蒼月書店の奇々怪々 ー月夜の夢想ー
望月 栞
第1話
どこかに行きたいという欲求が沸いて楽しみにしていた初の一人旅なのに、現地に着いたらこの有様だ。
「マジか・・・・・・」
京都・祇園で寺社巡りをと思っていたけど、雨が強めに降り始めた。折り畳み傘を開いて歩くが、傘を打ちつける雨粒の音が大きく、勢いが激しい。
それでも、せっかく来たからと、ビショビショになりながら清水寺へ行くが、夏休み明けの平日でこんな天気でも観光客が多く、傘を差している人の流れの中にいるとなかなか進まなかった。写真も満足するものは撮れずじまいだし、近くにある店を見て回る余裕もない。
「今日はもういいや」
早くホテルに入りたい気持ちが急き、後の予定は明日に持ち越すことに決めた。
ホテルに向かう途中、一件の古民家が目に留まった。何かのお店のようだった。なんとなく気になって近付いてみると、店先に鈴蘭のような白い花をつけた小さな木があり、入り口には「蒼月書店」と看板があった。
「本屋か」
旅先に来てまで・・・・・・とも思うが、趣味はもっぱら読書だけで、しかも書店でバイトもする俺にとっては見過ごせなかった。古民家独特の建物の雰囲気のせいもあるかもしれない。
だけど、ずぶ濡れ状態で店の中に入るのは気が引けたし、なにより、この濡れた服から解放されたかった。
「あとでまた来よう」
ホテルはもう近い。俺はそこへ急いだ。
しかし、いざ着いてもチェックインの手続きが出来るまで二十分待たされた。俺と同じように、雨のせいで予定を早く切り上げた客が結構いるようだ。
一応、雨予報は確認していたのでレインスニーカーを履いてきていたが、ズボンの裾が濡れて気持ち悪い。ロビーのソファで手近に置いてあった雑誌を開きつつも、何度もカウンターを確認していた。
ようやく、チェックインを済ませてホテルの部屋へ入るとすぐに服を着替えて眼鏡を外し、少しベッドで休んだ。思っていたより、疲れていたのかもしれない。目が覚めた後に眼鏡をかけて窓の外を見ると、雨は止んでいた。時間を確認し、夕食にちょうど良い時間になっている。俺は飯を食うため、財布を手にして部屋を出た。
今回の旅は寺社巡りが目的だったから、グルメにこだわりはない。だからどの店を選んでも、何を食べることにしても、一人旅だから誰に気を遣う必要もないし、その点は気が楽だ。
ただ、周囲はたいてい誰かと一緒に食事をしている観光客ばかりで、こういうときだけはなんとなく寂しく感じてしまう。
通っている大学に友人はいるが、一緒に遊んだことはない。大学での付き合いだけだ。そう考えると友人というより、ただの知人のようでもある。バイト先に友人と呼べる人はおらず、あくまでバイト仲間という意識だ。別に仲が悪いわけでもない。一人が楽で好きだから一人旅もしてみたのだけど、こういうときだけ誰かいて欲しいと思ってしまうのは、なんだかちょっと情けなくなる。
結局、苦手な人付き合いを避けているだけなのか。
俺は、適当な店でなるべく安いそばを早々に平らげて店を後にした。気になっていた本屋へ足早に向かうと、まだ営業していた。置かれている立て看板には、購入した本を二階の飲食スペースで読むことが出来ると書かれている。
早速、入店すると、「いらっしゃいませ」と声が聞こえた。グレーの髪がよく似合う、柔らかい笑顔の老紳士風な男性が迎えてくれた。店内を見て回ると、店の入り口付近は新刊や、よく見る話題の本の品揃えで、奥に行くにしたがってマイナーな本が並んでいる。俺は読みたいと思っていたミステリー小説を本棚から抜き取り、レジへ持って行く。
「二階の飲食スペースを利用したいんですけど」
「かしこまりました。メニューはこちらです」
俺はアイスコーヒーを注文して購入を済ませると、店員が用意してくれたそれを受け取って、二階へ上がった。座席はいくつかあったが、俺以外は誰もいない。こういう店は一人でも気にせずゆっくり出来るから好きだ。
俺は奥の窓際の席を選んで読書に耽った。小説の全体の半分まで読んだところで時計を確認すると、もういい時間だった。
「そろそろ戻るか」
名残惜しい気持ちがあったが、アイスコーヒーを飲み干し、一階のレジへグラスを戻してから最後にぐるっと一通り見て回る。
「ん?」
奥の角の本棚に、背に何も書かれていない本があった。抜き取ってみたが、真っ黒なハードカバーの表紙で表も裏にも何も表記されていない。俺は本をめくってみた。
「うわっ!」
急に眩しい光が目に飛び込んできて、目を瞑って顔を背けた。その拍子に本を落としてしまう。
「何だ、今の・・・・・・?」
恐る恐る落とした本を見ると、それは閉じたまま床にあった。
「おやおや」
背後から声が聞こえ、振り返ると店員の老紳士がいた。
「あ、すみません! 落としてしまって」
俺は慌てて本を拾って破損がないか確認したが、無傷のようだった。
「ほう。それを開いてしまったんですな」
「あ、はい。破損はしてないみたいなんですけど・・・・・・」
もしかして、弁償か?
