あの子にラブコール

芳岡 海

あの子にラブコール

 アベフトシが死んだとき何してた?

 死んだって、と友人から聞いたとき俺は十六歳で、高校生で、ロックスターの叫んでいることが真実だと信じていた。

 あの子が泣いたって人づてに聞いた。こういう音楽を本気で好きな女の子を、当時の俺はあの子以外に知らなかった。


 チバの歌詞に出てくる「あの子」って言い方が好きだった。ロデオマシーンにまたがってはしゃいでいたり、涙がこぼれそうなときにラブコールするあの子。


 死んだって。そう聞いて放課後に帰る気がしなくなって、軽音部の部室の前で世界の終わりのイントロのギターを練習してた。

 部室が混んでるときはよく外でそうやって自主練してたんだよ。そのときだけじゃなかった。でもそのタイミングでその曲弾くのは、なんつーか今考えると恥ずかしいよね。弔いのつもりだった。

 何度やっても違うなって思いながら練習してて、横に人の気配がした。視界の端であの子が制服のカーディガンのポケットに手を突っ込んで立っているのが見えた。ローファーのつま先が少し内側を向いていた。俺は気づかないふりして弾き続けてた。

 顔を見なかったけど、あの子はつまんなそうな顔してたと思う。俺のギターがつまんなかったのもあるだろうけど、単につまんなかったからそこに立ってたんだと思う。いや、泣いた後の顔だったのかな。

 感情の振り幅の大きな子だった。よく笑うし、泣くときは泣くし、つまんなそうな顔も隠さず見せる。

 ギターの手止めて、目合わせて、「アベ死んだね」ってひとこと言うかどうかずっと迷いながら、集中してるふりをした。そのうち背を向けて歩いていった。「アベ死んだね」って言えば良かったのかって、あの子が見えなくなってもギター弾きながらまだ迷ってた。正直今でも迷ってる。


 Mステのt.A.T.u.事件は小学生のときだった。リアルタイムで見ていたような気もするけど、後付けの記憶かもしれない。

 ミッシェルの名前を知ったのはそれから四年後だった。

 Mステの週間ランキングと、深夜番組だったCDTVのランキングから、三十曲に一曲くらいの割合で見つかる好きな曲から好きなバンドを増やしてた。タワーレコードの試聴コーナーで、手書きのポップを真面目に読んで、TSUTAYAのJロックの棚で背表紙のバンド名を一個一個辿って、好きなバンドを増やしてた。そうやっていくうちの一つにthee michelle gun elephantがあったんだと思う。そういう地道なことが無限にできた頃だった。

 そうやって知ったバンドのCDを貸し借りしたり、へたくそなコピーバンドやったり、「アベが死んだらしい」って話す周囲の中にあの子がいた。

 二回くらい、あの子とCDを貸し借りしたことがある。最近気に入っているのだという西海岸のドリームポップバンドと、サニーデイの「若者たち」を俺に貸してくれた。「若者たち」はいいアルバムだから聴いた方がいいって、熱弁してくれた。ミッシェル好きな子は他にこういうの聴くんだって思った。

 こっちが何を貸したか、いくら考えてもほんとうに思い出せない。返してもらったのかも覚えてない。


「みんなも十年前は十歳若かったんだぜ」

 っていうチバの言葉、それだけ聞いたときはまたチバの天然っぽいMCだと思ったけど、「死んじゃったヤツもいるか」と続くのをあとで知った。ロックスターの言っていることが真実だと、そのときの俺も信じていたから真実の言葉だと思った。


 チバが死んだとき、みんな何してたの。

 十一月二十六日だったってね。日曜日じゃん。俺たぶん何もしないで家で寝てたと思う。ギターもとっくに弾かなくなってた。

 十二月五日の平日、普通に仕事してたら軽音の一番仲良かった同輩から連絡が来て、久しぶりだなって思ったら「チバが死んだって」って書いてあった。

 バースデイのライブには何回か行った。武道館に一回行った。

 音がめちゃくちゃデカかったのが記憶に残ってる。聴いてるこっちは必死なのに、あっちは涼しい顔でとんでもない音鳴らしてるように見えた。ティアドロップのサングラス。テネシーローズ。どこまで思い出補正なのかもうわからない。


 帰ってからSNS見たら、最近全然近況がわからなかった友人が無言で「涙がこぼれそう」の動画を載せてて、普段仕事に絡んだ話ばっかしてる後輩が高校時代のミッシェルのコピーバンドの写真載せてて、最近はもっぱら娘の話ばっかしてる先輩がYOYOGI RIOTの話してて、訃報を聞いた直後に俺が思い浮かべた人たちがそれぞれの場所からちゃんと顔を見せてた。捻る必要はないけど捻ったところでいえば、映画青い春を見返しながらビール飲んでた同輩。あの映画で俺は赤毛のケリーがいい曲だって気づいた。

 みんな核の部分、いくら変わっても変われない部分が、こうして何かのタイミングで堪えられずに噴き出す。


 みんな十四年前は十四歳若かったんだぜ。

 二〇〇九年だったし、俺は十六歳だったし、高校生だったし、ロックスターの言葉が真実だと思ってて、毎日誰かと顔合わせて音楽の話してた。

 あの子にミッシェルで好きなアルバム聞かれたからhigh timeって答えたら「渋いね」って笑って言われた。代表作をあえて外したつもりではなかったから、ちょっとそこは納得いってない。

 でも、じゃあ、と好きなアルバムを聞き返したらまた豊かな表情で大げさに悩む顔をして、結局答えなかった。

 ただ一番好きな曲はダニーゴーだって教えてくれた。


「チバ死んだね」って、連絡してみようか。

 あの子が数年前に結婚したのは知ってる。SNSに投稿されていた写真では真っ白なウエディングドレスの上にダブルの革ジャン羽織ってて、信念貫いてるんだなって思って笑った。

 俺はあの子をミッシェルやROSSOやバースデイが好きな子って思ってるけど、向こうはたぶんそんなふうには思ってない。ミッシェルとかも好きな人、くらいだと思う。だいたいいつも俺はそんなもんで、何か一つが自分の真ん中を占めていることがなく、のらりくらりと、いろいろ好きなだけだった。

 チバユウスケはマジでど真ん中だった。何の? ロックの。かっこよさの。俺らの。


 朝になって久しぶりにあの子の投稿があったのを見た。時間を見ると結構な深夜だった。寝起きで上体だけ起こして画面を見つめた。慢性の寝不足と昨日飲んだアルコールで頭痛がした。

 一瞬関係ない写真かと思ってから、ああ、そうかと思った。ラッキーストライク。チバが吸ってたやつ。

 俺は今でもロックスターの言葉が真実だと思ってるから、ロックスターのものが一番かっこいいと思ってしまうんだよ。

 ラッキーストライク。あの子も吸ってたんだ。たまに。何かへの当てつけみたいに。たぶん俺の知らないところでなんかあったときとかに。あの子って呼ばれることを毛嫌いするように。

 チバ死んじゃったね。

 もうあの子って年齢でもないからメッセージを送るのは簡単だった。

 アホみたいに早く返信が返ってきて笑ってしまった。絵文字一個、泣き笑いみたいなやつだった。よく笑って泣くあの子の顔に見えた。俺はちょっとだけ嬉しくなって立ち上がった。

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あの子にラブコール 芳岡 海 @miyamakanan

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