占い師の正体
定時を迎えた人たちの「お疲れ様です」に同じ言葉を返して、手にしたスマホの画面を凝視する。
表示されているのは昼に果奈が送った、確認された様子のないメッセージ。
「…………」
今日は定時に上がれる。自分の機嫌を取るために買い物に行くのに最適な状況だ。
頬の傷がふとした拍子に痛んで無愛想な顔がいつになく凶悪になっているし、今朝は一騒動あったし、心を無にして仕事をしていたこともあって精神的にも肉体的にも疲れている。
でも、返信がない。確認済みにもならない。
(こんなこと、彼女――麻衣子と連絡を交換してから初めてだ)
だからそれだけで果奈が予定を反故にする理由になる。
昼に送った「話がしたい。仕事が終わったら時間を作ってほしい」というメッセージに続けて「会社の入り口で待ってる」と送る。もしすっぽかされたら電話をかけまくってやるつもりだ。
さっさとコートと荷物を取ってこようと更衣室に足を向けた果奈の耳に、ぶぶぶ、と受信の振動音が届く。だがそのメッセージの主は麻衣子ではなかった。
(山村?)
やっと途絶えたと思ったのは気のせいだったのか。
いつもならすぐ見ることはないが、何か感じるものがあった果奈は珍しくその場で受信画面を開き、そうして、息を飲んだ。
『色々考えたけれど、いい加減自分の気持ちに正直になろうと思いました。
俺はやっぱり愛美ちゃんが好きです。
さみしがりの彼女を放っておけない。守ってあげたい。
それが俺の正直な気持ちです。
果奈ちゃんの気持ちに答えてあげられなくてごめんね。
いつも話を聞いてくれて本当にありがとう!
いまから危なっかしい彼女を助けに行きます。
上手くいったら報告するね!』
(なんだこれ)
勘違い男極まる文章に何がなんだかと薄気味悪いものを感じて、これまでろくに見ていなかったこれまでのメッセージに目を通した果奈はみるみるうちに顔を強張らせた。
「最悪だ……」
果奈が、返信はしない、と伝えた後のメッセージの流れ。
それでもいいと言って、一言日記を書くようにいま何をしているかを送り続けてしばらくして、その内容が変化し始めていた。果奈に対して思わせぶりだったものにちらほらと現れるのは「愛美ちゃん」という名前。
……『愛美ちゃんが心配してた』『愛美ちゃんみたいな後輩がいたらいいのに』『普段愛美ちゃんとどんな話するの?』『今度俺の友達と四人で飲みに行こうよ』……。
そして『最近愛美ちゃんから連絡ないんだけど元気かな?』『山村が気にしてたって言ってあげて』となり、数日前に『家知ってる?』『ごめんね、非常識なのはわかってるんだけど、心配だから電話番号教えてもらえないかな?』と言ってきている。
そしてたったいまの『いまから危なっかしい彼女を助けに行きます』に続く。助けに行く? 何から助けるって? 意味がわからなくて頭を抱える。
(会社で待ち伏せするつもりか? だったらまだいいか、岬さんはすでに会社にいない、家も知られていないだろうし……いや違う、今日は合コンで外に出てるんだ)
社食で漏れ聞こえてきた話が本当なら、万が一出先で山村と遭遇して揉めたら事だ。素早くスマホを操作して岬愛美にメッセージを送る。
『お疲れ様です、岬さん。岩田です。
至急伝えたいことがあるので、いますぐ帰宅してください』
こんなメッセージで言うことは聞かないとはわかっている。だが込み入った内容を――あなたが勝手に連絡先を教えて私にけしかけていた勘違い男がいまはあなたを標的にしている、という話を、いますぐわかりやすい文章にすることは不可能だ。
果奈の連絡先を山村に漏らしたのは、恐らく岬だ。
おせっかいなのか嫌がらせなのか、何がしたいのかはわからないが、「いろどり」で揉めたときのわざとらしい物言いは山村が果奈にメッセージを送っていることを知っていたからだろう。
そして、その企みは思うようにはいかなかった。だから山村を利用するのを止めて連絡を絶ったのかもしれない。でなければ連絡先を教えろなどと言わないだろう。まったく気持ちのない岬は、いきなり距離を取ったせいで余計に山村の執着心を煽っていたとは思いもしなかった。
(私もよくは知らないけど……山村氏はこんなに常識のないやつだったのか?)
