第7話

「出席票、提出していってね」

 目が覚めたら、教授の声が聞こえた。講義中に居眠りしてしまったようだ。他の学生が教卓に出席票を置いて、ぞろぞろと教室のドアへ向かっていく。

「そろそろ起こそうと思ってたんだ。自力で起きられたな」

 隣に座っていた里中も鞄に教科書やノートをしまっている。

「よく寝てたぞ。また、夢でも見てたのか?」

「悪い、里中。俺、急いで帰らないと」

「あ、おい!」

 俺はリュックを背負って教室を飛び出した。

 早く、優菜に会わないと・・・・・・。


 目の前の景色はさっきの夢と同じだった。天の川と光る花にクリスタル、そしてハープの音色。遺跡のある方角の空に、赤黒い月が昇っている。

「月食が始まってる・・・・・・!」

 俺は遺跡へ走った。手遅れになる前に、止めなければいけない。

 遺跡の階段を上ると、優菜の姿が目に入った。遺跡の中心に泉があり、彼女はそこに膝まで水に浸かって立っている。

「優菜!」

 呼んだが、反応がなかった。彼女は空を見上げたまま微動だにしない。よく見ると、瞳がうつろだった。

「来たのか」

 奥に白い獣がいた。

「もはや無意味だ。月食は始まり、この娘は夢に捕らわれている」

 そう言うや否や、獣が光に包まれた。

「何だ!?」

 獣の姿が変化していく。光が消えるとそこにいたのは、白い髪に白い衣をまとった中性的な顔立ちの男だった。

 これが式神の本当の姿なのか。

「小僧、夢から去るがよい。この娘とはもう会うことはない」

「優菜の魂を連れていくっていうのか」

 俺の言葉に、式神は眉間に皺を寄せた。

「・・・・・・なるほど。あの物好きな店主の入れ知恵か」

「あなたの主はもういないんだろう? こんなことして、何の意味があるんだ」

「たしかに、私を生みだした主はもういない。だが、本に宿ったこの術を解除もしなかった。私は、主に命じられた通りに動くまで」

 俺は優菜の元へ駆け寄った。足が水に浸かる。

「優菜! しっかり!」

 腕を取って声をかけたが、彼女の様子は変わらない。

「その娘は星の庭の香りを嗅いだ」

「えっ?」

 式神の視線の先は、星のように光っている、あの花々へ向けられていた。

「もう戻れない。私は娘を彼岸へ連れていく。邪魔をするなら、お前も連れていくぞ、小僧」

 足元が光り始めた。泉の水が波紋を広げ、優菜だけが泉に沈んでいく。

「優菜!」

 俺は優菜の腕を両手で掴んだ。

「夢に飲まれちゃダメだ!」

 優菜は全く反応しない。もうすでに、魂が抜かれてしまっているかのようだ。

「俺の声が聞こえないのか!」

「無駄なあがきだな」

 俺は必死で優菜を引っ張り上げようとするが、変わらずにそのまま優菜は沈み、首まで浸かってしまった。

「お前も共に彼岸へ行くか?」

 式神のオッドアイの瞳が俺を鋭く見据えてくる。

「行かない。俺も優菜も、まだそのときじゃない」

「だが、お前に止めることは出来ない。その手を放さなければ、このままその娘と行くことになり、お前は自身が助かる道を捨ててしまうわけだ。私はそれでもかまわないが」

 とうとう優菜の顔が泉の中へ入り、腕だけになってしまった。

「こんなの、優菜は望んでない!」

 俺は放してしまわないよう、手に力を込める。

「何故、そこまでするのか不可解だな。死にたいのか?」

 優菜の手首も入っていき、俺の両腕が引きずり込まれていく。

「俺は優菜と約束してるんだ。夢じゃなくて現実で会って、一緒に桜を見ようって。優菜も俺もまだやりたいことがあるんだ。こんなところで死ねない。俺達は一緒に目覚めるんだ」

 そう言いながら、俺の顔も泉の水に触れた。

「止めて!」

 どこかから声が聞こえた。その瞬間、泉の水がさらに強く光り、何も見えなくなった。


「あぁ、良かった!」

 気付くと、優菜の姿があった。倒れていた俺は勢いよく上体を起こす。

「優菜! 無事なのか?」

「うん。私は大丈夫」

 俺はほっと胸をなで下ろした。近くには、式神が腕を組んで俺達を見下ろしている。

「月食は終わった」

 俺は空を見上げた。遺跡から見える月は、金色に輝く満月だった。そこから俺達に光が降ってきた。

「その光の柱で上がっていけば、目覚めるだろう。直ちに立ち去れ」

「待った!」

 俺は背を向けた式神を呼び止めた。

「俺達は助かった。そう思っていいんだな?」

「そうだよ」

 答えたのは、式神じゃなくて優菜だった。

「本当はね、私じゃなくて、きみが連れて行かれるところだったんだ。試されてたんだよ」

 俺は仰天した。

「どういうことだ?」

「この術は愛した女に、親友の本当の姿を見せるためのものだ」

 式神が振り返って言った。

「わが主は、悲しむ親友に対し、自分の命がかかっても女を助ける覚悟があるか見極めようとした。もし、親友が命惜しさに逃げるようであれば、その姿を女が見ることになり、婚約は解消されるのではないかと考えたのだ」

