第2話

 目に飛び込んできたのは、ホテルの天井だ。窓の方へ視線を動かすと、カーテンの隙間から光が差しているのを見た。

「変な夢だったな」

 でも、夢とは思えないくらいリアルな夢だった。あの子は・・・・・・優菜は夢から覚めただろうか、なんて考えてみてしまう。

 俺は眼鏡をかけて時間を確認すると、起きてカーテンを開ける。朝の光が眩しい。パンを食べて顔を洗い、着替えるとチェックアウトのために荷物を持ってロビーへ向かった。

 このときは、これから巡る観光地よりも、夢で出会った彼女のことが頭の中の大半を占めていた。

 ホテルを出ると、蒼月書店へ足を運んだ。しかし、帰る前にもう一度と思っていたが、何故か本屋があったはずの場所が更地になっていた。

「あれ? どこだっけ」

 場所を間違えたかと思い、近くをウロウロして探したが、どこにもなかった。戻ってみても、やっぱり更地。

「いや、絶対ここだったよな?」

 結局、本屋を見つけられず、俺は諦めて当初の予定だった八坂神社へ方向転換する。

「もう一回、行っておきたかったな」

 呟いてから、自然とため息が出た。


 初日に行けなかった神社を見て回った後は、新幹線に乗って帰路へ着いた。こうして俺の初一人旅は終了した。それなりに楽しんだけど、唯一、あの本屋に再び行くことが出来なかった心残りがあった。

 帰宅した夜、けっこう疲れがたまっていたのか、俺はベッドに横になったらすぐに睡魔に襲われた。いつもならスマホをいじるか、本を少し読んでから寝ているが、今日はもう消灯して眠気に従った。

 鳥のさえずりが聞こえて、俺は目を開けた。ハッとして、起き上がる。

「ここは・・・・・・?」

 俺の部屋ではなかった。辺りを見渡すと、どうやら森の中にいるらしく、一面に青い花が咲き乱れ、その間を蝶が飛んでいた。見上げると新緑の間から木漏れ日が差し込んでいて、目を細める。

 ふと、背後に気配を感じて振り返った。

「わっ!」

 鹿がすぐ後ろにいて、俺は仰け反った。鹿は俺の声に驚くこともなく、平然としている。

 俺は立ち上がった。鹿は耳をピクピク動かしながら、俺をじっと見ている。

「何だよ、鹿せんべいなら、ない・・・・・・ぞ」

 突然の鹿の近距離にビビって、語尾がだんだん小さくなった。我ながら、情けない。

「あっ! きみは!?」

 人の声が耳に入ってきて、とっさに視線を声の方へ動かした。

 彼女――優菜がいた。

「何で、また・・・・・・」

 これも夢か?

 優菜は俺に近付いてきた。肩には何故かリスを二匹も乗せている。

「また、会えるなんて思わなかった。ようこそ、私の夢へ」

「これもきみの夢?」

 うんうんと優菜は頷いた。

「じゃあ、この鹿は? 急に現れたからびっくりしたんだけど」

「きみが消えた後、また一人になったから、ちょっと寂しくなっちゃって。だから、ここに移動して鹿やリスと一緒に戯れてたの」

「夢だと何でもありだな」

「それ、言っちゃう? せっかく、メルヘンな気分だったのに」

 優菜は唇をとがらせた。

「本当のことだろ」

「でも、ここ、素敵でしょ?」

 そう言いながら、優菜は両腕を広げた。

「まぁ、そうだな」

 実際、おとぎ話に出てきそうな場所だった。今も鳥がさえずりながら飛び交っている。

「ここはね、ベルギーにあるハルの森っていうところ。そして、この青い花はブルーベル。私は行ったことないんだけど、両親が昔ここに行ったみたいで、写真を見せてもらったことがあるの。だから、その写真からこの夢をイメージしてみた」