どこか違和感があると同時に何かに似ている気がした。
これまではしなかったことをする。言動が変わる。『そうなる』ように仕向けられたかのよう。
そう、今回の掲示板の占い師騒ぎのように――。
「……まさか」
いや、そんなわけがない。果奈が絡むと何をするかわからないところがある彼女でも、さすがにそこまではしないはずだ。そう信じて手にしたスマホで電話をかける。
出てくれたら大丈夫、疑いは晴れる。
占いをするように呼び出しのコール音を聞いていた果奈の肩を、とんとん、と叩く者があった。
スマホを耳に押し当てながら振り向くと、着信しているそれをひらりとかざす麻衣子の姿。
「ごめんごめん、スマホの充電切れちゃってメッセージに気付くのが遅れたのと、忙しくて返す暇がなかった。それで話って、……どうしたの、果奈」
「麻衣子、正直に答えて」
電話を切ることも忘れて果奈は麻衣子に向かって一歩踏み出した。
「第二の占い師――今朝掲示板に書き込んだ占い師は、麻衣子だよね?」
何十分のように感じられる数秒間見つめ合って。
わずかにグロスの剥げた麻衣子の唇が苦い笑いに歪んだ。
「そうよ。あれは、私」
果奈はぎゅっと眉間に皺を寄せた。
どうでもいいと果奈が言えば、麻衣子はどうでもいいわけがないと言う。
関わりたくないと果奈が背を向ければ、麻衣子は今後関わらないで済むように正面衝突も辞さない。そのときは何をするかわからない、それが果奈の唯一の友人、中西麻衣子という人だった。
「よくわかったわね? まああんたならわかるか。ちょっとは大人しくなるかしらと思ったけど予想以上に効きすぎたみたいね。聞いたわよ、あいつ、暴力事件を起こしたんだって? うわ、顔をやられたか。あの爪じゃあねぇ。大丈夫?」
「そんなことはどうでもいい」
頬の傷を覗き込もうとする麻衣子から一歩下がって、果奈はやるせなさに大きく肩を落とす。
「麻衣子、掲示板を使うのはまだいいとしても、他人を唆したり利用したりするのはだめだ。向こうが悪いにしたって度が過ぎてる。そんなことのために力(・)を使わないで」
言い募る果奈に、麻衣子は不思議そうに首を傾げた。
「……掲示板の話よね?」
その反応に果奈は目を剥き、訝しく眉を寄せた。
(麻衣子じゃ、ない?)
そうしてここが廊下だったことを思い出し、麻衣子を連れてまばらに人がいる多目的フロアに移動する。
「山村を煽って岬さんに誘導したんじゃないの?」
「山村?」
本当に誰なのかわからないようだったので、合コンの、と言えば「ああ、あいつ!」と大声で言って手を打った。
「そういえばそんな名前だったっけ。でもどうして果奈の口からその名前が出るの? 岬愛美がどうしたって?」
説明するのが面倒で、果奈は握り締めたままだったスマホで山村のメッセージ一覧を呼び出し、黙って麻衣子に手渡した。
受け取った麻衣子は少し面白そうな顔をしていたが、しばらくもしないうちに凄まじい形相になると最後に「キモ……」と言い放った。
「どうしてこうなっていることを相談しなかったのよ」
「こういう感じのことになるだろうと思ったからだよ」
だが今回は果奈が悪い。相手をするつもりはないと言い渡していたし、メッセージを受信するだけなら問題はない、誰にも話す必要はないと判断してのいまだ。
「この感じだと、こいつを果奈に誘導したのは岬っぽいわね。やっぱりもうちょっと締めてやるべきだったか」
「麻衣子」
「はいはい、いまは山村のことね。果奈にちょっかいかけてたくせに途中で岬に乗り換えたこいつにもおしおきが必要そうだけど」
「麻衣子。いい加減にして」
低く言いながらスマホを取り上げてようやく麻衣子は「ごめん」と言って真面目な顔を作った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます