第5話
空はもう暗い。今日の予定を全て終えて、駅からアパートへ足早に向かう。
優菜は先に別の夢に行っている。俺も早く寝て、合流しないと。
あと一つ角を曲がれば、アパートが見える。そんなとき、俺は足を止めた。
「どうして・・・・・・?」
見覚えのある古民家が目に入った。足早に近付いてみると、それは紛れもない蒼月書店だった。
この場所は、何もない更地だったはず。
扉の窓から、店内の明かりが確認できた。俺は疑問符がたくさん浮かんだが、思い切って店の扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
椅子に座ってレジカウンターで飲み物を飲んでいたらしい小学生くらいの少年が、俺に気付いて挨拶をした。飲み物は・・・・・・アイスコーヒーっぽい。
店内も京都で出会った蒼月書店と全く同じだった。唯一違うのは、店にいたのが老紳士ではなく、少年ということだけだ。客は誰もいない。
「きみ、お店の人はいる?」
俺は少年に声をかけたが、彼は怪訝な顔をして首を傾げた。
「今、あなたの目の前にいるけど?」
店番を頼まれているのか。
「じゃあ、この店ってチェーン店なのかな? 京都にも同じ本屋があったんだけど」
少年は目を丸くした。
「あぁ! また来たんだね」
「また?」
「あの黒い本、開いた人でしょう?」
俺は言葉が出なかった。あの紳士、こんな少年に話していたのか。
「二回も来店するなんてかなり稀だから、ビックリしたよ」
「そんなに驚くことなの?」
「そうだね。よほど縁がないと、この店を二回も見つけられないよ」
「それって・・・・・・京都の方はもう一度行こうとしたんだけど、見当たらなくて諦めたんだ」
「それが普通さ。すぐ引っ越すからね」
「引っ越す?」
「そう。一夜で引っ越す。だから、この本屋はチェーン店ではないし、お兄さんが利用した本屋はまさにここだよ」
一夜にして本屋がなくなるって、どういうことだ。
「いや、でも、建物も全部、なくなっていたんだけど」
「そりゃあ、この古民家ごと移動しているからね」
当たり前のように話す少年に対し、俺は混乱してきた。そこで、別の質問を投げた。
「えっと、老紳士みたいな店員がいたと思うんだけど、その人は?」
「あぁ、あの日はそうだったね。でも、今日は僕だよ」
シフト制みたいなものか? それにしても、まだ小学生くらいの少年に店を任せるなんて。
ここで、優菜の言葉を思い出した。
「他にもいるの? 背の高い黒髪の女性、とか?」
「そういえば、そんな日もあったね」
優菜が来店していた本屋もここだ。
「そのときの気分に合った姿で仕事をするのがマイブームなんだよね」
ん? どういう意味だ?
「ところで、お兄さん。またここに来られたってことは、何か用があるんじゃない?」
俺は本屋があることに驚愕して入店してしまったが、少年に言われて黒い本が脳裏をかすめた。俺は奥の本棚に向かい、あの黒い本がないか探した。
しかし、どこにも見つからない。優菜が言っていた白い本も見当たらない。
俺は少年の元に戻って彼に尋ねた。
「あのさ、あの黒い本って売れちゃったのかな? 似たような白い本もあったはずなんだけど」
「あれは売ってないよ。というか、売れないね」
「それもそうか。何も書いてないし、誰も買わないか」
「いや、売れないっていうのは、売れ行きが良くないってことじゃなくて、売ることが出来ないんだ」
「えっ?」
「発動しちゃってるからね。ていうか、お兄さんがそうさせた一人なんだけど」
俺には、少年の言っていることがよくわからなかった。それが表情に出ていたのか、少年は椅子から降り立って、カウンターの後ろにある棚の引き出しから本を二冊取り出した。
それは、あの黒い本と優菜が話していた白い本だった。少年はそれらをカウンターに置く。
「お兄さんさ、最近、変わった夢を見るでしょう?」
俺はぽかんと口を開けたまま、少年を凝視した。
「何でそれを・・・・・・?」
「だって、お兄さん、この本を開いたから。こっちの白い本のことも知っているのは、これを開いたお姉さんにも会って聞いていたからでしょう。夢の中で」