「なるほど。良いところなわけだ」

「ねぇ、せっかく会えたから、もう少し話したいな。ここでゆっくりしよう?」

 優菜は木の根元に腰を下ろした。すると、鹿も優菜の傍らに座り込む。二匹のリスは優菜の肩から下りて追いかけっこを始めた。

 優菜が問いかけるように俺を見上げてくる。

「・・・・・・いいけど。特にすることもないし」

 俺は優菜から視線を外して、彼女の左隣に座った。夢とはいえ、プライベートで女子とこうして隣り合わせで座るなんて、今までになかった。

「これって、明晰夢とは違うのか?」

「明晰夢は自分でこれは夢だって気付くやつだよね。うーん、夢だってわかってるけど、たぶん違うんじゃないかな。だって、これは私の夢で、そこにきみが来ているわけだから。きみは私が創造して出てきたわけじゃなくて、他人の夢の中にきみはお邪魔しているんでしょ」

「うん・・・・・・。そういうことになるな」

「こうなったのには、何かきっかけがあるんじゃないかなと思うんだけど、心当たりはある?」

 俺は木にもたれかかり、腕組みして見上げた。唸りながらしばらく考えてみたが、俺はかぶりを振った。

「思いつかないな」

「そっか」

「きみは・・・・・・優菜は、どうして夢渡りなんてものが出来るんだ?」

 優菜の名前を言うときに声がうわずってしまった。かっこ悪い。

「最近ね、車の免許の更新に行ったんだけど、その帰りに見つけた本屋さんに寄ったの。もしかしたら、そこで変わった本を手に取ったせいかなぁって思ってる」

「本?」

「とは言っても、何も書いてなかったんだけどね。真っ白な表紙に、ページが真っ黒。どういう目的の本なのか、よくわからない本だった」

 俺の脳裏にあの黒い本が浮かんだ。

「似たような本を知ってる」

「えっ? きみも見たことあるの?」

「でも、俺が見たのは真っ黒の表紙に、中は何も書かれてない真っ白のページだった」

「ふうん。私のと逆だね。もしかして開いたとき、光らなかった?」

「光ったよ。あの本が何だっていうんだ?」

「わからない。関係ないのかもしれないけど、でも、普通は本って光らないし」

「まぁ、タイトルもなくて不思議な本だったな。その本を見つけた本屋って、小さい古民家みたいな本屋か?」

「あっ、そうそう! 二階に飲食出来るスペースもあって、飲み物とかデザートを注文できるの」

 やっぱり、と俺は言葉をこぼした。

「老紳士みたいな人がやってたところだろ? 俺もその本屋に行ったんだ」

 優菜は首を傾げた。

「店員さんは黒髪の女性だったけど」

「えっ」

「すごい美人だった。肌が白くてスラッと背が高くてモデルでもおかしくない感じ」

 俺の知っている店と違う? いや、もしかしたら別の店員を雇っているのか。

「とにかく、その本が何かあるかもってことか」

「そうじゃなきゃ・・・・・・」

 優菜の言葉が途切れた。様子を伺うと、彼女はうつむいていた。

「どうした?」

「ううん。何でもない」

 そう呟くと、優菜は顔を上げて俺を見た。

「本屋さん、どこで見つけたの?」

「京都に旅行したときに、ホテルの近くで見つけた」

「いいなぁ。旅行かぁ」

「優菜は免許の帰りって言ったよな。京都に住んでいるのか?」

 優菜はかぶりを振った。

「私、東京だもん。きみの見つけた本屋さんとは違うところみたい」

 俺は無関係とは思えなかった。

「日が傾いてきた」

 優菜の視線の先を追うと、太陽の位置が下がってきているのがわかった。影が長く伸びている。

「あれ・・・・・・」

 俺は自分の手が透けているのに気付いた。身体も同じように、透明になってきている。

「もしかして、お目覚めの時間かな」

 そう言った優菜の表情がどことなく寂しそうに見えた。

「また、会えるかな?」

 わからない。俺は自分の意思で来ているわけじゃない。

 でも俺はそう言わずに

「会える、かも」

 と、可能性を口にした。

「じゃあ、またね」

 優菜が微笑むと、視界がホワイトアウトしていった。


