第3話

 気付いたら、視界には青と緑。見上げると雲一つない青空が、周囲を見渡すと草原が広がっている。少し離れたところには小川が流れ、一本の木と白い小屋があった。俺はそよ風に吹かれて草の匂いを感じながら、その小屋に近付いていく。小川の水は透き通っていて水中に咲く花が見えた。柔らかな草を踏みしめ、それによって鳴る音と自分の足に当たるくすぐったい感触が、やはり夢とは思えないほどだ。

 小屋の扉の前まで来たが、呼び鈴がない。ノックをしてみるが、反応もない。仕方ないので扉の取っ手に手を伸ばし、引いてみる。扉はすんなり開いた。

 中は玄関、右手に部屋、廊下の奥に襖があり、静かだ。俺は玄関を上がり、まず右手の部屋を確認した。流しがあり、水道が濡れていて、使った形跡がある。

 廊下に戻り、奥の襖をそっと開けた。中は茶室になっていて、すぐそばに縁側がある。外は草原だったはずなのに、何故か縁側から見える景色は日本庭園だった。床の間のそばには蝶の柄のある水色の浴衣を着た女性が正座している。その後ろ姿に話しかけようと茶室に一歩入ったとき、肩が襖にぶつかった。その音で女性がさっと振り返る。

「あっ!」

 俺は目を見開いた。浴衣の女性は優菜だった。髪を結い上げていたので、全く気付かなかった。優菜も俺と同じ反応で驚いていたが、俺とわかると顔をほころばせた。

「また、会えたね」

 俺は頷いた。

「そうだ! よかったら、ここ座って」

 優菜は床の間の前の畳を指し示した。俺は言われるままに、その場所に正座する。

 優菜は茶道をしていた。茶杓で棗から抹茶の粉を掬って茶碗に入れ、柄杓を使って茶釜のお湯を注ぐ。茶筅で丁寧にお茶を点て終えると、その茶碗を俺の前の畳に置いた。

「どうぞ」

「ありがとう」

 こんな本格的に抹茶を嗜んだことはなかった。竹が描かれた茶碗を持ち上げ、俺は抹茶を飲んだ。

「美味しい」

「良かった。抹茶が苦手だったらどうしようかと思った」

「一人でお茶を点ててたのか?」

 優菜は頷いた。花の髪飾りが揺れる。

「私、高校生の頃、茶道部だったの。途中で退部しちゃったけど、でも部活やってたおかげで抹茶が好きになって。家でほっと一息吐きたいときに薄茶を点てて飲んでるんだ」

「こんな茶室があるのか?」

「まさか。家ではただお茶点ててるだけ。夢の中なら、こうやって茶室でお道具使って点てることも出来るでしょ。まぁ、作法はうろ覚えなんだけど」

 そう言うと、優菜は俺を縁側に座らせて、自分は流しへ行ってしまった。庭園を眺めながら待っていると、優菜は菓子器と薄茶を点てた茶碗を順に運んできた。

「本当はお菓子を食べてから、抹茶を頂くの。逆になったけど、あんこが嫌いじゃなかったら、ぜひ」

 菓子器を開けると、色々な練り切りが並んでいた。紅葉や、銀杏、菊、うさぎ、柿、ぶどう、栗、さらにはハロウィンのカボチャを模したものまで。

「かわいいな」

「うん。もう、秋になるから、それに関連したものにしてみた。好きなもの選んでいいよ」

 俺は懐紙と菓子切りを優菜から受け取った。紅葉とぶどうの練り切りを菓子箸で懐紙に置く。優菜もうさぎとカボチャを彼女の懐紙に置いた。

「私、和菓子も好きなんだ」

 優菜は俺の隣に座った。嬉しそうに話しながら笑う彼女に、俺は眼鏡をかけ直すフリをしながら、顔を背けた。今までと違う姿だからか、なんだか落ち着かない。

 優菜はカボチャの練り切りを菓子切りで切り分けて口に運ぶ。

「茶道部に入部した動機は、和菓子を食べられるから?」

「あっ、バレた?」

 俺は思わず笑った。

「わかるよ」

 俺も菓子切りでぶどうを切って一口食べた。

 庭園には松が植わり、灯籠のそばに小さな池があった。鯉が泳いでいる。

「ここの外は草原になっていたけど、何で日本庭園があるんだ?」

「それは、やっぱり茶室に縁側、庭があるってなったらこうなるでしょ」

「・・・・・・まぁ、気持ちはわからなくはないけど」

「夢渡りしたら大草原の中にいて、大の字で寝転がって気持ちよかったんだけど、誰もいなくてずっと静かだから、何か他のことをしたくなって。それで抹茶で一息吐きたいなって思って茶室とか庭をイメージしてたら、小屋が現れたの」