「やっぱり、あの夢はこの本のせいなのか!」
俺は思わず身を乗り出して、少年に詰め寄った。少年はかまわず続けた。
「この本は二冊で一対なんだ。いわくつきの本でね」
「いわく、つき?」
少年の口から出た不穏な言葉に身体がこわばる。
「奥の棚にある本はマニアックな本ばかりなんだけど、その中にはこの本みたいに普通の本じゃないものも並べててね。これは、昔、陰陽師の血筋をひいた男がかけた術がそのまま残ってしまっている本なんだ」
「へ?」
自然と口をついて出た。少年が急に突拍子もないことを言い出したせいだ。
「まぁ、そういう反応になるのもしょうがないけど。本を開いたお兄さんとお姉さんは、この本の術にかかって、不思議な夢を見るようになったわけさ。術が発動しているから、他の客に触らせるわけにはいかなくて、売ることが出来ないんだよ。お兄さんなら、開いた本人だから見てもいいけど、確認したところで何も変わらないよ」
本来なら信じられないような話だ。
「その、術はどうやったら、解けるのかな? ていうか、何のための術なんだ?」
少年はうーん、と唸った。
「わからない、のか?」
「いや、知ってるけど」
少年は言い渋っているようだった。
「何で教えてくれないんだ? 話すと困ることなのか?」
「お兄さんは以前ここを利用してくれたし、また来られたからここまで話したけど、これ以上はね」
「優菜の身に関わることなんだ。教えて欲しい」
つい必死になって言うと、少年は俺を見据えた。
「ここは本屋だよ。商売しているんだ。タダってわけにはいかないね」
そういうことか。
「これは買えないんだよな?」
「こんないわくつきの本を買っても、お兄さん困るでしょう?」
俺は本屋の出入り口近くの本棚を見て回り、三冊選んでカウンターに持っていく。
「これとアイスコーヒー」
前回よりも多く購入した。これなら、ちゃんと話してもらえるだろう。
少年はにっこり笑って
「まいどあり~」
と言った。精算が済むと、少年はバックヤードへ向かっていく。
「ちょっと待って! さっきの答えを・・・・・・」
「今、焦ったってどうしようもないよ。アイスコーヒー持ってくるから、座って待ってれば」
少年はバックヤードに姿を消した。俺は仕方なく、購入した本をリュックにしまい、カウンター横に置かれていた椅子に座る。
ほどなくして、少年がアイスコーヒーの入ったグラスを持ってきた。俺がそれを受け取ると、少年は再び椅子に座った。
「お兄さんは、お姉さんの身に関わるって言ったけど、お兄さんもそうだからね」
アイスコーヒーを飲もうとしていたが、俺は動きを止めた。少年を見やり、訊いた。
「どういうことだ?」
「この二冊はさっき話した男が式神の力を宿した本で、まずこのどちらかの本を先に開いた人が夢渡りの力を得るようになっている。その日から式神はその人の願望を反映した夢を見せるようになり、その人は夢に魅せられて捕らわれるんだ」
「だから、出られない・・・・・・目覚めることが出来ない、のか」
「で、もう片方の本を開いた人は、術の効果で先に開いた人と強制的に波長が合い、同じ夢に現れる」
俺は恐る恐る尋ねた。
「俺もそのうち・・・・・・夢に捕らわれるのか?」
「それは最後の夢のときのお兄さんしだいだね」
「最後?」
「夢を見るのは十夜まで。つまり、夢渡りを十回まで行なえる。最後の夢では、お姉さんは式神に魂を奪われる」
俺は目を見開いた。
「死ぬって・・・・・・?」
少年は頷いた。
「お兄さんはというと、三つの道がある。お姉さんと同じように夢に捕らわれ、魂を奪われる。または、お兄さんだけは最後の夢でも捕らわれずに、目覚めて術から解放される。あるいは、お姉さんを助けて、二人とも目覚めて術は解かれる」
「助けられるのか!」
「そう。だからこそ、これは二冊ある。お兄さんが本を開いてなかったら、お姉さんは夢で一人のまま、式神にあの世へ連れて行かれていたかもね」
「どうやったら、助けられるんだ?」
「さあね」
「えっ?」
俺は耳を疑った。
