第6話

 大地に咲くネモフィラから雲一つない空へ青が続いている。今日は丘の上にいるようだ。辺りは一面ネモフィラで、以前のブルーベルとはまた違った青で綺麗だ。優しい風で花が揺れている。

 同じように、結んだ髪が風で揺れている優菜がしゃがんで花を観賞していた。俺は彼女に近付いた。

「ごめん、目が覚めたんだ」

 優菜は視線をネモフィラから俺へ移す。

「うん、そうだろうなって思ってた。最初はいなくてびっくりしたけど。でも、来てくれたね」

 彼女は立ち上がって周囲を見渡した。

「出口になりそうな扉がないか見て回ったんだけど、どこにもなかったよ。ネモフィラが咲いてるだけ」

「そうか。この花も見たいって思ったのか?」

 優菜はコクリと頷いた。

「ここもね、一度来てみたかったの。でも、そろそろ別の景色が見たいかも」

 彼女が呟いた瞬間、俺達の伸びている影の角度が変化しているのに気付いた。空に昇っていた太陽が通常では見られない速さで西へ沈んでいく。

「うわっ! すごいね!」

 俺は唖然として、返事が出来なかった。

 空が赤く染まり、しだいに紫から藍色、漆黒の夜空へと変化していくが、その中で白銀だった月が黄金色に輝いていた。

 夢にその人の願望を反映させる。これが、式神の力か。

「もう少しで満月になりそうだね」

 今日は八日目だ。あと二回の夢で満月になり、優菜は式神に連れて行かれてしまう。

「夢渡り、やめようか」

「えっ?」

「ここ、綺麗だしさ。この夢のままでもいいんじゃないかなって」

 そうだ。夢渡りを十回やらなければ問題ないんじゃないか。

「それはたぶん、無理じゃないかな」

「どうして?」

「だって、私が望まなくても、ある程度私が満足したら夢渡りが起こってるんだよね。強制的に」

 逃す気はないのか。

「それでも、私が行きたいなとか、見てみたいなって思っていた場所や景色だから、楽しんでいるところはあるんだけどね」

 優菜は俺に背を向けた。

「ほらっ! 星空も綺麗!」

 優菜の視線の先を追って、俺も月を背後に夜空を見上げると、満天の星が見えた。

「・・・・・・今日、あの本屋に行ったんだ」

「蒼月書店に?」

「俺達が開いた二冊の本、やっぱりこの夢に関係してたんだ。店主が言ってた」

「本当に同じところ? 店のそばにドウダンツツジ、あった?」

「なにそれ」

「花だよ。漢字で満天の星って書いて満天(ドウダン)星(ツツジ)。白い花が咲いた小さな丸い木、なかった?」

 そういえば、と思い出した。あの木は初めて店を見つけたとき以外は、全然気にしていなかった。

「あったよ」

「そうなんだ。店主って、黒髪のお姉さん? それとも老紳士風の人?」

「いや、小学生くらいの少年」

 優菜は目を瞬いた。

「その子が店主なの?」

「その子も老紳士も、お姉さんも店主だよ、きっと」

 優菜は首を傾げた。

「ただの本屋じゃなかったってことだ」

 あの少年は、人じゃない。でも、悪い者でもなさそうだった。あちこちに引っ越して、神出鬼没に現れる本屋を営む何か、なんだ。

「あの二冊の本には術がかかっていて、最初に開いた人は夢渡りが出来るようになる。もう一冊の本を開いた人は、前の人と波長が合って同じ夢に現れるんだ」

「だから、いつもきみが来てくれるんだ」

「この夢は、先に開いた人の願望を反映させる。それから・・・・・・夢渡りは十回までらしい」

「じゃあ、その後はどうするの? ずっと同じ夢?」

「夢から覚めることが出来るかもしれない」

「かも?」

「かも、だ。詳しいことは、わからない」

 本当のことを全て話すことは出来ない。死ぬかもしれない、なんて。

「そっか。なんかちょっと不安になるけど、でも、きみもいるもんね」

 俺は右手で左腕をこすった。

 優菜を助けたいと思ってる。でも、自分の手にかかっているかもしれないと思うと、心がざわつく。

 俺は改めて辺りを見渡した。あの白い獣の姿はない。

「大丈夫?」

 優菜は俺の手を取って、顔を覗き込んできた。

「あ、あぁ」

「落ち着かないって感じだね。私がこの夢から覚めることが出来るか、心配してる?」

 俺は言葉に詰まった。何か言わなければと思うが、口を開いても言葉が出てこない。

「よし、深呼吸しよう」

「えっ?」

 優菜は俺の両手を掴んだ。

「ほら、目を閉じて、深く息を吸って」

 俺は戸惑いながらも、言われた通りにした。

「ゆっくり吐いて」

 深く吸い込んだ息を、時間をかけて吐いていく。普段意識していない胸と腹部がゆっくり動いているのがわかる。三回続けた後、優菜に言われて目を開けた。

「私、マイナスなことは考えないようにしてるの。もちろん、不安はあるけど、そっちばかり考えてたら、本当にそうなっちゃう気がして。だから、前向きに捉えるようにしてる。この夢もなかなか目覚めることが出来ないけど、この夢がなかったら、きみとは会えていなかったし」