「それで、中はこの造りなわけか」

 俺は練り切りを食べ終えると、竹柄の茶碗を取り、再び薄茶を一口頂いた。あんこの甘さの後に抹茶がちょうど良い。優菜も梅柄の茶碗で薄茶を飲んだ。

「きみは何か部活やってたの?」

「いや、何も。今もサークルに入ってないし、大学とバイトの往復だな」

「ふうん。何のバイト?」

「書店でレジと品出し。それから、時々ポップを書くくらいかな。優菜は?」

「以前はアパレルだったんだけど、今はパン屋さん。美味しいパンの香りの中で仕事できるし。余ったら好きなの持って帰れるし」

「結局、食い気なんだな」

「いいじゃない! 楽しくバイトしたいの」

 そう言いながら、優菜は銀杏の練り切りを自分の懐紙に置いた。

「でも、就活のためにシフトを減らしてもらってるんだけどね」

「えっ? 今、いくつ?」

「私、二十二歳。大学四年生」

 俺より年上か。

「きみも大学生だと思ってたけど?」

 俺は頷いた。

「二十歳の大学二年」

「年下だったんだ! なんか、勝手に同い年かと思ってた」

「よろしく、先輩」

 俺は残っている練り切りの中から栗を選んだ。

「それにしても、本当に不思議な夢だな」

「今更?」

「そうなんだけど、夢の中でもこうして抹茶も和菓子の味もちゃんと味わえてるのが、やっぱり普通じゃないだろ。夢のことを少し調べてみようとしたけど、特にこれといった答えは得られなかった」

「たしかに、本来ならこんなにハッキリと味しないよね。でも、私は難しく考えるのはやめとく。せっかく美味しいんだから、それでいいかなって」

 優菜の言葉に、俺は自然と笑みが漏れた。

「そうだな」

「それに、きみにも会えたし」

 俺は栗の練り切りでむせそうになった。薄茶を飲んで落ち着かせる。

「大丈夫?」

 優菜は俺の顔を覗き込んできた。

「平気だよ」

 俺は優菜から視線をそらして言った。

「ねぇ、書店でバイトしてるって言ったけど、読書が趣味?」

「うん・・・・・・わかりやすいだろ」

「そうだね。漫画とか?」

「漫画も読むことあるけど、ほとんど小説だな」

「へぇ! すごいね。私、活字は全然だよ」

「じゃあ、免許の帰りに、本屋に寄ったのは?」

 そのときのことを思い出しているのか、優菜は空を見上げた。

「古民家の雰囲気が素敵だなって思って。それに、本は嫌いじゃないし。私がよく見るのは写真集なんだ」

「グルメ雑誌じゃないんだ」

 優菜は俺をジロッと見た。

「完全にイメージで言ってるでしょ」

「花より団子派かと」

「私は、花も団子も派だよ。私が見るのは、空とか、花とか、風景の写真。あとは、動物かな。かわいくて、癒やされる」

 そう言って、優菜は薄茶を飲み干した。

「あぁ、わかる。今は一人暮らしだけど、実家で猫を飼ってて、寄ってくるとついかわいがっちゃうんだよな」

「猫、飼ってるんだ! いいなぁ。ウチには金魚がいるけど、全然寄ってこないから」

 優菜の話を聞きながら薄茶を飲んで庭を眺めると、いつの間にか松の影の向きが変わっていた。

「西日になってきたね」

「なんか、時間の経過が早く感じる」

「夢の中って、起きているときと違うのかもね」

 俺は自分の手を見下ろすと、やはり透けてきていた。

「もう、起きなきゃいけないのか」

「また、次も会えそうだね」

「次はどこなんだ?」

「それは、夢の中に来たときのお楽しみ」

 微笑みながら、またね、と言う優菜の声が遠くに聞こえた。


「・・・・・・こんな夢を見たんだ」

「またか?」

 講義が終わった後、俺は一緒になった里中に夢のことを話した。

「同じ子が続けて出てくるなんて、不思議だな」

「うん。自分の身体の感覚とか、景色とか、食べるものとか・・・・・・全部リアルでもう夢って感じしない」

「ただの明晰夢って感じでもなさそうだな」

「結局、調べてもわからないままだ」

「じゃあ、その子の言うとおり、その夢を楽しめばいいだろ。寝不足でもないなら、悩むこともないし」

 たしかに、その通りだ。その通りなんだけど・・・・・・。

「今日、バイトだろ? 頑張れよ」

 里中は次の講義の教室へ行ってしまった。俺はリュックを背負って、バイト先の書店へ急いだ。

 バックヤードに入り、すれ違うスタッフに挨拶してロッカールームへ行く。自分のロッカーにリュックを入れ、エプロンを身につけてタイムカードを切る。

 俺は早番から引き継いだ品出しをしながら、蒼月書店のことを思い出した。

 そういえば、あそこは結局、どこにあったのだろう。一度行ったのに、二度目は場所がわからなくなるなんて。それに、あの黒い本は何だったのか。本当に、夢と関係しているのだろうか。

 俺の後ろを、客が歩いて行く靴音が忙しない。すぐ近くでページをめくる音もした。気付けば、店内は混んできていた。レジや客の問い合わせに対応しているうちに、あの本屋のことが意識から薄れていった。


 視界がハッキリした途端から、絶景だった。

「すごいな」

 それは桜のツリートンネルだった。地面は花びらでピンクの絨毯になっている。

「圧巻だね」

 振り返ると、優菜がいた。白い襟のついた明るい茶色のシャツに、暗い茶色のミニスカートと、服装が変化していた。

「ここも写真で?」

「そう。本屋で見た写真集に載っていた場所。現実は秋だけど、夢の中は春でもいいかなって」

 俺達はそろって桜の下を歩き始めた。風で桜の枝がわずかに揺れ、花びらが舞う。左右の桜の木の枝の間から青空が見える。

「こんな並木道、歩いたことないな」

「そうだよね。しかも、こんな独占できるなんて」

「花見客で多くなるもんな」

「あっ」

 優菜は急に俺に向かって手を伸ばしてきた。俺は驚いて立ち止まると、優菜もそうした。

「取れた」

 優菜の手には桜の花びらがあった。俺の髪についていたらしい。

「あぁ、ありがとう」

 赤面するのを感じながら、俺は視線を前に戻して再び歩き出した。優菜もついてくる。

 一瞬、風が強く吹いた。自分の周りで桜吹雪が起こり、美しさに目を奪われた。

「綺麗だね」

 俺は頷いた。

「この夢っていつまで続くのかな」

 それは、俺も疑問に感じていた。楽しめばいいと里中は言っていたけど、突然始まったこの夢はまた突然に終わるのだろうか。

 そうなったら、優菜と会うことはなくなるのか。

「現実でも見たいね、桜」

「来年、見られるだろ」

「私は・・・・・・どうかな」

 俺は優菜の言葉を図りかねて、彼女を見た。優菜は桜に視線を向けていたが、どこか別のことに意識を向けているようだった。

「じゃあ、見に行く?」

 思わず、俺はそう口走っていた。

「えっ?」

「桜。現実で」

 優菜は目を丸くして俺を見た。

「まだ先だけど」

 俺がそう言うと、優菜はクスッと笑った。

「そうだね。じゃあ、次、一緒に見るときは夜桜がいいなぁ」

 彼女は明るい表情ではしゃいだ声を上げた。

「ライトアップされた夜桜・・・・・・あっ、月と一緒も絵になるな」

 優菜は空を見上げた。俺もつられて同じようにすると、白い上弦の月が見えた。

「でもね、私・・・・・・」

 月に目を向けたまま、優菜は続けた。

「一緒に行けるか、わからない」

「どうして?」

「だって・・・・・・」

 そう話す優菜がこっちを向いた瞬間、視界に白い靄がかかった。

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