第4話

 何て言うつもりだったのか。

 目が覚めて最初に思ったのはそれだった。実際、夢でしか会ったことないし、同じ東京に住んでるけど、詳しいことは知らないし、ちゃんと現実で会えるのかという疑問は沸いてくるかもしれないけど。

 しかし、優菜の様子から、それだけではない気がした。

 俺は休日なことをいいことに、ダラダラして過ごそうと決めた。こんな日があったって良いだろう。

 テレビをつけて天気予報を見た後、ニュースが続いた。

「えっ?」

 アナウンサーは、最近あった自動車事故について報道していた。事故に遭った女性は未だ意識不明の重体。そして、その名前がテレビに映し出された。

「まさか・・・・・・」

 兎川優菜。アナウンサーはそう読み上げていた。


 ぐるっと辺りを確認すると、どうやら渓谷にいるようだ。目の前に下流へと向かう小川があり、それを挟んで雑木林がある。ザーッという音が聞こえ、日陰から出てその音のする方に歩いて行くと、目の前に滝が流れ落ちていた。太陽の光によってできた小さな虹が揺れている。

 滝を見上げていた優菜が俺に振り向く。

「来たね」

 俺は優菜に近付いて滝を見上げた。それは水しぶきを上げて小川へと流れていく。

「これはまた、すごいな」

 いつも、同じ感想ばかり抱いている気がする。

「マイナスイオンが気持ちいいでしょ」

「うん。涼しいな」

 ひんやりとした空気が肌に伝わってくる。

「昨日、言いかけたことって何?」

「あー、何だっけ?」

 そう言って、優菜はとぼけた。

「何もないなら、いいんだけど」

 優菜は歩き出して水辺に向かっていく。

「おいっ」

「せっかくだから、入ってみようよ」

 濡れて滑りやすくなっているだろう岩の上を、優菜はかまわず歩いて水の中へ入っていく。俺は彼女を追いかけて、苔むした岩の上から慎重に水の中に足を入れる。

「冷たっ!」

 水面は日の光を反射してキラキラと輝いていたが、その見た目とは裏腹に、水は想像以上に冷えている。

「滝って、いくつか種類があるんだよね?」

「ん? あぁ、そうだな。これはたしか、分岐瀑ってやつじゃないか」

「へぇー、そうなんだ。よく知ってるね」

 滝の水は岩肌に当たって分かれながら落ちていた。それは、分岐瀑の特徴だ。

「みんな、喉渇いたのかな」

 優菜の視線を追うと、少し離れたところで水を飲んでいる狐やアライグマがいた。

「あの動物も優菜が出現させたんじゃないか?」

「水が綺麗だから、この辺りに住んでる動物が飲みに来るのかもって考えてたら、いたの」

「今までのことも思い返すと、この夢は、優菜の考えや想像が反映されるんだな」

「そうだね。やっぱり、私の夢だから」

 細かな水滴が眼鏡について視界がぼやけてくる。

「また来てね」

 あんなに大きかった滝の音が、しだいに遠くなっていく。


 講義がない今日は、映画館へ足を運んだ。一人で映画を見ることに抵抗はない。学生にしては、一人に慣れ過ぎているのかもしれない。でも、見たいと思っている映画を我慢する必要はないだろう。懐事情さえ、問題なければ。

 鑑賞する映画はミステリーの要素を含むファンタジーだ。映画館の壁に貼られた作品の宣伝ポスターをチラッと確認し、チケット売り場に並ぶ客の列を横目に自動券売機へ向かう。事前にネットで購入しておいたチケットを発券し、上映開始十分前にスタッフに見せ、薄明かりの通路を歩いて三番スクリーンへ入る。

 一番後ろの通路側の席に座った。同じ横の列の一つ隣を開けた席からポップコーンの甘い匂いがしてくる。目の前の席にはカップルらしき二人が座り、映画が始まるまでずっとスマホをいじっていた。

