麻衣子は、顔を見た相手の心を読む異能を持つ『さとり』と呼ばれるもののあやしだった。
だが麻衣子の異能はひどい頭痛とそれに伴う吐き気でしばらく動けなくなるという副作用がある。その力を使った麻衣子の顔は痛みを堪えて歪み、いまにも倒れそうなほど蒼白になっていた。
「もう直接行った方が早い。岬に連絡を取るのはこっちに任せて、果奈はとりあえず岬のところに向かって。詳しい場所はメッセージで送る」
普段異能を封じているピアスを再び付けながら麻衣子は玄関の方へと顎をしゃくった。人ならざる縦型の虹彩がみるみるうちに人間の形のそれに戻っていく。
「さっさと行きな」
「……ありがとう!」
居酒屋の名前とざっくりどの辺りなのかを口頭で聞いて、その場を麻衣子に任せると、果奈は会社を飛び出した。
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