冷や汗をかきながら伺うと、老紳士は微笑んだ。
「あぁ、気にしなくて大丈夫ですよ。元々あったところに戻しておいて下されば」
「はい。すみませんでした」
老紳士はレジへ戻っていった。俺は安堵のため息を吐いた。
さっきの光が気になり、俺はもう一度ゆっくり本をめくってみた。
「あれ?」
パラパラとページをめくっていくが、全て白紙だった。光ることもない。俺は首を傾げながら、本棚に戻した。
何だったんだ、と考えながら店を出ようとすると、後ろから老紳士の言葉が耳に入った。
「お気をつけて」
コンビニに寄り、朝食用の惣菜パンを買ってからホテルに戻った。入浴を済ませた後、俺はベッドに倒れ込む。
雨が降ったときは、今日はもうダメかと思ったが、なかなか良さげな本屋を発見できた。旅先で、そこにしかない本屋でゆっくり過ごすのも悪くない。あんなことがあった後だけど、明日には帰るし、その前にもう一度行ってみてもいいかもな。
俺はまだ目が冴えていたが、明日の予定を考えて早めに寝ることにした。電気を消し、横になってしばらくすると眠気を感じた。
気付くと、目の前には下に続く階段があった。辺りを見渡すと、どうやら俺はどこかの建物の中の非常階段の一番上にいるらしい。後ろには扉があり、開けてみようとドアノブを回したが、鍵がかかっているようで開かなかった。
とりあえず、俺は下りてみることにしたが、色味のない無機質な知らない場所で、自然と警戒心が沸いた。そもそも、何故自分がこんなところにいるのか。
踊り場の壁に目を向けると、下を向いた矢印の隣にB1、上を向いた矢印の隣に1とあった。この下は地下に続いているらしい。踊り場で折り返してさらに下りると、扉があった。階段はまだ下に続いているが、ドアノブを回してみると扉が開いた。
ひとまず中を覗いてみると、非常階段よりも明るく、通路を挟んで目の前にズラッと本棚が並んでいるのが見える。俺はそのまま扉を開けて入った。左右を見渡すとどちらも奥行きがあって、本棚がずっと続いている。このフロアは書庫のようだ。
左を選んで奥へ進んでみると、右手に本棚が続き、左手には大きな窓があった。窓の外は建物内部の吹き抜けになっていて、天窓から光が差し込んできている。上も地下もそれぞれ四階まであるようだった。この窓に沿ってぐるっと反対側へ歩いても同じように本棚があり、表紙がえんじ色、群青色、深緑色のハードカバーの本がそれぞれ並んでいる。
一通り見たが、ずっとこんな感じで俺以外は誰もいなかった。俺は非常階段まで戻り、地下二階へ下りる。扉を開けて中を確認するが、このフロアも全く同じだった。
「どこなんだ、ここ」
ぼやきながら、近くの本棚にあった群青色の本を手に取って開いてみようとした。
「誰!?」
突然聞こえた声に驚いて、振り向いた。吹き抜けの窓のそばに俺と同じくらいの年齢の女子がいた。俺が何も言えずに固まっていると、彼女はこっちに向かってきた。
「それ、見ちゃダメ!」
そう言って、後退りする俺から本をひったくり、大事そうに抱える。黒髪のポニーテールとネイビーのワンピースの裾が激しく揺れていた。
「これは、私の夢なんだから」
「どういうこと?」
思わず尋ねると、彼女は俺から視線をそらした。
「私が見た夢が綴られているの。恥ずかしいから見ないで」
「夢って、寝ているときに見る夢のほう?」
彼女は頷いて、本を棚に戻した。
「そもそも、きみはどうしてここにいるの?」
「どうしてって・・・・・・わからない。気付いたら、ここにいた」
彼女は俺の言葉に首を傾げた。
「もしかして、これが夢って気付いてないの?」
言っている意味がすぐには理解できなくて、俺は言葉が出なかった。
「夢だよ。今、きみが見ているこの光景は私の夢なの」
「は?」
やっと出た言葉がそれだった。
「まぁ、大抵は夢だって気付かないよね。でも、まさか私の夢に他の人が来るなんて」
「ちょっと待った」
俺は彼女の前に掌を向けて止めた。
「えっと、これがきみの夢で、そこに俺がいる? 今、俺は寝ているのか?」
「そうだよ。私の夢なのに今回はきみがいて、びっくり。でも、いつも私一人だから、嬉しいな」
かすかに微笑んで話す彼女に、俺は少なからずドキッとした。女子とはあまり話し慣れていないうえに、こういうことを言われたことがないからどう返したらいいかわからない。
俺は彼女から視線を外して訊いた。
「夢に人が出てくることだって、あるだろ」
「あるけど、私の場合は夢だって気付いていないときがそう。今回は初めから、これは夢だって気付いてる。なのに、きみがいる。不思議ね」
「ここは何なんだ?」
「私が今までに見た夢を保管している書庫。広いでしょ」
「地下四階まであるけど、それも全部?」
「そう。今までにどんな夢を見てきたか見返せたら面白いかもって思ったら、夢の中でこんな書庫が具現化しちゃった」
「一階から上は?」
彼女はかぶりを振った。
「鍵がかかってて行けないの。たぶん、顕在意識じゃないかな」
「一階の扉が開いたら目が覚めるってこと?」
「うん。でも、鍵がない」
「夢ってわかってるなら、創れるんじゃない?」
俺がそう言うと、彼女は目を伏せた。
「創っても開かない。シリンダーキーでも、カードキーでもダメ。どうしてか、ここから出られない」
「えっ? 閉じ込められたってこと?」
俺もそうなのかと、内心焦って訊いた。
「あっ、でもね、別の夢に行くことは出来ると思う」
「別の夢?」
「場所を変えるの。夢から夢へ渡り歩く、夢渡り。行ってみる?」
俺は頷いた。ずっとここにいてもしょうがない。彼女についていき、吹き抜けの窓のそばまで移動する。
「そういえば、名前、まだだったね。私、兎川優菜。よろしくね」
「俺は・・・・・・」
名乗ろうとしたら、天窓から差し込む光が強くなった。眩しくて反射的に顔を背けた。
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