 映画は面白かったが、そういえば自分も今、不思議な体験をしていたなと感じた。映画を見ることと夢を見ることは似ている。

 だが、最近の夢はリアルすぎるうえに、意識不明者の夢に自分が出てきているのだ。


 目の前には、大きな湖があった。それを囲うように原生林が紅葉している。そして湖面に紅葉した木々が映り込んでいた。虫の音が聞こえ、水面をかすめてトンボが飛んでいく。

「綺麗だな」

 この景色を見ていて浮かんだのは、東山魁夷の「緑響く」だ。その絵に描かれた木々が紅葉したらこんな感じだろうか。

「今回は秋だよ」

 いつの間にか、隣に優菜がいた。

「場所はどこなんだ?」

「アメリカのクラウズ湖っていう湖」

「日本じゃないのか」

「うん。でも、日本にもこういうところ、あるよね」

 俺達は紅葉を眺めながら、湖岸線に沿って歩き始めた。

「ニュース、見たんだ」

「えっ?」

「事故に遭って未だに意識不明だって」

 優菜は黙った。というより、驚いて言葉が出てこなかったんだろう。彼女はハッとして、俺を見た。

「その報道の中で、名前が出てたから。兎川って珍しいし、もしかしてと思って」

「・・・・・・そっか。知ったんだね」

 優菜は立ち止まって、うつむいた。俺も足を止めた。枯れた枝を踏んで、ミシッと音がした。

「この夢から覚めるときは、意識が戻るってことか?」

「たぶん、そうじゃないかな。覚めるならいいんだけど、覚め方がわからないんだよね。このままだと、そのうち迎えが来ちゃったりするのかな」

「迎えって・・・・・・」

「あの世に。そうなると、三途の川、渡ることになるのかな」

 俺は言葉に詰まった。どう返したらいいのか、わからない。

 優菜は顔を上げた。

「ごめん、変なこと言って」

「・・・・・・まだ諦めるには早いだろ。夢渡りってやつをやって、この夢の出口を探そう」

「あるのかな」

「やってみなきゃ、わからない。この夢は普通と違うようだし。俺も一緒に探すよ」

 優菜は俺をじっと見た後、こくりと頷いた。

「ありがとう」

 今にも泣き出しそうな笑顔をしていた。その顔が白い霧に覆われるように、だんだん見えなくなっていく。

「終点ですよ」

 ハッとして目が覚めたら、目の前に車掌がいた。彼は俺に声をかけるとすぐに隣の車両へ移っていった。俺は急いで電車を降りる。

 まさか、電車での居眠りで夢を見るとは・・・・・・。

 俺は寝過ごした分の駅を戻るため、階段を上って反対側のホームへ歩いて行く。


 夜空の下、雪原が広がり、しんとしている。その中で、一本だけ生えているモミの木に雪が降り積もっていた。息を吐くと白くなっている。だが、いつもと変わらない服装で寒いはずなのに、震えは全くない。鳥肌も立たない。いつもと違ってリアルさが欠けている。

「これも夢、だからか?」

 自分の腕を確認していると、ぽんぽんと肩を叩かれた。振り返ると、優菜が微笑んでいた。服装が胸元にリボンのついたアイボリーのワンピースに変わっているが、これも場所に合わず薄着だ。

「今日もいらっしゃい」

「お邪魔してます。なんか、今回は夢っぽいな」

「どういう意味?」

「雪原にいるのに、寒くない」

「あぁ、それはたぶん夢渡りをするときに、オーロラが見たいけど、寒いのはやだな~って思ったからじゃないかな」

「・・・・・・本当に、都合のいい夢だ」

 半ば呆れていると、優菜は空を指差した。

「ほらっ! 見て!」

 見上げると、空一面に緑や青、紫の色鮮やかなオーロラがそれぞれ一筋の帯となって現れていた。

「うわぁ・・・・・・」

 これが夢だということを一瞬忘れて、自然と感嘆の声が漏れた。

「幻想的! オーロラも見てみたいと思ってたんだ!」

 優菜は嬉しそうにはしゃいでいる。実際にオーロラを見るとなれば、極寒の中オーロラが出てくるまで辛抱強く待たなければならない。それが寒さを感じずにこんな簡単に見られるのなら、夢でもラッキーだ。

 しばらくオーロラを観賞していたが、突然、オーロラの帯が揺れ始め、カーテンのように広がっていった。

「オーロラ爆発ってやつか」

 真上で美しく揺らめくオーロラに目を奪われていたが、ふと視界の隅で何かが動いた気がした。そちらを向くと、少し離れたところに狼のような白い獣がいた。じっと、こちらを見ている。

「あれも見たかったのか?」

 俺は優菜に訊いた。優菜が俺の視線の先を追って白い獣と目が合う。すると、獣はそっぽを向いて行ってしまった。

「私、動物のことは考えてなかったけど・・・・・・でも、真っ白で綺麗だったね」

 そう言うと、優菜は再び空を見上げた。どうやら、優菜の意思とは関係なく現れたようだけど、そういうこともあるのか。

 オーロラを十分に堪能した後、俺は口を開いた。

「少し歩いてみよう」

 優菜は頷いて、俺の隣で歩き出す。

 雪原に足跡を残していくが、辺りは一面雪で、この夢の出口となりそうなものは何も見当たらなかった。

「やっぱり、ないね」

 俺は、気落ちした優菜の手を取った。

「それなら、別の夢だ。一緒に行こう」

「・・・・・・うん」

 優菜は瞳を閉じた。すると、すぐ近くに光に包まれた白い扉が出現した。

「次の夢をイメージすると、こうやって扉が出てくるの。この扉の向こうがまた別の夢。これが夢渡り」

 俺と優菜は両開きの扉の取っ手を掴み、押した。白い世界に足を踏み入れる。

「・・・・・・あれ?」

 俺の部屋だった。優菜はいないし、俺は部屋着でベッドに横になっている。

「要するにお目覚めですか、俺」

 自然と苦笑した。一緒に行こうなんて言っておきながら。

 俺は眼鏡をかけて時間を確認し、身体を起こした。身支度を済ませ、リュックを背負う。今日は午前中から講義、夕方にはバイトもある。夢以外は、いつもの日常だ。

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