 アラームが鳴っている。俺は枕の横に置いていたスマホに手を伸ばし、アラームを止めた。

 ごろんと仰向けになる。見慣れた部屋だ。さっきまでの夢が嘘のようだ。でも、たしかに、優菜は俺の隣にいて、言葉を交わしていた。

 俺は起きて大学に行く準備をした。今日の講義は午前中だけだ。

 一時間ほどかけて電車で通学し、講義を全て終えて学食で牛丼を食べていると、里中が俺を見つけて声をかけてきた。

「この後、講義あるんだっけ?」

「いや、今日はもうない」

 里中は大学で出来た友人だが、一緒に遊んだことはない。一度だけ、大学近くにあるラーメン屋に食べに行ったくらいだ。

「そっか。明日、三限の講義は一緒だったよな?」

 俺の向かいに座りながら訊いてきた。里中が運んできたトレーにはカレーが乗っている。

「うん。バイトは落ち着きそうか?」

 彼はカフェでバイトをしている。

「そうだな。とりあえず、夏休みの間はカフェとは別に、ファミレスや倉庫でのピッキングもやってたけど、今はカフェだけ。来月から教習所に通うから」

「すごいな」

「その代わり、全く青春を謳歌してないけどな。バイト三昧でしんどかったし」

「あれ? バイト先に気になる子がいるって言ってなかったか? その子とはどうしたんだよ」

 突っ込んで尋ねてみると、里中はカレーを食べる手を止めて、俺から視線を外した。

「バイト帰りに一緒にご飯食べに行けたけど、俺が他のバイト忙しすぎてそれ以上は誘えなかった。でも、教習所行く前に映画に誘うつもり。もうすぐ見たい映画が公開されるんだ。彼女もそれ見たいって言ってたしさ」

 里中は真面目でこういうときも積極的だ。俺とは正反対。

「ていうかさ、そっちは? この夏休み、何もなかったのか?」

「俺はそもそも、気になる女子なんて・・・・・・」

 喋りながら、優菜のことが頭をよぎって言葉が途切れた。

「何だよ?」

「あ、いや・・・・・・里中は明晰夢って見たことある?」

「は? 何だよ、急に」

「最近、変わった夢を見ることが多くてさ」

 里中はう~んと唸りながら頬杖をついた。食べ終わったカレーの皿に視線を落とす。

「まぁ、今までに見たことはあるのかもしれないけど、夢なんてそんな気にしてないからな。今日見ていた夢なんてもう覚えてないし」

「そりゃ、そうだよな」

「変わった夢って、どんな? いつも同じ夢とか?」

「内容が同じってわけじゃないんだけど、リアルな夢で同じ人物が出てくるんだ」

「へぇ。知ってる人?」

 俺はかぶりを振った。

「現実で会ったことない」

「まさか、ホラーじゃないよな?」

 冗談混じりで訊いてきてるようだったが、俺は一瞬、夢を思い返した。

「そんな感じはしないけど」

「だったら、心配することはなさそうだな。そういう不思議系の話は疎いからよくわからないけど、現実に自分自身や身の回りで特に何も起こってないなら、気にしなくてもいいんじゃないか?」

「そうかもな」

 たしかに、あの夢をただの夢と考えることも出来るけど・・・・・・。

 里中は壁の時計を確認してから言った。

「じゃあ、次の講義があるからもう行くわ」

 また明日な、とトレーを持ち上げて行ってしまった。ここであれこれ考えても仕方ないと、俺もトレーを持って空になった牛丼の皿を返却しに行った。

 俺は大学を出る前に図書館に寄って、様々な夢に関する本を調べてみたが、結局、収穫はないまま帰宅した。夢渡りのことをネットで調べても、思うような情報が得られない。これなら、里中の言うように、気にしすぎてもしょうがないのかもしれない。

 レポートの課題を進めた後、ご飯のお供にもやしを使った簡単なおかずと味噌汁を作って夕飯を平らげ、風呂に入った。

 眼鏡を外して布団に入りながら、会えるかなと訊いた優菜を思い起こす。

「・・・・・・会えるといいな」

 俺は部屋の電気を消した。

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