「それじゃあ、初めから優菜を連れて行くつもりはなかったってことか?」

「そうだ。お前がどうするかを見ていた。結果しだいでは、お前を連れていくところだったがな」

「その親友はどうしたんだ?」

「お前と同じように、女を助けようとしていた。主は親友を認めた」

「そうか。・・・・・・じゃあ、優菜は見てたのか?」

 優菜は頷いた。

「ここにいたんだけど、私の姿がきみに見えなくなってたみたい」

 俺は、はぁ~と長い息を吐いた。

「さぁ、もう目覚めるときだ」

 俺と優菜の身体が地面から離れ、浮かぶ。

「あなたはどうするの?」

「どうもしない。また誰かが、本を開くのを待つだけ」

 俺達は光の柱を通り、月に引き寄せられていく。

「もう会うこともないだろう」

 式神は再び獣の姿に戻り、遺跡から姿を消した。

「私、やっと起きられるんだ」

「そうだな。目が覚めたら、何がしたい?」

「うーん・・・・・・紅葉が見たいな、きみと」

「桜じゃないのか」

「だって、現実は秋だもん。桜の前に紅葉狩り、いいでしょ?」

「わかった」

 優菜は微笑んで俺の顔を覗き込む。

「それから、そろそろ教えて欲しいんだけど」

「ん? 何を」

「きみの名前」

 そういえば、まだ言ってなかったことに今頃になって気付いた。

「じゃあ、現実で会ったときに」

「うん。あと・・・・・・助けてくれて、ありがとう」

 そう言うと、優菜は空を見上げる。俺も見上げた。

 進む先にある満月は、穏やかな光を放っていた。


 蒼月書店の店主は、カウンターの後ろにある棚の引き出しから二冊の本を取り出していた。その本を見ながらフフッと笑っている。

「上手くいったみたいだな」

「何がだ?」

 私が尋ねると、優男になっている店主はこちらを振り向いて、透き通った翠の瞳を光らせた。そして、片手で私の美しいグレーの毛並みを撫で始めた。

「何でもないよ。こっちの話」

「一人で笑っていたら不気味だぞ、翠(スイ)」

「いいじゃない。それより、久しぶりに来店してくれて嬉しいよ。猫って撫でたくなるんだよね」

「それも仕事のうちだ。客である私を思う存分、もてなしたまえ」

「うーん、それなら、何か購入していってくれないかなぁ。一応、商売なんだけど」

 そう呟くと、翠はカウンターに置かれていたアイスコーヒーを一口飲んだ。

「人間でもないあんたがこんなことをするなんて、本当に物好きだ」

「そう? いわくつきのものを欲しがる奴は結構いるし、それに、人間との交流も案外楽しいよ」

「それで、今日はその姿か。その瞳の色だけは、変わらんな」

「きみの瑠璃色の瞳も綺麗だけどね」

 いつになくご機嫌な様子で、翠はしばらく私を撫で続けていた。


 俺は、彼女が蒼月書店を利用したという場所の最寄り駅に来ていた。

 駅前のロータリーでスマホをいじりながら待っていると、コツコツと靴音が近付いてくるのが聞こえた。俺が顔を上げると、優菜がポニーテールを揺らして小走りで向かってきた。初めて夢の中で会ったときと同じ、ネイビーのワンピース姿だ。

「初めまして、の方がいいのかな?」

「今更って感じもするけどな」

「そうだね」

 優菜はクスッと笑った。

「元気そうでよかった」

「おかげさまで。あっ、そうだ! 訊こうと思ってたんだ」

「何?」

「ほら、きみの名前! まだ教えてもらってなかったよね?」

「あぁ。大上水樹。よろしく」

「水樹くんね。やっと、聞けた。じゃあ、行こう」

 俺達は隣り合って歩き出した。

 空を見上げると、三日月と宵の明星が寄り添うように昇っていた。


                         ー完ー

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蒼月書店の奇々怪々 ー月夜の夢想ー 望月 栞 @harry731

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