「お兄さんが助かるかどうかはお兄さんしだいだけど、お姉さんが助かるかどうかは式神しだいだからな」
「そんな!」
「でも、式神がお姉さんを見逃してくれるようにするには、やっぱりお兄さんにかかってるんだよね」
「・・・・・・どっちなの」
はっきりしない返答に、俺は項垂れた。まだ残っているアイスコーヒーを飲む。
「なんにせよ、僕から具体的な解決策を話せることは何もないよ」
「じゃあ、俺はどうすれば?」
「そのとき、わかると思うよ」
俺が首を傾げると、少年はふっと笑った。
「最後の夢のとき、お兄さんの思った通りに動いたらいいし、式神と話してみればいい」
「そんなことで助けられるのか?」
「大切なことさ。お兄さんがどうしたいか、だよ。それがお姉さんを助ける術になりうるんだ」
俺が、どうしたいか・・・・・・。
「式神って、どんな?」
「今まで見た夢の中で、何も見てない? 動物とか」
俺は今までの夢を思い返した。
「動物・・・・・・鹿とリス、鳥、蝶、トンボ。あとは、狼みたいな白い生き物」
「おっ! たぶん、それだね。もう接触してるんだ」
「あれが式神?」
「そうだと思うよ。本当の姿じゃないだろうけど」
そう言って、少年はアイスコーヒーを口にした。
「何のためにこんな術・・・・・・目的は?」
「これはね、愛する女性への想いと葛藤のために生まれた本なんだよ」
「は?」
「かつて、一人の女性に恋をした男がいた。でも、その女性には婚約者がいて、それが男の幼馴染みで親友だった。それにより、女性に対する男の想いは歪んでいき、この本の片方を生み出した。彼は血筋をひいているだけじゃなく、自身で陰陽師や術に関することを研究していたんだ」
少年は白い本を掲げた。
「これを女性に贈った。彼女が夢に捕らわれることで、十日後には亡くなってしまう。その日が近付くにつれて彼は葛藤し始めた。本当は愛する女性に死んで欲しくない、でも別の男と結ばれて欲しくない。そんなとき、彼女の衰弱していく姿に親友が悲しんでいる様を見て、彼女にふさわしいのか試そう、となったんだ。それで生まれたのがこっち」
少年は黒い本も同じように掲げた。
「親友が女性を助け出せたら、彼女への想いを手放そうと考えたわけだね」
「それで、どうなったんだ?」
俺が続きを促すと、少年はニッと笑った。
「自分で確かめなよ」
「そんなこと・・・・・・」
「お姉さんのこと、放っておくの?」
そんなつもりはない。でも、自分の命にも関わると思うと慎重になってしまう。
俺は頭を抱えた。
「まぁ、今の話の結果は関係ないよ。何を選択するか、決めるのはお兄さん自身だから」
俺は顔を上げて少年に視線を移したが、彼はすでに椅子から降り立ち、本をそれぞれ元の引き出しにしまうと、窓の外を覗いた。
「そろそろだな」
そう呟くと、俺に振り向いた。
「夢の中で月は満ちていく。最後の夢を迎えるとき、月はちょうど十五夜だ。それに、月食でもある。月食が始まると式神はお姉さんを連れて行こうとするから、月食が終わるまでにお姉さんを助け出せれば、夢から覚めるよ」
俺は、桜の夢で月を見たことを思い出した。あのときは、まだ上弦の月だった。知らない間に少しずつ満ちていたのか。
「さて、もう帰る時間だよ、お兄さん。この店を閉めないと」
「でもっ」
「僕が話せるのはこれで全部だ。それに、これ以上、ここにいるのはよくない。帰れなくなるよ」
「どういうこと?」
少年は微笑みながら俺に近付き、俺が持っていた空のグラスを取り上げた。
「人の子を相手にする時間は、もう終わるんだ。これからは、別の客がやってくる。遭遇しないうちに帰ることだよ」
突然、少年の瞳が翠色に光った。
すると、店の扉がバンッと大きな音を立てて開いた。驚く暇もなく、俺は後ろから何かに押されるように店の外へ放り出された。そのはずみで道に倒れ込む。
「幸運を祈ってるよ」
後ろから少年の声が追いかけてきた。俺は起き上がって振り返る。
「えっ・・・・・・!?」
本屋があったはずの場所は、ただの更地になっていた。
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