「そうだな」

 俺はもう一度、目を閉じて深呼吸をした。目を開けると、笑顔の優菜がいる。彼女の手の温かみも感じる。

 ネガティブなことが浮かんできても、それに捕らわれるのはやめよう。俺がどうしたいか、だ。あの少年も言っていた。

 俺は優菜を助けて、現実で笑っている彼女が見られたらいい。

 目の前の優菜の笑顔が霞んできた。

「またね」

 彼女の声が響いた。


 今日は午後から講義がある。里中と一緒に出席し、教授の話を聞きながらノートに書いていく。

「じゃあ、これから映像を見てもらうから、暗くなるよ」

 教授は部屋の電気を消した。プロジェクターに映像が映し出される。

 それを見ているうちに、睡魔に襲われていく。


 俺は、突如現れた大きな建造物に圧倒された。少し後ろに下がって見上げると、目の前にあるのは西洋風の城だとわかった。ここは森の中で川沿いの山地に城が建っており、森と城をつなぐ石造りの橋の上に、俺はいる。

「怪しい雰囲気だね」

 森の方から優菜がこちらへやってきた。

 たしかに、今まで美しかった空が黒い雲に覆われ、その下に建つ城は不気味だった。冷たい風が吹き、寒気がする。

「今までとは違う感じ」

「これは望んだ景色か?」

「この城は海外にある城で、ここも興味がある場所なんだけど、こんな天気になるとは思わなかったな」

 不穏な感じがする。もう、そのときが迫っているってことの表れなのか。

「行ってみよっか?」

「どこへ?」

 優菜が指差した先は、城の扉。

「中に入るのか?」

「城内に通じてるのか、それとも別のところへ行くのか、わからないけど」

 違う場所への移動となれば、十回目の夢渡りだ。

「怖くないのか?」

「全くないってことはないけど、あれこれ考えてもいずれは来てしまうから。それに今なら、きみが隣にいる。来たばっかりだし、扉開けてすぐ起きちゃうこともないでしょ」

「・・・・・・そうだな。じゃあ、行こう」

 俺は優菜と一緒に扉の前まで来ると、両開きの扉を押した。一瞬、視界が白くなった。

 霧が晴れるように視界がハッキリしてくると、そこは全く別の世界が広がっていた。

 夜空を流れるくっきりとした天の川。大地には、星のようにカラフルに光る花々。俺達が立つ小道の先に小さな遺跡が見え、その近くには大地から突き出たクリスタルがきらめいている。

 俺も優菜も、何も声を発せず、しばらく見入っていた。

「すごいね」

「あぁ、それしか言えないな」

「こんなに綺麗な天の川、写真でしか見たことないよ」

 優菜は花に近付いてしゃがんだ。

「釣鐘草みたい。本当に光ってる」

「城のあった場所とは全然違うな」

「素敵だね」

 すると、どこからか、音が聞こえた。何かの楽器の音色のようだ。

「あそこからかな?」

 柱が蔦に覆われた遺跡の方から聞こえてくる。俺と優菜は小道を歩いてそこへ向かう。小道を挟んだ左右には花が光って、足元が明るい。

「あっ、あれ!」

 遺跡の階段のそばには、華美な装飾が施されたハープが置かれていた。誰も触れていないのに、音を奏でている。傍らにはサボテンがいくつかあり、月下美人が咲いていた。

「ハープの音って初めて聴いたけど、心地良いね」

 あぁ、こんな景色、たしかに魅入られてしまう。

 俺も音色に聴き入っていたが、ふと優菜の影が目に入り、ハッとして空を見上げた。さっきは天の川に目を奪われて気付かなかったが、もう満月と言っていいほど丸い月が煌々と輝いている。

「ここにもいたんだ」

 優菜に視線をずらすと、彼女は階段の上を見上げていた。俺も階段の上を見ると、息を呑んだ。

 白い獣が静かにこちらを見ていた。視線が合うとわかると、身体が自然と震えた。昼間の月のような白銀の目と夜の月のような黄金色の目。オッドアイだ。

「まもなく月食が始まる」

 獣が喋った。俺は驚いて声が出なかった。

「小僧、時間だ。去れ」

「えっ」

 視界がまた白くなっていく。

「待って!」

 優菜が俺に手を伸ばしてくる。俺もそうしたが、彼女の手を取ることが出来なかった。

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